じじい日記

日々の雑感と戯言を綴っております

ルクラ にて

2014-12-16 10:13:12 | ネパール旅日記 2014

 11月21日~24日 飛行機待ちでルクラに停滞。

 11月20でトレッキングは終わったがヒマラヤの旅最後の詰め、ルクラからの脱出が予定通りに行かなかった。

 予定では11月21日の早朝の便でカトマンズに戻るはずだったのだが、21日の便は乗れなかった。

 21日の夕方、一日中空港に張り付いていたラムさんが宿に戻って来て、明日の11時のフライトの予約が入ったと言って、まあ一日の遅れなら良い休養だと、余裕で構えていた。

 しかし、結局は飛行機に乗れずに宿でブラックティーを飲んでいた。


サンルームに自分の椅子を見つけ終日占領する

 ルクラの飛行場(テンジン・ヒラリー空港)は一説には「世界一危険な飛行場」と言われている。
滑走路の長さは460mで幅が20m、有視界飛行で降りるしか無い。
しかも、空港は標高2800mの高地にあって気象条件は目まぐるしく変化する。
着陸する時は山側に向かって登りを利用して減速し、離陸の時は下りを使って加速し谷に向かって飛び降りるようにして飛び立つ。
まるで航空母艦のカタパルトのようだと評されているのだが、実際に飛行機が飛び立つのを見ていると、滑走路から飛び出した飛行機は速度不足なのか一瞬谷に沈んで見えなくなる。

 そう言う飛行場なので欠航が多かった。
元々14人乗り程度の小型機でピストン輸送をしていて、着陸したら直ぐに乗客を入れ替えて飛び立ち、カトマンズで下ろしたらまた飛んで来ると言う忙しい飛行機なのだ。

 カトマンズとルクラの飛行場の間には4000m近い峠があって飛行機はぎりぎりの高さでそこを超える。
その時は晴れていて雲一つ無い空でも結構揺れる。
山の斜面が温まると上昇気流が生まれ安定しないのだそうだ。

 悪条件を幾つも乗り越えてルクラにやって来る小型飛行機は以前は良く落ちた。
滑走路の拡張整備と、今は安全を優先して疑わしい天候のときは欠航となっているので落ちる事は少なくなったそうだ。
だが、落ちなくなった分だけ欠航が増えた。
元々ハイシーズンには予約の取り難い航空券で常に混んでいる。
それが欠航すればあっという間に乗客は溜まり益々混雑する。
そう言う事で正規の航空券を持って居ても順番待ちで当日に乗れないと言うのは普通にある事らしい。


空港のターミナルへ行く道

飛行機待ちと言われても状況が分からず、他にカトマンズに戻る手は無いのかなども含めラムさんに説明を求めるのだが、この手の状況になるとネパール人気質そのままで、納得のいく説明は貰えなかった。


金網越しに飛行機の来ない静かな空港を眺める

昨夜は明日の予約が入ったと言っていたのに今日になると何時乗れるか分からないと言う。
それでは昨夜の予約が取れたと言う話しはなんだったのかと問うのは無駄だった。
ラムさんの説明では乗る人が沢山居て順番が回って来なかったと言うのだ。
それだったら予約じゃないだろうと自分は思うのだが、確かに、航空会社のキャンセル待ちの受付ではラムさんの言う時刻の飛行機に我々の名前はあった。

空港で苛々しながら順番待ちをしている人の中に同じ宿で4日目のフライト待ちをしているオーストラリア人を見つけた。
彼の所へ行って様子を聞いてみた。
彼が苛々している理由は帰国便のフライトが明後日に迫っていてどうしても明日の便に乗らなければならないからだった。
私が賄賂とか通じないのと尋ねると、そんな金は持っていないと言う。
賄賂では無いのだが、新たにチケットを買えばキャンセル待ちでは無いので直ぐに乗れると言う情報を他のガイドから聞いていたのだが、それも定かでは無かった。

この日の夜、彼を宿のダイニングで見掛けなかったので午後の便に乗れたのだろう。


カトマンズからの飛行機は来ないがヘリなら飛べるらしい

お昼になって宿に戻るとフランス人の親子とガイドが言い争っていた。
ガイドはお金を出して別のチケットを買おうと提案していたのだが親子はそんな金は無いと言い、チケットを買ってあるののにおかしいだろうと言っている様子だった。
そして、親子の帰国の便も決まっているらしく、日程に余裕は無かった。

他にもう一組、こちらは父娘なのか、それとも老けて見える男性に若く見える女性の組み合わせなのか、イギリス人と思しき二人連れが居た。
こちらは飛行機待ちが3日目だそうだがトレッキングガイドがついていて、しかも日程は気にならない様子で暢気に構えていた。

色々聞いて回るうちに正確な実体が分かって来た。
自分達がルクラに着く数日前から天候が悪く飛行機が欠航していて相当な人数がキャンセル待ちをしていた。
しかも、悪天候は完全には解消していなくて、明日は飛べるだろうと言う予測でキャンセル待ちの順番を入れているのだった。
それが終日飛べなかったとなると、また翌日、似たような順番で待つ事になる。
成る程、一日経っても一向に順番が進まないと思ったら飛行機が飛んでいなかったのだ。

自分には予備日が4日あった。
ルクラの飛行機が不安定な事と、アイランドピーク登頂の天気待ちなどで4日の余裕を持ったのだが、少し不安になっていた。

宿が気楽で快適だったので停滞は苦にならなかった。
キッチンの若いコックと親しくなり日本語を教えて暇つぶしをした。
彼はとても真面目で聞いた言葉をメモし、直ぐに反復して使い方が正しいか確認する。
これだものなぁ、仕事で使うツールだから飯の種だもの真剣だよな、と恐れ入る。
そして彼は授業料としてブラックティーやミルクティーを御馳走してくれた。

夜は宴会だった。
20日の夜にビール代として3000RPを支払ってからは毎晩宿のご主人にご馳走になっていた。
初日に1本500RPだったロキシーも好きなだけ飲ませてくれたし、茹でたジャガイモや大根の漬け物を振る舞ってくれた。

ガイドがいてもいなくてもトレッキングは出来ると思うが、この歳になるとあまり度の過ぎたハプニングは楽しく無い。
金で便利さと気楽さを買うなら旅は止めた方が良いと言うのを何処かで読んだ。
しかし、ルクラでの飛行機の順番待ちやその後の手続きなど、やってやれない事は無いが、ラムさんがいたお陰で自分はミルクティーを飲んで暢気にしていられた。



11月20~22日と3泊し、23日の昼頃の便でカトマンズに戻った。




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ナムチェ~ルクラ

2014-12-15 19:30:57 | ネパール旅日記 2014

 11月20日 木曜日 曇り ナムチェ(3440m)~ルクラ(2800m)

 昨夜9時頃、サイレンの音が聴こえたと思ったら宿中が騒がしくなり、やがて通りでも人が走る足音や大きな声が聞こえ、訳は分からないが尋常では無い雰囲気が感じられた。
私は万が一の事を思い貴重品と少しの着替えをザックに入れ、飛び出す準備をした。

 恐らく火事だろうとは思ったが何処でどんな火事なのか、この宿に近いのか遠いのか、何も分からないので動きがとれなかった。
しかし、本当に危険が迫っていたらラムさんが知らせに来るだろうと思い部屋で待機していた。

 ナムチェの家は段々畑の棚に立てられているようなもので消防車はおろか、手押し車さえ動ける場所では無かった。
火事だとしたら消火はどうするのだろう?水だって豊富では無いのだから大変な事になるなと思った。

 そんな事を思っているうちに飛び出して行った宿の人達が雑談をしながら戻って来た。
その雰囲気に緊張感は無く騒動は納まった事が伺えたので靴を脱いで寝袋に潜り込んだ。
9時過ぎと言うと今の自分には深夜に当る時刻なので直ぐに寝入ったようだった。

 翌朝、ラムさんに騒動の事を尋ねるとやはり火事だった。
少し上の学校のそばの民家で小火があったが軍隊が出て直ぐに消し止めた、との事だった。

 7時30分 ナムチェ出発。
今日がこのトレッキング最後の歩きで、標高差700メートルを距離20キロで下る。
昨年の最後の日は結構感傷的になって歩いたのだが今日はそんな気持ちはあまり無かった。
これが最後かと思って来てみれば、来年は何処へ登ろうかに気持ちは変わっているし。


Kongde 来年はあれに登りたいと言ってみたが

つい一昨日までは氷と岩の世界に居たのだが、今は日本の農村と変わりない風景の中を歩いているのが少し不思議ではあった。
ヒマラヤの凄さは亜熱帯から極寒まで、高度さが造り出す気候の垂直分布であるな、などと独り言を言いながら全力で歩いた。
この時、自分の気持ちは既にトレッキングの歩きを楽しむ方向には無く、ルクラの宿で熱いシャワーを浴び髭を剃り、そして、15日間口にしていないビールの方へ飛んでいたのだった。


奥会津の只見の方の景色に似てる気がするが

田舎の景色と言ったら語弊があるが、しかし、急峻な山と深い谷があって、僅かな平地にへばりつくように開けた山村の風景は、アジアに限っては何処の国も似ていると思うのだが。


急ぎルクラを目指す私はゾッキョを無視して橋を渡った

橋の向うから荷物を運ぶゾッキョ(牛)が隊列を組んで渡った来る。
昨日までの私は安全策を採ってゾッキョが渡り切るまで待っていたのだが今日は無視して突っ込んで行った。
その理由は、気が急いていたと言う事も少しはあるが、ルクラとナムチェと言う二大都市間は物流も多く荷を運ぶゾッキョが引きも切らずにやって来るので待っていたら先に進まないのだ。

 11時00 パクディン着 昼食
パクディンの宿は往きに泊まったのだが、ラムさんが懇意にしているようで居心地が良かった。

ここまで来る間にかなり豊かに育った野菜類を見て来た。
標高は2600mもあるのだが、さすがに亜熱帯のネパールで葉物の野菜や芋類、そしてトマトも実っていた。
なので昼食はトマトソースのスパゲッティーにした。
案の定、小さなトマトをボールにひとつ程もソースに使ったスパゲッティーは美味かった。
日本で言うと超特盛り・・・味噌ラーメン丼一杯分くらいのスパゲッティーを平らげた。

 11時45分 パクディン出発
出掛ける時に道は一本道である事と、宿は空港のそばで、往きに昼飯を食べた所で良いのかを確認した。
この日の私は絶好調を通り越して神懸かり的に速く歩けていた。
だから常にラムさんとカンニさんを待っていたのだが、それが勿体無い。
此所まで来たらもう残り10キロと少し・・・ルクラまでは400mの登りだったが標高は3000mを切って自分のいつもの守備範囲に入っている。
2時間で行けると読んでいたのでラムさん達を待っているわけにはいかないのだ。


ルクラの街はトレッカーも少なく閑散としていた

 1時45分 ルクラ着
最後の200mの石段まじりの急登は一気に駆け上った。
とても苦しかったのだが、それは高所でもがく苦しさとは別の物で、言ってみれば馴染みの苦しさとでも言う感じだった。

ルクラの街の一番奥の空港近くの宿にたどり着き二階のダイニングに上がった。
しかし結局はラムさんが来てチェックインするまで部屋も決まらず、お茶も飲めずに待つ事になった。

ラムさんとカンニさんが10分後れでやって来た。
宿は空いている様子でダイニングに近い陽当たりの良い部屋が貰えた。
私は荷物を部屋に置くと、この時の為に温存してあった着替えやひげ剃りを持ってシャワールームに飛び込んだ。

プロパンガスの湯沸かし器からは熱いお湯がそこそこの湯量で出た。
これなら寒さを感じずに使える、優秀なシャワーであった。

頭も身体も汚れ過ぎているのか、シャンプーも一回では泡が立たず、タオルにはいくら石けんを擦り付けても泡は立たなかった。
タオルに至っては泡が立つどころか下ろしたての白いタオルが茶色に染まっていた。

厄介だったのはひげ剃りだ。
15日間伸ばしたヒゲに4枚刃のT字カミソリは役不足で、まずバリカンで刈ってからでないと剃れない感じであった。
しかしシャワーの使用に時間制限を言われ無かったのを良い事に、小一時間も使い続け、納得のいくまで洗った。

シャワーを浴び、日本の洗剤の匂いが微かに残る衣服を身に着けたとき、清潔って気持ちが良いなとしみじみ思った。

この宿はラムさんの遠い親戚だとかで待遇がとても良かった。
スマホの充電が無料で、WiFiも無料でパスワードを教えてくれた。

この夜、ラムさんが登頂祝いのささやかなパーティーをと言って鳥の唐揚げやモモ(ネパール餃子)をご馳走してくれた。
私はビールを解禁してラムさんとカンニさんと乾杯した。
ビールが好きだと言うカンニさんと、ネパールラム酒が好きだと言うラムさんにはそれぞれ好きなものを飲んでもらって自分はネパール焼酎のロキシーを燗して飲んだ。
その後、ラムさんの友達のガイドや宿のご主人も加わりいつの間にか盛大な酒盛りになり、私は久し振りに酔った。

カンニさんは明日歩いて二日程の家に向かって出発すると言うので夜のうちにボーナスを渡した。
序でに、このトレッキング中使い続けたダウンジャケットと軍手、毛糸の帽子なども貰ってもらった・・・日本にもって帰って洗って着られる代物ではなくなっているのだ。

 PM8:00 酔っぱらって寝袋に倒れ込む。

 11月20日 酸素濃度 データー

 ルクラ(2800m)94% 心拍数65 (PM3:30 )




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パンボチェ~ナムチェへ

2014-12-14 15:16:52 | ネパール旅日記 2014

 11月19日 水曜日 曇り

今日はパンボチェ(3930m)からナムチェ(3440m)まで、凡そ12キロを下る行程だった。
昨日の高低差1500m、距離20キロに比べれば相当楽に見えるのだが、どっこいそうは問屋が卸さないと言う事で、嫌な登り返しが幾つか待っていた。

6:00起床。
雲の中に居るのか全く陽射しのない朝だった。
しかし曇って放射冷却が無いからか温かく感じる。
素人の勝手な推測だが、4000mを境に急に緑が濃くなるのは気温のせいばかりでは無く雲が関係するのかと思った。
雨にはならないまでも雲が湧く事で湿気を帯び乾燥も免れるのでは無いかと思うのだ。

今朝は起きて直ぐにノートを開いて昨日の事を書き綴った。
此所まで下って来る前はノートが冷たくて触る気にならなかったのだ。
かと言って手袋をして書けばただでさえ汚い文字が自分でも読めないものになるし。

 7:00朝食。
「標高が下がると食べ物が美味くなる」は間違い無いと確信した。
此所の宿は古くて小さく食事は期待で来そうも無いと思ったのだが、ツナサンドが美味いと思っていたディンボチェの宿よりも一段と美味くなっていた。

ネパールに限らずアジアの国のツナ缶は日本と違ってカツオである。
カツオの血合いも一緒に入っているのでけっこう生臭い。
なのでツナサンドには黒胡椒などを多めに使うのだが、この宿では生タマネギをたっぷりとマヨネーズで味付けされていて美味かった。

8:00 パンボチェ出発


行きに大勢のトレッカーが居たティンボチェは閑散としていた

11月も半場を過ぎるとトレッキングシーズンは終わりになるのだろう、あれ程賑わっていたディンボチェのお寺に殆ど人影が無く静かだった。
とても良い声の読経が響いていた。


ラムさんとカンニさんの荷物も何故か殆ど軽くならない

昨日まで同じ目線の高さに在った山の頂を見上げるようになって標高が下がった事を実感する。

カンニさんはあと二泊で自宅へ帰るので奥さんと連絡しているのだろうか、頻繁に電話をするようになった。

食料やガスカートリッジが無くなったら軽くなるはずの荷物が、三人ともほとんど減っていなかった。
自分はフリーズドライと非常食で6キロ持って来ていたものがゼロになって、常に予備で持っていた1ℓの水も今は持っていない。
なのに登りの時より重い、推定10キロを背負っていた。
どうもテントやガスバーナーなどの装備がディンボチェの宿に置いてあって、シーズンオフなので持って帰っているのかと思うのだ。
自分の装備は基本的にはカンニさんが背負ってくれる事になっているのだが、ラムさんが背負い切れないテントなどのキャンプ道具をカンニさんが背負っていてあまりの荷物の多さに気が退けて自分の荷物の相当量を背負っていたのだった。


コンデが大きく見えればナムチェは近い

 10:30 プンケテンガ着
まだ早い時間だったが昼食にした。
次の村に行く前に標高差300mの登りがあって此所で休むのが正しいようだった。
お昼にはトマトソースのスパゲッティーにを食べた。
この標高まで下るとトマトが栽培されていて新鮮なトマトで美味いスパゲッティーが食べられるのだ。

11:30 プンケテンガ出発
歩き出してすぐ、ほとんど目の前から急な登りが始まっていた。
石段の道は登りも降りも嫌いだ。
小柄なネパール人には段差が大き過ぎるだろうと思うのだが、容赦無い歩幅で石段は続いていた。


岩場にヤギの群れが居た(メスと子供か?)

ラムさんがカモシカがいます、と言って指差した。
見るとヤギの群れが居た。
ラムさんは日本の剣岳の早月小屋でアルバイトをした経験があったが、そこでカモシカを見たのだろうか?
自分にはカモシカと言うよりはヤギに見たのだが。


ボス山羊は威厳が有る

ボスと思しき、立派なたてがみの大きなヤギが一段高い岩に立って当たりを見張っているように見えた。
薮の中にはメスと一緒の小さなヤギが数頭みられた。



ナムチェが近くなると道が広くなる

ナムチェが近付くと気温が上がり広葉樹が見られるようになった。
草木が茂れば昆虫や動物も見られるようにり、林の中にジャコウジカを見たり、道にキジが飛び出して来たりした。


滝の水場でゾッキョが水を飲んでいた

 13:30 ナムチェ着
登り返しはきつかったが空気が濃いので息切れして喘ぐ事は無かった。
ナムチェでも3440mあるのだが今の自分にはこの標高は高地とは感じなかった。

ナムチェの宿も空いていた。
行きには満員で通路にまで人が寝ていたのに今日は静かだった。
だが、それでも一人客の自分は前と同じ天窓しか無い部屋だった。

少し休憩した後にラムさんがSPCCのオフィスにゴミを持って行った。
さして大きく無いポリ袋二つ分のゴミ処理量として900RPを支払った。
そして、デポジットの250ドルが戻って来た。

夕食前に散歩に出た。
土産物屋の通りも人通りは少なく閑散としていた。
私は雑貨屋でスプライトの小瓶(250ml)130RPとビスケットを1つ30RPで買って部屋に戻った。
久し振りの炭酸飲料は喉に滲みて美味かった。

日が落ちて寒くなりダイニングに行ってみると既にストーブには火が入っていた温かかった。
ダイニングの客は5~6名で静かだった。

 19時00頃 就寝

 11月19日 酸素濃度 データー

 ナムチェ(3440m)93% 心拍数65 (PM1:30 )



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HIキャンプ~パンボチェへ

2014-12-13 10:37:40 | ネパール旅日記 2014

 11月18日 月曜日 快晴 パンボチェ(3930m)へ下る

 5時には目を覚ましていたのだが6時まで誰も起きず。
目を覚ましていたのだが皆して陽が昇るのを待っていたようだ。
今朝は冷え込んでいた。
今までで一番寒いのでは無いかと思う朝で、寝袋の顔の周りは自分の吐く息が凍って真っ白だった。
テントの内側も真っ白く凍って少しでも触れば霜が振って来る有様だった。
しかしこの状況は日本の冬山程厄介な事にはなら無い。
もうすぐ陽が当たり全てのものはあっという間に乾くのだ。


コッフェルの中は完全な氷で融かすのも厄介だ

6時、ラムさんが氷を溶かしてお湯を沸かし紅茶を入れてくれた。
水が出来るとカンニさんがラーメンを作ったのだが二人とも食欲が無いのかラーメンを残していた。
ネパール人が食べ物を残すのを初めて見た。
私はソイジョイを齧っていたのだが、喰わないなら貰うよと言ってラーメンを食べたが、二食分は食べ切れなくて残りはカラスとライチョウに分けてあげた・・・要するに捨てたのだが。


ジャガイモの喰い過ぎだろうか?食欲が無いと言う

食事後、のそのそとそれぞれがパッキングをするが、その手は遅く捗らない。
昨日まであった緊張感が消えて何処と無く「終わった感」が漂っていた。

カンニさんとラムさんがゴミを分別してポリ袋に入れていた。
なんでそんな事をするのかと尋ねるとナムチェまで持って帰ってSPCC(サガルマータ国立公園管理局?)の事務所に提出するのだと言う。

サガルマータ国立公園内の山に登るにはそれぞれの山のパーミットの他にサガルマータ国立公園管理事務所にも登山届けを提出しなくてはなら無い。
その際には、登山隊が持ち込む様々な消耗品のリストの提出と、ゴミのデボジットとして250ドルを預けなければなら無い。
そして、下山後にSPCCにゴミを持ち込み報告が了承されるとデポジットの250ドルが返される仕組みになっている。
特に気に掛けるのがガスカートリッジとバッテリーなどのようだった。


振り返るとテントとアイランドピークの山頂が小さく見えた

7時30分、テントを乾かして後から行くと言うラムさんらを残し出発。
たった二晩のキャンプだが、岩だらけの荒涼とした風景にも馴染み立ち去り難い思いに駆られた。

下りは楽である。
ましてや高所順応が出来た身体で下って行くと何処からとも無く力が湧いて来て歩くのが楽しくて、登りに1時間半掛かったベースキャンプまで30分で降りてしまった。


ベースキャンプが嘘のように閑散としていた

一昨日、三つあるテントサイトはほぼ一杯だったが、今日は一番上のサイトはテントはゼロで、その下もまばらだった。
今朝、早朝にアイランドピークを目指したクライマーもそれ程多くは無かったようだった。

昨年のアンナプルナサーキットでも感じた事だったが、11月も後半に入ると一気にトレッカーの姿は減るのだった。
今年のシーズンは終わりなのかも知れないと思った。


勝手にトーフ岩と名付けた存在感の有る岩

往きにもトーフ岩を見て此所で休んだのだが、クライミングの事しか頭に無くこんな面白い岩に何も感じる事無く通り過ぎた。
しかし、今は余裕が在るので何を見ても面白く、そして新鮮だった。
何度も見たはずの山の姿に再度感激してシャッターを切っていた。

トーフ岩でラムさん達を待ったのだが中々来ないのでゆっくり歩き出した。
チュクンで休んでいるとラムさんが追いついたがカンニさんは来ていなかった。
どうも調子が良く無いらしい。
ラムさんはカンニさんを待つと言うので自分はディンボチェまで一人でいく事にした。

途中の小さなカルカに家が一軒有った。
そこで大型の三脚を立てて写真を撮っている日本人を見掛けた。
被写体はネパール人の生活の姿なのか、子供らが遊び大人が何やら作業をしている風景にカメラは向けられていた。
自分はどう言う訳かカメラの前は横切れなくて道を外して迂回した。

ディンボチェからトレッキングに来ているのか、それとも先に進んでチュクンまで行くのか分からないが日本人のグループを二組見掛けた。

下るにつれ風の中から冷たさが消え丸くなった。
少し風が吹くと凍えていた高所とは一線を画する空気になった。

12時丁度にディンボチェの宿に着いた。
少し遅れてラムさんとカンニさんも到着して預けてある荷物を受け取った。

ディンボチェの昼飯を楽しみにしていた。
3日ぶりにジャガイモとラーメンとフリーズドライから解放されるのだ。
此所の食べ物は大概美味いので迷ったが、昼飯らしくツナサンドとミルクティーを頼んだ。

昼飯が出来る間にパッキングをし直したのだが、食料などが減って簡単に納まると思った荷物が入り切らない。
仕方が無いので適当に自分のザックに仕舞い込んで良しとした。
しかし、ザックの重さは推定で10キロを軽く超えてしまった。
此所から先ルクラまで、基本的には下りだからと自分に言い聞かせるが、どうしていつもこんなに荷物が重いのか腑に落ちなかった。
トレッキングだけの人と違ってクライミングの道具が重いのは分かっているが、それにしてもポーターが居るのにこんな大きなザックを背負っている人は見掛けない。
これ以上削れるものは無いと思うのだが・・・そうか、ダッフルバッグを大きくすれば良いのだ!!! この次はもっと大きいのを買うと決めた。

13時15分 ディンボチェ出発。

この宿には三泊し、そして今日も昼飯を食べ荷造りをし世話になった。
ここでも立ち去り難い思いがして、2~3日日向ぼっこなどしながら過ごしてみたいな、などと思った。
いや、ここは食事が美味くて、本当は水牛だと言われるがメニューではヤクステーキのデミグラスソースは普通にレストランの味だし、トマトソースのスパゲッティーも美味いのだ。
因みにチュクンのカングリリゾートのオーナーは従兄弟だそうで、だからどちらも食事が美味いのかも知れない。


標高4000mからは雲の下になる

15時00頃パンボチェ着。
下り基調の道とは言え距離は20キロ程になり、しかも小さな登り返しも度々有って楽な行程では無かった。
だが、降りるに従って濃くなる空気は身体に活力を与え続けるのか、膝に来ているなとは思ったが、体力的に参った感は無かった。
だからラムさんもカンニさんも振り切って先に歩いた。

ラムさんがパンボチェには馴染みの宿は無いので好きな所を選べと言った。
私は新しい感じの宿を指差したが、ラムさんは違う宿に入って行き今夜の宿を決めて来た。
部屋に行く時にラムさんが、此所の宿には美人の日本人が泊まっています、と言ったが、何時そんな人を見ていたんだ?と、驚きつつ、俺は日本人の女性なんか敬遠なんだけどな、と思っていた。

美人の日本人女性は確かに居たのだが、イギリス人のご主人と二人連れのトレッカーだった。
その日の夕食のダイニングは日本人のチームが二組だったがそこで交わされる言葉はイギリス英語で、自分だけがいつものように無口であった。

 19時00 就寝

 11月18日 酸素濃度 データー

 パンボチェ(3950m)93% 心拍数71 (PM3:00 )


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アイランドピーク山頂

2014-12-12 13:49:25 | ネパール旅日記 2014

 11月17日 月曜日 快晴

午前1時半起床。 
テントから顔を出し外を覗くと風が納まり満天の星が見えていた。
寝ている間は快適で熟睡したのだが気温は低かったのかコッヘルの水は完全に凍っていた。
また寝袋の顔の周りも自分の吐く息がバリバリに凍り付いていた。
しかしアタックの朝で興奮しているのか寒さは感じなかった。
もっとも起きると直ぐに水を作るのにガスが焚かれるのでテント内はあっという間に暑くなるのだったが。

ラーメンを少しとビスケットを食べ身支度をする。


外はマイナス10度くらいか?靴もテントの中で履く

今日の出で立ちと装備は・・・
半袖の速乾性のシャツに薄手の純毛の長袖シャッ。
暖かくて速乾性と言う登山用のシャツに中厚手のフリース。
その上に薄手のダウンにゴアテックスのジャケット。
下は、パンツの上に薄手の純毛股引と、厚手の裏フリースクライミングパンツ。
その上にゴアテックスのオーバーズボンにスパッツ。
手袋は薄手のインナーに裏フリースの防寒グローブと、万が一にオーバーミトンをザックに入れた。
頭は、目出し帽の薄手の物を被りヘルメットにヘッドランプ。
靴は、スカルパのモンブランGTX。
アイゼンがグリベルのG12クラッシックとピッケルがグリベルG1。
サングラスと万が一風が強い時の為のゴーグル。
ユマール1個・ロックカラビナ2個・カラビナ2個・スリング2本・エイトカン1個。
お湯で作ったポカリをテルモスに500mlと、1ℓの水。
アーモンドチョコ1箱とソイジョイ2本。
カメラのバッテリーやら小物の入った袋。

以上、大したものは持っていないのにザックを背負うとそこそこの重みを感じた。
ふと、昨年のピサンピークアタックでは水までドルジが背負ってくれたっけ、などと思ったりしたが、自分の物は自分で背負って当たり前と気持ちを切り替える。

既に幾つかの隊がテントの脇を抜けて往く音が聴こえ気持ちが急いて来る。

3時00分出発。
外に出ると登って来るヘッドランプが幾つか見えている。
驚いたのは、自分らの下の棚にテントが二張り張られていた事だった。
昨日寝る前に外に出た時には無かったので暗くなる頃にやって来たものと思われる。
未だ起きては居ない様子で静かだった。


ヘッドランプを頼りに岩場を行くのは緊張する

登っている時には真っ暗でヘッドランプが照らす足下しか見えず何とも思わずに登っていたのだが、下山時に見た岩場のルートはそれなりに危ない所も有って驚いた。
真っ暗な時に登ると足下に集中し、下手に先を見ないで済むのが良いのかも知れない。

ひたすら、ただ次の一歩を踏み出す事を続ける。
時々危ない箇所でラムさんが足下を照らして教えてくれる。

薄らと夜が明けヘッドランプ無しで足下が見えるようになった頃岩場が終わった。
ここでトレッキングポールをピッケルに持ち替えアイゼンを着けた。
ラムさんはトレッキングシューズで登って来ていたのでクライミングブーツに履き替えていた。

私のアイゼンはワンタッチでは無く、今時珍しいベルトで締めるタイプだった。
東北の冬山では幾つかの登山靴を使い分けていたのでワンタッチでは履けない靴も有った。
だからベルト式のアイゼンなのだったが、その後、どれを見ても全てワンタッチでベルト式は見掛けなかった。
靴についても、シングルのクライミングブーツは少なく、ゲーター付の二重靴が多かった。
そして、ヨーロッパのクライマーのファッションは格好良くて、まるで山岳雑誌の広告ページの写真のような出で立ちが多かった。

自分の姿はと言えば、日本の東北の冬山を登る時の装備と格好そのままで、ヨーロピアンはクライマーであったが、自分は旧いタイプの登山者であるなとしみじみ思った。


前方の雪面に蟻のように人が連なっている

アイランドピークが人気な訳がまたひとつ分かった。
岩場が終わり雪面に上がると、のっけからナローリッジ(狭い橋のような尾根)や小さなクレバス、そしてロープを使う急斜面と、ヒマラヤの雪面満喫コースが幕の内弁当のように詰まっているのだ。
しかも、それらの箇所は全てが初心者が楽しんで丁度良いサイズで用意されていて難行苦行には成らないのだった。
言い換えれば、ベテランのクライマーには物足りないだろうとは思うが、そう言う人はここは足慣らしで、本番はアマダブラムやロブチェ・イーストに行くのだろう。
そして、最初のヒマラヤ気分を楽しんだ後は、アイランドピークの山頂を見据えて広い雪原を詰めて行く。
この緩い登りがまた堪らない。
雪原から続く雪壁には取りついているクライマーが蟻のように見え、自分も早く登らなくてはと気が急くのだった。


最後の詰め しかし、狭い山頂は混んでいた

雪壁と言われた壁は、正直に言えばなんと言う事も無かった。
最後の稜線に出る部分では70度くらいになっているが、毎日大勢が踏むのでアイゼンが気持ち良く刺さるステップが完璧に出来上がっている。
万が一滑ったらピッケルで止められるかと言うと、滑ってしまってからでは遅いと思うが、斜面が急で目の前に壁が有るので一瞬でピッケルを刺せる。
なので滑り落ちる前に止めるのは簡単だと思う。
しかし、せっかくフィックスロープが張ってありユマールも持って来たのだし、何よりも万が一の為にと言いつつ、ロープを引っ張ってゴボウで登ったのだったが。

そこそこ距離が有るので途中で休む人も居て追いつくと渋滞する。
自分も先行者に追いつきスノーバーの継ぎ目で隣のロープに乗り換えて追い越した。
その時、踏み跡も無い脇の斜面をロープ無しのダブルアックスで優雅に登って行くクライマーが居た。
こう言う人はこの山が狙いでは無く、ここで高度順応をして他の厳しい山へ行くのだろうなと思って見ていた。
ヘルメットにサングラスで良くは分からないが、あの馬力は恐らく未だ若いクライマーなのだろうと思った。

稜線に上がる所は狭くて登る人と降りる人が交錯し、自分は中々登れずに困っていた。
するとラムさんが裏側からヒヨッコリ顔を出しこちら側にステップを切ったので安心して乗り越して来いと言った。
セーフティーロープをフィックスから外し自分のピッケルを打ち込み、確保して稜線に上がった。

 8時30分 頂上


6189mの山頂で満面の笑みだが、髭面が汚い

狭い山頂は5~6人でいっぱいになる。
タルチョの掛かった山頂に座った人はうなだれたまま動かない。
疲れ切った様子の人もいるし、余裕で記念写真を撮っている人も居た。

ラムさんと私は陽当たりの良い東側の斜面にピッケルを刺してロープを繋ぎ座り込んだ。
真っ白いヌプツェとどっしりとしたローツェが見事だった。
ラムさんが、あれがメラピークだとと奥の方を指差し、そして、来年はあれが良いんじゃないかと言った。

ラムさんがビスケットをくれたのでまだ程良く温かいポカリを飲みつつ食べた。
自分も嬉しかったが、無事に登頂まで案内できたラムさんも同じくらい嬉しかったのだろうか、写真を撮ってくれと言ってスマホを差し出した。


陽当たりの良い斜面では手袋無しで平気だった

ラムさんがボチボチ行きますかと言うので時計を見ると9時になっていた。
30分も座り込んでいたのかと驚いたが、降りないわけにはいかないし、風も出て来たので後ろ髪を惹かれつつ腰を上げた。


腕力勝負 下降器無しで握力ブレーキで降りた

降り口でエイトカンをセットしようとしていると順番待ちをしている外人が薄ら笑いを浮かべて何かを言った。
言葉は分からなくても何を言ったのかは大体察しが付くものだ。
このシロートが何をもたついてやがる、的なことを言ったのだと思う。
好きでもたついているのでは無い。
ロープには先行者がぶら下がっているのでテンションが掛かりっ放しでエイトカンにロープが掛けられないのだ。
そして、ロープは短く切ってあるものでは無く、1本が100m以上も有って何人かがぶら下がっているので緩むとすれば全員が下のスノーバーを超えるまで待たなければ成せなかった。
ラムさんが状況を察して自前のロープを張るからと言うのだがこの程度の斜面はゴボウで降りるからと言ってセーフテイーロープを形だけ掛けて腕力勝負で降りて行った。

ラムさんが張ったロープは先程の嫌な奴が勝手に使って降りて来ていた。
しかし、そのロープは中途半端な所で終わっていて別のロープに乗り換えないと下まで降りられなかった。
やがて奴は別のロープにATCを架け替えようとしてテンションが掛かったロープに手も足もでない事に気付いた。
自分は奴の隣を降りながら腕を指差し、片手を開いてロープを握る仕草をして笑ってやった。


後にパックリ口を開けたクレバスが・・・

降りるのがもったい無かった。
せっかく登ったのにもうお終いかと思っていた。
いくら簡単なアイランドピークとは言え、本当に楽に登れてしまった。
昨年の、涎と鼻水を凍てつかせながら登った雪壁の辛さが嘘のようだった。
今日は寒くも無く暑くも無く、雪面は凍りもせず、融けてもいず、何かもかが快適だった。

雪原に寝転んで、ロープを回収して降りて来るラムさんを待った。
大の字になり紺碧の空を見ていたら笑いが込み上げて来た。
これが高度順応の出来た身体なのかと自分の内に漲る力に驚き、もっと高い所に登ってみたいと思っていた。
これが最後のヒマラヤかと思いつつ来た事も忘れて慾が湧いていた・・・来年は本気でエクスペディションか、などと。


明るくなった岩場では結構危ない箇所が見えた

岩場まで降りてアイゼンを外しピッケルをトレッキングポールに持ち替え下山を続けた。
真っ暗で足下しか見えなくて知らずに登った岩場がそこそこ危ない箇所があって驚いた。

ラムさんが用心の為にロープを結びますと言うのを、こんな所で落ちる俺じゃないよ、と言って断った。
するとラムさんは、今まで皆さん下山で転んで怪我をしているのでロープを結びましょうと言った。
うんうん、その通りだ・・・ここで気を緩めて怪我をしたのでは元も子もない。
猿回しは格好悪いと思ったがショートロープを結んで降りた。

岩場の途中でラムさんの知り合いのガイドが休憩していた。
多人数の隊らしく、下のキャンプからキッチンボーイがテルモスに熱いジュース持って来ていて自分らにも勧めてくれた。
熱くて甘いジュースは美味かった。
この様な点も超人気で人の多いアイランドピークならではの事だと思うと、人が多い事は欠点と言うよりも利点であるなと思えて来た。

自分は山登りに厳しさや悲壮感求めるきらいがあって、手軽に登れると評判のアイランドピークに向かう事に少し抵抗が有った。
お膳立てされて登る山なんて恥ずかしくってやってられるか、と、言った心境である。
しかし、今日の登頂の楽しさは今までに無い充実感を伴って脳裏に焼き付いた。
アイランドピークは6000m峰入門の山だが、その味はヒマラヤ登山の幕の内弁当として価値あるものだと思った。

11時00分 ハイキャンプ到着。
登り5時間半、下り3時間と好調だった。
もしも、ロープがあんなに混んでいなければあと一時間は早く登れたな、そして、30分は早く降りられたな、などと倒れ込だテントの中で勝手な空想をしていた。

午後からまた風が出て来て強く吹いた。
結局、自分らの行動中だけ続いた好天だった事になる。
ラムさんがしきりに運が良いねぇ、を連発し、カンニさんも喜んでくれた。

明日はロッジ泊で非常食も行動食も気にしなくて良くなった。
自分は持っている食料を全部出したが結局はネパールラーメンとビスケットの夕食だった。

カンニさんはラーメンを作る時に添付のラードを入れなかった。
脂でコッヘルと食器を洗うのが大変になるので控えていたのだが、明日の朝お湯を沸かしてお終いだからと小さな方のコッヘルでラードを入れたラーメンを作ってくれた。
それがとても美味くて殆ど私が食べてしまった。

ラーメンとジャガイモの夕食で満腹、満足して18時頃就寝。


 11月17日 酸素濃度 データー

 アイランドピークBC(5400m)80% 心拍数105 (PM12:00 下山後)




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