7/3(金) 今朝の目覚めは久々に爽やかな気分だった。梅雨寒で涼しいせいであろうか。六時過ぎに軽やかに台所に立った。
メニューは全く考えていないので、食材を探しながら決める。グリンピースが、冷凍庫で凍えているのを発見。ご飯は「豆ご飯」にすることを思いたった。豆とご飯は別々に炊いて、最後に混ぜ合わすことにした。
菜の方は、厚揚げが一枚残っているので、これを煮物に。牛小間が少々あるので、ジャガイモとタマネギで「肉ジャガ煮」、ニラも長らく出番待ちの様子なので「ニラタマ」にすることにした。これで今日のラインナップは決まりだが、チンケな鯖の文化干しも焼くことにした。
今朝の弁当は、どちらかと云えばサクサクと仕上がった。昨日は、フライパン一枚で菜を仕上げたが、今日はそうはいかん。小鍋を二つに、フライパンを使用した。
何時もどおりに、弁当箱に詰める段になって往生だ。菜はあるのに収まりきらんと云う悩みである・・・・、ご飯の領分を侵食だ。こんなことしていたら、中国の南沙諸島や尖閣の侵略に異議を唱えるに気が引けそうだ。自らの行為を顧みてしか言を唱えれない、小市民なのだ?
-今日の反省-
作家の車谷長吉さんの短編に出てくる話だが「人間の偉いというのには限度があるが、人間のどうしょもないのには限度がない」と云うような一節があった。馬鹿はどこまでいっても限りなく馬鹿に通じるように思えるが・・・。偉い人といってもしれているが、愚図馬鹿には底がないだ。
こんな厳しい言説に触れると、己の度し難い馬鹿さ加減を言われているようで沈思する。が、黙考には至らぬ底なしの阿保である。