2014/1/7(火) 先ず、仕事始め・・・
長いようであっと云う間に過ぎた年末始休暇、元旦から昨日の朝にかけて帰省。昼過ぎに帰京し、会社に顔を出した。最初にしたのが猪汁の準備だった。三越で野菜を買い込み、猪肉の塊を薄切りりに切り分け、寸胴鍋で煮込んだ。アシスタントは、デザイナーのYOSHIOであった。
仕事始めで一献交わすのは恒例である。年末に従姉から届いた猪肉を会社に持参し、冷蔵庫に仕舞っておいたのだ。旨い猪肉だとのことで、送って貰った次第。先月、年末の山賊の酒盛りにつづく猪肉料理なので、スタッフは食傷気味かと思いながらも“年初から猪のように突っ走れ”の願いを込めての猪汁である。
年始会では、TOKIOが自家製の角煮饅頭を持参、NOBORUは琵琶湖名産の鮎甘露煮、AKAGIは茨城からロースハム、USUI老は大根漬物と鯖燻製、元スタッフのYURIKA嬢が帰省中の石巻から高政の蒲鉾(これが絶品)を届けてくれた。私は、ゴボ天や竹輪・チリメンジャコ・土佐の巻き寿しを持参した。食傷の猪汁が美味いと、好評で一安心。
社内の新年会の後「ローカーボ」から「ちょっぷく」と、新年挨拶を兼ねて廻り帰還した。元旦から五日にかけて温暖な日々を過ごした身には、江戸の風が冷たく沁みた夜であった。
そして今日の午前、恒例の日本橋七福神(おまけが一社あり八福神だが)巡りを済ませた。約一時間で廻れる、手ごろな神社巡りである。椙森(福森)神社・寶田恵比寿神社・小網神社・茶の木神社・松島神社・水天宮・笠間神社・末廣神社と駆け足で参拝。年配者をの団体から、外人さんのグループにも出会った。
水天神(仮社) 最後の参拝「末廣神社」
愈々、今年のスタートである。
年末のこと・・・
12月27日の仕事納めから明けた28日(土)。この夜「ローカーボ」にて生バンドが入るとのことで、枯れ木も賑わいかと会社に顔を出した後、ローカーボに行った。小さな店内一杯に響くブルースバンドの演奏。バンドの取り巻きや常連の客も顔をだして大賑わいであった。
思っていた以上に上手なバンドで、生音を楽しんだ。狭い店内に立ち飲み立聴き客が溢れた。暫くすると、蕎麦処「高松」の面々が忘年会の流れで入ってきた。席を譲り、招いていたYAMAUCHI君を誘いSeujuにて話をした。大方は仕事仕舞をし、街は静かに更け行く。「ちょっぷく」では常連の客が大掃除の手伝いをしている。中々に面白い光景である。
29日(日)この日は、午前中に会社に出る。NOBRUが昨日につづき、出勤した。前夜に届いた年始用の猪肉を持参し、冷凍庫に仕舞う。暫く居り、「日山」にて正月用のすき焼き肉とシャブシャブ肉を贖って帰宅。午後から元住吉に暮らす次女のアパートを、家人と義妹夫妻で訪ねた。二匹目の子猫を見るとのことだが、要は家庭訪問と云う処か。
子猫は捨て猫を施設から貰い受けたとのことで、未だ人に慣れずゲージの間からこっちを伺っているばかり。私一人になって漸く動きを見せた。ブルーの眼をしたはしっこそうな素敵な仔猫であった。
帰路、元住吉の長~い商店街ブレーメン通りを散策。面白そうな居酒屋を物色して義妹夫妻と一杯やる。帰りの車内の暖かさに瞼が重くなり、一駅手前から居眠り。中目黒まで乗り越してしまった。
そして30日(月)、家人と義妹の三人で9時前に築地の市場に就いた。場内市場はこの日でお仕舞。尤も魚のセリは前日で終わっているが、場内の生マグロ専門に商う「米岩」にマグロを頼んであった。これを受け取り、天ぷら用の車エビや正月用の花豆などを買うのが目的。年末で場内の飲食店は朝から何処も満杯であった。朝飯とビールでもと思っていたが、当てが外れる。コーヒーの「愛養「も満席であった。
場内にまして凄い人出は場外市場。歩道はもとより、車道まで人が溢れて車も通行できないあ有様。警備員が声を嗄らし、挙句の果てに金きり声で整理をするが、人の群れ流れは馬事東風、途切れなかった。これまで見たどんな光景よりも凄かった。飯を喰うのは諦めて、早々に引き上げる。
築地場外市場の大混雑
帰宅後、じゃビールでもやるかと義妹を相手に昼前から一杯。買ってきたマグロの刺身を肴に飲み始めたのであった。家人の方はビール一・二杯が精々だが、義妹はやたら飲む・・・。
二時間ほど昼寝の後、今年最後の一杯をやるため渋谷「奈加野」と出向いたのは5時30分である。今宵の相方、TUGAWAさんは既にテーブルに着いていた。今年最後の酒は、我がナチュラルの創業者であり相棒のHIROさんとの二人酒。昨今の状況などポツリポツリと話、HIROさんの手術予定など訊く。時折、奈加野の店主が茶々を入れに覗く・・・。店に居たのは二時間程か、早い時間に切り上げ、二次会へと流れもせずに帰宅した。
そして大晦日を迎えた。家人は朝から掃除に精を出しているが、小生はのんびりゆったりとしたもの。この日は残っている鮎の甘露煮、小さな鰻ものこっているので蒲焼にしようという魂胆。炭を熾しコンロで鮎の素焼きを、そして最後に蒲焼に着手。鰻は小さいので直ぐに焦げる、何度も何度もタレを付け反し焼するがコンロの火力も強い。鮎は素焼きの後、甘露煮にする。何とまあ、物好きな男と云えよう・・・。
こんな塩梅に2013年は暮れていく。鰻丼にして大飯を喰らい、エビ天の年越し蕎麦を食す。連日連夜の鯨飲馬食、老体に鞭打ってひたすら肥満街道を驀進するのであった。飲む・喰う・読むだけで、今年も除夜の鐘が響く・・・。
2014年 元旦~
新年を迎えるも、何の感慨も湧かぬ。押し寄せもせず、さざ波もたたぬ年明けであった。雑煮を食し、ビールを飲んでの新玉。改まったことは何もなし、齢を重ねるとは、こう云うことか・・・。
夕刻の便にて高知に向かった。思いのほか、便は満席に近い状況であった。機窓越しに、沈み往く太陽が朱鷺色に染まりゆくさまが、一瞬の命の輝きかと胸に迫った。稚内のサロベツの原野から臨んだ、利尻島の島影に沈む夕日の色合いを思い出す。
日も暮れた空港に出迎えてくれるのは、いつもの如く妹夫妻である。
二日、午前中は父の墓に参る。掃除は暮れに妹たちがやってくれたとのことであり大助かり。線香を手向け、花の水を替える。穏やかで暖かな一日。隣り合う畑の蜜柑「紅蜜柑」の小さな実が朱く熟れていた。立て替えた小屋も綺麗に仕上がっていた。
紅蜜柑
午後、妹夫妻とその子供夫妻や孫、親戚も来て正月を祝う。
この日、13時過ぎに後輩のOKADA君が、高知市内から車でやって来た。年末に電話を貰った折に、一杯やって泊まっていくように伝えたが『顔だけ見て帰ります』とのことであった。俺の顔を見たって何の変わり映えもなし、酒でも飲んでゆっくりしてくれればいいものを・・・。遠慮したのか、田舎に泊まっても気詰まりなのか?
いっちょ前に、車種はベンツなんだよ。独身男で金の使い道がないんか?前もベンツに乗っていたが、最近買い換えたそうだ。「車買わないで、女房を買えよ」と云いたいところだぜ!
一緒に仕事をしていた二十数年前のことか、一度家まで遊びに来たことがあると云うが、全然覚えていない。OKADAは二年前となるか、高知支店に転勤となり故郷に戻っている。未だ東京に未練があると云うが・・・。OKADAとの笑い話は『偶には僕が奢ります』と言って一杯やり、支払いの段になり財布を忘れた、金が無いと云うことが二三度あった(この野郎~奴)。
三日、妹一家に従姉達と昨年につづき山歩きをするとのことだが、今年は町内が、四国遍路・二七番札所でもある神峯寺(こうのみね)にするとのこと。海辺に近い最寄りの駅「唐の浜」から3~4kmの山上にある。右膝が不具合な私は小さな子供たちと車で向かう。徒歩組と車で向かう組に分かれ、お寺で落ち合う。
神峯寺山門 山門入った右手・椿
姪のAYUMIはトライアスロンの選手なので、家から寺まで往復を走ると、八時に出発。我らは9時に車で唐の浜駅(とうのはま)に向かった。徒歩組は此処から歩く。出発前、記念撮影をする。そこへ、ごめん・奈半利線の一両だけの電車が入ってきた。駅の周辺はビニールハウスの園芸地帯である。
ここ神峯寺へは、11月に叔父と車で来ているが、今回は正月の参拝と、前回に廻れなかった神峯神社にも参拝した。山道をかき分けて、空海が此処で修行した際に腰を掛けたと云う大石や、西行法師が詠んだ歌の記念碑、夜になると光るという灯明岩なども見る。
神峯神社 空海の腰掛岩
灯明岩は「天変地異が起きる前兆として光る」と説明書きがあったが?夜になると光れば何時だって光ってるんじゃないかと思うが・・・。日清・日露の戦、関東大震災・太平洋戦争・南海地震等にも前兆があったと記されてはいるが・・・。
西行法師歌碑 空と海
午後には、家に帰ってから猪汁とすき焼きで食事&一杯の予定。14時前に帰宅し、墓前の花を替えに墓に行く。そして、昨日につづくメンバーで飲み、喰う。妹が作ってきた、この猪汁も旨かった。
四日・五日は・・・、畑に遊ぶ
それにしても穏やかな日がつづいている。昨年の正月、野根山街道を歩いた時は寒風が吹きすざび寒さが身に沁みた。何と云う違いか。外に出て歩き、畑で体を動かすと汗を掻く。半袖シャツでもいいぐらいの陽気がつづいている。
そんな陽気の中、4・5日は畑で柿や枇杷、梅の枝を選定し切りまくる。切った大振りの枝を鉈で打ち、鋸を引いた。焚火をし、焼芋をする。喉が渇くとミカンをちぎって食べる。長閑な風景、そして長閑な時を過ごす。
私の遊び場「畑」でのんびりとしてしまった。田舎者だと、実感する。
こうして私の年末始の時と時間は終わった。