北野進の活動日記

志賀原発の廃炉に向けた取り組みや珠洲の情報、ときにはうちの庭の様子も紹介。

3月10日 東京大空襲の日

2013-03-10 | 平和
 明日は東日本大震災から2年ということで、今日も報道の多くは震災関連である。もちろん震災の記憶を風化させず、教訓化していくためにも大切なことだが、今日は東京大空襲の日でもある。

 1945年3月10日(もちろん空襲はこの日だけではないが)の一晩で、スカイツリーが建てられた下町を中心とした一帯が空襲で焼け野原となり、10万人以上の人が亡くなったのである。
 
 スカイツリーの眼下には隅田川が流れるが、当時、火傷を負って飛び込んだ人、火の海から逃れようとして飛び込んだ人などで、翌日には死体が何層にも重なって浮いていたと言われる。
 隅田川にかかった言問橋にはこの晩、東西両岸からそれぞれ火の手を逃れようと対岸に向かい、多くの人がここで行き場を失い焼け死に、あるいは隅田川に落ち、命を落としている。

 川に飛び込めず逃げ遅れた人の中には、炭化した遺体となった人もいる。あまりの火力で大気中の酸素がなくなり、燃えずに炭になったのだという。まち一面が炭の窯の中のようになったのである。想像を絶する火の海である。

 言問橋を渡ると浅草寺があるが、ここには空襲に逢った柳の木が今も現存している。

 境内には東京大空襲の被災者の慰霊碑もある。
 
 子どもたちが修学旅行でもしスカイツリーに行くことがあれば、ぜひ東京大空襲の勉強もしてきてほしいと思う。
 時間があればぜひ東京大空襲戦災資料センターというところがあるから寄ってほしいとも思う(本来は広島、長崎の原爆資料館のように東京大空襲資料館のような施設をつくるべきだと思うが石原東京都知事は拒否してきた。おそらく猪瀬知事もこの路線を踏襲するのだろう)。

 この資料館では、単に甚大な被害があったということだけではなく、なぜこんな悲劇に至ったのか、その歴史についてもしっかり学べる資料がそろっている。

 私たちは、一旦戦争になれば何でもありだと思いがちだが、たとえ戦争になってもやっていいこと(いいわけないが)、悪いことが決められている。戦闘員ではない一般の市民を巻き込んではいけないのである。
 東京大空襲はまさに爆撃による無差別殺人だが、こういう攻撃はこれが初めてではない。
 都市への無差別爆撃はナチスによるのゲルニカ空爆にはじまり、日本軍による重慶へのじゅうたん爆撃、連合国軍のドレスデン爆撃、そして米軍による東京大空襲、さらに広島、長崎の原爆投下へと続いていく。
 市民を巻き込んだ爆撃はアフガン戦争、イラク戦争でも繰り返されているが、誤爆の一言である。

 東京大空襲では犠牲者の名簿すら作られていない。手厚い軍人恩給はあっても、かろうじて生き残った被災者への補償は一銭もない(空襲の被災者の補償を求める裁判は各地でおこされている)。

 集団的自衛権や国防軍の創設など、勇ましいことが大好きな安倍総理だが、まずは過去の戦争にしっかり向き合ってもらわなければならない。そのためにも私たちは8月6日、9日だけでなく3月10日も忘れてはならないと思う。
 

 
 
 


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