ブログ仙岩

各紙のコラムや報道番組、読書の感想、カメラ自然探索など。

四倉諏訪神社例大祭

2016-05-04 10:53:36 | 祭り
2016年、5月4日は四倉諏訪神社の例大祭である。震災前までは、街中を笹竹に縄を張り巡らせ、へいそくを飾ざり、紅白の幕を飾る家庭もあった。が今年も飾られていない。

今朝まつり実施の花火が上がったが、5:20から降り出した雨は、7時には土砂降りに、しかし、10時前に雨も上がり、突風に変わった。

すぐに動き出した祭りの呼び物、諏訪、羽黒、安波の御輿が街中を練り歩き始めた。清水会や女御輿、いこいなど担いでイイサの掛け声を挙げて復興の元気を与えていた。

雨風のため今年はばらばらの御輿の練り歩きでも市民には大変な元気を頂いた。ありがとう!感謝。

地震災害に思う内橋克人

2016-05-03 08:31:36 | 問題
経済評論家内橋克人さんのトークを聞いて。

日本は地震大国で、避けて通れない運命にある。内橋さんは阪神大震災を経験している。家屋の倒壊で亡くなった人の77%は家屋の圧死、窒息死であった。

この明暗を分けた原因は、内橋さんの家は倒壊してもつぶれなかった。それは父が通し柱と筋交いをさせていたことであったという。

3.11震災で、我が家も半壊、通し柱6本、筋交いはすべてつけられ、外はモルタルでも、内は竹でできた昔ながらの壁こめで、エアコン設置で外壁に穴をあけるとき、こんなに厚い壁は初めてだとこぼしていた。それが、震災で、向かいの家は倒壊しても我が家は半壊で済み傾きはなく垂直に立っており生活している。

1950年にできた耐震基準は全国一律でなく、地域ごとに設けられて差があり、係数が甘かったと。

静穏期から動乱期に入った日本列島、復興に資金が必要、その地震保険は阪神震災時3%、今度の熊本でも20%ぐらいと。火災保険と抱き合わせで入りにくくなっていて考えさせられると結んだ。

復興を祈願して川内でかえるマラソン

2016-05-01 10:40:18 | エッセイ
原発事故避難解除広野町に続き、川内村が実現したが、思うように帰還が進まず、スーパーや野菜工場など建設、イワナの郷などと村は努力して来た。

そして、復興を願い昨日30日、蛙の詩人草野心平天山文庫のある川内で、かえるマラソンが県内外から1,300人の参加で行われた。参加者には、川内公務員ランナーや国際マラソン2位の吉田香織選手らもゲストランナーとしてハーフマラソンを走った。

村民らとハイタッチしながら走る写真が今朝の福島民報に載っている。

この川内に、いわき市小川戸渡から、桶売りから、小野町から、富岡からと数回私も震災前にお邪魔している。この他に、都路から、常葉から、楢葉からも行ける。

しかし、四倉の仮設に避難している方何人が川内に帰還しているであろうと。以前、カメラ首に下げてお邪魔すると、話し込んでいた方たちはみんな去ってしまう。それ以来遠慮しているが。

2011.10.29長野県笛吹市社会福祉協議会のメンバーが来て、バザーのような形で衣類など広げて配布していたとき、仮設の住民は列を作って頂いていた。

四倉駅西側の仮設には、広野の方、そして津波で家を失った四倉住民が最後にできた仮設にお世話になっているが。写真は2015.1.6撮影四倉の川内仮設。