9.11から10年を向かえた。
10年前のこの日、私は韓国の原発現地のひとつ、霊光(ヨングァン)にいた。
韓国で開催されたNNAF(ノーニュークス・アジア・フォーラム)に参加するため、10日にソウル入り。全体会議のあと、翌11日から韓国の原発現地を巡り、地元の反対派住民らとの交流や集会への参加の日程が組まれていた。
11日はソウルから霊光(ヨングァン)に移動。4基の原発があり、さらに増設が計画中だった。韓国の原発も日本同様、きれいな田舎に造られている。
韓国の原発現地めぐりは敦賀から志賀町、珠洲、そして柏崎を回るような感じだ。
ホテルがなくて教会で雑魚寝ということもあった。寺家や高屋にきたらお寺か集会場しか泊まるところがないのと同じだ。
霊光(ヨングァン)では幸い町に1軒だけという感じのビジネスホテルに宿泊。
11日の夜は遅くまで交流会(飲み会)で、12日は朝食の時間ギリギリに食堂に下りていく。
なぜだか慌しい。
出発時間でもないのに荷物をまとめてホテルを出発する人もいる。
テレビを見るとWTCの飛行機激突シーンが繰り返し映し出されている。朝から韓国映画?となんのことかわからさっぱりわからない。
韓国語の通訳ができる日本からの参加者が来て、ようやく大変な事件が起こったことを知る。が、もちろん詳細はさっぱりわからない。
韓国で反原発運動に取り組んでいるメンバーは、現地の住民運動を除けば、ほとんど平和運動にも関わっている。原発にも核兵器にも反対する反核運動だ。
朝早くホテルを飛び出したメンバーは、韓国国内の米軍がどんな行動にでるかわからないので、その監視や不当な行動を警戒するためにソウルへ引き返したのだという。
日本国内でも米軍基地がある街では緊張が一気に高まったが、北朝鮮と接する韓国はなおさらだ。一時は空港や港が閉鎖され、予定通り帰国できないのではないかとの情報も流れた。アメリカや日本からの新たな情報を常に気にしながらの旅となった。
もっともその後の古里(コリ)、月城(ウォルソン)、蔚珍(ウルチン)の各原発現地は、拍子抜けするほど特段の警備強化もなく、予定通り回ることができ、韓国の原発現地巡り=田舎巡りはこれまた貴重な体験となった。
昨年8月の長崎原水禁大会で、韓国で反核運動に取り組む知人から、その後、韓国の反核運動は非常に厳しい状況におかれていると聞いた。
韓国の原発はあれから4基増え、現在21基となりさらに4基が建設中である。
今年のNNAFは福島や上関など日本各地で開催された。韓国や台湾などからも多くの参加者があり、成功裏に終わったようだ。
韓国での福島第一原発事故をめぐる報道は「原発事故にもかかわらずよく日本国民は我慢し耐えている。立派なことだ」「反核を叫ぶことは軽率で立派な態度ではない」というトーンだそうだ。
韓国から参加した人たちは、日本各地を回りその報道が誤りだということを目の当たりにした。来年はまた韓国での開催とのこと。脱原発へ舵を切る大会になることを期待したい。
10年前のこの日、私は韓国の原発現地のひとつ、霊光(ヨングァン)にいた。
韓国で開催されたNNAF(ノーニュークス・アジア・フォーラム)に参加するため、10日にソウル入り。全体会議のあと、翌11日から韓国の原発現地を巡り、地元の反対派住民らとの交流や集会への参加の日程が組まれていた。
11日はソウルから霊光(ヨングァン)に移動。4基の原発があり、さらに増設が計画中だった。韓国の原発も日本同様、きれいな田舎に造られている。
韓国の原発現地めぐりは敦賀から志賀町、珠洲、そして柏崎を回るような感じだ。
ホテルがなくて教会で雑魚寝ということもあった。寺家や高屋にきたらお寺か集会場しか泊まるところがないのと同じだ。
霊光(ヨングァン)では幸い町に1軒だけという感じのビジネスホテルに宿泊。
11日の夜は遅くまで交流会(飲み会)で、12日は朝食の時間ギリギリに食堂に下りていく。
なぜだか慌しい。
出発時間でもないのに荷物をまとめてホテルを出発する人もいる。
テレビを見るとWTCの飛行機激突シーンが繰り返し映し出されている。朝から韓国映画?となんのことかわからさっぱりわからない。
韓国語の通訳ができる日本からの参加者が来て、ようやく大変な事件が起こったことを知る。が、もちろん詳細はさっぱりわからない。
韓国で反原発運動に取り組んでいるメンバーは、現地の住民運動を除けば、ほとんど平和運動にも関わっている。原発にも核兵器にも反対する反核運動だ。
朝早くホテルを飛び出したメンバーは、韓国国内の米軍がどんな行動にでるかわからないので、その監視や不当な行動を警戒するためにソウルへ引き返したのだという。
日本国内でも米軍基地がある街では緊張が一気に高まったが、北朝鮮と接する韓国はなおさらだ。一時は空港や港が閉鎖され、予定通り帰国できないのではないかとの情報も流れた。アメリカや日本からの新たな情報を常に気にしながらの旅となった。
もっともその後の古里(コリ)、月城(ウォルソン)、蔚珍(ウルチン)の各原発現地は、拍子抜けするほど特段の警備強化もなく、予定通り回ることができ、韓国の原発現地巡り=田舎巡りはこれまた貴重な体験となった。
昨年8月の長崎原水禁大会で、韓国で反核運動に取り組む知人から、その後、韓国の反核運動は非常に厳しい状況におかれていると聞いた。
韓国の原発はあれから4基増え、現在21基となりさらに4基が建設中である。
今年のNNAFは福島や上関など日本各地で開催された。韓国や台湾などからも多くの参加者があり、成功裏に終わったようだ。
韓国での福島第一原発事故をめぐる報道は「原発事故にもかかわらずよく日本国民は我慢し耐えている。立派なことだ」「反核を叫ぶことは軽率で立派な態度ではない」というトーンだそうだ。
韓国から参加した人たちは、日本各地を回りその報道が誤りだということを目の当たりにした。来年はまた韓国での開催とのこと。脱原発へ舵を切る大会になることを期待したい。
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