オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

散歩

2017-08-01 | Weblog

8/1(火) 今日から弁当作りは長~い、夏季休暇に突入した。朝、目覚めても台所に向かう必要はない。ぼんやりと蒲団に寝そべって、時が過ぎるのを楽しむ・・・・・。

朝の時間が空いたので、散歩でもすればいいのだが、膝を悪くして以来そんな気がしない。せめて、夏休みの間だけでも朝飯を喰らうのは止そうと思っている。初日の今朝は、一枚のトーストを半分にして食べ、アイスコーヒーの一杯だけ。昼になって腹が減ったが、これを乗り切れればいいのだが?

朝の散歩は乗り気がしないが、夜の散歩だけは殆ど欠かさない。昨晩は、19:30から「ローカーボ」にてハイボールを啜り始めた。先客が一人、若い方のNAKAMURA君、ことシャンパン王子が居た。彼の隣に腰を下ろして、球児だった彼から、今たけなわの高校野球のことなど聞く。

そう云えば、亡くなった従弟の直宏も球児だった。甲子園に出場し、ランニングホームランを打ったのをTVで見た。法政大学から、地元の実業団チーム・四国銀行に入り野球をつづけた。彼が急逝して、三年半になるか・・・・。あの頃は、直宏の高知高VS高知商業などが代表になることが多かった。明徳高校は未だなかった時代である。

余談だが、今夏の高知県代表を争った決勝は、明徳と梼原(ゆすはら)高校であった。梼原村と云えば竜馬の脱藩の道であり、愛媛県と境を接する山間地である。私は行ったことはないが、どんなとこかは想像できる。そんな僻地(といえば叱られるが)に高校が在ることさへ知らなかった。尤も、今は町村合併で四万十町とか云うそうだが。

そんな田舎の高校が、県大会の決勝まで進み甲子園常連の強豪校といい試合をしたようだ。朝日新聞によると、高校の廃校の危機を乗り切るために野球部を創部、今では県下から生徒が集まり五十人の部員がいるとか。都市部への集中が進み、私立の学校が県内・外から有望選手を集める時代にだ。

片田舎の県立高校がそこまでやれるのは、過疎で存続の危機に瀕している学校にとって、手本となるように思うが如何であろうか。片田舎の我が母校は、まさに存続を問われているからこそ、梼原高校の活躍にエールを送る!。かつての、四国山脈の小さな盆地、池田町の池田高校の活躍を思い出す。

夜の散歩で、熱球を追う球児の話題へ。そして、過去と過疎にまつわる話題へと飛んでしまった。夜の散歩をしていると、いろんなことに思念がおよぶのだ。

二人だけだった店に、常連のKATOちゃん、そしてHOYA兄いとIMAEの兄ちゃんが。俄然、盛り上がり騒がしくなっているところへ、マッチャンとONODERA氏の二人が登場。カウンターは、常連の揃い踏みとなっていた。

                      

之も余談だが、「ローカーボ」の灯が今月末ごろに消えることになった。ビルの売却が決まったと、マスターはホットしているが・・・・。ローカーボ難民が多発するだろうと、常連は心配している。オープンから四年だが、もっともっと長いような気がする。残り僅かな期間だが、せいぜい名残りを惜しもう。

KATOちゃんがカウンターに肘をついて舟を漕ぎはじめたころ、「お先へ」と席を立った。次に寄ったのは「セイジュ」、ここで持ちこんであるウイスキーを飲む。先客が四人、声高の話からマイクへと移る気配を感じて退散した。最後の寄り道は「ちょぅぷく」と、毎度同じ道を辿るのであった。

助っ人隊のミムラッチ、YAMAちゃん店長と話をしながら白ワインを飲り、茹でたての唐黍を頂戴した。散歩を終えて帰宅したのは、23時半頃であったろう。近頃は無理が効かない体と財布。いい頃合いの帰還と云えよう・・・・。

 

 

 

 

 

コメント (2)
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