ブログ仙岩

各紙のコラムや報道番組、読書の感想、カメラ自然探索など。

日本合唱コンで会津高、郡山五中が一位に

2015-10-26 08:59:19 | エッセイ
第68回全日本合唱コンクール全国大会が、24,25日さいたま市ソニックシティで開催され、高校部門で33人以上のBグループで会津が2年連続、中学部門で郡山五が3年連続金賞の一位に輝き、楽都の名を全国に示した。

高校の会津は課題曲「ねむりのもりのはなし」と自由曲「ギリシアの不思議」を豊かな声量で巧みな強弱で歌い上げた。2位の郡山、銀賞の福島東、銅賞の安積黎明でした。

中学では、郡山五の混声ブルックナー作曲「宗教曲」でロマン派で会場に楽曲の世界観を伝えた。同声ではブラームス作曲「三つの宗教曲」を女性四部で奏でた。部長が圧巻のソロパートを披露し感銘を与えた。

郡山二は合唱組曲「五つの童画」から「どんぐりのコマ」を日本語の美しい語感を響かせ、カワイ奨励賞が贈られた。混声銀には若松二が「グロリア」複雑な曲で、朝練で進化した演奏を披露した。また、同声銀は若松四で「レダと白鳥」の神話曲を披露した。

混声銅賞には会津の一箕が混声合唱の「レクエム」を、同声銅賞郡山七「Confitemini Domino」を巧みに歌い上げた。

素晴らしい成果に感動した。福島の生徒の努力に感謝ありがとう。

おもちゃドクター三浦康夫さんのお話を聞いて

2015-10-25 08:51:31 | エッセイ
昨夜の日本Sで、ソフトが武田の好完投でヤクルトに4-2でまず先勝。

25日今朝明日へのことば「生きがいはおもちゃドクター」日本おもちゃ協会会長三浦康夫氏のことばを途中から聞いた。

壊れたおもちゃを修理して新しい生命を吹き込むことを趣味とする「おもちゃドクター」の三浦さんは、考え行動することと言っていた。日本おもちゃ病院協会はドクターたちにより組織化されたボランティア団体で、おもちゃを修理する喜びと、その持ち主からお礼を言われる喜びという"二重の喜び"を味わい、完成したときの喜びは何とも言えないという。

日本おもちゃ病院協会は、壊れた「おもちゃ」を原則無料で修理し、新しい生命を与えることに価値を見出し、生きがいを感じているボランティアグループで1996年に全国組織化された。
現在協会会員のおもちゃドクター1,184名が全国各地でおもちゃ病院活動を展開し、おもちゃドクターをめざす方への養成講座、出前講座開催を開催し、会員相互の情報交換や技術交流および会員支援、おもちゃ修理の技術向上に努めているという。

基本的に、木工やプラのおもちゃは修理不能、接着剤ではすぐにはがれる。平面に強い圧力をけると接着するが。金属を使うという。また、半田ごて作業ができること、電気や材料の特質を理解していることも大切と。道具を大切に。

私も、日曜大工は好きで、壊れたら修理を基本としており、木工でイスは数十個作っており、小型テーブル2個、置物の台は沢山あります。近所にも差し上げています。大きいものでは物置、靴箱2つ、オーディオラックも作って現在利用しています。

昨日の午後かんさい土曜ホットタイム、ボヤキ川柳で「ちょっと来て電球持った妻がいる」と、修理器用なご主人さんは大変忙しいですね。

10/22「金へん」漢字アローの解答

2015-10-24 10:58:23 | クイズ
24日日本S始まる霜が降りる「霜降」の日、「金へん」漢字アローの答え「トキハカネナリ」でした。

鋸(ノコギリ)や鑿(ノミ)カンナなど日曜大工には必須のものです。見慣れない漢字で電子辞書とにらめっこして大分苦労しました。特に金へんには無関係のヨウカイ(容喙)は相手の言葉に口ばしを挟むというときに使います。困難な読みでした。如何でしか?

南極観測船宗谷の生い立ち

2015-10-23 09:08:48 | エッセイ
昨日の福島民報あぶくま抄に、魚雷が当たった。幸いにも爆発しなかった。空襲も受けた。特務艦「宗谷」は多くの僚艦が沈む中、奇跡的に生き延びる。邦人引き揚げ船となり、約1万9千人を故国に送り届けた。戦後復興の礎となった船は昭和31(1956)年、日本初の南極観測船に生まれ変わる。6次にわたり極寒の氷海に挑み、隊員や物資の輸送に活躍した。後に北洋の警備救難任務に当たり、125隻の船と約千人を救助した。今は東京の船の科学館で保存展示されている。

南極観測船宗谷のことは殆んど何も知らなかった。宗谷の航空長を務めた金山町出身渡部清規(92)さんが今月亡くなった。34年、南極に取り残された兄弟犬をヘリコプターから見つけた。<真っ黒い熊のような動物がいる>。無人の基地で1年間生き抜いた「タロ」「ジロ」は国民的な話題となった。極地の空を飛び回った渡辺さんは古里で穏やかな老後を過ごし、豊かな森と川の眺めは雪と岩の大地と鮮やかな対比をさせながら心を癒やしたと思う。

また、宗谷は1936年(昭和11年)9月18日、川南工業株式会社香焼島造船所はソビエト連邦通商代表部より、砕氷型貨物船3隻の発注を受け、砕氷型貨物船第107番船として川南工業株式会社香焼島造船所(長崎県)にて起工「地領丸」と命名、40年海軍の用船として「宗谷」と改名、戦後引き揚げ船として活躍、海上保安庁灯台補給船、55年国際地球観測年に当たり砕氷船に大改造、翌56年から62年まで1次から6次まで南極観測船になった。ブリタニカ国際大百科事典より。