北野進の活動日記

志賀原発の廃炉に向けた取り組みや珠洲の情報、ときにはうちの庭の様子も紹介。

芸術祭から半年の大町市へ

2018-01-21 | 奥能登国際芸術祭


昨年7月、北アルプス国際芸術祭の視察で大町市を訪れたが、縁あって芸術祭半年後の大町市を再び訪れることになった。



駅前の実行委員会事務局が入ってた空き店舗はシャッターが落りたまま。



駅前から続く商店街も、土曜日だがご覧の通り。



裏通りは、日中は人通りが少ないが、夜はあちこちのスナックからカラオケの声が響く。



芸術祭後、元気になったのはこの大町名店街という名前の商店街。
商店街独自でいろんな企画をするようになったとのこと。
足もとに続く模様はアート作品。



さて、今回大町市を訪れたのは「大町の芸術祭を考える会」主催の「創造的な地位づくり~自立する地域へ、行政と住民、芸術家の役割~」という公開シンポジウムに参加するため。
芸術祭後の中心商店街の雰囲気は珠洲の飯田町商店街と似たようなものかもしれないが、こうした住民の動きがあるところが珠洲と決定的に違う。



まず、考える会の笠木さんから「国際芸術祭の環境社会配慮に対する住民評価」について報告があった。
この評価は環境アセスの手法を用いた専門的なもので、開催前調査、開催期間中調査、そして終了後の原状回復調査が行なわれ、それぞれの聞き取り調査のコメントを「計量テキスト分析」という手法を用いて変化や特徴を調べている。
総合評価として、考える会も含めアートで触発されたことは多く、地域づくりにおいてアートの持つ可能性を再確認できたとする一方で、イベントとしては環境社会配慮で多くの欠陥があったこと、予算執行で違法ないし不正常さが見られたこと、これらの原因として請負業者(アートフロントギャラリー)の姿勢にも原因があったことなどが報告された。
そして結論として、今回の実施方法を踏襲するのであれば3年後(※珠洲同様トリエンナーレを予定している)は開催すべきではない。仮に開催するとすれば、ということで5つの条件を提起している。



次に話題提供として、まず中之条ビエンナーレ(群馬県)の総合ディレクターを務めている山重徹夫さんが「中之条から世界へ アートのハブ空港」と出して報告。
中之条ビエンナーレ(2年に1回の開催)は私も9月議会の一般質問の中で少し紹介したが、地元中之条町の補助金3千万円で地元アーティストが中心となって企画し、海外からの多くの作家も含めて昨年度も162組のアーティストが参加し、多くの鑑賞者が訪れている。奥能登国際芸術祭とはけた違いのコストパフォーマンスを実現している。
議場からも驚きの声が上がったが、実は私も詳細は把握しておらず、その内情を是非知りたいと思っていたので、今回の山重さんの報告は一番の注目であった。
自らも作品制作を手がける作家であり、中之条以外の芸術祭のディレクターも務める山重さんの話は、アーティストの実情や、市民、アーティスト、行政、様々な実施主体がありうる芸術祭のそれぞれの可能性、さらには子どもたちと芸術祭の関りなどにも話が及び、私にとって知らない情報満載。
シンポ後の懇親会でも貴重な話を聞かせてもらった。



もう1人の話題提供者は立教大学の貞包(さだかね)英之さん。テーマは「アートフェスティバルをそうするのか」。
全国に林立する芸術祭の現状と課題を分析していく。前任の山形大学時代に書いた「アートと地方の危険な関係」というレポートがネット上で大きな反響を呼んだが、社会学者として、特に消費社会論が専門とのことで「贈与」をキーワードにしてアートを読み解く仮説は興味深いものだった。

 

続いて芸術やまちづくりに関わる市民の方も参加してのパネルディスカッション。
時間がやや足りなかったところが残念だったが、会場からも活発な意見が相次ぐ。
私も奥能登国際芸術祭との共通点、そして比べる中で浮き彫りになる違いについて短い時間だが報告させてもらった。



芸術祭をきっかけにして、このような地域のまちづくりを話しあう場を持てたことが最大の成果との指摘も。
終了後の懇親会は、シンポジウム以上に会話が盛り上がり芸術祭開催地間の横の連携、情報交換の重要性を再確認。



寒波第二波の到来を前にして大町は快晴。


2 コメント

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コメントありがとうございます (北野)
2018-02-12 10:55:09
カメレスですいません。
現代アートは既存の価値観、常識に対する挑戦で、新しい視点や価値観の提示みたいなのがあるからこそおもしろいし、存在意義もあるんだろうと思います。
必然的に多くの人からは一見「なんやけ、これ!」「意味わからん」といった作品にもなり、場合によっては法律すれすれ、社会的な批判の的になります。ご指摘の「事件」や「スキャンダル」も、評価は様々でしょうけど、こういったことと隣り合わせなのが現代アートかなとも思います。
そんな現代アートがなぜ保守的な奥能登・珠洲に?ということですけど、近代以降の経済効率優先の社会やその歴史を支えてきた価値観を批判、風刺する題材が地域に数多く潜在していて、そこを掘り起こし、逆にこれからの社会に必要な価値観を提示しやすいということではないかと思います。
なぜ地域に大きな違和感なく受容されたかと言えば、その観点が地方創生のムードと調和しているからだろうと思います。
「こんな田舎にもこんなおもしろいものが残ってたんだ。これは驚き!大事にしなきゃね」って感じです。
逆に言うと現代アートとしての刺激は弱い、おとなしい優等生的作品が多いということではないかとも思いますが・・・
そこらへんは、アートの批評家の皆さんやキュレーターの皆さんのもっと活発な議論がほしいなぁと個人的には思います。
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現代 (AK)
2018-02-05 02:17:00
現代芸術はよくわからないが、21世紀美術館で身近に。
赤瀬川原平に興味があり、氏に言及されている「日本のテロ 爆弾の時代」という本を最近読んだのですが後の人を食ったような「老人力」のオジサンは過激派と紙一重の人を食ったような危険人物(?)。というか現代芸術界隈と過激派が混在した時代(典型例は足立正生)。しかし今も時折泡沫C級記事になる現代芸術がらみのスキャンダルはたまにあり(例えば卑猥な名前の現代芸術グループ?による岡本太郎の絵への落書き事件など)、基本は社会体制と相容れないものだから、それが非常に保守的だと思われている能登などの地域でどのように受容されているのかは興味がありました。
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