「北電の緊張感高める役割を」
県原子力安管協(石川県原子力環境安全管理協議会)の役割についての今日の北國新聞社説の見出しである。見出しだけで言うならば全くの同感である。少しだけ期待をしつつ本文を読んでみると、やはりがっかりの内容であった。
先般11月24日の臨時安管協の議論をおさらいするだけで、なぜ北電に緊張感がないのか、なぜ安管協が北電の緊張感を高める役割を果たしてこれなかったのかということについての原因の分析が全くない。
石川県平和運動センターや県内の市民グループはかつて、北陸電力の臨界事故隠しを受けて「北陸電力に原発運転の資格なし!全国署名運動」に取り組み、その一環として2008年2月、県へ申し入れを行った際、 「石川県における原子力規制行政の改革について」という提言をおこなっている。
この中で、県の原子力規制行政の問題点を以下のように指摘した。
(1) 安全協定が形骸化し、北陸電力とは緊張感のない馴れ合いの関係となっている。
(2) 安管協の役割や権限が不明確で、県行政の責任逃れのための隠れ蓑となっている。
(3) 県、安管協ともに情報公開、情報提供が極めて不十分で、県民に対する説明責任は果たされず、第三者(外部の専門家)による検証もおこなえない。
(4) 県、安管協ともに、県民の疑問や不安に応える仕組みや、原子力に批判的な意見を踏まえてコンセンサスを得る仕組みが皆無である。
(5) 安管協の会議は多くの場合、北陸電力や原子力安全・保安院の説明を聞くだけに終始し、実質的な議論の場として機能していない。
私たちは国や北電の言い分を追認するだけの慣れ合い安管協だから北電の緊張感はなくなるし、事故は繰り返される。安管協を改革せよ、安管協の設置根拠である安全協定を見直せと訴えてきた。
先般の臨時安管協でも北電の雨水対策の不備を責めるのみでその背景に迫る発言はゼロ。
今回の雨水流入とそれに続く地絡・漏電事故は、事故当日、すでに県の原子力安全対策室も原子力規制庁の志賀原子力規制事務所も把握しておりながら10月3日に開催された安管協では一言の報告すらなかった。北電を責めるのはいいが、自らも県民の安全を守る役割を果たせる体制になっていないことを自覚してもらわないと、今回の臨時安管協も単なるパフォーマンスで終わってしまうだろう。
今回の事故、そして先般の福島第二原発3号機の燃料プールの冷却ポンプ停止事故は、あらためて停止中の原発でも核燃料が存在する限り危険だということを知らしめた。かつての臨界事故も停止・定検中に起こった事故である。
安管協の改革、安全協定の見直しは急務である。
自己改革が迫られているのは北電だけではない。
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