じじい日記

日々の雑感と戯言を綴っております

山は白銀・・・

2014-12-19 21:20:01 | 日記的雑談
いや、世間では大雪だと騒いでいる訳ですが、宮城県の山は普通ですねぇ・・・と,思うんですが。

私が高校生だった頃、40年以上前ですが、蔵王の山の雪はこんな物では有りませんでした・・・これ、ホント。

写真はまだ持ってますぜ・・・白黒ですけど後見の坂をワカンで必死にラッセルして登っている姿が残ってます。
学校が休みになった翌日・・・12月20日過ぎくらいだから、丁度今頃ですけど、澄川のスキー場なんか雪はたっぷり有りましたね、確かに。

まっ、昭和末期から平成に変わる頃には雪は少なくなってましたが、それ以前はやっぱしドガチャカドガチャカと降ってましたよ、絶対に。

35~36年前のクリスマスイブの夜は仙台は大雪で市内の交通が麻痺しちまいまして、中心部に有った会社から少し郊外・・・と,言っても今の家のように山奥では無くタクシーで2メーターくらいの所まで歩いて帰った記憶が有ります・・・靴屋で長靴を買って帰ったんですが、安いのから売れて行くのかとても立派な、履き捨てるには勿体無い代物を泣く泣く買いましたっけ。

その昔し、東北六県を車で仕事に歩いていた頃・・・彼方此方で田圃に車を落としましたね。
いや、ホワイトアウトもアレなんですが今程除雪が良く無いんで道路と田圃の境目が分からずに落とすんですわ・・・まっ、視界不良で道路の脇のポールも見えないのに無理して走っていて落とす訳ですから、無茶と言うか馬鹿なのか?


本日のスキー場への道 気温低いので滑りません

ボロ布・ロープ・砂袋・タイヤチェーンの予備・スコップ・毛布・・・出来れば予備燃料、など、持って走っていました。

予備燃料ねぇ・・・オイルショックの時・・・やっぱし36、37年くらい前か?
日曜はガソリンスタンドが休み、で、田舎に行くと20リッターしか売ってくれない、なんて時期が有りまして、青森往復するナンテ言って帰りが日曜だと予備タンク持ってないと帰れない訳です。
いや、土曜日に入れたって雪道じゃ満タンで帰れませんでした。

アレ・・・田舎の山間部の国道なんか夜中に交通量減るでしょ、そうすると、雪が降り続いてる深夜は除雪しなくなるんですよ。
まさか国道で立ち往生は無い、なんて思ったら甘い訳で、道路の上で立ち往生、で、毛布被ってガソリン気にしながら夜明かしです。

で、道路で泊まって寝ていると早朝に除雪車が来て叩き起こされる訳です。
でも自分は二進も三進も行かないんで除雪車が迂回して先に行っちまう訳です。
そうすると、除雪車の後には車が付いて来る訳でして、邪魔者扱いされる上に馬鹿野郎的視線を浴びせられる訳です。
いや、登りだと厄介ですが平ならスコップで少し掘って走り出せるんですけどね。

さて、スキーに行って来た訳です・・・シーズン始まりました。
まっ、今年もヘボだなぁ~と、つくづく思いました・・・本日転倒4回ですぜ。

いや、38度の斜度に新雪・・・上手い人は飛ぶように板を浮かして行く訳ですが私しゃそんな芸当は出来ませんでターンする度に新雪の深雪にスキーが刺さってズッポシ、と。

いや、そこまで下手だとは思っていなかったんでガッカリです。

で、本日私が留守の間はさすがに部屋の暖房は切っていた訳です。
いや、クワガタ君の事なんですがね・・・そしたら、室温14度の部屋で元気に歩き回っているじゃ有りませんか。


あと少しで年越しで来ます!!! ガンバレっ!!!

ドーなっちまっているのでしょうか、彼は!!!

是非年越しして欲しいものであります。


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アベ君

2014-12-19 20:00:20 | 旅と感想
一昨日「総集編」と題した物を出しておきながら、またヒマラヤトレッキングの話しを書いているのは恐縮至極なのですが、まあ、山高ければ谷深しと申しますように、印象的な物は引きずるのであるなと言う事でご容赦願いたいと思う訳です。

さて、アベ君なんですが、実の処を言うと、彼について私は殆ど何も知りません。
例えば、アベ君は阿部君なのか安倍君なのか、そう言う基本的な事さえ知らない間柄なのです。

そんなアベ君なんですが、幾つかのキーポイントで出会っていまして、今度のヒマラヤの事を思い出すのに欠かせない存在として深い印象が残っている訳であります。

最初に彼に遇ったのは、何処であったかは忘れましたが、外人の一行の中に東洋人が居るな、でも親しげにしているので日系の外国人とか、留学先から来ているとかなんだろうな、ナンテ事を勝手に思っただけで話し掛けもしなかった訳です。

次にアベ君を見掛けたのは結構下の方の宿で、たぶんパクディンかディボチェの宿であったと思うのですが、最初に外国人グループの人であると認識していたのでこの時も話し掛けはしなかった訳です。

で、次にアベ君を見掛けたのは、ディンボチェへ行く道すがらでありましたが、やっぱし、既に外国人グループの人であると認識していたので日本人とは思わなかった訳で、話し掛けはしなかった訳です。

そうなんです・・・ナンども接近して話すチャンスは遇ったのに、意識と言うのは恐ろしい物でして、彼は外人枠の人である思ってしまうと日本語を話しているとも思わないので無視してしまう訳であります。

余談でありますが、海外の観光地で出会う日本人と言うのは他の日本人にとてもよそよそしいと思う訳です・・・いや、これホントであります。
なんと申しましようか、極端な場合ですと「あっ 日本人が居やがった」と言う雰囲気さえ醸し出されたりする訳であります。
私なんぞは比較的長期でしかも独りなものですから、誰とでも仲良くなりたい訳なんですが、寄せ付けてもらえない傾向が有る訳です・・・汚い?臭い?貧乏そう?胡散臭い?頭悪そう? と、そういう風に見えているのかなどと思って哀しくなったりする事も有る訳ですが。

さて、そう言う暗い過去を引きずる私としましては妄りに安易に来易く海外で出会った日本人に声は掛けられなくなっていると言う事実も有る訳で、だからアベ君はヒョットすると日本人かも知れないと思いつつ、見なかった事にしていた訳であります。

ところが、私のガイドのラムさんはアベ君が日本人でしかも単独で歩いていると言うのをとっくに知っていた訳であります。
そして、ディンボチェの二日目、高度順応の為に登った5100mのピークを下りて来た時にアベ君に出会った。
この時は独りで、我々が今しがた下りて来たピークに登るつもりで居たようだが、手ぶらの軽装であった訳です。
少し遠くからラムさんが見つけて、日本人の若者が登って来ますね、と言ったのを聞いて私はアベ君に気が付いた訳です。
そしてラムさんは、彼は調子が悪そうですね、とも言ったのであります・・・ふぅ~ん、彼は一人なんだ、と思うとともに、ありやぁ~水も持っていないで、これは危ないな、と、感じた私は、いやぁ、これからですか?と声を掛け、そして、ここから一気に700m登るんで緩く無いし、水とかウィンドブレーカーは持った方が良いよ、と、余計な事を言った訳です。
で、アベ君は素直に、それは良い事を聞きました、装備を整えて出直します、と、言って戻ったと言うのが馴初めでありました。

アベ君はイケメンでした。
しかも、体力も知力もあり(推測ですが)独身・・・俺がこの若さで海外に行くとしたら、こんな辛い所には来ないで南の島のハーレム目指すがなぁ~と、驚きの念を持って彼を見る訳ですが、しかし、話しを聞いてみれば自分と同じ無職!!! そりゃそうだよなぁ、サラリーマンで一月以上のトレッキングの旅なんて・・・まっ、超優良企業には有る程度の勤務年数でまとまったお疲れお休みをいただける所もあるらしいが、そんな恵まれた会社は僅かでありましょう。

と、言う事で、アベ君は会社を辞めたのを切っ掛けにトレッキングに出て来たのだと。
これは大きなポイントです・・・トレッキングがしたくて会社を辞めるのか、会社をやめた~トレッキングに出たのは、結局はエベレスト街道を歩くと言う同じ行為に辿り着いたとしても、その意味合いは大きく違うと思うのであります。


で、アベ君は海外で働く事も視野に有る、なんて話しもしまして、知ったか振りが大好きな0yaziを相手にそう言う話しを振っちぁイケナイよ、と。
この手の話しをしたのはゴラクシェプの宿でありました。
宿が満員で、私とラムさんがテントでアベ君はポーターが泊まる部屋に寝た夜のダイニングでありました。

本当に座る余地のない混雑したダイニングで、自分よりも早く来ていたアベ君はラムさんに呼ばれガイド達が集まる隅っこの席を得ていた訳です。
そこへ私が現れれば当然近くに座る訳で、その時にあれこれと細かい話しが出たと言う事な訳であります。

で、まあ、英語だよなぁ~・・・会話もだけど英語で仕事をするとなると書けないと話しになら無いからなぁ・・・なんて、尤もらしい事を先輩面して若者相手に吹かすのは楽しい訳です。
それでも、マレーシアは止めた方が良い、何故なら、俺が嫌いだから、とか、フィリピンは英語の勉強の環境としては最高だが、君はイケメンだから必ずフィリピン娘と出来ちまってややこしい事になるだろう、なんて有意義なアドバイスもした訳です。

そして、ラムさんが、カラタパールに登ったら一気にルクラまで下ってカトマンズに行くと言うアベ君に、ルクラで泊まる宿を紹介し、飛行機のチケットはその宿で手配してもらえ、とか、俺の名前を言えば全て面倒見てくれるから、なんて大風呂敷も広げた訳であります。

いや、実際にルクラの宿は混雑していて断わられたんだけれども、ラムさんの紹介でカクカクシカジカと言って部屋を確保したと、後日聞いたので、やるなぁラムさん、なんですが。

と、言う事で、アベ君と何か込み入った縁が有った訳では無いんですけれども。
それどころか一歩たりとも一緒に歩いた訳でもないんですけれども、私としては、滅多に海外で日本人に相手にされないのに随分和やかに話しをしてもらったのでとても印象深いと言う、唯それだけの事なのでありますが。

で、ゴラクシェプで別れてから、彼はカトマンズに戻りポカラに行くと言っていた訳です。
ですからもう会う事も無いだろうとすっかり忘れていた訳ですが、なんと、カトマンズの桃太郎と言う、私が毎日豚カツを食いに行っていた日本食風飯屋で再開したのであります。

いやぁ~アベ君!!! まだこんな処に居たの?と、嬉し恥ずかしの再会でありました。
で、ゴラクシェプ以後の出来事を色々聞いた訳です。

例えば、ポカラで泊まった宿の旦那に、家の婿になら無いか?と迫られた、と、若いイケメンならではのとてもティストオブハニーな日々を送っていたとか。
しかも、その娘はアベ君の感覚でもかなりの美形であったのだそうで、俺なら無職の身でそんな話が舞い込んだから気軽に一口乗っちゃうけどなぁ~・・・ナンテ事を思いながらビールなど呑みながら語った訳です。

ああ、思い出しました・・・アベ君もその気は有ったんだけれども、もうすぐ妹の結婚式に出るのでとりあえず日本に帰らなくてはならなくて、残念であったと申していたのを思い出しました。

ああ、また思い出しました・・・日本へ帰る航空券を持っていなくてカトマンズで探したんだそうです。
勿論、エア・アジアの格安航空券だそうですが、あの航空会社は搭乗の4唐日前と言うのが一番鬼門でありまして、意外と満席だったりする訳です。
で、アベ君もネットで見たら満席で困っちまって、結局はビジネスクラスを5万円で押さえたと・・・いや、日本まで5万円では無くて、カトマンズ~クアラルンプールですから、相当高価でありますね。

まっ、それだけの、他愛無い話でありました。

アベ君はヒマラヤを歩く事に魅せられたと申しておりましたので、また何処かでまた会うかもしれませんが、一応、終わった訳であります。

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鬼も笑わない、か?

2014-12-18 21:29:00 | 日記的雑談
私は抜け殻です・・・魂を山に吸い取られてしまった、抜け殻です・・・って、言ってみてぇ~です。

そう言う事宣ってカッコつけられる程の山に登った訳じゃ無し。

まっ、私らしいと言えばそう言う事で・・・鬼に笑われそうな話しってのは、来年の事です。
いや、来年と言いましても、明日からはスキーシーズンなので来年の三月一杯は暇さえ有れば・・・もとい、金さえ有れば、かな? 暇は持て余してますからね、ナント申しましても無職ですから。

そう言う訳で、金さえ有れば・・・と、申しましても、54000円支払えば一シーズン滑り放題のシーズン券と言うのを買ってあるんで掛かる費用はガソリン代・・・往復で9リッター・・・本日はハイオク151円ですから1400円弱と言う所ですか?
それにお昼の豚汁・・・これが50円値上げされて400円。
まっ、一回行けば2000円と言う事ですかね?
月に20回行ったとして・・・40000円か・・・そうか40000円か。

そう言う訳で、来年の予定と申しましても4月からと言う事なんですが・・・どーすっかなぁ? アレです、予定なんか立てなくてもって思ったら一年間無茶苦茶ですよわ。

例えば、A案と言うのは、アメリカのジョンミューアトレールを歩きに行く、なんですけど、これのパーミットは奪い合い先着順なんで受付け開始と同時にメール出さないとダメなんですけど、そう言うのの準備とか、もしも本気なら今からやらないとダメですからね。

で、B案と言うのは、来年は日本に腰を据えて、カブトムシの養殖を本格的にやる・・・いや、これは嘘ぴょん・・・日本の山を攻める!!!
百名山ではないけれども、日本にも沢山登っていない名山が有る訳で、それらを登る旅に出ようか? 序でに懸案の四国お遍路と九州巡りをカブッチで・・・となると、昨年は夏に予定したものの、七月からズーッと西の方は豪雨続きで行くタイミングを逃した。
なのでB案的行動は四月の頭から始めて梅雨入り頃には北海道辺りに居るのが宜しいかと。
そうなると、スキーシーズンのすぐ後に度のシーズンな訳で、忙しい。

で、C案もあったりして・・・それは、金が無いと身動き取れないので働く!!!
取り敢えず軍資金を貯めて・・・そう言う歳じゃないんだよね。
軍資金貯めてる間にジジイになっちまって貯めた金は葬式代とか・・・笑えないねぇ。

いや、ノコギリクワガタがまだ生きてるんですけど・・・元気でスゼェ。
やっぱし私の愛情タッぶり、焼酎少しの特製エサが良いのでしょうか?
でも先週から夜は湯たんぽを入れてます・・・だって朝部屋の温度は4~5度ですぜ、クワガタじゃなくても死んじまいます。

さて、下らない事書いてないで寝ます。
明日の為に今日も寝る・・・と、言い続ける毎日・・・明日ってそんなに大したもんじゃないよね・・・明日はすぐに今日になっちまうんだもの。

おおっと・・・良い事思いついたんだ・・・未来は皆の物だけど、将来は俺だけのもの!!! 
ピンと来ない? あっそ。

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ネパールの旅 総集編

2014-12-17 13:27:40 | ネパール旅日記 2014
2014年ヒマラヤの旅は11月2日に仙台市青葉区の陸前落合駅から仙山線に乗って始まり、11月26日に陸前落合駅に着いて終わった。

初めての中国国際航空の各駅停車便で、上海・北京・成都等を周り二泊三日も掛けてネパールはカトマンズに着いたのだが、帰国便が一泊二日なので都合三泊四日も中国国内遊覧飛行を楽しめて得をした気分であった。

中国の印象で特筆すべきは、香辛菜とザーサイの美味さは絶品であり、秋田のいぶりがっこや九州の高菜漬けに勝るとも劣らぬ物であると知った事か?

面白かったのは、北京の空港は空調が利いているにも拘らず石炭ストーブの匂いがした事で、噂は本当であったかと感心した。

いや、中国の表玄関しか見ていなくては言うのも烏滸がましいが、本当に言いたい事は、中国人も仏教のアジアの民であるなと言う事である。
成都のボッタクリ白タクなど、クアラルンプールのインド系タクシーの極悪運転手に比べれば可愛いものであった。

さて、ヒマラヤの旅を締めくくってみたいと思うが、これが中々上手くまとまらないのだ。
なんと言うか、往きも帰りも歩くのが主体であり、これはと思った所でカメラを向けて撮っていてもメモなどの記録を取る時間が無いので何の目的でこれを撮ったのか?と、なってしまっている。
そして、一番は言葉の壁であった。
観光客と接する事の無い村人は英語はまるで通じないし、それどころか各部族の言葉が入り交じれば、それは津軽の人と九州の人の会話に似たような事になり、通訳のタマンさんでさえ手を焼くのだった。
だから興味の湧いた事に対して突っ込んだ話しが聞ける事は希で、一を聞いて十を想像するしか無い事が多く、ここに書く内容の信憑席も推して知るべしとなってしまう。

雑多な写真で恐縮ではあるが、私が見たエベレスト街道の印象的な所をまとめてみたいと思う。


閑散としたルクラのメインストリート

いや、観光客の往来が減ったのはシーズンの終わり、冬が来るからと言う事よりも数日間悪天候が続きカトマンズからの観光客が運ばれて来ていないからである。
しかし、この写真で言いたかったのはそんな事では無い。
道路にコンクリートの四角い蓋のようなものが見えるのだが、これは下水のマンホールでは無いのかと思うのだ。
ルクラにはかなりの数の宿があってどの宿も水洗トイレなのだが、流した水は何処へ行くのか心配だったが、少なくてもメイン通りの宿のそれは下水様の物があって流されているのかと思ったのだが・・・。
しかし、仮に下水が流れたとして、それの最終処理はどうなっているのか?
そこを詮索してしまうと良く無い方向へ転がりそうなので話しはここまでと言う事で。


白に青線のロープが雪壁に張るフィックスロープ

ロープの前のポリタンクはケロシン、灯油である。
北米やヨーロッパでのコンパクトストーブの燃料はホワイトガソリンであるが、ネパールでは高地でなくても燃料は灯油であった。
特にエベレスト街道は車やバイク等の乗り物が無いのでガソリンは入手出来ない。
だから登山隊のバーナーもガスか石油になるのだった。


何故か鍋釜は全てアルミだ

金物屋の店先なのか、石油コンロやアルミの鍋ややかんが売られていた。
右端の青いのが石油コンロだ。
その昔し、と言っても僅か50年前は日本でもプロパンガスよりも石油コンロが幅を利かせていたのだが、ネパールのはコンロと言うよりもバーナーである。
ネパールの石油バーナーは燃料タンクにポンプが着いていて加圧出来る。
圧力を掛けて灯油をガス状にして噴射し燃やすのだ。
この方式でないと空気の薄い高地では強い火力が得られない。

さて、何故に鍋釜は全てアルミなのか?だが、これは運搬時の軽さの問題では無いかと思う。
旧い宿に泊まるとダイニングの棚に磨き込まれた銅製の鍋や食器が飾られている。
アルミが手軽に手に入るようになって真鍮や銅製は重さの点で駆逐されたまでは無いかと推測してみたが。


カラフルで見た目は上等なブランド品の山道具

この辺りで売られているブランド物の衣料品は間違い無く偽物である。
様々な有名ブランドがまさかと言う価格で売られている。
それらのクォリティーは、本物より落ちるが価格で考えたら優秀だな、と思う。
ネパールの法律は知らないが、ブランドの保護に敏感な国の白人達も数日や数週間のトレッキングで使い倒すのにと難しい事を言わずに買っている。
ナムチェには本物を扱う店があるが、クライミング用品もウェアーも本物は日本で買う方が安い。


水牛の肉だと言われたが・・・

日本に「山くじら」と言うのが有ったをご存知だろうか?
私としては水牛なら食べても良いと言うネパール人の話しが日本の「山くじら」に結びついて仕方が無いのだ。
日本では、獣肉を食する事が禁じられた時代に、猪を山の鯨であると詭弁を弄して食べていた。
私は日本の山くじらがネパールの水牛に被ってしまうのだ。
そもそも水牛は牛では無いと言うのはヒンドゥー教の、水牛は悪魔の使い、悪魔の乗り物と言う所から来ているので仏教徒には関係がないのだ。
ヒンドゥーもポン教もラマ教も仏教もごちゃ混ぜ信仰を仰いで気にならない人達が年老いた牛を処分して食べない訳が無いと思うのだ。
だから、年老いたヤクやゾッキョは間違い無く山くじらになっていると思うのだが。


これが何かわかりますか?

昨年の30日と今年の21日を足して都合50日程ヒマラヤ近辺を歩きましたが、この様式のトイレは初めてでした。
なんと申しましようか、これはトイレなどと呼ぶのは失礼で「厠」と言うべきであるなと思いました。


トイレの中に新聞紙!!!

厠に入るとそこはかとない良い香りがする。
いや、冗談や比喩では無く、本当に清々しい香りが漂っているのだ。
それは、一面に敷き詰められたヒマラヤ杉の葉っぱから漂う物である事は間違い無い。
そして、恐る恐る穴の中を覗くと、異物の類いは何も無く全面に杉の葉っぱが敷き詰められているだ。
私は瞬時に閃いた・・・この厠は使用後に杉の葉っぱを落とし、全てを隠して処理するのだな、と。
私は、杉の葉っぱの最後の処理はどうするのかを尋ねたかったがその時間無く残念だった。


ゴミ箱だと思うのだが

昨年歩いたアンナプルナサーキットにはこの様なゴミ箱は無かった。
しかしエベレスト街道は要所に石造りのゴミ箱が有って、片方がペットボトル、もう一方が缶類となっていた。
アンナプルナもエベレスト街道も殆どゴミは落ちていずきれいだが、何かが落ちているとすると、トレッカーが捨てたり落としたゴミでは無く、地元の人の生活ゴミである事が多い。



仏教の子供達

陽当たりの良い岩陰に子供達が寝転んでいた。
学校帰りの三人は近所の子供らで兄弟では無かった。
写真を撮ろうとすると手で顔を覆って隠してしまう。
何か無いかと考えたらソイジョイを持って居たのでそれで吊って撮った。
1本のソイジョイをラムさんが三等分にして渡したが、誰一人としてありがとうの言葉は無かった。
成る程、この子等は喜捨の精神を知っているのだなと唸ってしまった。


荷は相当重そうで登りは小刻みに休んでいた

日本にでも山で強力を生業とする人が在ったが、今は恐らく絶えていると思う。
ボッカをする人は今でも見られるのだが、新田次郎の強力伝のような人は現代ではいないと思う。
しかし、ヒマラヤの山の中には今でも100キロを担いで山道を往く人は普通に居る。


この荷は100キロ有るだろうか?

ネパール人の体格はとても華奢で100キロもの重荷を背負って山道を行くなどとは思えない。
重荷と言うのが30キロや40キロなら自分も背負って山を歩いた経験はあるが一日が限界であった。
彼らは生まれ育った所がネパールだからと言ってしまえばそれまでだが、あの仕事ができるかと問われれば、自分には絶対に不可能だと言い切れる。
もしもネパールに生まれていたら自分もあの荷物を担げただろうか?
それしか喰って行く道が無ければやるしか無いのだが、日本人に生まれ育った自分の思考では想像する事も出来ない。


  唐突に・・・これにて 2014年ヒマラヤの旅は完結です。




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ネパール、かぁ~

2014-12-16 12:26:32 | 日記的雑談

思い付きで大層なタイトルをつけちまった訳ですが・・・旅先でも面倒臭い事を考える訳であります。

考える事は毎度同じでありまして、貧困・格差・運・・・そして、人とは、生きるとは、なんて事になる訳でして、最後は支離滅裂で終わるのは間違い無いんですが。


妹の髪を結う姉か? 微笑ましい光景だ

アジアの途上国は彼方此方行ったんだけれども、行く先々であまり豊かでない子供の生活を見るにつけ、あれこれと考える。
だが、考えてどうなるものでもなく、そもそも、金持ち国からやって来て現地の物価の安さを享受して遊ぶなど言語道断、極悪非道であり、本気で子供の貧困などに心を痛めるのであれば、身ぐるみ脱いでお布施でもして行け、と言う事になると思うんだが。


同じ路地で似たような歳の子供は洗濯に余念がない

アジアの貧しい環境の子供は明るい顔をして良く働く。
まさかと思う歳の子供がより小さな子供の面倒を見たり家事や家業を手伝っている。
見掛は小粒だが精神的には先進国の子供など比較にならない程大人だと思う。


傍らには少し奇麗な服を来て遊ぶ子もいる

勝手な推測は的外れかも知れないが、洗濯をしている子供は何処か他所から住み込みで働きに出て来ている娘だと思う。
そして、少し奇麗な服を来ている子供らは、ルクラの街道で某かの商いなどしている少し豊かな家の子供らだろうと思う。


洗濯には水汲みが付き物だ

自分にしてみれば村程度の規模にしか見えないルクラだがこの界隈では一番大きな街で経済の中心地である。
街の経済の源泉は観光客が落とす金で、全ては外国人観光客相手の商売を中心に動いているのか?
強い通貨を持つ国の人間にとっては大した金額の商いとは思えなくても、ネパールの山間地としては大きな価値になって格差が生まれているのだと思う。


少年は20キロ程の芋を背負って坂道を上がって行く

額に薄らと汗を浮かべて歩く少年に声を掛けた。
何を背負っているんだとの問いにポテトだと言う。
背負わせてみろと言うとニコニコしながら荷を降ろしてくれた。
ズッシッと来た重さは20キロは超えているなと直感で思う。


空籠を背負って降りて来たのでまた呼び止めた

少年に学校はと問うと、仕事がある時には行かないと言う。
仕事は家の手伝いなのか不明だったが、学校にはあまり行けないようなことを言っていたと思う。
それにしても屈託の無い澄んだ笑顔の少年だった。


陽射しの暖かな午後、校庭で遊ぶ子供ら

また河上肇の貧乏物語が脳裏に浮かぶ。
貧乏にも種類が有ると述べる河上肇の言葉は正しいが、貧困はどう捉えても変わりようが無く、相対的な事では無い点で決定的だなと思う。

貧しい子供らを見つつ、偽善的な態度で詭弁を弄する我を振り返れば、日本に生まれたと言う運だけの差である事に恥じ入るばかりなのだが。

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