珠洲に原発問題があった当時、頻繁に珠洲を訪れ、ともにたたかった藤田祐幸さんから2年ぶりに便りが届いた。
白いあごひげがトレードマークで、原発問題で事故や大きな動きがあると講演会の講師として何回となく招き、特に選挙となると大学(当時は慶応大学の助教授)の講義の合間を縫って駆けつけてきてもらい、朝から夕方までは街宣車に乗って街宣活動、夜は集会の弁士、さらに夜中までの会議とフル回転。大学の先生をこんなにこき使うのは珠洲くらいだとよくぼやかれたが、おかげで珠洲は電力会社撤退となった。珠洲原発阻止の大きな功労者の一人である。
その藤田さん、大学定年後は珠洲に来ようかという話もあり、あるいは亡くなったら墓は高屋に建てるという話もあったが、6年前、結局長崎県の西海市の雪浦という田舎に移住された。理屈はいろいろあるようだが、決め手は近くに娘さん夫妻、そしてお孫さんがいるということかも。
その藤田さんから、3.11後の昨年、今年と賀状が来ない。どうしたんだろうと思っていたところ、昨日、ドンと封筒が届く。
3.11後、無力感にさいなまれ、沈鬱な日々を送り、賀状を出す気力も失せていたとのこと。
それはともかく、封筒に入っていたのは、この1年間、毎日新聞西日本本社(福岡)が藤田さんの原子力に対する思いや生き様を連載記事にしたものをまとめた冊子である。A4版に入るサイズで週一回掲載され、45回続いている。
ちなみに第一回は下記の内容。
福島の事故だけでなく原子力開発の歴史からチェルノブイリやもんじゅの事故、脱原発法の制定運動、劣化ウラン弾や被ばく労働者の問題など、全部通してみると原子力問題のテキストである。
石川県内では北陸中日新聞の原発報道が質・量ともにダントツで、他紙を読んでいる人との情報格差が心配になるくらいだが、この毎日新聞の連載は毎週、藤田さんのミニ学習会に参加しているようで、こうした記事を連載できる毎日新聞西日本本社もなかなかのものである。
もっとも、一番興味深くみせてもらったのは毎回の記事に添えられた写真である。この記事の中にも紹介されている長崎県「木造住宅コンクール」最優秀賞を受賞した藤田さんの新居と周囲の景観が紹介されている。
物理が本業の先生らしく、エネルギーの有効活用という面では実に多くの工夫が施されている。また、家の周りにはニワトリが放し飼いにされ、ヤギも飼っている。近所の子どもたちが遊びにくる。周囲には棚田が広り、夏は子どもたちが川に入り水遊びをする。
70歳になった藤田さんが、脱原発社会の実現に向けもうひと踏ん張りするエネルギーの源はここにあり、そんな様子が伝わってくるいい写真がたくさん掲載されている。
白いあごひげがトレードマークで、原発問題で事故や大きな動きがあると講演会の講師として何回となく招き、特に選挙となると大学(当時は慶応大学の助教授)の講義の合間を縫って駆けつけてきてもらい、朝から夕方までは街宣車に乗って街宣活動、夜は集会の弁士、さらに夜中までの会議とフル回転。大学の先生をこんなにこき使うのは珠洲くらいだとよくぼやかれたが、おかげで珠洲は電力会社撤退となった。珠洲原発阻止の大きな功労者の一人である。
その藤田さん、大学定年後は珠洲に来ようかという話もあり、あるいは亡くなったら墓は高屋に建てるという話もあったが、6年前、結局長崎県の西海市の雪浦という田舎に移住された。理屈はいろいろあるようだが、決め手は近くに娘さん夫妻、そしてお孫さんがいるということかも。
その藤田さんから、3.11後の昨年、今年と賀状が来ない。どうしたんだろうと思っていたところ、昨日、ドンと封筒が届く。
3.11後、無力感にさいなまれ、沈鬱な日々を送り、賀状を出す気力も失せていたとのこと。
それはともかく、封筒に入っていたのは、この1年間、毎日新聞西日本本社(福岡)が藤田さんの原子力に対する思いや生き様を連載記事にしたものをまとめた冊子である。A4版に入るサイズで週一回掲載され、45回続いている。
ちなみに第一回は下記の内容。
福島の事故だけでなく原子力開発の歴史からチェルノブイリやもんじゅの事故、脱原発法の制定運動、劣化ウラン弾や被ばく労働者の問題など、全部通してみると原子力問題のテキストである。
石川県内では北陸中日新聞の原発報道が質・量ともにダントツで、他紙を読んでいる人との情報格差が心配になるくらいだが、この毎日新聞の連載は毎週、藤田さんのミニ学習会に参加しているようで、こうした記事を連載できる毎日新聞西日本本社もなかなかのものである。
もっとも、一番興味深くみせてもらったのは毎回の記事に添えられた写真である。この記事の中にも紹介されている長崎県「木造住宅コンクール」最優秀賞を受賞した藤田さんの新居と周囲の景観が紹介されている。
物理が本業の先生らしく、エネルギーの有効活用という面では実に多くの工夫が施されている。また、家の周りにはニワトリが放し飼いにされ、ヤギも飼っている。近所の子どもたちが遊びにくる。周囲には棚田が広り、夏は子どもたちが川に入り水遊びをする。
70歳になった藤田さんが、脱原発社会の実現に向けもうひと踏ん張りするエネルギーの源はここにあり、そんな様子が伝わってくるいい写真がたくさん掲載されている。
今こそいい加減なコメントをした御用学者は責任を取るべきです。