能登空港利用促進議員連盟で東北地方行政視察へ。
26日午前は今年6月、世界文化遺産に登録された平泉へ。
平井町役場で岩手県世界遺産推進課の方から説明を受けた後、毛越寺(もうつうじ)や中尊寺などを視察。
役場の前では「祝・・・」の大きな垂れ幕があるのかと思ったら極めて控えめ。
街の中でも、みやげ物屋さんの入り口にはやや大きな看板があったが全体に「世界遺産」をアピールする看板は小さい。来た人は当然知ってきているということもあるが、街の景観上、規制しているとのこと。
「世界遺産」登録の経済効果を具体的数字で見込んでいたわけではないとのことだったが、年間約200万人の観光客が訪れる平泉町。さぞかし身入りは大きいと思ったが、町内の宿泊施設はわずか5軒で99%が日帰り客とのこと。しかもメインの毛越寺や中尊寺に入る時のチケットは拝観料。これでは税収につながらない。
お土産屋さんや昼食を食べるレストラン、食堂はいいとしても、地域振興という面では難しさも・・・
もっとも平泉世界遺産登録の理念の核心は浄土思想に基づく仏国土の現世での実現。
前9年、後3年の合戦を経て、戦争のない理想郷の実現を目指して、敵味方の区別無く、すべての霊をなぐさめる仏教寺院や浄土庭園がつくられた。
敵味方を問わず、というと沖縄の平和の礎を思い出すが、藤原清衡は人間だけでなく、戦で荒され、あるいは都への貢物の犠牲となったすべての動物や鳥、魚、貝も含め浄土へ導かれるよう願ったという。さらにさらに三代秀衡が完成させた毛越寺の浄土庭園は平和と自然との共生を願っている。
まさに21世紀の人類史的課題である。
今日、明日の銭勘定の話をつい意識するのは貧乏性のゆえか。
毛越寺の庭園。
案内はボランティアガイドさん。
とにかく人の入りは多い。平日なのに渋滞。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
昼食後、気仙沼経由で南三陸町へ。
以下、車窓からの風景。
地盤の沈降で海水が流れ込む南三陸町志津川地区。
南三陸町防災センターも、津波直後のまま。
戸倉小学校。体育館は今年の3月1日に落成式をしたばかり。
津波による塩害で多くの杉林が枯れている。
被災地での新たな建物は仮設のコンビニだけ。
復興計画ができないから建てようにも建てられない。
「いまだ復興の目途たたず」の被災者の怒りの声が、目の前の光景から実感できる。
震災当時の状況、そしてその後の状況を話してくれたボランティアのガイドさん。元々は観光のボランティアガイドをされていたが、いまは震災の語り部である。
凄惨な被害の状況を詳しく説明していただき参加者一同胸を打たれる。語り継ぐ大切さ、現地を見て、聞き、教訓を一つでも多く受け止める大切さを痛感する。
南三陸の宿は「ホテル観洋」。
海に面した急斜面に建つ建物の2階まで15メートルはあると思うが、津波で露天風呂や浴場のガラスなど全て破壊されたという。
震災後、避難所としてフル回転。
ホテル到着後、女将の阿部憲子さんから当時の様子を詳細に聞く。単なる体験談(それだけでも貴重だが)にとどまらず、トップにたつ人の決断の重さ、助ける人と助けられる人を結び付けられない行政へのいらだちなど、具体的な震災対応の問題点や心構えを数多く聞かせてもらう。
ホテル経営含め20の関連会社、800人の従業員を抱える女将さんならではのひと言ひと言だった。
左はしが女将さん。
被災地は時間と共に忘れ去られていくことに大きな不安を感じている、ボランティアでなくってもいい、物見遊山でもいい、とにかく大勢の人に来てもらい、見てもらうことが被災者への大きな支援になると訴える。
26日午前は今年6月、世界文化遺産に登録された平泉へ。
平井町役場で岩手県世界遺産推進課の方から説明を受けた後、毛越寺(もうつうじ)や中尊寺などを視察。
役場の前では「祝・・・」の大きな垂れ幕があるのかと思ったら極めて控えめ。
街の中でも、みやげ物屋さんの入り口にはやや大きな看板があったが全体に「世界遺産」をアピールする看板は小さい。来た人は当然知ってきているということもあるが、街の景観上、規制しているとのこと。
「世界遺産」登録の経済効果を具体的数字で見込んでいたわけではないとのことだったが、年間約200万人の観光客が訪れる平泉町。さぞかし身入りは大きいと思ったが、町内の宿泊施設はわずか5軒で99%が日帰り客とのこと。しかもメインの毛越寺や中尊寺に入る時のチケットは拝観料。これでは税収につながらない。
お土産屋さんや昼食を食べるレストラン、食堂はいいとしても、地域振興という面では難しさも・・・
もっとも平泉世界遺産登録の理念の核心は浄土思想に基づく仏国土の現世での実現。
前9年、後3年の合戦を経て、戦争のない理想郷の実現を目指して、敵味方の区別無く、すべての霊をなぐさめる仏教寺院や浄土庭園がつくられた。
敵味方を問わず、というと沖縄の平和の礎を思い出すが、藤原清衡は人間だけでなく、戦で荒され、あるいは都への貢物の犠牲となったすべての動物や鳥、魚、貝も含め浄土へ導かれるよう願ったという。さらにさらに三代秀衡が完成させた毛越寺の浄土庭園は平和と自然との共生を願っている。
まさに21世紀の人類史的課題である。
今日、明日の銭勘定の話をつい意識するのは貧乏性のゆえか。
毛越寺の庭園。
案内はボランティアガイドさん。
とにかく人の入りは多い。平日なのに渋滞。
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昼食後、気仙沼経由で南三陸町へ。
以下、車窓からの風景。
地盤の沈降で海水が流れ込む南三陸町志津川地区。
南三陸町防災センターも、津波直後のまま。
戸倉小学校。体育館は今年の3月1日に落成式をしたばかり。
津波による塩害で多くの杉林が枯れている。
被災地での新たな建物は仮設のコンビニだけ。
復興計画ができないから建てようにも建てられない。
「いまだ復興の目途たたず」の被災者の怒りの声が、目の前の光景から実感できる。
震災当時の状況、そしてその後の状況を話してくれたボランティアのガイドさん。元々は観光のボランティアガイドをされていたが、いまは震災の語り部である。
凄惨な被害の状況を詳しく説明していただき参加者一同胸を打たれる。語り継ぐ大切さ、現地を見て、聞き、教訓を一つでも多く受け止める大切さを痛感する。
南三陸の宿は「ホテル観洋」。
海に面した急斜面に建つ建物の2階まで15メートルはあると思うが、津波で露天風呂や浴場のガラスなど全て破壊されたという。
震災後、避難所としてフル回転。
ホテル到着後、女将の阿部憲子さんから当時の様子を詳細に聞く。単なる体験談(それだけでも貴重だが)にとどまらず、トップにたつ人の決断の重さ、助ける人と助けられる人を結び付けられない行政へのいらだちなど、具体的な震災対応の問題点や心構えを数多く聞かせてもらう。
ホテル経営含め20の関連会社、800人の従業員を抱える女将さんならではのひと言ひと言だった。
左はしが女将さん。
被災地は時間と共に忘れ去られていくことに大きな不安を感じている、ボランティアでなくってもいい、物見遊山でもいい、とにかく大勢の人に来てもらい、見てもらうことが被災者への大きな支援になると訴える。
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