北野進の活動日記

志賀原発の廃炉に向けた取り組みや珠洲の情報、ときにはうちの庭の様子も紹介。

やっぱり無競争はよくない

2011-02-16 | 活動報告
      小泊から見た飯田湾

 数日前までの荒天がうそのように小春日和の穏やかな海。

 政治の世界もこんな風に穏やかであってほしいと願う人が多いようである。
 最近、あちこちで「市議選無投票ならいいね」という声が聞かれる。

 「こんなに不景気なのに選挙に駆り出されたらたまらん」という人。
 「選挙戦なかったら市の選挙費用少なくて済むんじゃない?財政厳しいしね」という人。
 「選挙のたびに人間関係が壊れる。もう懲り懲り」という人。

 それでも私は「選挙はやらなきゃダメですよ。無競争はよくないですよ」というが、なななか納得してもらえない。

 輪島市では市長が体を張ってでも県議戦を回避したいと言ってきた。こちら参照 

 確かに合併してまだ数年の輪島市にとって市民の融和が第一の課題だという主張自体は否定しない。
 しかし、珠洲市も原発問題が終わって市民の融和が一番の課題だった。しかし2003年以降も市長選は毎回戦われている。やって無駄な選挙などなかったと思う。
 唯一無競争になってしまったのは前回の県議選である。この4年間を振り返って、無競争のマイナス面が様々な場面で現れ、今日の珠洲の政治の混乱(と敢えて言う)を招いていると私には思えてならない。

 「市民の融和」という一見否定しがたい論理を持ち出し選挙を回避し始めたとき、では何年たったら融和を脅かさない時がくるのだろうか。
 市議選、町議選はどこにいっても大なり小なり地区対抗運動会の様相を呈してくる。地域間の対立や利権争いの選挙は低次元だが、地域の将来ビジョンを巡る政策論争でも対立は付き物である。ある意味、より根源的な対立がそこに現れる。

 「融和」を持ち出し選挙を回避し始めたら、いずれ選挙という民主主義の仕組み自体の否定につながらないかと危惧する。

 今日のような穏やかな天気は爽快だが、毎日こんな天気を望むのは無理というもの。国政のような大荒れになるとさすがに困ったものだが、少々も波風が立つようでないと世の中変わらないのでは・・・。
 
 
 

 


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