8/22(火) 昨日の夕方に東京に戻った。14日に帰郷、先ずはミカン畑の草刈り済ませた。と、云うのも17日~21日まで会社のスタッフFUJIKURAとYOSHIOに加え、かつてのメンバーUSUI老まで来高するのだ。F&Yは畑仕事に池掃除、川で鮎釣りをしたいと云う。加えて、あちこちを観光したいと盛り沢山な希望である。
畑の草刈りだけでも半日は要す、事前に草刈は済ませて彼らの到着を待った。なにしろ、飛行機に乗れないFがいるので、東京を九時半の新幹線に乗り、岡山を経由して土讃線でごめん駅、そこから土佐くろしお鉄道、ごめん~なはり線に乗って我が安田駅に着くのは16時29分。七時間の電車旅で、往復を考えると丸々二日間が車中と云う、効率の悪い旅なのだ。
まだ陽が明るい時間ながら、冬なら日暮れが迫る時間に安田駅で到着を待った。阪神タイガースのペイントした一両だけの電車がトンネルを抜けてきた。トンネルを抜けると、そこは雪国ならぬ陽光の注ぐ「安田駅」。僅かな降車客につづいて三人が、車中のビール疲れのような顔と姿で出てきた。
高架のホームからビニールハウスの田園地帯が、その先はに安田川が流れ落ちてくる山陵が折り重なっている。そんな景色を楽しむまでもないメンバーを、駐車した車に誘った。ここから、安田川を20KM 程遡った馬路村の村営温泉に案内し、旅の汗と疲れを流して貰う。山間に僅かに開けた山村と川辺の温泉に満足した様子。
実家に戻り、皿鉢料理と鮎焼き、前夜に用意した鮎の開きと鮎寿しで歓待したが・・・・。彼等の口に合ったかどうか?。
翌日は、高知県東部の名所「室戸岬」へと。その前に、隣町(田野町)に眠る幕末の志士、二十三志を祀る福田寺に詣でた。土佐勤王党の盟主、武市半平太の赦免と一国勤王を願った、勤王派の郷士23人が山内容堂に嘆願し脱藩。土佐との境、阿波にて捕縛されこの地で斬首された。維新後、二十三志は叙勲されたが、最年少は16歳とある。そして、斬首の奈半利川、河原に建つ記念碑を案内。明治維新となる四年前のことである。
此処から奈半利川をさかのぼって、北川村の中岡慎太郎(陸援隊隊長)の生家跡へと案内。山深い地に、大庄屋だった中岡家が、昔のままに再現されている。此処へは、歴史に関心が高いFの希望であった。
そして室戸岬へ。弘法大師空海が修行したと伝えられる「みくろど」と、前に広がる奇岩の海岸を歩いて貰う。暑い最中で、私は日陰で一休み。岬の断崖の上に建つ、二十四番札所「最岬寺」(ほつみさきじ)と、寺と目と鼻の先に在る「室戸岬燈台」を案内する。真夏の太陽の下、汗だくとなるが、空・海の見事なコントラストに白い灯台が映える。
実質二日しかない日程だ。先を急ぎ、帰路に着く。室戸漁港の近くに在る海の駅へ寄る。大した品はないが、吉良川産(備長炭で売り出し中)の炭が有ったのでバーベキュー用に買う。ここでランチと云うことにしたが・・・。店主お奨めのキハダマグロ丼を食したが・・・・、私はこれはお奨めできないな。身にしまりがない、俺の腹みたいだぜ!(この一言で想像がつこう)。
途中、「キラメッセ」(道の駅)に隣接する「クジラ館」(江戸時代の捕鯨について展示)を見てもらう。
急ぎ足で室戸から戻ったが、午後二時となり暑さは最高潮に達す。その中を畑に行く。畑作業の要望にそった訳だが、暑い。暑いのに焚火をし、更に汗を掻く。焚火の訳は、バーベキュー用の炭を熾すと云う目論見だ。その間、F&Yに青い栗イガを集めて貰う。これも立派な畑作業だ。栗虫がへた食う所為だろうか、未だ青いイガ栗が畑に広がって困るのだ。
午後四時、河原でバーベキューとなる。室戸からの帰りに買ってきた肉、従姉の連合いが獲ってきたばかりの鮎を焼きながら、冷えたビールを飲む。浅いだろうと、川に入ったFは、想像以上の水量と意外な深さ、川石の苔に足を取られて早々に引き返す。こっちは炭を熾して野菜や肉、鮎を懸命に焼くのであった。
橋の上を見やると、若い集団が歩いて行く姿が・・・・・。川向こうを歩く若者たちに手を振ると、向こうもふり返す。暫くして、彼ら彼女らが橋の上に戻ってきた。それに手を振りながら、オイデオイデをすると・・・・。「行ってもいいですか」の声が・・・・。おいでよ~おいで!。
訊くと、高知大学の学生と、留学交流のインドネシア・マレーシアの学生。地域調査と云うことで、十日ほど安田町に滞在すると云う。町の広報紙などを見ているの、こっちとしては案の定だが、東京組は驚いたようだ。ここで国際交流になろうとは・・・・。焼いた鮎を勧め、アルコールも勧めたが、お酒は未だ駄目だとのことだった。イスラム教と云うより、フィールドワークの時間中とのことのようだ。
引率の先生を含め、二十名近いメンバーに鮎を焼いて振舞う。日本人の学生は、ここの鮎を食べたかったと喜び、留学生に鮎の食べ方を教える。束の間、安田時間を楽しんでくれたであろうか・・・・・。
かくして、二日目が無事に暮れていった。朝五時のサイレント、六時に流れる音楽には驚いたようだが・・・・。田舎の人は働き者なのだ?。