8/3(木) 昨夜の散歩は早目に切り上げ、帰宅は22時過ぎと、しずかな夜であった。夜の帳が下りる頃から急に涼しくなった。20時過ぎに会社を出て「ローカーボ」に寄り道した。そこに、三日つづけてのNAKAMURA君(シャンパン王子)の姿がひとつだけあった。
彼の横に腰を掛け「連日だね~、お互いに」と、ニヤリ。マスターに『今日は一杯で帰るよ』と、ハイボールをオーダー。尤も、その前にマスターはハイボールを作り始めていたが・・・。『昨夜はどんな話をしたんだっけ?』などと、ボケタ会話をしながらハイボールを啜る。煽るんじゃなく、啜ると云うところが可愛くないか?
ハイボールを空けた後は、白ワインを頼んだ。マスターから「一杯じゃなかったの?」なんて言われ、『ハイボールが一杯、と云う意味さ』と応じたが、菊池の雉大王・マッチャンのように「腹いっぱい」なんてことはいえないのだ。
何時のまにか、会話は病気のことに。それも肝臓はどれだけ持つか、血糖値はどうかなどで、酒飲みの内臓は何処まで許容値があるかだった。俺なんぞは、内臓よりも、お脳の方が心配なのだが・・・・。
ハイボールと白ワイン、たった二杯で切り上げた。「蒸気船たった三杯で夜も眠れず」との駄洒落(川柳)があるが、オイラは三杯ならぬニ杯で降参した。
涼しい夜と相まって、早めに帰宅して「明太茶漬け」が食べたくなったのだ。店でなく、家で食べたいと云うところが泣かせるじゃないか。貧乏人はうまくできてるぜ。
で、22時過ぎに帰り着いた次第。茶漬けをと台所に行くと、ひと足先に帰った家人が、残っていたご飯を食べようとしているところだった。遅かりし由良の助、と相成って、小生は「ソーメン」を食すことにした。銘柄は、揖保の糸?それとも・・・。ともあれ、上品な細い麺である。それを茹で、胡瓜の千切りとミニトマトで色を添えた。
この程度なら、腹ももたれなかろうと云うものだ。食いしん坊オヤジは、手間暇を気にしないのだ。
夜が涼しく、おまけに早くから蒲団に入った。その所為か、目覚めたのは明け方の四時である。これには参ったが、夜の散歩はしても朝の散歩は、とうに忘れている。おまけに弁当作りと云うお楽しみも休みだ。時間を潰す本もなかった。困った困ったで、時の過ぎさるを待った次第。
― 小さな命 ―
会社に来ての楽しみは「ちいさな命」たちだ。メダカは、十三匹の小さな命が丸い水槽で泳ぎ廻っている。たった一本の胡瓜ながら、これにも後続の実が三つ四つと育つ気配がある。朝顔は、去年のタネが落ちたであろう。ヒョロヒョロの一本の蔓が50センチ程伸びて、赤紫の花を一輪咲かせた。
小さなメダカに、餌を指先で擦り潰して与える。タバコを吸うベランダで、小さな胡瓜が日々大きくなるのを楽しみ、一輪の朝顔を愛でる。たったそれだけのことが、妙に安らぐひと時をくれるのだ。
農業などやっておれば、楽しいに違いない。HIROAさんが、野菜作りに専心する気持ちがわかるねぇ~。
余談 ― 大学に入った頃は教師なろうなど考えもしなかった。当然、教職課程も取らなかった。それを、四年生になってから悔やんだ。と、云うのも・・・。剣道部出身だったので、郷里の母校の後輩建ちとの接点があった。また、親父が剣道を教えている子供達が成長する様子を目にしていた。
幼いものが、少年がだんだんと成長し大人になっていく。そんんなことに携わる仕事もいいな、と思うようになっていた。人であれ、動植物にせよ、成長する過程を共にする、できる仕事はいい。と、思うようになっていた。時、既に遅くサラリーマンになった。
振り返ってみれば、入社したての西も東も分らぬ、算盤もできない木偶の棒のような俺を、育ててくれたのは職場の先輩や上司だ。そして小生意気な俺を暖かく見守ってくれたのも、心配してくれたのも先輩方や上司、大勢の皆さまだった。
残念ながら、この俺は大きく成長することも、実を結ぶことなく終わろうとしているが、少なくとも若い頃は大勢に見守られていたに違いない。今にして、そう思える。サラリーマンになることも、零細の会社を引き継ぐことも運命、前世からの約束と云うやつだろう。
せめて今出来ることは、ただ一つ。成長するであろう命に、少しでもその可能性を伸ばすための水を遣ること。例え、ひと滴の水であろうとも・・・・、そう云うことかと思う。
「小さな命」に触れ、改めて自分をふり返る。今朝は、そんな次第である。