ノーニュークス・アジア・フォーラム(NNAF)3日目の午前は福島の状況についてのQ&Aタイム。
午後は富岡町のフィールドワーク。
夜はいわき市内で世界社会フォーラム主催の集会に参加。
さらに古滝屋さん帰って深夜までの交流会。連日のハードスケジュールである。
午前のQ&Aタイムは海外からの参加者からの質問優先である。
福島の県民の原発事故を受けての意識変化、住民間の対立構造の変化、運動の状況、食品汚染や事故前の防災訓練の様子など、限られた時間だが質問者の抱える運動課題なども踏まえた質問が相次ぐ。
佐藤和良さんや原発いらない福島の女たち」のメンバーが丁寧に、そして熱く答えていく。
原発との共存から放射能との共存へと政府が推し進める帰還強制政策に怒りの声が上がる。
午後は福島第一原発から約5~10キロ、町内が帰還困難区域、居住困難区域、避難解除準備区域に分かれる富岡町に向かう。
途中の常磐道では道路脇に放射線量が表示され、福島第二原発の排気塔も見ることができる。
いわき市内の宿舎を出発した時はこの値。
常磐道を北上するにつれ、車中でも徐々に数値は上がっていく。
楢葉町に入ると常磐道の両側にも除染された土や落ち葉などが詰められたフレコンバックの山が至る所に見える。
輸送中のトラックも横を通っていく。
富岡ICを降り、市街地へ向かう。車中から見える畑はきれいに草が刈られ、耕起され、とても無人の町に見えない。
住民が帰還しても、農業がすぐにできるとは思えないが、景観をできだけ保持して、帰還を促す狙いがあるようだ。
かつての富岡町の観光名所・夜の森公園の横を通り、中心商店街へ。
車窓の向こう側は線量の高い帰還困難区域。
手前は居住困難区域。除染を進め、将来的には住民の帰還を目指すという。
ここはいわき市内と比べ線量は6倍程度高くなる。測定器によって数値にばらつきはあるが、私が借りた測定器は最高0.61mSvを記録する。通常値が0.04前後なので依然15倍は高い環境にある。
さらに精度の高い測定器で探すと10mSvのホットスポットもあるという。
この辺りは居住制限区域。日中の出入りは許されるが、寝泊りは禁止されている。富岡町町民で現在は会津若松市に避難している古川さんから事故後の様子を詳しく聞く。
事故後は地震の被害で移動もままならなかったが、当時と比較し驚くほどきれいに片付いているという。家の中や周囲をそれぞれ片づけに来ているようだ。道路の陥没もきれいに補修されている。
商店の中に女性が・・・マネキンでした。
創業明治15年の看板がやけにきれい。店主の思い如何。
常磐線富岡駅跡地。ここは海岸から近く、駅や線路は津波で破壊され、今は完全に撤去されている。
駅前は商店街が軒を連ねていたそうだが、跡形もなく整地されている。
線路の向こう側、海方向はフレコンバックの山。
白い巨大な建屋は除染した廃棄物を焼却する減容化施設とのこと。
ひっきりなしにダンプカーが行き来する。
いわき市内に戻り、労働者福祉会館で 世界社会フォーラム2016実行委員会主催の「核と被ばくをなくす世界フォーラム」に参加。
イギリスやフランス、カナダ、ブラジルなどさらに国際色豊かに。
ウクライナからはチェルブイリ原発で直接収束作業にあたった作業員の2人が参加。当時の様子を生々しく語る
原発輸出国と原発輸出相手国、さらにウラン輸出国までほぼ揃った形だ。各国参加者から制限時間をオーバーし、連帯への熱いアピールが続く。
原子力業界の国際的な再編が進む中、反対運動も情報の共有、運動の連帯がますます求められている。そんな中、各国のリーダーからの発言は、国際情勢と自国の政治・経済情勢を的確に分析した運動の展望が語られる。
NNAFがスタートした1993年以降、インドネシアの原発計画が止まり、フィリピンのバターン原発も建設はされたが稼働を許していない。日本の原発輸出第1号の台湾第4原発は99%工事が進み、稼働の危機にある中、国民党から民進党・崔英文総統の政権交代が実現した。第4原発の凍結はもちろん、稼働中の第1~第3までの6基の原発も2025年までの停止を目指していく。ドイツより先に脱原発を実現するかもしれない。台湾の運動はますます元気だ。
今後、インドとトルコへの原発輸出阻止がNNAFの重要な運動課題となる。
左は予定地シノップで「日本は原発を輸出するな!」と4万人の反対集会を実現した地元の運動のリーダー・ギュルブスさん。
右はトルコ(シノップとアックユの2か所が予定地として狙われている)の反対運動のリーダー・デミルジャンさん。
日本語が堪能で、日本(原発輸出反対)とトルコ(原発輸入反対)の運動をつなぐキーパーソンだ。
いずれの国の民衆の大きな反対運動を展開しているが、国策の名の下、反対派のリーダーには「非国民扱い」的な弾圧が繰り返されている。また、福島の事故があたかも収束したかのような情報操作も横行している。
そういう意味で、今回、アジア各国の運動のリーダーが福島に結集した意味は大きい。福島の実情を自らの体験を踏まえて住民に語ったとき、安倍政権の原発輸出政策は確実にダメージを受けていく。
最後に1日目の報告で紹介した台湾の郭先生の言葉を紹介したい。
「中国人はすぐうそをついて逃げていきます。でも台湾は日本統治時代50年で日本人から責任を取ることの大切さ、うそをつかないことの大切さを学びました。昔は切腹までしたと聞きました。日本人はずいぶん変わってしまいましたね。」
もちろん、福島第一原発事故に対する政府、東京電力の対応を指してのことだ。
午後は富岡町のフィールドワーク。
夜はいわき市内で世界社会フォーラム主催の集会に参加。
さらに古滝屋さん帰って深夜までの交流会。連日のハードスケジュールである。
午前のQ&Aタイムは海外からの参加者からの質問優先である。
福島の県民の原発事故を受けての意識変化、住民間の対立構造の変化、運動の状況、食品汚染や事故前の防災訓練の様子など、限られた時間だが質問者の抱える運動課題なども踏まえた質問が相次ぐ。
佐藤和良さんや原発いらない福島の女たち」のメンバーが丁寧に、そして熱く答えていく。
原発との共存から放射能との共存へと政府が推し進める帰還強制政策に怒りの声が上がる。
午後は福島第一原発から約5~10キロ、町内が帰還困難区域、居住困難区域、避難解除準備区域に分かれる富岡町に向かう。
途中の常磐道では道路脇に放射線量が表示され、福島第二原発の排気塔も見ることができる。
いわき市内の宿舎を出発した時はこの値。
常磐道を北上するにつれ、車中でも徐々に数値は上がっていく。
楢葉町に入ると常磐道の両側にも除染された土や落ち葉などが詰められたフレコンバックの山が至る所に見える。
輸送中のトラックも横を通っていく。
富岡ICを降り、市街地へ向かう。車中から見える畑はきれいに草が刈られ、耕起され、とても無人の町に見えない。
住民が帰還しても、農業がすぐにできるとは思えないが、景観をできだけ保持して、帰還を促す狙いがあるようだ。
かつての富岡町の観光名所・夜の森公園の横を通り、中心商店街へ。
車窓の向こう側は線量の高い帰還困難区域。
手前は居住困難区域。除染を進め、将来的には住民の帰還を目指すという。
ここはいわき市内と比べ線量は6倍程度高くなる。測定器によって数値にばらつきはあるが、私が借りた測定器は最高0.61mSvを記録する。通常値が0.04前後なので依然15倍は高い環境にある。
さらに精度の高い測定器で探すと10mSvのホットスポットもあるという。
この辺りは居住制限区域。日中の出入りは許されるが、寝泊りは禁止されている。富岡町町民で現在は会津若松市に避難している古川さんから事故後の様子を詳しく聞く。
事故後は地震の被害で移動もままならなかったが、当時と比較し驚くほどきれいに片付いているという。家の中や周囲をそれぞれ片づけに来ているようだ。道路の陥没もきれいに補修されている。
商店の中に女性が・・・マネキンでした。
創業明治15年の看板がやけにきれい。店主の思い如何。
常磐線富岡駅跡地。ここは海岸から近く、駅や線路は津波で破壊され、今は完全に撤去されている。
駅前は商店街が軒を連ねていたそうだが、跡形もなく整地されている。
線路の向こう側、海方向はフレコンバックの山。
白い巨大な建屋は除染した廃棄物を焼却する減容化施設とのこと。
ひっきりなしにダンプカーが行き来する。
いわき市内に戻り、労働者福祉会館で 世界社会フォーラム2016実行委員会主催の「核と被ばくをなくす世界フォーラム」に参加。
イギリスやフランス、カナダ、ブラジルなどさらに国際色豊かに。
ウクライナからはチェルブイリ原発で直接収束作業にあたった作業員の2人が参加。当時の様子を生々しく語る
原発輸出国と原発輸出相手国、さらにウラン輸出国までほぼ揃った形だ。各国参加者から制限時間をオーバーし、連帯への熱いアピールが続く。
原子力業界の国際的な再編が進む中、反対運動も情報の共有、運動の連帯がますます求められている。そんな中、各国のリーダーからの発言は、国際情勢と自国の政治・経済情勢を的確に分析した運動の展望が語られる。
NNAFがスタートした1993年以降、インドネシアの原発計画が止まり、フィリピンのバターン原発も建設はされたが稼働を許していない。日本の原発輸出第1号の台湾第4原発は99%工事が進み、稼働の危機にある中、国民党から民進党・崔英文総統の政権交代が実現した。第4原発の凍結はもちろん、稼働中の第1~第3までの6基の原発も2025年までの停止を目指していく。ドイツより先に脱原発を実現するかもしれない。台湾の運動はますます元気だ。
今後、インドとトルコへの原発輸出阻止がNNAFの重要な運動課題となる。
左は予定地シノップで「日本は原発を輸出するな!」と4万人の反対集会を実現した地元の運動のリーダー・ギュルブスさん。
右はトルコ(シノップとアックユの2か所が予定地として狙われている)の反対運動のリーダー・デミルジャンさん。
日本語が堪能で、日本(原発輸出反対)とトルコ(原発輸入反対)の運動をつなぐキーパーソンだ。
いずれの国の民衆の大きな反対運動を展開しているが、国策の名の下、反対派のリーダーには「非国民扱い」的な弾圧が繰り返されている。また、福島の事故があたかも収束したかのような情報操作も横行している。
そういう意味で、今回、アジア各国の運動のリーダーが福島に結集した意味は大きい。福島の実情を自らの体験を踏まえて住民に語ったとき、安倍政権の原発輸出政策は確実にダメージを受けていく。
最後に1日目の報告で紹介した台湾の郭先生の言葉を紹介したい。
「中国人はすぐうそをついて逃げていきます。でも台湾は日本統治時代50年で日本人から責任を取ることの大切さ、うそをつかないことの大切さを学びました。昔は切腹までしたと聞きました。日本人はずいぶん変わってしまいましたね。」
もちろん、福島第一原発事故に対する政府、東京電力の対応を指してのことだ。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます