21日今朝「明日へのことば」で、アラン・ウエスト氏のトークを途中から聞いた。
司会者が、アランさんはワシントンDC出身というと、ワシントンDCは自然がそのまま残ったところで、親につれいていかれ原風景を楽しんだ。8歳のころから絵を描き始め、高校までだいぶ絵の作品ができた。
カーネギーメロン大学芸術学部は、50倍の競争で、50の作品を審査して合格が決まるという。数多くの作品があったから、いいもの50を選んで持参した。が、他の人たちは、数点の作品しかないのが普通、50も持って行ったから驚かれたと。
絵を描いているうち、出来合いの絵具でなく、絵の具を作って描くことに心を寄せたとき、その技法は日本にあるよという情報から、日本に派遣され、絵の具を石から作ることを目にして、卒業後、東京芸大日本画科を受験、実技試験で加山先生の聴講生に、そして好きな女性ができ、翌年受験して合格した。モデルを絵にするとき、休憩で戻ると、友は白い紙が、私は4時間も1枚の絵に集中していた。
絵具を作る技法で、ウサギから匂いが臭く、鹿のニカワは臭くなく、先生はお腹がすいて、ニカワ食べたかったが、我慢して描いたと、話しながらアランさんは涙ぐんでいた。
台東区谷中に繪所アランウエスト画廊&アトリエで、日本画、屏風絵、掛軸など手掛け、特に、美術の杜上野の下町で美術のイベントを開いている。
私も、1984年4月、加山又造展をいわき近代美術館で見た。入館すると、左の「黒の裸婦」、奥の「鶴舞」の屏風絵や猫がチョウを見ている「凝」などが今でも印象に残っている。素晴らしい天才先生に師事したアランさんは幸せ者です。
司会者が、アランさんはワシントンDC出身というと、ワシントンDCは自然がそのまま残ったところで、親につれいていかれ原風景を楽しんだ。8歳のころから絵を描き始め、高校までだいぶ絵の作品ができた。
カーネギーメロン大学芸術学部は、50倍の競争で、50の作品を審査して合格が決まるという。数多くの作品があったから、いいもの50を選んで持参した。が、他の人たちは、数点の作品しかないのが普通、50も持って行ったから驚かれたと。
絵を描いているうち、出来合いの絵具でなく、絵の具を作って描くことに心を寄せたとき、その技法は日本にあるよという情報から、日本に派遣され、絵の具を石から作ることを目にして、卒業後、東京芸大日本画科を受験、実技試験で加山先生の聴講生に、そして好きな女性ができ、翌年受験して合格した。モデルを絵にするとき、休憩で戻ると、友は白い紙が、私は4時間も1枚の絵に集中していた。
絵具を作る技法で、ウサギから匂いが臭く、鹿のニカワは臭くなく、先生はお腹がすいて、ニカワ食べたかったが、我慢して描いたと、話しながらアランさんは涙ぐんでいた。
台東区谷中に繪所アランウエスト画廊&アトリエで、日本画、屏風絵、掛軸など手掛け、特に、美術の杜上野の下町で美術のイベントを開いている。
私も、1984年4月、加山又造展をいわき近代美術館で見た。入館すると、左の「黒の裸婦」、奥の「鶴舞」の屏風絵や猫がチョウを見ている「凝」などが今でも印象に残っている。素晴らしい天才先生に師事したアランさんは幸せ者です。