オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

法要

2012-12-25 | Weblog

12/25(火) 先ほど高知から帰京したところ。20日の朝の便で高知に行き、21日にかけて相続や諸々の手続きを行った。まどろこしいこと夥し、遅々として進まず苛々が募った。こっちの手際の悪さや大ボケの所為もあるので、相手方を責める分けにもいかないのが悔しい限り。初めての経験と云うのは遺憾ともしがたいのであった。

そして、23日は叔母に一周忌があり隣家の叔父の家に行く。この家は仏ではなく神道なので、神主さんが見えて祝詞をあげる。墓に行って、祈り家に戻って飲み会となる。パターンは仏も神も同じである。久しぶりに小高い山の中腹にあり叔父の一家の墓に詣でた。叔父は、父の弟でこの家に養子で入った。

その叔父も、七人いた姉や兄も全て亡くなり一人となった。すっかり自分だけの世界にいる、父が健在のころは一緒に車で遊びに出かけ、戻っては安い肴を買ってきて早々と一杯交わす。そんな日々であったが、今や独り暮らしの一人飯、長男は早くに亡くなり、娘二人は大阪と東京に暮らす。典型的な田舎の過疎の現状がここにもある。

                         

その帰路、と言っても墓までは僅か5~6分の距離。その麓にある我がミカン畑に立ち寄った。未だ未だ小さいミカンの木にも、少しだけ実を付けているのがある。既にその僅かな実も黄色く色付いていた。今月末から来月にかけてが収穫の頃合いだろう・・・。一本だけ以前からある「小夏」の樹は、今年も沢山の稔り。

               

植えてあった綿は、すっかり枯れ始めていたが、綿の実が熟し切らずに開いていないのが半分ほど残っていた。寒の方が早くに来てしまったようだ。もっと早くにタネを播いてやるべきだったのか。素人がやることはこんなものか・・・。

24日は、朝から父の四十九日法要の準備。私の田舎では、都会とは異なり自宅で法要を執り行う。昔は料理も全て家で作っていたが、最近はすべて仕出し屋に頼む。それでもテーブルや、コップ・箸・皿と用意するものが多々。無論前日や前々日から準備はしているが、当日しかできないことも多い。

                         

従兄弟や親せきなど五十数名が来てくれ、坊さんが来て読経となった。墓の準備は未だなので、そのまま家で飲食となる。前夜、経を挙げに来てくれた坊さん(宗圓さん)には、自家用車で来ないように伝へておいたので一緒に一献。薬師堂や本堂の建て替えの予定がると聞いていたので、その計画なども聴きながら酒を料理を勧めたのであった。

土佐の宴会は、勿論『皿鉢料理』である。刺身の皿鉢、寿司や焼き物、揚げ物が盛り込まれた皿鉢、ソーメンから酢豚など諸々が並ぶのは、最近の様相である。昼に始まった精進落としは、六時ごろには終わった。三々五々と引き上げる客に挨拶し、お土産を渡す。これも勤めなのであった。

皆さん集まってくれたので、いい法要ができた。正確には四十九日ではなく、三十五日の満中陰であるが、坊さんの三月越しはよくないとの意見で、年末に執り行うこととなった。元々は叔母の一周忌で帰省するつもりであったが、まさか、父の四十九日法要が続こうとは・・・。

 

それにしても疲れた、疲れたのであった。慣れぬことは疲れる、と実感した。

 

 

コメント
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