明日8月9日は長崎の原爆の日。
広島平和宣言に続き長崎平和宣言に注目している。
核兵器の残虐性や今なお続く被爆者の苦悩を伝えると同時に核軍縮、核廃絶にかかわる世界情勢の分析、日本政府の対応、被爆地はじめ核廃絶を目指す運動側の課題などを的確に分析、アピールしている。
今年は核兵器禁止条約に対する日本政府の対応に対してどのように批判し注文を付けるか一番の注目点だろう。
そんな中、もう一つ違った角度からの着目点を紹介したい。
福島の原発事故の触れ方である。
実は広島と長崎では扱いがかなり違っている。
広島の平和宣言は2011年、2012年、2013年の3年間は触れていたが、その後は触れていない。
ちなみに2011年は、
「東京電力福島第一原子力発電所の事故も起こり、今なお続いている放射線の脅威は、被災者をはじめ多くの人々を不安に陥れ、原子力発電に対する国民の信頼を根底から崩してしまいました。そして、「核と人類は共存できない」との思いから脱原発を主張する人々、あるいは、原子力管理の一層の厳格化とともに、再生可能エネルギーの活用を訴える人々がいます。
日本政府は、このような現状を真摯に受け止め、国民の理解と信頼を得られるよう早急にエネルギー政策を見直し、具体的な対応策を講じていくべきです。」
としたが、翌2012年はエネルギー政策の「見直し」という表現が消え、4年目から福島への言及がなくなった。
一方、長崎の平和宣言をみると、2011年は冒頭に福島に言及し以下のように述べている。
「今年3月、東日本大震災に続く東京電力福島第一原子力発電所の事故に、私たちは愕然としました。爆発によりむきだしになった原子炉。周辺の町に住民の姿はありません。放射線を逃れて避難した人々が、いつになったら帰ることができるのかもわかりません。
「ノーモア・ヒバクシャ」を訴えてきた被爆国の私たちが、どうして再び放射線の恐怖に脅えることになってしまったのでしょうか。
自然への畏れを忘れていなかったか、人間の制御力を過信していなかったか、未来への責任から目をそらしていなかったか……、私たちはこれからどんな社会をつくろうとしているのか、根底から議論をし、選択をする時がきています。
たとえ長期間を要するとしても、より安全なエネルギーを基盤にする社会への転換を図るために、原子力にかわる再生可能エネルギーの開発を進めることが必要です。
福島の原発事故が起きるまで、多くの人たちが原子力発電所の安全神話をいつのまにか信じていました。
世界に2万発以上ある核兵器はどうでしょうか。
核兵器の抑止力により世界は安全だと信じていないでしょうか。核兵器が使われることはないと思い込んでいないでしょうか。1か所の原発の事故による放射線が社会にこれほど大きな混乱をひきおこしている今、核兵器で人びとを攻撃することが、いかに非人道的なことか、私たちははっきりと理解できるはずです」
2012年も、
「放射能に脅かされることのない社会を再構築するための新しいエネルギー政策の目標と、そこに至る明確な具体策を示してください」と述べ、さらに高レベル放射性廃棄物の処分問題にも言及している。
その後は文字数は少なくなったが毎年、原発事故に触れている。
原水禁は「核と人類は共存できない」という理念の下、広島大会、長崎大会に加え、3.11後、福島大会を開催している。
被爆地とフクシマがつながり続ける、そんな明日の平和宣言を期待し、注目していきたい。
広島平和宣言に続き長崎平和宣言に注目している。
核兵器の残虐性や今なお続く被爆者の苦悩を伝えると同時に核軍縮、核廃絶にかかわる世界情勢の分析、日本政府の対応、被爆地はじめ核廃絶を目指す運動側の課題などを的確に分析、アピールしている。
今年は核兵器禁止条約に対する日本政府の対応に対してどのように批判し注文を付けるか一番の注目点だろう。
そんな中、もう一つ違った角度からの着目点を紹介したい。
福島の原発事故の触れ方である。
実は広島と長崎では扱いがかなり違っている。
広島の平和宣言は2011年、2012年、2013年の3年間は触れていたが、その後は触れていない。
ちなみに2011年は、
「東京電力福島第一原子力発電所の事故も起こり、今なお続いている放射線の脅威は、被災者をはじめ多くの人々を不安に陥れ、原子力発電に対する国民の信頼を根底から崩してしまいました。そして、「核と人類は共存できない」との思いから脱原発を主張する人々、あるいは、原子力管理の一層の厳格化とともに、再生可能エネルギーの活用を訴える人々がいます。
日本政府は、このような現状を真摯に受け止め、国民の理解と信頼を得られるよう早急にエネルギー政策を見直し、具体的な対応策を講じていくべきです。」
としたが、翌2012年はエネルギー政策の「見直し」という表現が消え、4年目から福島への言及がなくなった。
一方、長崎の平和宣言をみると、2011年は冒頭に福島に言及し以下のように述べている。
「今年3月、東日本大震災に続く東京電力福島第一原子力発電所の事故に、私たちは愕然としました。爆発によりむきだしになった原子炉。周辺の町に住民の姿はありません。放射線を逃れて避難した人々が、いつになったら帰ることができるのかもわかりません。
「ノーモア・ヒバクシャ」を訴えてきた被爆国の私たちが、どうして再び放射線の恐怖に脅えることになってしまったのでしょうか。
自然への畏れを忘れていなかったか、人間の制御力を過信していなかったか、未来への責任から目をそらしていなかったか……、私たちはこれからどんな社会をつくろうとしているのか、根底から議論をし、選択をする時がきています。
たとえ長期間を要するとしても、より安全なエネルギーを基盤にする社会への転換を図るために、原子力にかわる再生可能エネルギーの開発を進めることが必要です。
福島の原発事故が起きるまで、多くの人たちが原子力発電所の安全神話をいつのまにか信じていました。
世界に2万発以上ある核兵器はどうでしょうか。
核兵器の抑止力により世界は安全だと信じていないでしょうか。核兵器が使われることはないと思い込んでいないでしょうか。1か所の原発の事故による放射線が社会にこれほど大きな混乱をひきおこしている今、核兵器で人びとを攻撃することが、いかに非人道的なことか、私たちははっきりと理解できるはずです」
2012年も、
「放射能に脅かされることのない社会を再構築するための新しいエネルギー政策の目標と、そこに至る明確な具体策を示してください」と述べ、さらに高レベル放射性廃棄物の処分問題にも言及している。
その後は文字数は少なくなったが毎年、原発事故に触れている。
原水禁は「核と人類は共存できない」という理念の下、広島大会、長崎大会に加え、3.11後、福島大会を開催している。
被爆地とフクシマがつながり続ける、そんな明日の平和宣言を期待し、注目していきたい。
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