今日の一般質問の原稿です。ちょっと長いですが、ご笑覧ください。
(ちょっと早口で持ち時間の30分を2分近く残してしまいました)
答弁は全体的に物足りないものばかり。
歴史認識、職員給与引き下げ、原子力防災について再質問しました。
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3月議会に続き、安倍政権による生活破壊の政策、そして平和を脅かす政策と珠洲市政の関連からお聞きをしたいと思います。
まず、安倍首相がなんとしても変えたいと執念を燃やす憲法についてです。
憲法は国民が国家権力を縛るためのもの。日本国憲法はそういう近代の立憲主義の考えに基づいて制定されています。たとえ政権を握った内閣であろうと、たとえ国会で多数を占めた勢力であろうと、侵すことのできない国民の権利や自由がある、それを明記し、保障するのが憲法の最大の役割です。
これに対してや自民党が目指す新しい憲法は国家が国民を縛るという全く逆方向を向いた憲法となっています。その具体像は昨年4月に自民党が公表した日本国憲法改正草案に示されていますが、一読すると国民主権の後退、基本的人権の制限、平和主義の放棄などなど、現在の日本国憲法を大きく変質させる内容であることが一目瞭然わかります。
もちろん国防軍の保持なども含めた改憲案が早々まかり通るものではありませんから、まず改憲手続きのハードルを下げようという姑息な案まで浮上しました。憲法第96条先行改憲論です。例えて言えば、セ・リーグ最下位のヤクルトが、これじゃ今シーズンは優勝できないぞという焦りから自分たちに都合のいいように勝手にルールを変えるようなものです。憲法学者であり改憲派を自認する慶応大学の小林節教授でさえ、裏口入学みたいなものだと批判しています。
憲法には国民の権利ばかり書いてあって義務が少なすぎるといった、まるで憲法について学んだことがないことを白状するような議論が国会議員の間で交わされています。なぜこのようなことになってしまったのか不思議でもあり、怖ろしいことでもあります。
そこで教育長にお聞きします。このような国会議員に任せず、珠洲市民含め国民の一人ひとりが憲法について議論するのは主権者として大切なことです。ただし議論の前提となる憲法とはなんぞやという基礎知識はやはり必要です。憲法教育の実態、特に日本国憲法の基本をなす立憲主義について学校教育ではどのように教えられているのでしょうか。ご説明いただいたいと思います。
次にこれまた安倍政権が発足し復活した歴史認識問題についてお聞きします。
政権発足後の訪米で、日米同盟の完全復活を自慢げに宣言した安倍首相ですが、実は過去の侵略と植民地支配の歴史や従軍慰安婦をめぐる問題についての発言、いわゆる歴史認識について、韓国や中国のみならず米国からも歴史の修正主義であり、また人権感覚が欠如していると厳しい視線が注がれています。2月の訪米時のオバマ大統領の冷たい対応もその一環です。先月まとめられた米国連邦議会調査局の公式報告書では、安倍首相はウルトラナショナリストとして紹介され、一連の発言や行動は米国の国益を害しかねないと警告が発せられています。
この歴史認識問題、決して政府や国会議員だけの問題ではなく、火だるま状態になった橋下徹大阪市長を見るまでもなく地方行政にたずさわる者も含め、あるいは戦争をしらない戦後世代も含め、国民一人ひとりが真剣に向き合わなければいけない問題です。
特にいま、能登は世界農業遺産ということで、近隣諸国はじめ世界を意識した振る舞いが求められます。GIAHSの認定地域は中国が最も多く、今回新たに2か所加わり計8か所となりました。また韓国は認定地域こそはまだありませんが、KORIA’s INPORTANT AGURICULTURAL HERITEAGE SYSTEM という名称で、里海も含めた国内の農業遺産の認定制度があるようです。今回の国際会議でも地元自治体からのプレゼンテーションがありました。今後、韓国からも多くの地域がGIAHSの仲間入りをしてくるのではないでしょうか。中国、韓国、日本、さらにフィリピンやインドも含め、自然と共生してきたアジアの認定地域がしっかり連携していくことがGIAHSの発展につながるものと私は思います。
さて、市長は能登地域GIAHS推進協議会会長として国際会議にも参加され、今議会冒頭では能登の里海里海を世界的にも評価されるよう、さらにがんばっていきたいという決意も表明されています。FAOなど国際機関の要人だけでなく、近隣諸国の人たちとの交流の機会がますます増えると思われる珠洲の市長が歴史認識でつまずくようなことがあってはなりません。市長の基本的な認識をお聞きしておきたいと思います。
次に職員給与の引き下げ問題についてです。
この問題は3月議会でも取り上げました。地方交付税減額を盾にした政府からの事実上の職員給与削減の強要に対して、市長は「地方分権の流れに反し、地方の財政自主権を著しく侵すものであり誠に承服しがたい」との厳しい発言がありました。もっとも答弁の最後には「国の動向や他の自治体の動向を注視しながら判断していきたい」との発言も付け加えられましたから、最終的には横並びの削減やむなしでご理解を、という展開だろうと予想をしていました。
ところが、私のこの予想はハズレでした。他の自治体の動向を注視するというよりはむしろ他の自治体に先駆けて給与カットに加え一時金の減額までも打ち出しました。私の調べた範囲では、県を除きラスパイレス100を超えている県内9つの自治体のうち珠洲を含め6つの自治体は給与削減に踏み込みましたが、その中で一時金の削減までおこなうのは珠洲市と加賀市だけ。隣の輪島市は、北村茂男総務省政務官のおひざ元でもあり、先頭に立って削減かと思っていましたが、給与も一時金も今議会で削減条例は提案されませんでした。結果的に地方6団体がこぞって抗議した安倍政権の地方自治に対する攻撃に対して、珠洲市は先頭切って一番大きな白旗を掲げたことにはなりませんか。
そこで2点お聞きします。
給与削減に加え、県内のほとんどの自治体が踏み込まなかった一時金の削減、これはラスパイレスとは関係のないはずですが、ここまで踏み込んだのはなぜなのか、理由をお聞きしたいと思います。
特に今回の給与削減は、職員にとって職員数削減による業務の増加や各種手当の削減、退職金の引き下げというこの間の労働条件の悪化にさらに追い打ちをかけるものであり、加えて国に対する地方自治体の敗北を見る思いでもあると思います。自治の最前線を担う職員にとって2重の意味でモチベーションを低下させるのではないかと危惧しますが市長の認識をお聞きしたいと思います。
さて、安倍政権の危ない政策の中でも特に心配なのが国家100年の大計、教育政策です。第一次安倍内閣で教育基本法の改悪をおこないましたがその具体化は不十分ということで、再登板で引き続き教育改革に意欲を示しています。その基本的な方向性やテーマは自民党の教育再生実行本部が昨年11月に示した中間報告に示されており、それを受け、安倍首相の下での教育再生実行会議でいじめ対策防止法や教育委員会改革、道徳の教科化が議論されています。同時にこの6月14日に閣議決定された第2期教育振興基本計画の中でも体系的な方向性が示されました。
気になる点、たくさんあり過ぎですが、今回は教育委員会の改革についてお聞きしたいと思います。自民党の教育再生実行本部の中間報告は、現在の教育委員会を「無責任な教育行政システム」と切り捨て、教育長を教育行政の責任者とし、教育委員会は教育長の諮問機関とする案が示されました。現在の教育委員委員会の解体論です。中央教育審議会の議論でも「地域住民の意向を十分の反映していない」、「審議が形骸化している」など批判のオンパレードで、現行の教育委員会制度の評価はボロボロ状態です。こうした流れを受け、第2期教育振興基本計画でも「責任体制を確立し、現場の問題に迅速かつ的確に対応できるよう、抜本的な改革のための検討を進める」としています。
私は昨年の9月議会で教育委員会の在り方を市長、教育長に問いました。お二人とも基本的には珠洲市の教育委員会はしっかり機能している、問題はないという認識だったかと思います。私は課題山積だと思っていますが、この3月にまとめられた珠洲市の教育振興基本計画では、教育委員会の活性化、そして教育行政の透明性の確保と情報発信という項目が設けられ、具体的な施策も記載されました。これについては大いに期待をしたいと思っています。教育委員会解体論を跳ね除ける活性化に向け、これらの取り組みを進める具体的なスケジュールを明らかにしていただきたいと思います。
教育問題の2点目は全国学力・学習状況調査についてです。この問題については、これまでもしつこいと思われるくらい何度も取り上げ、教育長の答弁とは平行線をたどっています。教育長は調査の意義と必要性を強調されますが、私は点数学力偏重で競争を過度に煽る弊害をしてきました。
今回はこの弊害がますます深刻化しているのではないかという思いから質問をさせていただきます。小学生が夏休みをつぶして過去問を解く事前練習にとどまらず、昨年は冬休み前に県下一斉、授業をつぶしての学力テスト対策がおこなわれました。各学校の自主的な試験対策や教育事務所単位の対策ではなく、県下一斉、組織的な試験対策をしないと全国一位はとれないぞという県教委の方針ですが、これはトップを走る秋田県教委をモデルにしたものです。必死に過去問を解く、あるいは類似問題を解くと聞けば、昔の大学受験の「傾向と対策」を思い出しますが、小学生から傾向と対策漬けの学習を繰り返すことが子どもたちの生きる力を育むことにつながるのでしょうか。私には異常としか思えません。
こうした中で、さらに過度な競争を助長することにつながりかねない自治体による学校別の成績公表の動きが出てきました。
この調査について、文科省は当初から自治体による学校別成績の公表を実施要領で禁止してきました。地域や学校の序列化や偏見を助長したり、競争のさらなる過熱化を招きかねませんから教育的な観点から当然だと思いますし、調査の本来の目的に照らしても公開の必要はないと私は考えます。
しかし、順位争いが激化する中、多くの都道府県で大なり小なり様々な試験対策が繰り広げられ、それなりの教育予算も投入されはじめました。こうなりますと、事は教育委員会のメンツ争いにとどまらず、市長の責務として税金を投入の成果を市民に公表しなければならないという、ある意味では正論ですが、このような考えも登場してきました。予想されたとはいえ、ますます危惧する事態をむかえました。
下村文科大臣はこうした一部の自治体からの公表を求める声を受け、待ってましたとばかりに市町村長らに意見を聴く方針を示しました。そこで市長および教育長は、学校別の成績公表の是非についてどのような認識をもっておられるのかお聞きしたと思います。
安倍政権の政策に関連してあと一点、原子力防災対策についてもお聞きします。
安倍首相は成長戦略で原発の活用を掲げ、国内の原発の再稼働だけでなく世界各国を外遊して原発のセールスにも躍起になっています。不十分ながらも2030年までに原発をゼロにする方針を掲げた民主党政権の政策を大きく転換し、原子力ムラを取り戻そうしています。
こうした中、福島の事故で全くと言っていいほど機能しなかった原子力防災対策の見直しが政権にとっても急務となっています。原子力規制委員会は昨年10月、大慌てで新たな原子力災害対策指針を策定し、その後も改定を重ね、内容を補充しています。県の防災会議も国から催促されるように3月27日、新たな原子力防災計画を決定しました。率直に言って福島の事故の教訓を踏まえず、安倍政権の原発再稼働、原発活用方針に沿って想定される事故を過小評価するなど、問題点だらけの計画と言わざるをえません。
以下、珠洲市に直接関係する3点の問題に絞ってお聞きします。
まずヨウ素剤の配布、服用についてです。
珠洲市の大半の地域は国の指針でいうところのPPA、つまり志賀原発から50キロ圏となるプルーム通過時の防護措置を講じる地域のエリアを越えていますが、独自に市内の40歳以下の住民が服用できるようヨウ素剤を総合病院に備蓄しています。これ自体は評価するものですが、ただ、これだけでは放射線の防護措置としてはほとんど意味をなしません。ヨウ素剤は必要なときに必要とする市民のもとに迅速に届けられ、服用の指示も届くようにしなければ役に立ちません。
県の計画では服用の判断は原則として国の原子力災害対策本部からの指示ですが、時間がない場合は医師の指導に基づいて指示するとされています。市長は福島の原発事故で、当時の国の原子力安全員会や県の指示を受けてヨウ素剤を配布した自治体がいくつあるかご存知でしょうか。あれだけ広範囲に放射性ヨウ素が拡散したにもかかわらず実は一つもありませんでした。混乱する国や県をあてにせず独自に配布を決めた自治体はいくつかありますが、対象とする住民まで届いて服用が確認されているのは三春町だけです。ちなみに3月15日、三春町がヨウ素剤の配布を開始したところ、福島県から三春町役場に電話が入り、「誰の指示で配っているんだ、すぐに回収しろ」と指示されたそうです。後の検証で、三春町の配布はジャストタイミングでしたが、多くの住民が防げたはずの放射性ヨウ素を体内に取り込むこととなりました。国は因果関係を否定していますが、福島ではすでに12人の子どもたちが甲状腺がんと診断され、多くの子どもたちが健康に不安を感じながら暮らしています。
珠洲市としても、備蓄されているヨウ素剤を誰がどのようなルートで必要とする世帯に配布するのか、そして服用の判断は誰がおこない、どのように伝達するのか、福島の事故を教訓として、実効性ある原子力防災計画を策定することが必要だと思いますがいかがでしょうか。
2点目は広域避難の受入についてです。
県の防災計画で珠洲市は穴水町からの避難者を受け入れることになりました。万全の受入態勢を整えておく必要がありますが、注意しなければならないことがあります。国が策定した原子力災害対策指針では避難基準となる放射線量は一時間当たり500μSvと通常の約5千倍から1万倍というが高さになっています。つまり被ばくした住民が汚染された車両で避難してくることを想定しなければならないということです。対応する市の職員は避難所の開設や住民の受入業務だけでなく、スクリーニング検査や除染などで県や関係機関との連携が求められます。防護資機材も配備しなければなりません。現在の地域防災計画で対応できるとは思えません。避難者受入についても同様に原子力防災計画が必要ではないかと思いますがいかがでしょうか。
あと一点は福祉避難所についてです。福島の事故では、原発周辺の病院や福祉施設に入院、入所している人たちの避難が多くの痛ましい結果をもたらしました。移動中の車の中で亡くなられる方、避難先の施設で十分なケアが受けられず亡くなられる方が相次ぎました。そこで県の退避計画要綱では、福島原発事故の教訓から入院患者や高齢者や障害者ら災害弱者に必要な支援ができる福祉避難所を避難先市町、つまり珠洲市が開設、運営することになっています。もちろん必要なことですが果たして対応は可能でしょうか。
国も県も原発から30キロ圏外の自治体には原子力防災計画の策定を求めていません。しかし、市内の大半が50キロ圏外となる金沢市が、不十分ながらも被ばく医療体制や広域避難者の受入れ・協力体制を盛り込んだ原子力災害対策計画を策定しました。ここはぜひ金沢市の取り組みに学び、より充実した計画の策定に向けて取り組みを進めるべきだと思います。
次に世界農業遺産についてお聞きします。
5月29日からの国際会議が成功裏に終わりました。私も2日目のハイレベルセッションと記念シンポジウムを聞かせいただきましたが、多くの国際関係機関の代表者や認定地域の関係者の発言を聞き、GIAHSに寄せる熱い思い、志の高さを感じることができました。やや概念的すぎるという声もあったようですが、一つひとつの認定地域は人口も経済規模も大きくなく、まして政治的な影響力も大きいとは言えない中で、地球規模の意義、人類史的な意義を自覚し、保全・活用に取り組み、外に向けても情報を発信し続けていこうとする姿勢は尊敬に値します。
世界食糧安全保障委員会のモンコンブ・スワミナサン氏は、持続可能な農業の取り組みを目的は地球上の飢餓の克服にあると訴えました。飢餓の原因は貧困と格差です。人間の多様性、文化の多様性、民主主義の重要性を訴え、収穫を最大にすることより種の保存を最大にすることが大切とも指摘しました。次々と登壇するパネラーの発言を聞けば聞くほどグローバル企業が伝統農業を踏みつけていくTPPはGIAHSの理念とは相容れないし、持続可能性、生物多様性をキーワードとするGIAHSは原発とは相容れないとの思いを強くします。GIAHSが地球上の片隅でまさに遺産としてひっそり保存されるだけではダメなんだがなぁという思いで聞いていると、国際生物多様性センターのエミールフリソン総裁が「GIAHSの認定を受けることが大切なのではなく、GIAHSを政策の主流にすることが大切なんだ」と訴えらえました。我が意を得たりの思いがしました。
さて、市長は一日目の分科会では発言の機会もあり、さらに国内外の認定地域からの多くの報告も聞き、あるいは交流の機会もある中で、能登の里山里海の特徴や保全・活用の意義がより鮮明になったのではないかと思います。国際会議という貴重な場に参加をしての市長の感想をお聞したいと思います。
今回の国際会議開催の日本にとって、あるいは能登にとっての大きな成果のひとつは、国内の仲間が増えたことだろうと思います。今後の連携した取り組みが期待されます。会議後はさっそく仮称ですがJ‐GIAHSネットワーク会議の準備会の会合ももたれました。そこでこのJ‐GIAHSネットワーク会議の発足時期の見通しと、その中で珠洲市に求められている役割について聞きしたいと思います。
次に交流人口の拡大についてお聞きします。
能登有料道路が3月31日正午をもってのと里山海道となり、その無料化効果はこの2ヶ月半でみますと確実に表れているようです。特にゴールデンウィーク中の観光客の大幅な入込増は大方の予想を上回ったのではないかと思います。
今議会の提案説明をみますと、大幅に増加しました、いずれの施設も増加しました、予想以上に賑わい好調でした、との表現が並んでいます。もちろん実績自体は大変喜ばしいことには間違いありませんが、入込数1.7倍となると、市内観光の強みと弱点がより鮮明に見えたのではないとかと思います。新たな課題も浮かび上がるのではないでしょうか。目の前に迫った夏の観光シーズンや2年後の北陸新幹線金沢開業に向けて、ここで満足することなく、これまでの市内の受入態勢について検証していくことこそが重要ではないかと思います。
サッカーワールドカップ出場を決め喜びに沸いたザックジャパンですが、その翌日の記者会見で本田圭佑選手は選手一人ひとりの課題を指摘し、個の力を高めなければならないと訴えました。常に上をめざし、先を見据えていく姿勢がチームを一気に引き締めました。
奥能登の一人勝ち、特に先端の珠洲に大きな効果をもたらしたのと里山海道ですが、まさに勝って兜の緒を締めよ、市長にも本田選手同様の姿勢を期待したいと思います。
行政がやるべきこと、民間の皆さんにさらに期待すること、それぞれの課題をお聞きしたいと思います。
質問の最後は「住民の幸福実感の向上を目指す基礎自治体連合」通称「幸せリーグ」への参加についてです。
経済成長や物質的な豊かさが人の幸福に必ずしもつながらないと言われて久しく、まして豊かさの指標とも思われてきたGDPは交通事故や病気など人の不幸が原因でお金が動いても増加しますから、幸福指標として適当でないことは明らかでしょう。そういうことで世界各国ではブータンのGNH、すなわち国民総幸福度を筆頭に様々な幸福指標が研究され、国内の自治体でも行政のひとつの指針として幸福指標を模索する動きがあります。
その一方で幸福とは個人のきわめて内面的な問題であり、個人の価値観や人生観、宗教観にも左右される問題です。行政の取り組みとは関係なく身内の死、あるいは自分の健康問題で不幸を感じることもあれば、結婚や出産などプライベートな出来事で幸福を感じることも少なくありません。むしろその方が多いのではないでしょうか。人それぞれに幸福があり、行政がどこまで踏み込めるのか実に微妙な課題でもあります。
このような前提を踏まえつつ、行政として幸福について考えるとき、真っ先に検討しなければならないのは憲法第13条でしょう。「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由および幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」という条文です。
今回「幸せリーグ」を呼びかけた荒川区は、個人の幸福追求権は基本的人権の要として憲法13条で保障されており、国家とともに地方自治体も幸福追求の権利保障を担保しなければいけないという考え方に基づいて幸福実感の向上に取り組んできました。市長の思いも同様と理解してよろしいでしょうか。
さて、今後、この「幸せリーグ」に参加する中で様々な情報交換や調査を重ね、市総合指針への幸福指標の盛り込みを検討していかれるのかと思いますが、少し気になることがあります。
荒川区では、今回の「幸せリーグ」の発起人代表にもなりました西川太一郎区長が就任以来、「区政は区民を幸せにするシステムである」という考えの下、ブータンに職員を派遣しGNHについて独自に調査をおこなったり、区のシンクタンクとして荒川区自治総合研究所を発足させ、荒川区民総幸福度、GAHといいますが、これについて調査研究を重ねています。同時にこのGAHは単に幸福度を指標化する取り組みであるだけではなく、職員が常日頃の仕事を区民の幸福とつなげて考えるという職員の意識改革を進める側面もあります。また行政はしょせん区民の幸せへのお手伝いしかできない存在であるという認識に立ち、区民の幸福実感度の向上を目的とした、住民を巻き込んだ運動としての側面も併せ持ちます。珠洲市への導入を検討されるにあたって、幸福指標のつまみ食いのようなことだけは避けていただきたいと思います。
もう一つ気になるのは、市長の言う「日本一幸せを感じられる自治体を目指して」の中の「日本一」という表現です。幸福指標を前提に日本一を考えるならば、全自治体が同じ指標で同時に調査をすることを前提にしなければありえず、選挙のスローガン以上の意味は持ちません。ちなみに荒川区は若手職員の参加の下、他所とは違う荒川区らしさを反映した指標づくりに努めています。さらに付け加えるならば、幸せを感じる度合いというのは他所の自治体との比較すべきものでしょうか。全国学力テストのトップ争いも問題ですが、こちらもともすれば他人の不幸を喜ぶことにもなりかねません。荒川区も他所との比較ではなくあくまで区民の幸福実感度の向上を目指しています。
行政が市民の幸福という極めて個人の内面的な問題を指標化し、政策に結びつけていこうとするならば、そこは通常の政策アンケート以上の慎重さが求められますし、また行政にとって手前味噌にならないよう科学的、客観的手法が不可欠だと思います。平成28年度からの市総合指針に幸福指標を盛り込むにあたっての基本的な認識をお聞きしまして質問を終わらせていただきます。
(ちょっと早口で持ち時間の30分を2分近く残してしまいました)
答弁は全体的に物足りないものばかり。
歴史認識、職員給与引き下げ、原子力防災について再質問しました。
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3月議会に続き、安倍政権による生活破壊の政策、そして平和を脅かす政策と珠洲市政の関連からお聞きをしたいと思います。
まず、安倍首相がなんとしても変えたいと執念を燃やす憲法についてです。
憲法は国民が国家権力を縛るためのもの。日本国憲法はそういう近代の立憲主義の考えに基づいて制定されています。たとえ政権を握った内閣であろうと、たとえ国会で多数を占めた勢力であろうと、侵すことのできない国民の権利や自由がある、それを明記し、保障するのが憲法の最大の役割です。
これに対してや自民党が目指す新しい憲法は国家が国民を縛るという全く逆方向を向いた憲法となっています。その具体像は昨年4月に自民党が公表した日本国憲法改正草案に示されていますが、一読すると国民主権の後退、基本的人権の制限、平和主義の放棄などなど、現在の日本国憲法を大きく変質させる内容であることが一目瞭然わかります。
もちろん国防軍の保持なども含めた改憲案が早々まかり通るものではありませんから、まず改憲手続きのハードルを下げようという姑息な案まで浮上しました。憲法第96条先行改憲論です。例えて言えば、セ・リーグ最下位のヤクルトが、これじゃ今シーズンは優勝できないぞという焦りから自分たちに都合のいいように勝手にルールを変えるようなものです。憲法学者であり改憲派を自認する慶応大学の小林節教授でさえ、裏口入学みたいなものだと批判しています。
憲法には国民の権利ばかり書いてあって義務が少なすぎるといった、まるで憲法について学んだことがないことを白状するような議論が国会議員の間で交わされています。なぜこのようなことになってしまったのか不思議でもあり、怖ろしいことでもあります。
そこで教育長にお聞きします。このような国会議員に任せず、珠洲市民含め国民の一人ひとりが憲法について議論するのは主権者として大切なことです。ただし議論の前提となる憲法とはなんぞやという基礎知識はやはり必要です。憲法教育の実態、特に日本国憲法の基本をなす立憲主義について学校教育ではどのように教えられているのでしょうか。ご説明いただいたいと思います。
次にこれまた安倍政権が発足し復活した歴史認識問題についてお聞きします。
政権発足後の訪米で、日米同盟の完全復活を自慢げに宣言した安倍首相ですが、実は過去の侵略と植民地支配の歴史や従軍慰安婦をめぐる問題についての発言、いわゆる歴史認識について、韓国や中国のみならず米国からも歴史の修正主義であり、また人権感覚が欠如していると厳しい視線が注がれています。2月の訪米時のオバマ大統領の冷たい対応もその一環です。先月まとめられた米国連邦議会調査局の公式報告書では、安倍首相はウルトラナショナリストとして紹介され、一連の発言や行動は米国の国益を害しかねないと警告が発せられています。
この歴史認識問題、決して政府や国会議員だけの問題ではなく、火だるま状態になった橋下徹大阪市長を見るまでもなく地方行政にたずさわる者も含め、あるいは戦争をしらない戦後世代も含め、国民一人ひとりが真剣に向き合わなければいけない問題です。
特にいま、能登は世界農業遺産ということで、近隣諸国はじめ世界を意識した振る舞いが求められます。GIAHSの認定地域は中国が最も多く、今回新たに2か所加わり計8か所となりました。また韓国は認定地域こそはまだありませんが、KORIA’s INPORTANT AGURICULTURAL HERITEAGE SYSTEM という名称で、里海も含めた国内の農業遺産の認定制度があるようです。今回の国際会議でも地元自治体からのプレゼンテーションがありました。今後、韓国からも多くの地域がGIAHSの仲間入りをしてくるのではないでしょうか。中国、韓国、日本、さらにフィリピンやインドも含め、自然と共生してきたアジアの認定地域がしっかり連携していくことがGIAHSの発展につながるものと私は思います。
さて、市長は能登地域GIAHS推進協議会会長として国際会議にも参加され、今議会冒頭では能登の里海里海を世界的にも評価されるよう、さらにがんばっていきたいという決意も表明されています。FAOなど国際機関の要人だけでなく、近隣諸国の人たちとの交流の機会がますます増えると思われる珠洲の市長が歴史認識でつまずくようなことがあってはなりません。市長の基本的な認識をお聞きしておきたいと思います。
次に職員給与の引き下げ問題についてです。
この問題は3月議会でも取り上げました。地方交付税減額を盾にした政府からの事実上の職員給与削減の強要に対して、市長は「地方分権の流れに反し、地方の財政自主権を著しく侵すものであり誠に承服しがたい」との厳しい発言がありました。もっとも答弁の最後には「国の動向や他の自治体の動向を注視しながら判断していきたい」との発言も付け加えられましたから、最終的には横並びの削減やむなしでご理解を、という展開だろうと予想をしていました。
ところが、私のこの予想はハズレでした。他の自治体の動向を注視するというよりはむしろ他の自治体に先駆けて給与カットに加え一時金の減額までも打ち出しました。私の調べた範囲では、県を除きラスパイレス100を超えている県内9つの自治体のうち珠洲を含め6つの自治体は給与削減に踏み込みましたが、その中で一時金の削減までおこなうのは珠洲市と加賀市だけ。隣の輪島市は、北村茂男総務省政務官のおひざ元でもあり、先頭に立って削減かと思っていましたが、給与も一時金も今議会で削減条例は提案されませんでした。結果的に地方6団体がこぞって抗議した安倍政権の地方自治に対する攻撃に対して、珠洲市は先頭切って一番大きな白旗を掲げたことにはなりませんか。
そこで2点お聞きします。
給与削減に加え、県内のほとんどの自治体が踏み込まなかった一時金の削減、これはラスパイレスとは関係のないはずですが、ここまで踏み込んだのはなぜなのか、理由をお聞きしたいと思います。
特に今回の給与削減は、職員にとって職員数削減による業務の増加や各種手当の削減、退職金の引き下げというこの間の労働条件の悪化にさらに追い打ちをかけるものであり、加えて国に対する地方自治体の敗北を見る思いでもあると思います。自治の最前線を担う職員にとって2重の意味でモチベーションを低下させるのではないかと危惧しますが市長の認識をお聞きしたいと思います。
さて、安倍政権の危ない政策の中でも特に心配なのが国家100年の大計、教育政策です。第一次安倍内閣で教育基本法の改悪をおこないましたがその具体化は不十分ということで、再登板で引き続き教育改革に意欲を示しています。その基本的な方向性やテーマは自民党の教育再生実行本部が昨年11月に示した中間報告に示されており、それを受け、安倍首相の下での教育再生実行会議でいじめ対策防止法や教育委員会改革、道徳の教科化が議論されています。同時にこの6月14日に閣議決定された第2期教育振興基本計画の中でも体系的な方向性が示されました。
気になる点、たくさんあり過ぎですが、今回は教育委員会の改革についてお聞きしたいと思います。自民党の教育再生実行本部の中間報告は、現在の教育委員会を「無責任な教育行政システム」と切り捨て、教育長を教育行政の責任者とし、教育委員会は教育長の諮問機関とする案が示されました。現在の教育委員委員会の解体論です。中央教育審議会の議論でも「地域住民の意向を十分の反映していない」、「審議が形骸化している」など批判のオンパレードで、現行の教育委員会制度の評価はボロボロ状態です。こうした流れを受け、第2期教育振興基本計画でも「責任体制を確立し、現場の問題に迅速かつ的確に対応できるよう、抜本的な改革のための検討を進める」としています。
私は昨年の9月議会で教育委員会の在り方を市長、教育長に問いました。お二人とも基本的には珠洲市の教育委員会はしっかり機能している、問題はないという認識だったかと思います。私は課題山積だと思っていますが、この3月にまとめられた珠洲市の教育振興基本計画では、教育委員会の活性化、そして教育行政の透明性の確保と情報発信という項目が設けられ、具体的な施策も記載されました。これについては大いに期待をしたいと思っています。教育委員会解体論を跳ね除ける活性化に向け、これらの取り組みを進める具体的なスケジュールを明らかにしていただきたいと思います。
教育問題の2点目は全国学力・学習状況調査についてです。この問題については、これまでもしつこいと思われるくらい何度も取り上げ、教育長の答弁とは平行線をたどっています。教育長は調査の意義と必要性を強調されますが、私は点数学力偏重で競争を過度に煽る弊害をしてきました。
今回はこの弊害がますます深刻化しているのではないかという思いから質問をさせていただきます。小学生が夏休みをつぶして過去問を解く事前練習にとどまらず、昨年は冬休み前に県下一斉、授業をつぶしての学力テスト対策がおこなわれました。各学校の自主的な試験対策や教育事務所単位の対策ではなく、県下一斉、組織的な試験対策をしないと全国一位はとれないぞという県教委の方針ですが、これはトップを走る秋田県教委をモデルにしたものです。必死に過去問を解く、あるいは類似問題を解くと聞けば、昔の大学受験の「傾向と対策」を思い出しますが、小学生から傾向と対策漬けの学習を繰り返すことが子どもたちの生きる力を育むことにつながるのでしょうか。私には異常としか思えません。
こうした中で、さらに過度な競争を助長することにつながりかねない自治体による学校別の成績公表の動きが出てきました。
この調査について、文科省は当初から自治体による学校別成績の公表を実施要領で禁止してきました。地域や学校の序列化や偏見を助長したり、競争のさらなる過熱化を招きかねませんから教育的な観点から当然だと思いますし、調査の本来の目的に照らしても公開の必要はないと私は考えます。
しかし、順位争いが激化する中、多くの都道府県で大なり小なり様々な試験対策が繰り広げられ、それなりの教育予算も投入されはじめました。こうなりますと、事は教育委員会のメンツ争いにとどまらず、市長の責務として税金を投入の成果を市民に公表しなければならないという、ある意味では正論ですが、このような考えも登場してきました。予想されたとはいえ、ますます危惧する事態をむかえました。
下村文科大臣はこうした一部の自治体からの公表を求める声を受け、待ってましたとばかりに市町村長らに意見を聴く方針を示しました。そこで市長および教育長は、学校別の成績公表の是非についてどのような認識をもっておられるのかお聞きしたと思います。
安倍政権の政策に関連してあと一点、原子力防災対策についてもお聞きします。
安倍首相は成長戦略で原発の活用を掲げ、国内の原発の再稼働だけでなく世界各国を外遊して原発のセールスにも躍起になっています。不十分ながらも2030年までに原発をゼロにする方針を掲げた民主党政権の政策を大きく転換し、原子力ムラを取り戻そうしています。
こうした中、福島の事故で全くと言っていいほど機能しなかった原子力防災対策の見直しが政権にとっても急務となっています。原子力規制委員会は昨年10月、大慌てで新たな原子力災害対策指針を策定し、その後も改定を重ね、内容を補充しています。県の防災会議も国から催促されるように3月27日、新たな原子力防災計画を決定しました。率直に言って福島の事故の教訓を踏まえず、安倍政権の原発再稼働、原発活用方針に沿って想定される事故を過小評価するなど、問題点だらけの計画と言わざるをえません。
以下、珠洲市に直接関係する3点の問題に絞ってお聞きします。
まずヨウ素剤の配布、服用についてです。
珠洲市の大半の地域は国の指針でいうところのPPA、つまり志賀原発から50キロ圏となるプルーム通過時の防護措置を講じる地域のエリアを越えていますが、独自に市内の40歳以下の住民が服用できるようヨウ素剤を総合病院に備蓄しています。これ自体は評価するものですが、ただ、これだけでは放射線の防護措置としてはほとんど意味をなしません。ヨウ素剤は必要なときに必要とする市民のもとに迅速に届けられ、服用の指示も届くようにしなければ役に立ちません。
県の計画では服用の判断は原則として国の原子力災害対策本部からの指示ですが、時間がない場合は医師の指導に基づいて指示するとされています。市長は福島の原発事故で、当時の国の原子力安全員会や県の指示を受けてヨウ素剤を配布した自治体がいくつあるかご存知でしょうか。あれだけ広範囲に放射性ヨウ素が拡散したにもかかわらず実は一つもありませんでした。混乱する国や県をあてにせず独自に配布を決めた自治体はいくつかありますが、対象とする住民まで届いて服用が確認されているのは三春町だけです。ちなみに3月15日、三春町がヨウ素剤の配布を開始したところ、福島県から三春町役場に電話が入り、「誰の指示で配っているんだ、すぐに回収しろ」と指示されたそうです。後の検証で、三春町の配布はジャストタイミングでしたが、多くの住民が防げたはずの放射性ヨウ素を体内に取り込むこととなりました。国は因果関係を否定していますが、福島ではすでに12人の子どもたちが甲状腺がんと診断され、多くの子どもたちが健康に不安を感じながら暮らしています。
珠洲市としても、備蓄されているヨウ素剤を誰がどのようなルートで必要とする世帯に配布するのか、そして服用の判断は誰がおこない、どのように伝達するのか、福島の事故を教訓として、実効性ある原子力防災計画を策定することが必要だと思いますがいかがでしょうか。
2点目は広域避難の受入についてです。
県の防災計画で珠洲市は穴水町からの避難者を受け入れることになりました。万全の受入態勢を整えておく必要がありますが、注意しなければならないことがあります。国が策定した原子力災害対策指針では避難基準となる放射線量は一時間当たり500μSvと通常の約5千倍から1万倍というが高さになっています。つまり被ばくした住民が汚染された車両で避難してくることを想定しなければならないということです。対応する市の職員は避難所の開設や住民の受入業務だけでなく、スクリーニング検査や除染などで県や関係機関との連携が求められます。防護資機材も配備しなければなりません。現在の地域防災計画で対応できるとは思えません。避難者受入についても同様に原子力防災計画が必要ではないかと思いますがいかがでしょうか。
あと一点は福祉避難所についてです。福島の事故では、原発周辺の病院や福祉施設に入院、入所している人たちの避難が多くの痛ましい結果をもたらしました。移動中の車の中で亡くなられる方、避難先の施設で十分なケアが受けられず亡くなられる方が相次ぎました。そこで県の退避計画要綱では、福島原発事故の教訓から入院患者や高齢者や障害者ら災害弱者に必要な支援ができる福祉避難所を避難先市町、つまり珠洲市が開設、運営することになっています。もちろん必要なことですが果たして対応は可能でしょうか。
国も県も原発から30キロ圏外の自治体には原子力防災計画の策定を求めていません。しかし、市内の大半が50キロ圏外となる金沢市が、不十分ながらも被ばく医療体制や広域避難者の受入れ・協力体制を盛り込んだ原子力災害対策計画を策定しました。ここはぜひ金沢市の取り組みに学び、より充実した計画の策定に向けて取り組みを進めるべきだと思います。
次に世界農業遺産についてお聞きします。
5月29日からの国際会議が成功裏に終わりました。私も2日目のハイレベルセッションと記念シンポジウムを聞かせいただきましたが、多くの国際関係機関の代表者や認定地域の関係者の発言を聞き、GIAHSに寄せる熱い思い、志の高さを感じることができました。やや概念的すぎるという声もあったようですが、一つひとつの認定地域は人口も経済規模も大きくなく、まして政治的な影響力も大きいとは言えない中で、地球規模の意義、人類史的な意義を自覚し、保全・活用に取り組み、外に向けても情報を発信し続けていこうとする姿勢は尊敬に値します。
世界食糧安全保障委員会のモンコンブ・スワミナサン氏は、持続可能な農業の取り組みを目的は地球上の飢餓の克服にあると訴えました。飢餓の原因は貧困と格差です。人間の多様性、文化の多様性、民主主義の重要性を訴え、収穫を最大にすることより種の保存を最大にすることが大切とも指摘しました。次々と登壇するパネラーの発言を聞けば聞くほどグローバル企業が伝統農業を踏みつけていくTPPはGIAHSの理念とは相容れないし、持続可能性、生物多様性をキーワードとするGIAHSは原発とは相容れないとの思いを強くします。GIAHSが地球上の片隅でまさに遺産としてひっそり保存されるだけではダメなんだがなぁという思いで聞いていると、国際生物多様性センターのエミールフリソン総裁が「GIAHSの認定を受けることが大切なのではなく、GIAHSを政策の主流にすることが大切なんだ」と訴えらえました。我が意を得たりの思いがしました。
さて、市長は一日目の分科会では発言の機会もあり、さらに国内外の認定地域からの多くの報告も聞き、あるいは交流の機会もある中で、能登の里山里海の特徴や保全・活用の意義がより鮮明になったのではないかと思います。国際会議という貴重な場に参加をしての市長の感想をお聞したいと思います。
今回の国際会議開催の日本にとって、あるいは能登にとっての大きな成果のひとつは、国内の仲間が増えたことだろうと思います。今後の連携した取り組みが期待されます。会議後はさっそく仮称ですがJ‐GIAHSネットワーク会議の準備会の会合ももたれました。そこでこのJ‐GIAHSネットワーク会議の発足時期の見通しと、その中で珠洲市に求められている役割について聞きしたいと思います。
次に交流人口の拡大についてお聞きします。
能登有料道路が3月31日正午をもってのと里山海道となり、その無料化効果はこの2ヶ月半でみますと確実に表れているようです。特にゴールデンウィーク中の観光客の大幅な入込増は大方の予想を上回ったのではないかと思います。
今議会の提案説明をみますと、大幅に増加しました、いずれの施設も増加しました、予想以上に賑わい好調でした、との表現が並んでいます。もちろん実績自体は大変喜ばしいことには間違いありませんが、入込数1.7倍となると、市内観光の強みと弱点がより鮮明に見えたのではないとかと思います。新たな課題も浮かび上がるのではないでしょうか。目の前に迫った夏の観光シーズンや2年後の北陸新幹線金沢開業に向けて、ここで満足することなく、これまでの市内の受入態勢について検証していくことこそが重要ではないかと思います。
サッカーワールドカップ出場を決め喜びに沸いたザックジャパンですが、その翌日の記者会見で本田圭佑選手は選手一人ひとりの課題を指摘し、個の力を高めなければならないと訴えました。常に上をめざし、先を見据えていく姿勢がチームを一気に引き締めました。
奥能登の一人勝ち、特に先端の珠洲に大きな効果をもたらしたのと里山海道ですが、まさに勝って兜の緒を締めよ、市長にも本田選手同様の姿勢を期待したいと思います。
行政がやるべきこと、民間の皆さんにさらに期待すること、それぞれの課題をお聞きしたいと思います。
質問の最後は「住民の幸福実感の向上を目指す基礎自治体連合」通称「幸せリーグ」への参加についてです。
経済成長や物質的な豊かさが人の幸福に必ずしもつながらないと言われて久しく、まして豊かさの指標とも思われてきたGDPは交通事故や病気など人の不幸が原因でお金が動いても増加しますから、幸福指標として適当でないことは明らかでしょう。そういうことで世界各国ではブータンのGNH、すなわち国民総幸福度を筆頭に様々な幸福指標が研究され、国内の自治体でも行政のひとつの指針として幸福指標を模索する動きがあります。
その一方で幸福とは個人のきわめて内面的な問題であり、個人の価値観や人生観、宗教観にも左右される問題です。行政の取り組みとは関係なく身内の死、あるいは自分の健康問題で不幸を感じることもあれば、結婚や出産などプライベートな出来事で幸福を感じることも少なくありません。むしろその方が多いのではないでしょうか。人それぞれに幸福があり、行政がどこまで踏み込めるのか実に微妙な課題でもあります。
このような前提を踏まえつつ、行政として幸福について考えるとき、真っ先に検討しなければならないのは憲法第13条でしょう。「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由および幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」という条文です。
今回「幸せリーグ」を呼びかけた荒川区は、個人の幸福追求権は基本的人権の要として憲法13条で保障されており、国家とともに地方自治体も幸福追求の権利保障を担保しなければいけないという考え方に基づいて幸福実感の向上に取り組んできました。市長の思いも同様と理解してよろしいでしょうか。
さて、今後、この「幸せリーグ」に参加する中で様々な情報交換や調査を重ね、市総合指針への幸福指標の盛り込みを検討していかれるのかと思いますが、少し気になることがあります。
荒川区では、今回の「幸せリーグ」の発起人代表にもなりました西川太一郎区長が就任以来、「区政は区民を幸せにするシステムである」という考えの下、ブータンに職員を派遣しGNHについて独自に調査をおこなったり、区のシンクタンクとして荒川区自治総合研究所を発足させ、荒川区民総幸福度、GAHといいますが、これについて調査研究を重ねています。同時にこのGAHは単に幸福度を指標化する取り組みであるだけではなく、職員が常日頃の仕事を区民の幸福とつなげて考えるという職員の意識改革を進める側面もあります。また行政はしょせん区民の幸せへのお手伝いしかできない存在であるという認識に立ち、区民の幸福実感度の向上を目的とした、住民を巻き込んだ運動としての側面も併せ持ちます。珠洲市への導入を検討されるにあたって、幸福指標のつまみ食いのようなことだけは避けていただきたいと思います。
もう一つ気になるのは、市長の言う「日本一幸せを感じられる自治体を目指して」の中の「日本一」という表現です。幸福指標を前提に日本一を考えるならば、全自治体が同じ指標で同時に調査をすることを前提にしなければありえず、選挙のスローガン以上の意味は持ちません。ちなみに荒川区は若手職員の参加の下、他所とは違う荒川区らしさを反映した指標づくりに努めています。さらに付け加えるならば、幸せを感じる度合いというのは他所の自治体との比較すべきものでしょうか。全国学力テストのトップ争いも問題ですが、こちらもともすれば他人の不幸を喜ぶことにもなりかねません。荒川区も他所との比較ではなくあくまで区民の幸福実感度の向上を目指しています。
行政が市民の幸福という極めて個人の内面的な問題を指標化し、政策に結びつけていこうとするならば、そこは通常の政策アンケート以上の慎重さが求められますし、また行政にとって手前味噌にならないよう科学的、客観的手法が不可欠だと思います。平成28年度からの市総合指針に幸福指標を盛り込むにあたっての基本的な認識をお聞きしまして質問を終わらせていただきます。
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