石川県平和運動センター主催の学習会に講師として招かれる。
会場の石川県地場産業センターの研修室は満員で、立ったままの参加者もいる。
岩田善和副代表の進行で、柚木光代表の主催者あいさつ、中村照夫事務局長の基調提起および資料説明に続き、40分程度話させてもらった。
主旨は以下の通り。
「今こそ脱原発の大きなうねりを」
1.珠洲からみた東電・福島原発震災
(1)3.11で一変した市内の雰囲気
かつての‟推進派”も
「珠洲に原発なくってよかった」
「あんたの言ってた通りになったな」
「いや、志賀も福井も柏崎も心配だ!」
(2)‟推進派”のショック
何百回と繰り返されてきた原子力講演会
何百回にも及ぶ原発視察 多い人では一人30回以上も
・多重防護があるから安全!
・5重の壁があるから放射能は漏れない!
・地震がきたって大丈夫!
・津波がきたって大丈夫!
長年信じてきた‟安全神話” = 科学的根拠のない「信仰」
→ 騙してきたのは誰だ
2.「想定外」について
(1)「想定外の事故」とは ・・・ もちろん想定されていなかったことではなく
→「想定していると言ったら原発がつくれなくなる事故」のこと
→ 設計上、財源の関係上「ないことにしないといけない事故」
(2)初めてではない「想定外」
進化・拡大する「想定外」
①1979年のスリーマイル島事故 放射能が外部に漏れる
防災計画を策定 概ね10キロ
※チェルノブイリ 想定したら原発は作れないので日本では起こらないことにした
②1989年1月6日 福島第2-3号機 再循環ポンプ破損事故
③1991年2月9日 美浜原発2号機 蒸気発生器細管破断事故
絶対に起こりえない ECCSも働かず
※ 高木仁三郎さん 私たちに残された時間はわずか 警鐘を鳴らす
④1999年6月 志賀原発の臨界事故
⑤1999年9月 JCO臨界事故
これ以外にも起こりえない事故多数
⑥地震 柏崎 中越沖地震で想定地震動を超える
志賀 能登半島沖地震
女川 宮城県沖地震
津波 1993年7月 北海道南西沖地震 奥尻島では30mの津波が襲う
それまで志賀原発の想定される津波は2m!
※地震・津波の関係では次々と想定を超える災害が続く
(3)「想定外」が起きたら、その後想定することにする繰り返し。
これまでは幸い大事故に至らなかったが・・・
国民はその度、新たな「想定」を容認してきた
いま、また「想定外」を「想定内」に組み込むことを容認するのか
ex.志賀原発 10mの津波に対応できる
M9でも対応できる
周辺への放射能も想定する 10km 20km 30km・・・
「想定外」を「想定内」にし、どんどん危険な原発になっていく
「老朽化」などまだまだ「想定外」はたくさん残されている
どこで止めるのか 今度こそ止めるしかない 脱原発への転換を
3.騙してきた人たちの責任について
(1)国、御用専門家(学者)はもちろんだが、自治体は?
国の見解だから、で済まされるのか?
県は私たちの言うことより国のいうことを信じ、謝った対応を繰り返してきた
なぜ私たちの指摘に耳を傾けられなかったのか
珠洲で反対運動が拡大・強化できた理由
私たちの主張 常に事実(事故の発生)で正しいことが証明されてきた
電力会社・国の主張 次々と覆る
それでも県は国を信じてきた
これでもまだ住民の声に耳を傾けず、国の見解を待ち続けるのか
4.労働界として
(1)平和運動センター・原水禁の方針は明確
「2度とヒバクシャを生み出さない」
(2)連合
経団連や民主党政権内部からも、原発必要論が出されている中、脱原発への政策転換は楽観はできない
①多くの被曝労働者を生み出した事実
電力会社、下請け会社(協力企業)
自治体労働者
自衛隊員
※ これまでも下請け作業員が被曝労働を担い、原発は稼動してきた
いまこそ「2度とヒバクシャを生み出さない」の原点に立ち返り、脱原発運動の先陣を!
②企業(職場)の存続にかかわる事故
③ 企業の社会的責任が問われる事故
5.私たちの運動について
2009年 志賀原発差し止め訴訟が「敗訴」
新たな運動の結集軸として「ストップ!プルサーマル・北陸ネットワーク」設立
3.11で状況は激変
‟推進派”までが若狭や柏崎の原発を心配する時代になった
志賀原発の廃炉を含め、脱原発を目指す運動への新たな組織作りにむかうとき
北陸中日 4月29日
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