北陸中日新聞(5月8日)
朝日新聞(5月8日)
朝日新聞(5月8日)
梶市長の受入方針の表明から約1年半に及んだ輪島市の震災がれき問題。
試験焼却約6.9トンで受入完了ということで終わりをむかえた。
と言っても美谷の皆さん含めて運動の勝利という高揚感はおそらく反対していた誰にもないのではないか。
ようやく決着したという意味で「ホッとした」というのは正直なところだが、ホッとしてにっこり、というのではなく、やれやれ本格焼却なしで終わってほっとした、それにしてもこの1年半のがれき騒動はいったいなんだったんだという徒労感、空しさも微妙に入り混じったような気分ではないか。
「不要」という大見出しに端的に示されるように、輪島市が手を受け入れしなくても今年中の木くず、可燃物の処理は終わる。美谷はじめ周辺地区の人たちを地域差別的に苦しめ、市民の対立を招いただけ。非常に非生産的な議論だったように思う。
この間「能登半島地震の恩返し」を繰り返す梶市長の一人相撲だと指摘もしてきたが、市長の思慮の浅さ、目的のためには手段を選ばぬ怖ろしい政治手法だけが浮彫りになったと言える。
昨年2月、「石川の里山里海、子どもたちの未来を放射能から守る会」を立ち上げたとき、私たちは市長の被災地支援の強い思いは共感すると述べた。はじめに震災がれき受入ではなく、みんなの思いが一致する被災地支援を入り口として、輪島、あるいは能登でどんな支援が可能か広く市民とともに具体策を相談するところに立ち戻り、そこから話を始めてほしいというメッセージだったが全く通じなかった。そうすれば、市民の被災地支援の思いや行動を結集することができ、建設的な流れが生まれたのではないか。残念でならない。
輪島市が全国的にも早い時期に手を上げ、広域処理の流れをつくったからこそ処理は進んだんだという強弁も聞かれる。しかし、それは発表のたびに減少してきたがれきの推計量をみれば全く根拠のない話だし、むしろ現地での雇用確保や緑の堤防構想など様々な工夫をこらした現地処理策の足を引っ張ることにもなった。放射能の全国拡散という民主党政権の愚策の流れを加速させたという意味でも輪島市の対応は非常に罪深いものだった。
そして、このような輪島市の暴走を支えたのが谷本知事だった。新潟県知事や札幌市長のように震災がれきの広域処理という政策の是非を真正面から検討することなく、「受け入れを表明した市長はえらい。市長の思いは理解できる」と梶市長の後ろ盾として受入の取り組みを支えてきた責任は重い。
加えて言うなら、梶市長の思いは受け止めても、漁業や観光で生計を立てている人たちの反対する思い、さらには現地美谷町の人たちの反対する思いも理解できるという一言がどこかにあっただろうか。多選を重ね、県民1人ひとりの声を聞こうとせず、国会議員や県会議員、首長の声を聞いて県民の思いを受け止めた気分になってはいないか。
あと一点、受入の決議をあげた輪島市議会は環境省の「不要」との通知をどのように受け止めたのだろうか。市長のコメントは報道されているが、議会の声も聞きたいものだ。
高揚感はないが、「裏取引・だまし討ち・恫喝」の政治手法を質すには、これが肝心。
新聞・テレビ報道、このプログ等の情報発信で
思考停止しがちな市民・住民を、目覚めさせたことは、間違いない。
恫喝に屈せず高齢者一人ひとりの「俺にも言わせろ、市長は間違っている」の声に、原動力を感じる。
高齢者一人ひとりの想像力の発揮が能登の難題解決策のモデルに成りうる予感。
輪島市長や輪島市議会のこれまでの唯一の論拠は何か
彼らの行動にどれだけの正当性があったのか、頭数だけそろえてすぐに結論を出す、少数地元民に犠牲を迫る、筋目を間違えた意思決定のプロセス、彼らから反省を込めたメッセージは聞こえてこない。支援は、やはいりウソだったのか。
今までくすぶっていたことが露出した。
市民の代表である市議会が震災がれき受け入れに賛成を決議。また、区長会も区民の声とは裏腹に受け入れに賛成。JFいしかわ輪島支所も漁民の反対の声もなんのその受け入れ容認を表明するなどものの見事に輪島市の権力主義が暴走している様が露呈した。
環境省の発表で市議会や区長会、JFいしかわ輪島支所の対応が問われることは当然だと思う。
輪島市民の事なかれ主義が権力者の暴走に拍車をかけている。
この暴走は輪島市民にも責任がある。
今こそ、市民が議会や区長会、jFいしかわ輪島支所に責任を問うべきだ。
これを実現しなければ輪島市の権力者の暴走は繰り返されるばかりで止まらない。