オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

連日の昼酒

2015-07-02 | Weblog

7/2(木) 一昨日につづき、昨日も昼酒となった。昼酒といっても昨日の酒は、15時半のスタートだったので夕刻に近い方だ。軽井沢の仙人こと、KIYOTA大兄が、お見舞いの為に下界に下りてくると聞いたのは一昨日のことだった。それじゃお見舞いの後で一献交わそう、となったのは言うまでもない。

落ち合ったのは目黒の某社、私はその前に一件、用を済ませた。権之助坂を下ると目黒川。この橋の上から上流の中目黒方向を望むと、春先に満開の花を点けた桜が、両岸に葉を繁らせている。花筏に一面が覆われた川面に、中目黒のタワーマンションが映る。

                          

四半世紀も前の現役時代、Kさんは私の上司であった。二人で出掛けた客先の用が終わり、会社に戻るかと思いきや、目の前に在った蕎麦屋に入った。遅めのランチかと思っていたら、頼んだのは燗酒であった。そんな上司と付き合ってきたのだから、今の私の有体も判ろうと云うもの。

余談だが、昼酒も朝酒も何の抵抗もない。「奈加野」の店主と築地市場の買い出しに行っても、朝飯でビールを頼む。店主は「朝からよく飲めるな?」と言うが、出掛ければ飲むと云うのが習い性になった。

Kさんが来れば、飲むに時間は関係なし。久しぶりに顔を合わせたKさんだったが、頸椎を傷めた後遺症が残っている。熱心にリハビリをやっているそうだが、覚束ない足元で弱々しい。目黒、権之助坂を少し行き来しただけで、しんどいと音を上げた。

漸く開いている店を見つけて入ったのは、焼き鳥店であった。メンバーはKさんの他に、これも腐れ縁と云えるT君、日本在住三十年のスエ―デン人・ダ―グの四人だった。ダーグは、糖質アレルギーが出たとのことで酒も食い物も慎重に選択した。

数年前までは、このメンバーでの飲み会も多かったが、Kさんの蟄居により久々である。飲み始めると、軽井沢の老人は一挙にエネルギーを発散。外を歩いていた姿は影をひそめ、機関銃のように言葉を発し続ける。暫くは喋らせておこう・・・・・。

日本の食い物屋を八千店は巡ったというダーグは、スマホの写真を見せながら、寿司の名店「 次郎」「久兵衛」の値段と味について講釈する。ランチで三万六千円のウニ・マグロや某店の二万何某のランチ、随分と詳しい。悔しいので『その金、自分で払ったの?』と、水を向けるじゃなく水を差した。

「お客さんを案内してのことよ、スエーデンで二番目の金持ちなんだけど。この人が案内してくれというのでね。」と返ってきた。日頃のダーグからすれば、さもあろうと納得だ。その某大金持ちが、一番喜び美味いと気に入ったのは、四千円だった二子多摩川の焼肉屋だとか。

スエ―デン語でホームページやブログを作成して日本の食、文化を発信しているとスマホで見せてくれた。皆でダークの故郷、スエーデンの田舎町に行こうと盛り上がったが、どうなるこっちゃやら。これまでも、何度かあったシーンだ。

 五時半頃にお開きになった。ダーグが、綺麗な姉さんの画像を見せて東中野に居るんだけど「いく?」と訊いた。『今日はそんな気分じゃないな、悪いがまた今度』と、別れた。この日も真直ぐに家路についた。それも徒歩で・・・・。酒を飲み歩く気力が衰えている。

 

今朝も早くから目覚めたが、起きだしたのは六時過ぎ。先ずは弁当だ・・・・。電気釜には茶碗二杯分のご飯が残っていた。炊くか炊かぬか、ここが思案のしどころだ・・・。炊くのは止して、タマネギとチャーシュウを入れて増量する「焼き飯」に決した。

                      

菜の方は、牛肉を買い置いてあるので「牛炒め」をメインにし、野菜焼きを添える。「ピリ辛蒟蒻」「オムレツ風卵焼き」に鮭を一切れ。以上である。

               

使用した野菜は、タマネギ・ピーマン・シメジだけ。焼き飯の方は、バターを少々入れたので、差し詰め「焼き飯風バターライス」。香りがたって旨そうだ。

                         

 

今日の昼、友人のT物産社長OKAZAKIさんが近所に用があるのでと会社に来た。近所の喫茶店でランチのサンドイッチを食しながら雑談。二人の話は会社のことが中心だが、今日は先日行ったというクリニックの話が出た。

「家内の勧めで、MRIとペット検査を受けたんだ。結果を聴くのがちょっと怖かったけど、問題なしだった。時間も費用もたいしたことがないんで、受けたら」と勧める。其処は、かって「脳内革命」云う本がベストセラーになったが、その著者・春木Drのクリニックだった。

時間も費用も、クリニックの場所も最適である。加えて、この数週間は体調不良。自己診断では、癌細胞が数か所にあるだろうと思っている。さっさと逝っても、思い残すのは郷里の老母のことだ。が、自分が逝く時に同伴さすわけにもいかんだろうし。こればっかしは致し方ない、なるようになるしかないか・・・・。

そうは云っても若干の時間的な猶予が欲しい、三ヶ月ぐらいは。そう考えると、一度は検査を受けて時間を読む必要があると思う次第。そこで、O氏の受診カードを借りて、クリニックをチェックする気になった。

社に戻って一服しながら、YOSHIOとの会話・・・・。
『今度よう、ペット検査とMRIをやろうかと思ってるんだが・・・・』。「血液で悪いところが、癌なんかも全部分るらしいよ。受けたら。」と言う。『そうだな、値段も安いらしいし、時間も早いそうだしな・・・・』

『でもよう、なにもかも分っちゃうと拙くねえか? 貴方の預金残高は、二億八千万円ですね、とか』。 おまけに『彼女十二人ですね? あってますか?なんて言われたら堪んないぜ・・・・』と、与太を飛ばす。

YOSHIOは大喜び・・・・。本当にバカだね、俺たちやぁ。馬鹿は死ななきゃなおんねえか・・・・・。こんなこと言ってるうちが華か?

 

 

 

 

コメント (2)
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