昨夜、NHKふくしま「はま、なか、あいづ」で、常磐ものとして有名なヒラメなど、昨年4月以降の試験操業で基準値を超える水産物はゼロになり、出荷制限は残り12種類となったと報じていた。
そして、小名浜のお店でアンコウの吊るし切りが始まった。ぬるぬるしていてまな板の上ではさばけずこうして吊るしてさばくという。
私も一昨年茨城の大津港で、そのアンコウの吊るし切りを見てきた。5,60キロもある大物である。今が旬で、アンコウのトもずが大好きである。
アンコウは水深30m-500mの砂泥状の海底に生息し、手足のように変形したヒレで海底を移動する。このことから、アンコウ目の魚類全体に対して海底での生活のイメージが持たれているが、チョウチンアンコウなどは深海域の150m-2500mの中層域に生息しており、ハナオコゼのように表層に分布するものもある。
アンコウは口が大きくあんぐりとしているところから名前が付けられた。また、今日は明治35年旭川でマイナス41℃を観測した寒い日でもある。我が家はマイナス1℃で水道はでたが、アンコウ鍋も美味しいね。
そして、小名浜のお店でアンコウの吊るし切りが始まった。ぬるぬるしていてまな板の上ではさばけずこうして吊るしてさばくという。
私も一昨年茨城の大津港で、そのアンコウの吊るし切りを見てきた。5,60キロもある大物である。今が旬で、アンコウのトもずが大好きである。
アンコウは水深30m-500mの砂泥状の海底に生息し、手足のように変形したヒレで海底を移動する。このことから、アンコウ目の魚類全体に対して海底での生活のイメージが持たれているが、チョウチンアンコウなどは深海域の150m-2500mの中層域に生息しており、ハナオコゼのように表層に分布するものもある。
アンコウは口が大きくあんぐりとしているところから名前が付けられた。また、今日は明治35年旭川でマイナス41℃を観測した寒い日でもある。我が家はマイナス1℃で水道はでたが、アンコウ鍋も美味しいね。
大相撲初場所で優勝した稀勢の里(田子ノ浦部屋)は、23日の横綱審議委員会で全員一致で横綱に推薦した。
相撲協会は25日の臨時理事会で正式に昇進を決定し、伝達式が行われ、1998年三代目若乃花から19年ぶりで日本出身横綱が誕生する。
昨年の琴奨菊、そして大阪出身豪栄道の優勝で期待が持たれていたが、次場所の不振で叶わず、本当に待ち望まれた横綱である。稀勢の里は、より横綱に近い成績を上げていたが、あと一歩及ばなかった。しかし、昨年は見事年間最多勝の成績で、14日白鵬が負けて優勝を決めた時点で、横綱昇進が決まったも同然であった。理事長は千秋楽の相撲を見てからと言っていたが。
昨年8/9いわき総合体育館での「大相撲いわき絆場所」には、稀勢の里は参加しなかったが、小名浜最高の暑さの中で熱戦が繰り広げられた。私は国技館で、2階席で、桝席で2度の3回見ており、正面からの観戦は東西花道からの入場が見れて感動した。(写真はいわき場所白鵬と日馬富士)
千秋楽の結びの一番、稀勢の里は右押しで、白鵬は左押しでと支度部屋の様子を聞いて、どうなるかと大変心配になっていたが、いつも稀勢の里の相撲は見ないようにしており、結果で取り口や相撲内容を判断していた。やはり白鵬は琴奨菊の攻めで稀勢の里を土俵際へ追い詰めたが、右を引いて左返しのすくい投げで勝った。琴奨菊と同じ手のがぶり寄りには屈しなかった。
出身地茨城県牛久では最高の盛り上がりであった。天晴れ稀勢の里おめでとう。
相撲協会は25日の臨時理事会で正式に昇進を決定し、伝達式が行われ、1998年三代目若乃花から19年ぶりで日本出身横綱が誕生する。
昨年の琴奨菊、そして大阪出身豪栄道の優勝で期待が持たれていたが、次場所の不振で叶わず、本当に待ち望まれた横綱である。稀勢の里は、より横綱に近い成績を上げていたが、あと一歩及ばなかった。しかし、昨年は見事年間最多勝の成績で、14日白鵬が負けて優勝を決めた時点で、横綱昇進が決まったも同然であった。理事長は千秋楽の相撲を見てからと言っていたが。
昨年8/9いわき総合体育館での「大相撲いわき絆場所」には、稀勢の里は参加しなかったが、小名浜最高の暑さの中で熱戦が繰り広げられた。私は国技館で、2階席で、桝席で2度の3回見ており、正面からの観戦は東西花道からの入場が見れて感動した。(写真はいわき場所白鵬と日馬富士)
千秋楽の結びの一番、稀勢の里は右押しで、白鵬は左押しでと支度部屋の様子を聞いて、どうなるかと大変心配になっていたが、いつも稀勢の里の相撲は見ないようにしており、結果で取り口や相撲内容を判断していた。やはり白鵬は琴奨菊の攻めで稀勢の里を土俵際へ追い詰めたが、右を引いて左返しのすくい投げで勝った。琴奨菊と同じ手のがぶり寄りには屈しなかった。
出身地茨城県牛久では最高の盛り上がりであった。天晴れ稀勢の里おめでとう。
1/21ブラタモリ「人はなぜこんぴらさんを目指すのか」を、一度家族でお参りしており興味深く見た。
タモリさんは3度も来ておる香川県琴平町の金刀比羅宮は江戸時代から、海上交通の守り神として厚い信仰をうけた神社で本宮まで785段の長い石段、籠で途中まで登る人がいて、大門でお店がなくなり、神域で800年も続く飴を売る五人百姓で、また来る思い出の飴を割って頂いていた。
奉納の玉垣を見ながら、私も下の娘を右手に抱いて直角に曲がる参道の思い出があり、参拝できない船乗りが海に船名ののぼりを立て流し航海の無事を祈願した酒樽や錨等を収めた蔵があった。蔵は知らなかったが、これらの品々から当時の信仰の深さがわかる。
年間300万人も訪れる本宮、そして海の見える広場に行くと、標高538mの象頭山の安山岩と花崗岩の際中腹に建つ本宮(象の目の位置に見える)は航海の目印にもなっていた。なぜこれほど人が訪れるのであろうか。私も参拝の経験から、1/10いわき湯本の金比羅神社祭でも、沢山の人出で混み合うが、金比羅を目指す理由は航海の安全祈願にあったようだ。他に出雲や八幡、伊勢もあるのにと。
門前町には、金比羅歌舞伎の金丸座の桝席、舞台に突然上がるすっぽんの装置など体験して、人集めには余念がなかった。ましてや、JR、琴電、急行、参宮と4つも駅があり、急行の駅舎の跡地が琴平羅郵便局になっていた。江戸時代からの人集めが今に続いている感じである。
タモリさんは3度も来ておる香川県琴平町の金刀比羅宮は江戸時代から、海上交通の守り神として厚い信仰をうけた神社で本宮まで785段の長い石段、籠で途中まで登る人がいて、大門でお店がなくなり、神域で800年も続く飴を売る五人百姓で、また来る思い出の飴を割って頂いていた。
奉納の玉垣を見ながら、私も下の娘を右手に抱いて直角に曲がる参道の思い出があり、参拝できない船乗りが海に船名ののぼりを立て流し航海の無事を祈願した酒樽や錨等を収めた蔵があった。蔵は知らなかったが、これらの品々から当時の信仰の深さがわかる。
年間300万人も訪れる本宮、そして海の見える広場に行くと、標高538mの象頭山の安山岩と花崗岩の際中腹に建つ本宮(象の目の位置に見える)は航海の目印にもなっていた。なぜこれほど人が訪れるのであろうか。私も参拝の経験から、1/10いわき湯本の金比羅神社祭でも、沢山の人出で混み合うが、金比羅を目指す理由は航海の安全祈願にあったようだ。他に出雲や八幡、伊勢もあるのにと。
門前町には、金比羅歌舞伎の金丸座の桝席、舞台に突然上がるすっぽんの装置など体験して、人集めには余念がなかった。ましてや、JR、琴電、急行、参宮と4つも駅があり、急行の駅舎の跡地が琴平羅郵便局になっていた。江戸時代からの人集めが今に続いている感じである。
昨日の朝「明日へのことば」で、奈良少年刑務所で心をほぐす詩の授業をした詩人寮美千子さんのトークを聞いた。
平成17年から去年9月まで、受刑者を対象に月一回の詩の授業を行い、彼らの作品を2冊の詩集にまとめ出版した。授業に参加したのは皆と歩調を合わせるのが難しく極端に内気で自己表現が苦手な子たち。
寮さんは東京生まれ、コピーライターを経て、昭和60年に毎日童話新人賞を受賞し、作家活動に入り、古い歴史の田舎くさい奈良で静かに余生を過ごそうと思っていた。5大監獄(千葉、金沢、奈良、長崎、鹿児島)の一つ奈良だけ残った。不平等条約解消に監獄ができ、威圧感がなく、修道院のような感じで、国の重要文化財に指定され、取り壊しの話があったが保存会の骨折りで存続と。
17歳から25歳の少年、定員は696名で9年前は740人入っていたが、いまは定員より少なく、3月で閉鎖になるが、年に一度の公開日に、受刑者の詩や俳句や水彩画を見て繊細でびっくり、教官の方との会話がきっかけで、月一回は1時間半の少ない時間では効果が上がるとは思えなかったが、怖かったので夫と一緒に、みんなと歩調の合わない10人の生徒を指導した。
最初、衣装を着たり絵本を読み拍手されたりして、1時間半過ぎると雰囲気が全然違がい、3回目から詩の授業を彼らの作品を題材ですすめ、心のつぶやきのことばを2冊の本「空が青いから白をえらんだのです」「世界はもっと美しくなる」に。
聴いて感動したのは、「空が青いから白をえらんだのです」は薬物中毒の後遺症で、いつも下を向いて早口でしゃべり、聞こえるように読んだら、周りから大拍手、急に話したいことがあるがいいですかと、話し始めた。
「僕のお母さんは今年で7回忌です。お母さんは体が弱かったが、お父さんはいつもお母さんを殴っていました。僕は小さかったのでお母さんのことを守ってあげることができませんでした。お母さんは亡くなる前に僕にこう言ってくれました。つらくなったら空を見てね、私はきっとそこにいるから。僕はお母さんの気持になってこの詩を書いてみました。」と。
普段は感想など言わないのに、いきなり手を挙げて、「僕は○○君はこの詩を書いただけで親孝行やったと思います」と云うんです。
また手が挙がって、「僕はお母さんを知りません、でも僕はこの詩を読んで空を見上げたらお母あさんに会えるような気がします」といって、ワーッと泣きだした。自傷行為の子で何度も自殺未遂をしたが、自傷行為が止まった。
また、「僕の好きな色は青色です、次に好きな色は赤色です」と何もしゃべらない子がその日からみんなと話ができるようになった。
寮さんは、いい作品だけが価値があると思うエリート主義者で、言葉の力がこんなにあるとは思いませんでしたと。この授業を彼らが刑務所に入る前に受けられたら、犯罪を犯さない気がする。心を開かせた授業に感動!
平成17年から去年9月まで、受刑者を対象に月一回の詩の授業を行い、彼らの作品を2冊の詩集にまとめ出版した。授業に参加したのは皆と歩調を合わせるのが難しく極端に内気で自己表現が苦手な子たち。
寮さんは東京生まれ、コピーライターを経て、昭和60年に毎日童話新人賞を受賞し、作家活動に入り、古い歴史の田舎くさい奈良で静かに余生を過ごそうと思っていた。5大監獄(千葉、金沢、奈良、長崎、鹿児島)の一つ奈良だけ残った。不平等条約解消に監獄ができ、威圧感がなく、修道院のような感じで、国の重要文化財に指定され、取り壊しの話があったが保存会の骨折りで存続と。
17歳から25歳の少年、定員は696名で9年前は740人入っていたが、いまは定員より少なく、3月で閉鎖になるが、年に一度の公開日に、受刑者の詩や俳句や水彩画を見て繊細でびっくり、教官の方との会話がきっかけで、月一回は1時間半の少ない時間では効果が上がるとは思えなかったが、怖かったので夫と一緒に、みんなと歩調の合わない10人の生徒を指導した。
最初、衣装を着たり絵本を読み拍手されたりして、1時間半過ぎると雰囲気が全然違がい、3回目から詩の授業を彼らの作品を題材ですすめ、心のつぶやきのことばを2冊の本「空が青いから白をえらんだのです」「世界はもっと美しくなる」に。
聴いて感動したのは、「空が青いから白をえらんだのです」は薬物中毒の後遺症で、いつも下を向いて早口でしゃべり、聞こえるように読んだら、周りから大拍手、急に話したいことがあるがいいですかと、話し始めた。
「僕のお母さんは今年で7回忌です。お母さんは体が弱かったが、お父さんはいつもお母さんを殴っていました。僕は小さかったのでお母さんのことを守ってあげることができませんでした。お母さんは亡くなる前に僕にこう言ってくれました。つらくなったら空を見てね、私はきっとそこにいるから。僕はお母さんの気持になってこの詩を書いてみました。」と。
普段は感想など言わないのに、いきなり手を挙げて、「僕は○○君はこの詩を書いただけで親孝行やったと思います」と云うんです。
また手が挙がって、「僕はお母さんを知りません、でも僕はこの詩を読んで空を見上げたらお母あさんに会えるような気がします」といって、ワーッと泣きだした。自傷行為の子で何度も自殺未遂をしたが、自傷行為が止まった。
また、「僕の好きな色は青色です、次に好きな色は赤色です」と何もしゃべらない子がその日からみんなと話ができるようになった。
寮さんは、いい作品だけが価値があると思うエリート主義者で、言葉の力がこんなにあるとは思いませんでしたと。この授業を彼らが刑務所に入る前に受けられたら、犯罪を犯さない気がする。心を開かせた授業に感動!