傍聴に来ていただいた皆さん、ケーブルテレビをご覧いただいた皆さん、早口ですいません。
以下、質問原稿です。
東日本大震災をうけて、我が国全体、そして日本人の考え方も生き方もが大きく変わらざるを得ない」
今議会冒頭の提案説明で市長は述べられました。私も同感です。大きな歴史の転換期にあって、珠洲市も的確に変革を遂げられるよう、私も今後4年間、しっかり議論していきたいと思います。
さて、今回の災害は「見える恐怖」「見えない恐怖」いう対比の中でしばしば語られます。言うまでもなく見える恐怖は津波、そして見えない恐怖は放射能です。市役所があって、行政区域があって、そこに暮らす市民がいる。そんな当たり前の自治体の姿が津波や原発震災で一変しました。
津波は多くの命や街並みを飲み込んだだけでなく、安全なはずの公共施設も直撃しました。大槌町など4市町は庁舎が壊滅、行政機能がまひした自治体が相次ぎました。
福島県では8つの自治体が役場機能を移転し、多くの住民が県内外へ避難、移住しています。
福島第一原発1号機の爆発時の状況について、現地・双葉町の井戸川克隆町長のインタビュー記事がありました。
「既に全町民に防災無線で避難を呼びかけ、町民の過半数は自家用車で逃げ始めた。車のない人などもおり、バスやヘリコプターなども動員した。目指すは北西に30キロ以上離れた川俣町だ。」
町長が陣頭指揮を執った避難行動のいずれもが、実は原子力防災計画では全くの規定されていないものでした。
法令や条例、あらゆる行政の計画にも想定されていなかった事態に突然遭遇し、国の支援も満足に届かない中、多くの首長が住民を守るため、奮闘しています。
市長は災害時には災害対策本部長として、先頭に立って市民の安全を守るべき立場にあるわけですが、今回の災害をどのように受け止め、何を教訓とされたか、まずお聞きをしたいと思います。
具体的な防災対策について3点お聞きします。
津波ハザードマップの改定費用がさっそく補正予算に盛り込まれました。一方で、県は新たな津波ハザードマップの作成に向けて能登半島東方沖の震源域の再調査をする方針を示しています。現在の防災計画ではマグニチュード7.8の地震が想定されている地点であり、最新の知見と技術を駆使した再調査は当然です。
しかしこの地点の調査だけで十分とは思えません。
珠洲市の外浦沖には、マグニチュード7.9の地震が想定される珠洲岬沖断層帯、そしてその西側にはマグニチュード7.7の地震が想定される猿山岬北方沖断層帯が存在することが、2008年の北陸電力による調査で明らかにされています。
現在の防災計画では、この地点の地震はマグニチュード7.0としか評価されておらず、見直しが必要です。珠洲市はじめ奥能登地域にとって大いに警戒が必要な断層帯であり、これらの調査も、是非県に求めるべきではないでしょうか。
平成28年度の移転・新築が予定される珠洲消防署庁舎については、市民や防災関係者の間に早期移転を求める声があります。防災無線のデジタル化への対応のため、移転計画の前倒しが無理ならば、次善の策を考えておかなければなりません。移転までの間に巨大津波の警報が発令された場合は、最低限の消防署機能を速やかに市役所に移転し、対策本部と一体となった体制へ移行できるようにすべきと思いますがいかがでしょうか。
本日の議会では地震対策関連の質問が相次いでいます。まさに市民の不安の表れです。
6月2日の防災会議ではさっそく避難所の見直しなどが行われましたが、今後も防災計画の周知や防災訓練の実施、さらに県の地域防災計画の見直しに合わせた防災計画の見直しなど多くの課題があるかと思います。危機管理室の体制強化が必要ではないかと思いますがいかがでしょうか。
次に福島第一原発の原発震災を踏まえて、志賀原発への対応をお聞きします。
志賀原発から珠洲市役所まで約60キロ。福島第一原発から60キロの距離には福島市や郡山市などがあり、場所によってはチェルノブイリ原発事故での強制移住区域に匹敵する放射能が検出されています。
4月時点での福島県内の小中学校の放射線モニタリングの結果が公表されました。福島市などを含む県北の学校の99%で放射線管理区域の基準を超える値が測定されています。放射線管理区域というのは、一般人は立ち入り禁止、18歳未満は働くことも禁止されます。本来ならば集団移転、せめて子どもたちだけでも集団疎開させるべき数値です。
市長は志賀原発からこの距離は避難区域に指定されていないと述べられましたが、政府が指定していないだけ、安全という意味では全くありません。
テレビに映る福島市の子どもたちの通学姿は、長袖、長ズボン、帽子にマスク。県外への「区域外就学」をした小中学生は5月27日までに206人とのこと。少しでも放射線の影響を減らそうと保護者はあらゆる対策を立てています。
こうした光景は、珠洲に暮らす私たちにとっても決して他人事ではありません。
「志賀原発に万が一の大事故があったら、わしらどこに逃げりゃいいんや」
かつての原発推進・反対に関係なく、こうした声が市内あちこちで聞かれます。防災計画の見直しは当然のこと。しかし、防災計画はあくまで被曝を低減させる計画でしかありません。事故を起こすような原発を稼動させてはなりません。
原発は基本的には国の一元的管理の下に置かれ、政府は停止中の原発の再稼動に躍起になっています。しかし、原発震災がいまだ収束を見ず、安全指針の見直しどころか、事故原因の究明さえなされていない段階であり、何をか言わんやです。
一方、自治体には住民のいのちと暮らしを守る責務があります。志賀原発をめぐっては「志賀原子力発電所周辺の安全確保及び環境保全に関する協定書」いわゆる安全協定が石川県及び志賀町と北陸電力の間で交わされ、異常時の運転停止要請や再稼動時の協議などが規定されています。
原発震災の惨状をみたとき、住民の安全を国や県、立地町だけに委ねるわけにはいかないという考えの下、安全協定締結を求める動きは全国的に拡大しています。志賀原発をめぐっても七尾市や羽咋市、さらには富山県など多くの自治体が現状の安全協定に対し異議申し立ての声を上げ、昨日の金沢市議会では山野金沢市長が市長会での検討を表明しました。
そこで市長にお聞きします。
珠洲市民はじめ奥能登住民の安全・安心を考慮することなく志賀原発が再稼動することはあってはなりません。奥能登2市2町が連携し北陸電力との間で安全協定を締結し、再稼動の拒否権を珠洲市も持つべきだと思います。見解をお聞きします。
世界重要農業遺産システム=GIAHSについては次の質問で取り上げますが、一点、原発関連でお聞きします。
今回のGIAHS登録認定、能登にとって喜ばしい限りですが、一方で、先人から受け継がれてきた里山里海を、今後も持続的に利用していく大きな責任を負ったことを忘れてなりません。
先週は小笠原諸島が世界自然遺産に、平泉が世界文化遺産に相次いで登録されました。GIAHSとは違いがあるとはいえ、小笠原諸島の人々がその貴重な自然を維持するためにいかに繊細かつ地道な努力を積み重ねてきたか、正直言って驚嘆するものがあります。
仮に大事故が起これば能登の里山里海は終わりを告げます。里山里海との共生できない志賀原発、やはり私たちは許すわけにはいかないのではないでしょうか。
珠洲市では過去の経緯から、原発問題については依然ナーバスな住民感情があることは私も十二分に承知をしていますが、原発震災から100日あまり、原発に対する国民の視線、そして市民の視線は急激に変化しています。未来を見据えた市長の答弁を期待します。
さて、里山里海の創生とGIAHS登録認定について以下3点お聞きします。
里山里海自然学校が開校し、まもなく5周年を迎えます。翌年には里山マイスター養成プログラムもスタートしました。金沢大学の進出に地元住民が応え、県や企業を巻き込んでの動きへと拡大し、さらにNPOもそれぞれの立場から様々な活動を展開するなかで、GIAHS登録にも至りました。
この間、珠洲市も地元自治体として、旧小泊小学校を補修のうえ金沢大学へ無償貸与し、里山マイスターでは、受講生募集の広報、職員のプログラムへの派遣、さらにIターンや教員スタッフの定住ケアにあたるなど、きめ細かな支援をおこなってきました。
一方、この里山里海の動きは、金沢大学の取り組み自体、中村浩二教授自ら言われるように大学らしからぬやり方でスタートし、様々な組織が相互に連携しながら多様な活動を展開しています。いろんな動きがあるけど、誰が、どこで、何をやっているのか全体像がよくわからない。従来の行政の先入観に縛られれば、そんな印象も受けます。
そこが画期的でもあるわけですが、GIAHS登録という節目でもあり、里山里海の取り組みの中で珠洲市が担うべき役割はなんなのか、今一度整理し、市民に明らかにしていただきたいと思います。
私は、新たに能登キャンパス構想もスタートする中、珠洲市としてもより主体的な取り組みをすべき段階に入ったのではないかと思います。県は今春の組織改正で里山創生室を設けました。本市も企画財政課のなかに自然共生係を新設されましたが、能登にあって里山里海の取り組みを牽引する珠洲市としてはもっと踏み込んだ対応があるものと思っていました。
里山里海の次なるステージに向けて、市民に対して総合的な里山里海ビジョンを提示すると同時に、この間の活動を引っ張ってきた企画財政課を中心としつつも、全庁横断的組織を設けて取り組みを展開していくべきと思いますがいかがでしょうか。
GIAHSについてですが、世界文化遺産、自然遺産と比べて、市民も含め国内での認知度が低いことは否めません。加えて、登録に至るプロセスにも唐突感がありました。「何年待ったことやら・・・」という世界文化遺産・平泉の方のコメントがなおさら印象的でした。
能登に残る様々な農業遺産の価値を広く住民が認識し、これを引き継ぐ取り組みを官民一体となって展開する中で獲得した、というGIAHSではありません。むしろ、能登に住む私たちが気づかなかった能登の価値をFAOから指摘されたというのが今回のGIAHS登録認定ではなかったでしょうか。これからの取り組みこそが問われています。
私を含め、そもそもGIAHSの意味自体よくわからないという住民が多いのではないでしょうか。「GIAHSという大きなプレミアが与えられた」という市長のコメントを読んで、「ざいごの爺、婆にはなんのこっちゃらなおわからん」というのが率直な市民の声のように思います。
ちなみに市長はプレミアをどのような意味で使われたのでしょうか。辞書を繰りますと「他に先行して」とあります。まさに市長が好んで使われる先駆けという意味でしょうか。最高ランクという意味合いでの「一番」という意味もあるようです。日本ではじめての認定ということでもあり、理解できなくもありません。
しかしGIAHSの意味するところ、他と比べて前や後ろ、1番か2番かというよりも、効率最優先の競争社会、自然をコントロールするという思想をベースにした近代資本主義社会にあって、能登にはまさに人類が失ってはならない世界史的、文明史的な意味でのかけがえのない価値が潜んでいるということではないでしょうか。
そこはこれから私も勉強させてもらいたいと思いますが、いずれにしましても、活用の機運を一気に盛り上げることも大切ですが、取り組みが上滑りにならないよう、GIAHSの意味と登録認定の意義、これらを遺産に直接携わる住民だけでなく行政や議会、市民も含めて、より深く理解していくことがGIASHを生かした地域づくりを進める上でなにより大切なのではないかと思いますがいかがでしょうか。
関連してきのうら荘改築問題についてもお聞きします。
この問題については先の3月議会でも多くの議論がなされました。大筋、質問された先輩議員の方々の主張の方が市長答弁より説得力があるように思えました。何をつくるか以前に政策決定過程の透明化が問われています。
昨年2月のきのうら荘休館以降の議事録に目を通して気になったのは、市長や副市長の答弁の文末です。
「再整備について最終的に判断を下したい」「体験型宿泊施設として新たに整備することとしました」「必要だと判断しています」等々、市長が決めるんだ、市長が決めました、という趣旨の表現がいくつも出てきます。
この答弁は間違いではないでしょうか。建替えの是非や指定管理者の指定について最終的判断を下すのはあくまで議会です。そして、その前提として市民への情報提供と市民の理解が必要なことは言うまでもありません。一つひとつの議論の積み重ねのなさがこんなところにも現れているように思えてなりません。議論をもっとオープンにするべきだと思いますがいかがでしょうか。
改築について市役所内部での検討と同時に地域住民や関係機関とも協議を重ねてきたとのことです。そこで、この間、地元の方々が理事として名前を連ね、国民宿舎きのうら荘の指定管理者として経営にあたってきた財団法人木ノ浦健民休暇村協会についてもお聞きをしたいと思います。
本議会に提出された法人の経営状況の報告を見ますと、昨年11月末で解散手続きに入っているようですが、珠洲市が出捐した基本財産1000万円はきのうら荘への長期貸付となっており、そのきのうら荘の資産はほぼなくなっていることが明らかになっています。この間の経緯をどのように把握しておられるのか説明をいただきたいと思います。
さて、きのうら荘の改築に話を戻します。
市長は3月議会で「自然との共生を目指す珠洲市の象徴的な体験型宿泊施設」にしたいと述べておられます。私は大賛成です。
しかし、「自然との共生」を謳う一方で、冬期間閉鎖とは私はまったく理解できません。「冬は自然と共生できない珠洲市」の象徴になるような施設ならば私はつくるべきではないと思います。
里山の恩恵は春の山菜から秋のキノコで終わるわけではありません。切り出した雑木でつくった薪を燃やすのはまさに冬。海面から吹き上げてくるような吹雪の中、薪ストーブで暖をとり、薪風呂にも入ってもらえばどうでしょう。もちろん自分で沸かしてもらいます。炭も夏のバーベキューだけでなく、冬の囲炉裏でこそ魅力が味わえます。地酒や食材は自前で調達すること。磯釣りの魚を自分で料理してもらってもいい。朝晩、はさ干しのコシヒカリのご飯と味噌汁、漬物だけは用意します。あんなこんなでランニングコストは極力減らした戸建ての体験型ケビンはどうでしょうか。
一案を述べましたが、ぜひ冬期の厳しい自然との共生も含めて体験できる施設こそ追求していただきたいと思います。いかがでしょうか。
市長は木ノ浦地区について「珠洲市の里山里海が凝縮した魅力あるエリア」と高く評価しておられます。ならばなおさらのこと、地元住民との協議だけでなくGIAHSの認定を受けての木ノ浦地区の役割、あるいは能登キャンパス構想の中での役割なども踏まえて、新たな施設の構想を広く論議し、その内容を市民に明らかにするべきではないでしょうか。
次に、先の行財政改革大綱に続く新たな計画として公表された珠洲市行財政改革推進プランに関連して以下、お聞きします。
住民の生活圏の拡大、地方分権の進展、多様化する住民ニーズ、厳しさを増す財政状況、これらは平成の大合併促進の理由でした。珠洲市は合併の道を選択しませんでした。それも一つの道ですが、広域行政の必要性はますます拡大しているように思います。
奥能登2市2町による里山里海の取り組み、GIAHSは4市4町の枠組みです。2013年4月の能登有料道路の無料化、2014年度の北陸新幹線開業を控え、奥能登一体となった観光振興や二次交通のさらなる整備も必要です。第5次珠洲市総合計画でも「広域的な行政事務のさらなる推進」が掲げられています。
行財政改革推進プランには全く触れられていませんが、住民サービスの向上、行政の効率化という行財政改革の目的からしても、奥能登2市2町の連携強化、奥能登広域圏事務組合の機能強化、県や県奥能登総合事務所との連携強化など広域行政の推進はますます重要な課題ではないでしょうか。
次に職員削減に関して一点お聞きします。
平成17年度から21年度までの職員数の削減は当初目標の80人を上回り91人となりました。5年間で約4分の1という急激な削減です。単純計算で職員一人当たりの仕事の量は33%増加となります。それでもサービスレベルは落とさず、迅速な対応もできているとのことでした。
確かに、ここ数ヶ月の私の印象で言えば、10年前と比較するなら、むしろ職員一人ひとり対応は素早く、またしっかりとされているように思います。
ただ、これだけ職員数が減少したわけですから、皆さん日々の業務に忙殺されているように思えます。長期的な視点、あるいは広域的な視点での企画を練るゆとりがないのではないか、例えここ数年はマイナスの影響が出ることがなくとも、後々の行政レベルの低下をきたさないかと危惧しますが、市長の所見をお聞きしておきたいと思います。
あと一点、職員の人材育成および奥能登の広域行政の推進という観点から提案をさせていただきたいと思います。
行革プランでの記載はともかく、広域行政推進の必要性はどなたも感じておられると思います。知事や国会議員の皆さんも「能登は一つ」と口にします。しかし、ここは総論賛成各論反対の典型的な分野でもあります。首長や議員はそれぞれ有権者の思いを背負っていますので、安易な妥協はできません。残念ながら広域的な課題には足並みの乱れが付き物です。
しかし、ここで仕方がないと済ませてしまっては地域の総合力はいつまでたっても発揮できません。いわゆるウィンウィンの関係をどう築くかが肝要だろうと思います。まさに市長や議員の力量が問われる分野ではありますが、私は「能登は一つ」という視点から仕事ができる職員を多く育てていくことも大事な課題ではないかと思います。
そこで、広域的な課題を抱える2市2町間の職員の相互派遣を他市町に提案してはと思いますが、市長いかがでしょうか。
次に教育問題についてお聞きします。
東日本大震災では多くの子どもたちが犠牲になり、福島では放射能の恐怖の中での学校生活です。一方、避難所では率先してお年寄りに食事を運んだり、掃除をしたりするなど、助け合い、支えあい懸命に生きる子どもたちの姿が見られました。
まず教育長に今回の震災に対する思いと、珠洲の教育への教訓として考えることがありましたらお聞きをしたいと思います。
さて、昨今の学校教育を取り巻く環境は、ゆとり教育からの揺り戻しというのでしょうか、生きる力を育むとか、豊かな人間形成といった言葉は聞かれなくなり、1に学力、2に学力、3、4がなくて5に学力。文科省あげての点数学力偏重主義がますます加速しているように思えてなりません。
かつて国で地方分権推進計画の取りまとめを担い、その後、石川県庁に出向されていた方から聞いた話ですが、分権の議論に最も抵抗するのは文部省とのことでした。そもそも戦時中の教育の国家統制に対する反省から設置されたのが教育委員会であり、その後、制度をめぐっては幾多の変遷がありますが、教育行政の地方分権、民主化、中立性の確保という理念はいささかも変わってはいけないものだと思っています。
教育長には、視線を文科省や県教委に向けるのではなく学校現場をしっかり見据え、あくまで子どもたちに豊かな学びを保障するという大原則を踏まえての施策の展開をお願いし、以下、質問させていただきます。
まず、学力、学力のひとつの象徴でもあります全国学力・学習状況調査、いわゆる全国学力テストについてお聞きします。2011年度の全国学力テストは東日本大震災の影響から中止となりました。しかし、今後、試験用紙は各学校に配布され、2学期に入ってから独自に実施するやに仄聞をしています。
そもそも全国学力テストを実施する一番の目的に掲げられているのは全国的な児童生徒の学力や学習状況を把握・分析し、教育施策の成果と課題を検証し、改善を図ることとされています。全国的な調査ができず、しかも約半年後となる次年度にはまた全国学力テストが予定される中、なぜ実施しなければならないのかわかりません。
今回の独自の実施について、学校間の序列化には使うべきではないと考えますが、採点後、どのように活用する考えかお聞きをしておきたいと思います。
次に、教職員の超多忙化についてです。
かねてから学校現場の多忙化が指摘されていましたが、近年は多忙化どころか超多忙化と言わざるをえない深刻な状況が見られます。休日出勤や早朝の出勤、そして夜は9時、10時まで灯りがついている学校もあります。加えて近年の広域移動で通勤時間に1時間近くを要する教員も少なくなく、教育労働者としての基本的な労働条件が大きく侵害されているように思えます。
そしてなにより問題なのは、こうした超多忙化が子どもたちとの触れ合いに起因するのならまだしも、書類の作成や会議がその主たる原因となっていることです。教育行政のあり方が結果的に子どもたちの学習環境を侵害しているとも言えます。
3月末、ようやく県教委の下にある学校マネジメント支援会議が「子どもと向き合う時間の充実を図るために」という多忙化対策を示しました。ところが、立派なのはタイトルだけで、調査・報告・会議の削減は掲げつつも具体的に何を減らすのか明らかにせず、多忙化の原因分析はなされておらず、原因を現場教職員の「自覚」と「自己責任」に押し付けるだけのお粗末なものでした。県教委の自覚と責任こそが問われています。
教育長は市内の学校現場の多忙化の実態についてどのように認識しておられるのか、まずお聞きしたいと思います。
超多忙化を一気に解消することは困難でも、一つひとつ着実に改善に向けて歩みだしていただきたいと思います。現実問題として私ども職員室の中の様子まではわからないわけでして、まず何より関係者が膝を突き合わせ協議することが必要だろうと思います。市教委、管理職、現場教職員などをメンバーとする協議の場を設け、具体的対策を検討、実施していくべきだと思いますがいかがでしょうか。
次に図書館整備についてお聞きします。
昨年6月の定例会で市長は図書館の整備に言及されました。その後、9月議会では寺井議員の質問に答え、児童館との併設、過疎法の期限の平成27年度末までの整備を目指したいという考えも示されました。財源問題もこれあり、慎重な対応はわかりますが、新年度に入っての動きが見られませんのであえてお聞きをしたいと思います。
私も図書館の整備には大いに期待をしている一人です。
現在の中央図書館が整備をされたのが昭和49年9月。翌年飯田高校に入学した私は、当時何回となく利用させてもらいました。その後、大学図書館、そして県立図書館しか知りませんでしたが、加賀市立図書館、そして山中町立図書館が新たに整備された頃、携わった職員から視察に誘われました。自治体でこんな図書館がつくれるものかとある意味カルチャーショックを受けました。
さらにその後、図書館建設を求める市民運動の高まりの中でつくられた佐賀県伊万里市の図書館を、その運動の中心にいた方に案内していただく機会に恵まれました。どんな図書館にするのかというコンセプトにはじまり、立地の選定、建物の設計、内部の間取りや内装、書架のレイアウト、蔵書計画、そして図書館職員の配置や市民参加の運営に至るまで、まさに隅々まで、ここは市民の声がこんなふうに生かされていますという説明を聞き、ただただ感嘆するばかりでした。開館後の市民の利用率や評価が高いことはいうまでもありません。
図書館に限らず、ある意味あらゆる公共事業の理想かとも思いましたが、特に図書館整備は市民参加と首長の図書館に対する理念が成功の大きな鍵ではないかと私は思っています。
平成27年度末まで、ただ建物を建てるだけなら時間は十分あります。しかし、図書館整備は図書館というシステムをつくるということでもあります。間違ってもハコモノ行政と指摘されるようなことがないよう、十分な時間をかけて、利用者や職員はじめ多くの市民の参加、市民協同の中で図書館の基本理念やコンセプトをまとめ、建設基本計画を作成していただきたいと思いますが、教育長、いかがでしょうか。
市長にもお聞きします。新しい図書館ができて、まちが変わり、市民の暮らしの質も変わったと後々評価されるくらいの図書館を目指してほしいと思いますが、新図書館に寄せる市長の思いをお聞きします。
質問の最後は、市長の政治姿勢についてです。
今春の統一自治体選挙、東日本大震災の発生と原発震災という状況下、全国的に防災体制の充実や原子力政策をめぐる議論が活発に展開されました。
しかし、3.11まで争点は違うところにありました。国政では民主党政権が行き詰まり、さりとて自民党の復権を望む声も高まらず、閉塞感が漂う中、地方から新たな政治変革の流れを作ろうと、ローカル政党の動きが各地で現れました。代表的なものは名古屋市の河村新党、大阪府の橋本新党。その前には阿久根市の市長と議会の対立もありました。
現在の地方自治法では、市長も議会もそれぞれ市民から直接選ばれます。いわゆる二元代表制の中で、両者の対立をどう解決するか、自治のかたちが問われました。
結果的に勝利を収めたのは大阪の橋本新党「大阪維新の会」だけでしたが、橋本知事の方針を強力に推し進める議会が誕生し、さっそく議員定数の大幅削減と、いわゆる「日の丸・君が代強制条例」が賛否割れる中で強行採決されました。
こうした動きの一方で、全国各地ではここ数年、議会基本条例の制定を柱にした議会改革が着実に浸透しています。根底にあるのは首長と議会の二元代表制の確立です。
さて、市長は今春の統一自治体選挙にあたり精力的に動かれたように漏れ聞こえてきましたが、地方自治のあり方についてどのような理念の下で行動されたのでしょうか。
まず、市長と市議会の関係についてどうあるべきと考えておられるかお聞きをします。
もう一つは地元選出県議との関係についてです。
県議選をめぐる市長の動き、市民から様々な反響があったようですが、その是非をここで問うつもりはありません。
私が気になるのは、実は一自治体に一人の県議という選挙区のあり方です。このような選挙区は県内に5つありますが、私にはあまりいい選挙制度だとは思いません。と言いますのは、小選挙区で、市長と同じ選ばれ方になるからです。そのため、市長とがっちり二人三脚の活動をするか、あるいはかつての政敵と組んで政治的棲み分けを図るという構図がよそでは見られます。一旦両者の関係がこじれれば、地域の中で最大の政治的ライバルともなります。
今回の県議選は、このような選挙制度の問題点を抱えた中、市長と県議の関係、そして県議の役割が問われました。平蔵豊志県議は珠洲市と県政のパイプ役を果たすと大きく主張されたやに聞いています。選挙戦ですから相手候補との違いを明確にするという意味で理解はできます。ただし、議席を得たからには珠洲市の県会議員ではなく石川県の県会議員です。県政における奥能登の政治力低下が著しい中、能登の浮上に向けて活躍してもらわなければなりません。足並みを揃えることは大切ですが、二人三脚で脚まで縛りあってもいかがと思います。脚の長さも身長も違います。
そこで最後に、市長と地元選出県議の関係はどうあるべきと考えておられるかお聞きをして、私の質問を終わらせていただきます。
ご清聴ありがとうございました。
(質問原稿おわり)
これだけ削れば何とかなると思ってました。昔は1分あたりの字数でいうともっとたくさんしゃべってたこともあったので。
読むペースが最初はちょっと余裕持ちすぎたか・・・
いや、そもそも内容欲張りすぎたか。
反省です。
質問時間、29分55秒だったとか。
あと5秒で議長に後ろから頭をたたかれるところでした(冗談)。
答弁についてのコメントは後日。
以下、質問原稿です。
東日本大震災をうけて、我が国全体、そして日本人の考え方も生き方もが大きく変わらざるを得ない」
今議会冒頭の提案説明で市長は述べられました。私も同感です。大きな歴史の転換期にあって、珠洲市も的確に変革を遂げられるよう、私も今後4年間、しっかり議論していきたいと思います。
さて、今回の災害は「見える恐怖」「見えない恐怖」いう対比の中でしばしば語られます。言うまでもなく見える恐怖は津波、そして見えない恐怖は放射能です。市役所があって、行政区域があって、そこに暮らす市民がいる。そんな当たり前の自治体の姿が津波や原発震災で一変しました。
津波は多くの命や街並みを飲み込んだだけでなく、安全なはずの公共施設も直撃しました。大槌町など4市町は庁舎が壊滅、行政機能がまひした自治体が相次ぎました。
福島県では8つの自治体が役場機能を移転し、多くの住民が県内外へ避難、移住しています。
福島第一原発1号機の爆発時の状況について、現地・双葉町の井戸川克隆町長のインタビュー記事がありました。
「既に全町民に防災無線で避難を呼びかけ、町民の過半数は自家用車で逃げ始めた。車のない人などもおり、バスやヘリコプターなども動員した。目指すは北西に30キロ以上離れた川俣町だ。」
町長が陣頭指揮を執った避難行動のいずれもが、実は原子力防災計画では全くの規定されていないものでした。
法令や条例、あらゆる行政の計画にも想定されていなかった事態に突然遭遇し、国の支援も満足に届かない中、多くの首長が住民を守るため、奮闘しています。
市長は災害時には災害対策本部長として、先頭に立って市民の安全を守るべき立場にあるわけですが、今回の災害をどのように受け止め、何を教訓とされたか、まずお聞きをしたいと思います。
具体的な防災対策について3点お聞きします。
津波ハザードマップの改定費用がさっそく補正予算に盛り込まれました。一方で、県は新たな津波ハザードマップの作成に向けて能登半島東方沖の震源域の再調査をする方針を示しています。現在の防災計画ではマグニチュード7.8の地震が想定されている地点であり、最新の知見と技術を駆使した再調査は当然です。
しかしこの地点の調査だけで十分とは思えません。
珠洲市の外浦沖には、マグニチュード7.9の地震が想定される珠洲岬沖断層帯、そしてその西側にはマグニチュード7.7の地震が想定される猿山岬北方沖断層帯が存在することが、2008年の北陸電力による調査で明らかにされています。
現在の防災計画では、この地点の地震はマグニチュード7.0としか評価されておらず、見直しが必要です。珠洲市はじめ奥能登地域にとって大いに警戒が必要な断層帯であり、これらの調査も、是非県に求めるべきではないでしょうか。
平成28年度の移転・新築が予定される珠洲消防署庁舎については、市民や防災関係者の間に早期移転を求める声があります。防災無線のデジタル化への対応のため、移転計画の前倒しが無理ならば、次善の策を考えておかなければなりません。移転までの間に巨大津波の警報が発令された場合は、最低限の消防署機能を速やかに市役所に移転し、対策本部と一体となった体制へ移行できるようにすべきと思いますがいかがでしょうか。
本日の議会では地震対策関連の質問が相次いでいます。まさに市民の不安の表れです。
6月2日の防災会議ではさっそく避難所の見直しなどが行われましたが、今後も防災計画の周知や防災訓練の実施、さらに県の地域防災計画の見直しに合わせた防災計画の見直しなど多くの課題があるかと思います。危機管理室の体制強化が必要ではないかと思いますがいかがでしょうか。
次に福島第一原発の原発震災を踏まえて、志賀原発への対応をお聞きします。
志賀原発から珠洲市役所まで約60キロ。福島第一原発から60キロの距離には福島市や郡山市などがあり、場所によってはチェルノブイリ原発事故での強制移住区域に匹敵する放射能が検出されています。
4月時点での福島県内の小中学校の放射線モニタリングの結果が公表されました。福島市などを含む県北の学校の99%で放射線管理区域の基準を超える値が測定されています。放射線管理区域というのは、一般人は立ち入り禁止、18歳未満は働くことも禁止されます。本来ならば集団移転、せめて子どもたちだけでも集団疎開させるべき数値です。
市長は志賀原発からこの距離は避難区域に指定されていないと述べられましたが、政府が指定していないだけ、安全という意味では全くありません。
テレビに映る福島市の子どもたちの通学姿は、長袖、長ズボン、帽子にマスク。県外への「区域外就学」をした小中学生は5月27日までに206人とのこと。少しでも放射線の影響を減らそうと保護者はあらゆる対策を立てています。
こうした光景は、珠洲に暮らす私たちにとっても決して他人事ではありません。
「志賀原発に万が一の大事故があったら、わしらどこに逃げりゃいいんや」
かつての原発推進・反対に関係なく、こうした声が市内あちこちで聞かれます。防災計画の見直しは当然のこと。しかし、防災計画はあくまで被曝を低減させる計画でしかありません。事故を起こすような原発を稼動させてはなりません。
原発は基本的には国の一元的管理の下に置かれ、政府は停止中の原発の再稼動に躍起になっています。しかし、原発震災がいまだ収束を見ず、安全指針の見直しどころか、事故原因の究明さえなされていない段階であり、何をか言わんやです。
一方、自治体には住民のいのちと暮らしを守る責務があります。志賀原発をめぐっては「志賀原子力発電所周辺の安全確保及び環境保全に関する協定書」いわゆる安全協定が石川県及び志賀町と北陸電力の間で交わされ、異常時の運転停止要請や再稼動時の協議などが規定されています。
原発震災の惨状をみたとき、住民の安全を国や県、立地町だけに委ねるわけにはいかないという考えの下、安全協定締結を求める動きは全国的に拡大しています。志賀原発をめぐっても七尾市や羽咋市、さらには富山県など多くの自治体が現状の安全協定に対し異議申し立ての声を上げ、昨日の金沢市議会では山野金沢市長が市長会での検討を表明しました。
そこで市長にお聞きします。
珠洲市民はじめ奥能登住民の安全・安心を考慮することなく志賀原発が再稼動することはあってはなりません。奥能登2市2町が連携し北陸電力との間で安全協定を締結し、再稼動の拒否権を珠洲市も持つべきだと思います。見解をお聞きします。
世界重要農業遺産システム=GIAHSについては次の質問で取り上げますが、一点、原発関連でお聞きします。
今回のGIAHS登録認定、能登にとって喜ばしい限りですが、一方で、先人から受け継がれてきた里山里海を、今後も持続的に利用していく大きな責任を負ったことを忘れてなりません。
先週は小笠原諸島が世界自然遺産に、平泉が世界文化遺産に相次いで登録されました。GIAHSとは違いがあるとはいえ、小笠原諸島の人々がその貴重な自然を維持するためにいかに繊細かつ地道な努力を積み重ねてきたか、正直言って驚嘆するものがあります。
仮に大事故が起これば能登の里山里海は終わりを告げます。里山里海との共生できない志賀原発、やはり私たちは許すわけにはいかないのではないでしょうか。
珠洲市では過去の経緯から、原発問題については依然ナーバスな住民感情があることは私も十二分に承知をしていますが、原発震災から100日あまり、原発に対する国民の視線、そして市民の視線は急激に変化しています。未来を見据えた市長の答弁を期待します。
さて、里山里海の創生とGIAHS登録認定について以下3点お聞きします。
里山里海自然学校が開校し、まもなく5周年を迎えます。翌年には里山マイスター養成プログラムもスタートしました。金沢大学の進出に地元住民が応え、県や企業を巻き込んでの動きへと拡大し、さらにNPOもそれぞれの立場から様々な活動を展開するなかで、GIAHS登録にも至りました。
この間、珠洲市も地元自治体として、旧小泊小学校を補修のうえ金沢大学へ無償貸与し、里山マイスターでは、受講生募集の広報、職員のプログラムへの派遣、さらにIターンや教員スタッフの定住ケアにあたるなど、きめ細かな支援をおこなってきました。
一方、この里山里海の動きは、金沢大学の取り組み自体、中村浩二教授自ら言われるように大学らしからぬやり方でスタートし、様々な組織が相互に連携しながら多様な活動を展開しています。いろんな動きがあるけど、誰が、どこで、何をやっているのか全体像がよくわからない。従来の行政の先入観に縛られれば、そんな印象も受けます。
そこが画期的でもあるわけですが、GIAHS登録という節目でもあり、里山里海の取り組みの中で珠洲市が担うべき役割はなんなのか、今一度整理し、市民に明らかにしていただきたいと思います。
私は、新たに能登キャンパス構想もスタートする中、珠洲市としてもより主体的な取り組みをすべき段階に入ったのではないかと思います。県は今春の組織改正で里山創生室を設けました。本市も企画財政課のなかに自然共生係を新設されましたが、能登にあって里山里海の取り組みを牽引する珠洲市としてはもっと踏み込んだ対応があるものと思っていました。
里山里海の次なるステージに向けて、市民に対して総合的な里山里海ビジョンを提示すると同時に、この間の活動を引っ張ってきた企画財政課を中心としつつも、全庁横断的組織を設けて取り組みを展開していくべきと思いますがいかがでしょうか。
GIAHSについてですが、世界文化遺産、自然遺産と比べて、市民も含め国内での認知度が低いことは否めません。加えて、登録に至るプロセスにも唐突感がありました。「何年待ったことやら・・・」という世界文化遺産・平泉の方のコメントがなおさら印象的でした。
能登に残る様々な農業遺産の価値を広く住民が認識し、これを引き継ぐ取り組みを官民一体となって展開する中で獲得した、というGIAHSではありません。むしろ、能登に住む私たちが気づかなかった能登の価値をFAOから指摘されたというのが今回のGIAHS登録認定ではなかったでしょうか。これからの取り組みこそが問われています。
私を含め、そもそもGIAHSの意味自体よくわからないという住民が多いのではないでしょうか。「GIAHSという大きなプレミアが与えられた」という市長のコメントを読んで、「ざいごの爺、婆にはなんのこっちゃらなおわからん」というのが率直な市民の声のように思います。
ちなみに市長はプレミアをどのような意味で使われたのでしょうか。辞書を繰りますと「他に先行して」とあります。まさに市長が好んで使われる先駆けという意味でしょうか。最高ランクという意味合いでの「一番」という意味もあるようです。日本ではじめての認定ということでもあり、理解できなくもありません。
しかしGIAHSの意味するところ、他と比べて前や後ろ、1番か2番かというよりも、効率最優先の競争社会、自然をコントロールするという思想をベースにした近代資本主義社会にあって、能登にはまさに人類が失ってはならない世界史的、文明史的な意味でのかけがえのない価値が潜んでいるということではないでしょうか。
そこはこれから私も勉強させてもらいたいと思いますが、いずれにしましても、活用の機運を一気に盛り上げることも大切ですが、取り組みが上滑りにならないよう、GIAHSの意味と登録認定の意義、これらを遺産に直接携わる住民だけでなく行政や議会、市民も含めて、より深く理解していくことがGIASHを生かした地域づくりを進める上でなにより大切なのではないかと思いますがいかがでしょうか。
関連してきのうら荘改築問題についてもお聞きします。
この問題については先の3月議会でも多くの議論がなされました。大筋、質問された先輩議員の方々の主張の方が市長答弁より説得力があるように思えました。何をつくるか以前に政策決定過程の透明化が問われています。
昨年2月のきのうら荘休館以降の議事録に目を通して気になったのは、市長や副市長の答弁の文末です。
「再整備について最終的に判断を下したい」「体験型宿泊施設として新たに整備することとしました」「必要だと判断しています」等々、市長が決めるんだ、市長が決めました、という趣旨の表現がいくつも出てきます。
この答弁は間違いではないでしょうか。建替えの是非や指定管理者の指定について最終的判断を下すのはあくまで議会です。そして、その前提として市民への情報提供と市民の理解が必要なことは言うまでもありません。一つひとつの議論の積み重ねのなさがこんなところにも現れているように思えてなりません。議論をもっとオープンにするべきだと思いますがいかがでしょうか。
改築について市役所内部での検討と同時に地域住民や関係機関とも協議を重ねてきたとのことです。そこで、この間、地元の方々が理事として名前を連ね、国民宿舎きのうら荘の指定管理者として経営にあたってきた財団法人木ノ浦健民休暇村協会についてもお聞きをしたいと思います。
本議会に提出された法人の経営状況の報告を見ますと、昨年11月末で解散手続きに入っているようですが、珠洲市が出捐した基本財産1000万円はきのうら荘への長期貸付となっており、そのきのうら荘の資産はほぼなくなっていることが明らかになっています。この間の経緯をどのように把握しておられるのか説明をいただきたいと思います。
さて、きのうら荘の改築に話を戻します。
市長は3月議会で「自然との共生を目指す珠洲市の象徴的な体験型宿泊施設」にしたいと述べておられます。私は大賛成です。
しかし、「自然との共生」を謳う一方で、冬期間閉鎖とは私はまったく理解できません。「冬は自然と共生できない珠洲市」の象徴になるような施設ならば私はつくるべきではないと思います。
里山の恩恵は春の山菜から秋のキノコで終わるわけではありません。切り出した雑木でつくった薪を燃やすのはまさに冬。海面から吹き上げてくるような吹雪の中、薪ストーブで暖をとり、薪風呂にも入ってもらえばどうでしょう。もちろん自分で沸かしてもらいます。炭も夏のバーベキューだけでなく、冬の囲炉裏でこそ魅力が味わえます。地酒や食材は自前で調達すること。磯釣りの魚を自分で料理してもらってもいい。朝晩、はさ干しのコシヒカリのご飯と味噌汁、漬物だけは用意します。あんなこんなでランニングコストは極力減らした戸建ての体験型ケビンはどうでしょうか。
一案を述べましたが、ぜひ冬期の厳しい自然との共生も含めて体験できる施設こそ追求していただきたいと思います。いかがでしょうか。
市長は木ノ浦地区について「珠洲市の里山里海が凝縮した魅力あるエリア」と高く評価しておられます。ならばなおさらのこと、地元住民との協議だけでなくGIAHSの認定を受けての木ノ浦地区の役割、あるいは能登キャンパス構想の中での役割なども踏まえて、新たな施設の構想を広く論議し、その内容を市民に明らかにするべきではないでしょうか。
次に、先の行財政改革大綱に続く新たな計画として公表された珠洲市行財政改革推進プランに関連して以下、お聞きします。
住民の生活圏の拡大、地方分権の進展、多様化する住民ニーズ、厳しさを増す財政状況、これらは平成の大合併促進の理由でした。珠洲市は合併の道を選択しませんでした。それも一つの道ですが、広域行政の必要性はますます拡大しているように思います。
奥能登2市2町による里山里海の取り組み、GIAHSは4市4町の枠組みです。2013年4月の能登有料道路の無料化、2014年度の北陸新幹線開業を控え、奥能登一体となった観光振興や二次交通のさらなる整備も必要です。第5次珠洲市総合計画でも「広域的な行政事務のさらなる推進」が掲げられています。
行財政改革推進プランには全く触れられていませんが、住民サービスの向上、行政の効率化という行財政改革の目的からしても、奥能登2市2町の連携強化、奥能登広域圏事務組合の機能強化、県や県奥能登総合事務所との連携強化など広域行政の推進はますます重要な課題ではないでしょうか。
次に職員削減に関して一点お聞きします。
平成17年度から21年度までの職員数の削減は当初目標の80人を上回り91人となりました。5年間で約4分の1という急激な削減です。単純計算で職員一人当たりの仕事の量は33%増加となります。それでもサービスレベルは落とさず、迅速な対応もできているとのことでした。
確かに、ここ数ヶ月の私の印象で言えば、10年前と比較するなら、むしろ職員一人ひとり対応は素早く、またしっかりとされているように思います。
ただ、これだけ職員数が減少したわけですから、皆さん日々の業務に忙殺されているように思えます。長期的な視点、あるいは広域的な視点での企画を練るゆとりがないのではないか、例えここ数年はマイナスの影響が出ることがなくとも、後々の行政レベルの低下をきたさないかと危惧しますが、市長の所見をお聞きしておきたいと思います。
あと一点、職員の人材育成および奥能登の広域行政の推進という観点から提案をさせていただきたいと思います。
行革プランでの記載はともかく、広域行政推進の必要性はどなたも感じておられると思います。知事や国会議員の皆さんも「能登は一つ」と口にします。しかし、ここは総論賛成各論反対の典型的な分野でもあります。首長や議員はそれぞれ有権者の思いを背負っていますので、安易な妥協はできません。残念ながら広域的な課題には足並みの乱れが付き物です。
しかし、ここで仕方がないと済ませてしまっては地域の総合力はいつまでたっても発揮できません。いわゆるウィンウィンの関係をどう築くかが肝要だろうと思います。まさに市長や議員の力量が問われる分野ではありますが、私は「能登は一つ」という視点から仕事ができる職員を多く育てていくことも大事な課題ではないかと思います。
そこで、広域的な課題を抱える2市2町間の職員の相互派遣を他市町に提案してはと思いますが、市長いかがでしょうか。
次に教育問題についてお聞きします。
東日本大震災では多くの子どもたちが犠牲になり、福島では放射能の恐怖の中での学校生活です。一方、避難所では率先してお年寄りに食事を運んだり、掃除をしたりするなど、助け合い、支えあい懸命に生きる子どもたちの姿が見られました。
まず教育長に今回の震災に対する思いと、珠洲の教育への教訓として考えることがありましたらお聞きをしたいと思います。
さて、昨今の学校教育を取り巻く環境は、ゆとり教育からの揺り戻しというのでしょうか、生きる力を育むとか、豊かな人間形成といった言葉は聞かれなくなり、1に学力、2に学力、3、4がなくて5に学力。文科省あげての点数学力偏重主義がますます加速しているように思えてなりません。
かつて国で地方分権推進計画の取りまとめを担い、その後、石川県庁に出向されていた方から聞いた話ですが、分権の議論に最も抵抗するのは文部省とのことでした。そもそも戦時中の教育の国家統制に対する反省から設置されたのが教育委員会であり、その後、制度をめぐっては幾多の変遷がありますが、教育行政の地方分権、民主化、中立性の確保という理念はいささかも変わってはいけないものだと思っています。
教育長には、視線を文科省や県教委に向けるのではなく学校現場をしっかり見据え、あくまで子どもたちに豊かな学びを保障するという大原則を踏まえての施策の展開をお願いし、以下、質問させていただきます。
まず、学力、学力のひとつの象徴でもあります全国学力・学習状況調査、いわゆる全国学力テストについてお聞きします。2011年度の全国学力テストは東日本大震災の影響から中止となりました。しかし、今後、試験用紙は各学校に配布され、2学期に入ってから独自に実施するやに仄聞をしています。
そもそも全国学力テストを実施する一番の目的に掲げられているのは全国的な児童生徒の学力や学習状況を把握・分析し、教育施策の成果と課題を検証し、改善を図ることとされています。全国的な調査ができず、しかも約半年後となる次年度にはまた全国学力テストが予定される中、なぜ実施しなければならないのかわかりません。
今回の独自の実施について、学校間の序列化には使うべきではないと考えますが、採点後、どのように活用する考えかお聞きをしておきたいと思います。
次に、教職員の超多忙化についてです。
かねてから学校現場の多忙化が指摘されていましたが、近年は多忙化どころか超多忙化と言わざるをえない深刻な状況が見られます。休日出勤や早朝の出勤、そして夜は9時、10時まで灯りがついている学校もあります。加えて近年の広域移動で通勤時間に1時間近くを要する教員も少なくなく、教育労働者としての基本的な労働条件が大きく侵害されているように思えます。
そしてなにより問題なのは、こうした超多忙化が子どもたちとの触れ合いに起因するのならまだしも、書類の作成や会議がその主たる原因となっていることです。教育行政のあり方が結果的に子どもたちの学習環境を侵害しているとも言えます。
3月末、ようやく県教委の下にある学校マネジメント支援会議が「子どもと向き合う時間の充実を図るために」という多忙化対策を示しました。ところが、立派なのはタイトルだけで、調査・報告・会議の削減は掲げつつも具体的に何を減らすのか明らかにせず、多忙化の原因分析はなされておらず、原因を現場教職員の「自覚」と「自己責任」に押し付けるだけのお粗末なものでした。県教委の自覚と責任こそが問われています。
教育長は市内の学校現場の多忙化の実態についてどのように認識しておられるのか、まずお聞きしたいと思います。
超多忙化を一気に解消することは困難でも、一つひとつ着実に改善に向けて歩みだしていただきたいと思います。現実問題として私ども職員室の中の様子まではわからないわけでして、まず何より関係者が膝を突き合わせ協議することが必要だろうと思います。市教委、管理職、現場教職員などをメンバーとする協議の場を設け、具体的対策を検討、実施していくべきだと思いますがいかがでしょうか。
次に図書館整備についてお聞きします。
昨年6月の定例会で市長は図書館の整備に言及されました。その後、9月議会では寺井議員の質問に答え、児童館との併設、過疎法の期限の平成27年度末までの整備を目指したいという考えも示されました。財源問題もこれあり、慎重な対応はわかりますが、新年度に入っての動きが見られませんのであえてお聞きをしたいと思います。
私も図書館の整備には大いに期待をしている一人です。
現在の中央図書館が整備をされたのが昭和49年9月。翌年飯田高校に入学した私は、当時何回となく利用させてもらいました。その後、大学図書館、そして県立図書館しか知りませんでしたが、加賀市立図書館、そして山中町立図書館が新たに整備された頃、携わった職員から視察に誘われました。自治体でこんな図書館がつくれるものかとある意味カルチャーショックを受けました。
さらにその後、図書館建設を求める市民運動の高まりの中でつくられた佐賀県伊万里市の図書館を、その運動の中心にいた方に案内していただく機会に恵まれました。どんな図書館にするのかというコンセプトにはじまり、立地の選定、建物の設計、内部の間取りや内装、書架のレイアウト、蔵書計画、そして図書館職員の配置や市民参加の運営に至るまで、まさに隅々まで、ここは市民の声がこんなふうに生かされていますという説明を聞き、ただただ感嘆するばかりでした。開館後の市民の利用率や評価が高いことはいうまでもありません。
図書館に限らず、ある意味あらゆる公共事業の理想かとも思いましたが、特に図書館整備は市民参加と首長の図書館に対する理念が成功の大きな鍵ではないかと私は思っています。
平成27年度末まで、ただ建物を建てるだけなら時間は十分あります。しかし、図書館整備は図書館というシステムをつくるということでもあります。間違ってもハコモノ行政と指摘されるようなことがないよう、十分な時間をかけて、利用者や職員はじめ多くの市民の参加、市民協同の中で図書館の基本理念やコンセプトをまとめ、建設基本計画を作成していただきたいと思いますが、教育長、いかがでしょうか。
市長にもお聞きします。新しい図書館ができて、まちが変わり、市民の暮らしの質も変わったと後々評価されるくらいの図書館を目指してほしいと思いますが、新図書館に寄せる市長の思いをお聞きします。
質問の最後は、市長の政治姿勢についてです。
今春の統一自治体選挙、東日本大震災の発生と原発震災という状況下、全国的に防災体制の充実や原子力政策をめぐる議論が活発に展開されました。
しかし、3.11まで争点は違うところにありました。国政では民主党政権が行き詰まり、さりとて自民党の復権を望む声も高まらず、閉塞感が漂う中、地方から新たな政治変革の流れを作ろうと、ローカル政党の動きが各地で現れました。代表的なものは名古屋市の河村新党、大阪府の橋本新党。その前には阿久根市の市長と議会の対立もありました。
現在の地方自治法では、市長も議会もそれぞれ市民から直接選ばれます。いわゆる二元代表制の中で、両者の対立をどう解決するか、自治のかたちが問われました。
結果的に勝利を収めたのは大阪の橋本新党「大阪維新の会」だけでしたが、橋本知事の方針を強力に推し進める議会が誕生し、さっそく議員定数の大幅削減と、いわゆる「日の丸・君が代強制条例」が賛否割れる中で強行採決されました。
こうした動きの一方で、全国各地ではここ数年、議会基本条例の制定を柱にした議会改革が着実に浸透しています。根底にあるのは首長と議会の二元代表制の確立です。
さて、市長は今春の統一自治体選挙にあたり精力的に動かれたように漏れ聞こえてきましたが、地方自治のあり方についてどのような理念の下で行動されたのでしょうか。
まず、市長と市議会の関係についてどうあるべきと考えておられるかお聞きをします。
もう一つは地元選出県議との関係についてです。
県議選をめぐる市長の動き、市民から様々な反響があったようですが、その是非をここで問うつもりはありません。
私が気になるのは、実は一自治体に一人の県議という選挙区のあり方です。このような選挙区は県内に5つありますが、私にはあまりいい選挙制度だとは思いません。と言いますのは、小選挙区で、市長と同じ選ばれ方になるからです。そのため、市長とがっちり二人三脚の活動をするか、あるいはかつての政敵と組んで政治的棲み分けを図るという構図がよそでは見られます。一旦両者の関係がこじれれば、地域の中で最大の政治的ライバルともなります。
今回の県議選は、このような選挙制度の問題点を抱えた中、市長と県議の関係、そして県議の役割が問われました。平蔵豊志県議は珠洲市と県政のパイプ役を果たすと大きく主張されたやに聞いています。選挙戦ですから相手候補との違いを明確にするという意味で理解はできます。ただし、議席を得たからには珠洲市の県会議員ではなく石川県の県会議員です。県政における奥能登の政治力低下が著しい中、能登の浮上に向けて活躍してもらわなければなりません。足並みを揃えることは大切ですが、二人三脚で脚まで縛りあってもいかがと思います。脚の長さも身長も違います。
そこで最後に、市長と地元選出県議の関係はどうあるべきと考えておられるかお聞きをして、私の質問を終わらせていただきます。
ご清聴ありがとうございました。
(質問原稿おわり)
これだけ削れば何とかなると思ってました。昔は1分あたりの字数でいうともっとたくさんしゃべってたこともあったので。
読むペースが最初はちょっと余裕持ちすぎたか・・・
いや、そもそも内容欲張りすぎたか。
反省です。
質問時間、29分55秒だったとか。
あと5秒で議長に後ろから頭をたたかれるところでした(冗談)。
答弁についてのコメントは後日。
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