オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

サクラとイチロウ

2014-10-15 | Weblog

10/15(水) 今朝の起床は?なんと6時50分になっていた。涼しいのを通り越して寒いぐらいの朝の所為か、或いは昨晩の酒を過ごし過ぎた所為か・・・。

昨日の昼前、サラリーマン時代の最後に一緒に仕事をした後輩のI君から電話を貰った。相談したいことが有るので、時間をくれないかとのことである。それじゃ今夜にでも、人形町までおいでよとなった。心なし元気がない様子であった。

急ぎの相談事と言われれば聞くしかない。良い話であろうはずがないが、偶々夜の予定がなかった。6億時過ぎに駅の改札で落ち合ったが、久々に会う彼はすっかり痩せていた。癌でも患ったかと思ったほどだった。、「高松」で一杯やりながら、彼の話を聞いた。病気ではなかったが、なんともいえない暗い話であった。

そんな深刻な話の処に、高松の常連客、某スチール商社のスーさんが、向こうのテーブルからこっちを見て何やらしている。暫くして注文書の裏にボールペンで私の似顔絵を描いて持ってきた。こちとらは暗い話なのだが、向こうはグループで酔っ払って上機嫌だ。『なんだよこの絵は、俺はもっと毛が有るぜ』と返したら、気持ち毛を増やした。

                        

おいらもすっかり、いじられキャラになったようだ。似顔絵は、特徴を捉えて中々の出来栄えだ。流石に、SUZUKI画伯とサインをするだけのことはある。『このデッサン、スーさん没後には大した値が付くんだろうな』と云うと、「それは無理じゃないかな」と返ってきた。

そんなことをしながら、I氏を激励をして『また何かあれば来いよ。いい知恵はないにしても、話だけは何時で聞けるよ』と云って、駅まで送った。

そして、気分転換に一人で一杯やることにした。「ちょっぷく」に入り、ハイボールを啜っていたがどうにも意気が上がらん。店長のYAMAKAGEは、今夜も客入り上々と元気よく摘み作りに精をだしている。

                        

河岸を変えて「Seiju」で飲み直しと、婆さんの店に向かった。景気よくのはずが、この店も閑か過ぎた。客は私だけなのだから・・・。意気は消沈するばかり也。

暫く時間を潰したが、客の来る気配なし。仕様がないと、22時過ぎに会社に戻ると、YOSHIOが一人で仕事をしていた。『もう仕事は置いて、一杯だけ付き合えよ』と、勤労オジサンのYOSHIOを拉致して、今度は「ローカーボ」へと。「つい先ほどまで、HOYAさんが居ましたよ」とマースターの言。そいつはタイミングが良かったと・・・。

カウンターに客が一人、高校生のような(遥か昔の)聖女がロックを飲んでいる。マスター曰く「HOYAさんが呼び込んだお客さんですよ」と。『貴女も物好きなのか、よほどの暇人かな。変なオジサンに呼び止められて店に入るとは?」なんて言いながら、四方山話となった。『席、こっちへおいでよ』と、酔っぱらいは厚顔無恥なのだ。

YOSHIOは大喜び、すっかりノリノリになっていた。酔っぱらい序に、写真を撮ったが、ピンボケもいいとこだ。

                         

彼女の名前は・・・、聞いたが覚えられない。面倒だから「俺の名はイチロウ、君はサクラだ』と云うと、彼の有名な「昭和枯れすすきのサクラとイチロウ」を知らないと云う。まあ高校生には判らんか?YOSHIOがベッタラ市に誘うと、顔を出しますと素直な応え。ガーナに青年協力隊で行き、今はNPO法人に勤めていると言った。今時には珍しい、清涼感のある娘だった。

そんなことで、昨夜の帰宅は24時40分を過ぎていたか。帰宅後、残っていたタイカレーを喰ってしまった・・・。バカヤローだ。

 

と、昨夜の反省を交えながら、今朝の弁当のことに入る。

何しろ起床時間が遅い。手の込んだものはできないので、今日も冷凍食品のお世話になる。先ずは「鶏団子と根菜の旨煮(人参・蓮根・蒟蒻)」、「冷凍鮭のソテー」、「小松菜の胡麻卵炒め」にした。

                      

ご飯の上に、紫蘇昆布・キャラ蕗の佃煮などを載せて完成となった。

                      

 

今夜は飲まずに帰りたい処だが・・・・、ベッタラ市への検討課題も多いからな。一杯やりながらの話の方が盛り上がるか。

 

 

 

 

 

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台風一過

2014-10-14 | Weblog

10/14(火) 台風19号は、夜明け前に首都圏から遠ざかった様子。五時半に起床すると、爽やかな朝であった。深夜一時ごろに風が強くなったように感じただけで眠ったが、しっかりと雨漏りの痕跡があった。

今朝の弁当は「チンジャオロースー」に「ホタテフライ」、「ブリ醤油焼き」だが、これらは何れも冷凍物に手を加えるだけのこと。ブリ照り焼きに至っては、パックから取り出すだけで何の面白みもない。

                   

其処で、定番ながら卵焼きだけは真面目に取り組んだ。三個の溶き卵に少しだけ味付けし、小松菜の胡麻和えを包んだ。残念なことに、油断をして少々焦げ目がついた。

                        

気持ちのいい朝に、気持ち良く弁当の完成となった。が、出来合の品ばかりで面白味に欠けた・・・。

                   

 

 ―ベッタラ市まで、あと五日―

愈々「べったら市」が近づいた。週末の土曜日には仕込みだが、未だ弁当メニューに迷っている。

今年の目玉・珍味は、岩手県で獲れた月の輪熊の「熊鍋」と、高知で獲れた猪の「猪汁」だ。何れも限定品になろうが、もの珍しいことだけは確かだ。問題は、熊鍋の味付け、調理方法だが、ネットで調べたとおりにやるか自己流でやるか?甚だ悩やましい。猪汁は、これまでも散々に作ってきたので問題はなかろう。

問題があるのは、調理場だ。昨年までと違い、夏に移転した事務所には調理場らしいスペースがないのだ。熊や猪の調理には、灰汁取りが欠かせない。そんなことをするためには、一定スペースの台所が要る。これをどうするか・・・・、悩んでいたら妙案が出た。

「ちょっぷく」の調理場を借りることを思いついたのだ。なんとまあ~手前勝手ながら、妙案ではないか。上手いことに、仕込みをする土曜日は、ちょっぷくは夜の営業はない。祭りには、ちょっぷくも屋台を出すので、一緒に仕込もうと云うことだ。元々熊肉は、ちょっぷくのYAMAちゃんから廻ってきた代物。云うならば里帰りだ。

YAMAちゃんに言ったよ『あんたとこから嫁に来た熊娘が、お産で里帰りするのでよろしく』と。OYAJIにしちゃあ、中々の迷セリフだぜ。土曜日の夕刻、そんな話をしながら「ちよっぷく」で暫し遊んだ。

未だ悩んでいるのが、飯メニューだ。季節感充分の栗飯か、土佐風五目チラシか?・・・。栗は国産に拘るのでコストが高い、五目は仕込みに手間暇を要する・・・。どうすりゃいいのさ、思案橋だ!

 

 

 

 

 

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五目チラシ

2014-10-11 | Weblog

10/11(土) 今朝は7時ごろに起きだして台所へ向かった。夜中の二時過ぎに一旦目が覚めたが、無理に目を閉じて眠りのおとづれを待った挙句の朝である。

昨晩は、新橋の居酒屋で開かれたTUGAWAさんの兄弟会に参加。お姉さんやお兄さんたちと久々に顔を合わせ、HANAOKA女史に会うのも久方であった。飲み放題付きの騒がしい店で、ゆっくり話もできなかったが、それはそれでまたよし。遅れてやってきたTUGAWAさんの甥TOMOKI君と、HIROさん女史の四人で駅地下の店で暫しの懇談。

TOMOKI君も39歳になるとか。彼を初めて見たのは横浜のホテルで開かれた彼の母、HIROさんのお姉さんとなる故・育美さんの出版記念会であった。あの時、TOMOKI君は学生だったか、カーキ色のブレザーを着ていた。私は未だサラリーマンで、社会貢献推進室に勤務していた頃だと思う。

年月は過ぎ、TOMOKKI君は物流会社に就職し、ベトナム語を生かしてベトナムに駐在して彼の地で妻を娶った。残念なことに、その結婚式に参加は叶わなかった。一時帰国の度に会社に訪ねてくれて、彼の地の情勢など聴かせて貰った。

来春には二人目の子供が生まれるそうな。自転車で大怪我をしたり、癌を患ったりと大変な目に遭ったが、体重も増えて元気な姿をみると安心する。
『異業種交流とか言って内のメンバーと飲んでから、随分経ったな・・・、偶にゃあ人形町に顔見せてよ。近くの安酒場「ちょっぷく」じゃあ、中国人からベトナム人にスタッフが入れ替わった。その連中の顔でも見てやってよ』そんな話をして、別れた。

若い時に二親を亡くしている。TOMOKI君の胸内にもさまざまな思いがあるだろうが、何があろうと爽やかなものしか見えてこない彼と接していると気持ちがいい。いい夜であった。

 

さて、今朝のことに話を戻そう。今朝は、べったら市で出す予定の「五目ちらし」を久しぶりに作り、柚酢の加減などをみるための試作をした。これまで「てまいら酢」を使って作ってきたが、今回は柚子酢と塩・砂糖で作ろうと云う訳だ。

人参・牛蒡・タケノコ・蓮根・油揚げを刻み、煮る。菜に、四方竹と鶏肉・揚げの煮物を作る。昨日従姉から届いた、子持ち鮎を一つ焼く。この鮎が、腹回りがぼってりと大きく、良い鮎だ。23cmはあろうか、これだけ大きな鮎は安田川には少ない。塩が利きすぎた鮎開きも一枚焼いた。

                        

となれば、ビールを欠かせない。それが人情、美味い朝飯だ。肝心の五目チラシの方は、酢が強すぎたのか砂糖が足りないのか、失敗作だ。それでも、今日も出勤しているYOSHIOに、弁当を持ってきてやると昨日約束した。弁当箱に詰めた次第。やっぱ、「てまいら酢」を頼もう・・・・。

                        

一応、錦糸卵を作り茗荷を刻んだ・・・。

 

 

 

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土佐四方竹

2014-10-10 | Weblog

10/10(金) 昨日の築地で贖った食材の中で、今度のベッタ市で使う予定が「四方竹」だ。今頃になって生える、根本が四角い小さな筍である。今朝は、これを使った弁当を作ろう・・・と、昨夜のうちから考えていた。この四方竹だが、高知で買うより築地のヤッチャ場で買う方が安いのだ。産地よりも市場が安い、我にとってはいいことだが・・・。

                        

煮物にしても美味いが、芸がない。そこで思いついたのが鶏肉との焼き込みご飯であった。朝の台所に立つまでその気でいた。然し、それじゃあ味が薄いな~と思い至った。若干方針変更し、鶏肉と四方竹を甘目に煮付けて炊き立てのご飯と混ぜた、混ぜご飯であった。

鶏肉を小口に刻み、四方竹はも小口の斜きり、刻んだ油揚げと一緒に煮る。調味料は、酒・味醂・醤油である。

                        

菜の方は、ちぎり蒟蒻と蓮根のピリ辛煮。それに、ポテトサラダと茄子・茗荷・豚小間の味噌炒め。ゆで卵を作り、鶏肉と四方竹の煮汁に浸して、煮卵風にしたつもりだ・・・。最後に鮭を焼いて今朝の遊びがお仕舞となった。

                    

本日の食材は、・四方竹・鶏肉・豚小間・塩鮭・蒟蒻・卵三個・胡瓜・人参・タマネギ・牛蒡・蓮根・油揚げ・茄子・茗荷、以上のはずだ。使用した香味料は、酒・醤油・砂糖・味醂・味噌・塩麹・白出汁、以上を適当に使った。

                     

ベッタラ市では、四方竹を柚酢を使った土佐風『五目寿し」の具として使用する予定だ。その折は改めて築地へと買い出しにでる。明日の土曜日、五目すしの試作品を家で作ろうかと思っている。

 

 -久々のウナギは・・・-

昨夕と云うか夜というか、元スタッフのYUKARI女史が会社に来た。来たと云うのも正確ではないが・・・。年に春・秋二度の食事会を持っているが。この夜、彼女と食事をすることになっていた。本来ならば先週だったが、私が八丈島に流されていた。そこで一週間の延期となった次第。

元のスタッフでもあるので移転した事務所を見て貰い、それから飯を喰うことに急遽した次第だ。そして何を喰うかになったが・・・・、すっかり失念していたが、初夏に一緒した折に「鰻」という話が出たらしい。全く覚えていなかった、申し訳ない限りだ。

近所の鰻屋と云えば、昨朝に店主と築地で会った「高島」、一寸離れて「大江戸」「いずもや」、三越前の「伊勢定」などが有名処。帰りのことを考えて「伊勢定」となった。

仕事のことあれこれ、これからの行くく末と、話を訊けば切りなくあるだろう?から、程々にして飯にした。私は名古屋で有名な「ひつまぶし」風の鰻を頼んだ。名前があったが、「うめ・・・」なにやら。MIYAMOTO君は鰻重と刺身などのセットにした。

問題はこれからだが、私の「うめ::なんじゃらは」は満足がいける味でなかった。両だけは満足を通り越して、満腹。(お蔭で、帰りに寄った「奈加野」では、ビール一杯がやっとだった)出汁茶漬けではそこそこいけたが・・・。なにが云いたいのかって?久々に喰った鰻に満足できなかった、と云うこと。

そうだ、子持ち鮎とあった、鮎の塩焼き(800円)も喰ったんだ。年配の仲居さんに『どうせ養殖もので美味くないんだろう』と云うと「値段が値段ですからね!」と軽くいなされてしまった。想定どうりの味であった・・・・。

               

           これです、うめ・・・なにやら         これは、人の分           鮎塩焼きの残骸

スタッフのTOKIOに言わすと、私は何を食べても誉めない、美味いと言わないそうだ。美味いと感じなくても、食には感謝して頂戴しているつもりだが。ただ味の方は、好みや体調、食習慣によるところが大きいので、他人の云う美味い拙いは信じない方が良い。全ては己の舌で判断すること、これを自己責任と云うらしい?因みに私は「自己中」ですから・・・。

そうそう、YUKARI嬢は美味しいと、食べておられた。(このページを、同じく元スタのYURIKAが見れば私も連れてって!と叫びそうだ)

元スタと云えば、YOSHIOKAの顔も久しく見てないし、SAKUMAは10月に第二子が生まれると聞いている。最近顔を見ていない連中には「ベッタラ市」に遊びにきて欲しいものだ。

 

 

 

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八丈島 2

2014-10-09 | Weblog

10/某日 今週月曜日、八丈島でのことを記したが途中で終わったままである。この時は、島に着いてロケハンに廻りながら翌日の天気が心配になり、撮影を開始したこと、酒場での対談に触れた。翌日は、釣りのシーンの撮影である。

翌朝、オーシャンビューのホテルの窓越しに海を見る。時刻は六時頃か、群青の海はうねりも少なく、漁船が左から右へと走って行った。雲の合間から陽が射していた。これなら撮影が出来ると、一安心をした。暫くして、ホテルのレストランで朝食を摂るために別棟の玄関を出ると・・・、山側は雲に覆われていたのだ。朝の海の光景は束の間の喜びであった。

                        

出発時刻には、とうとう降りだした。これじゃあ釣りのシーンは撮影ができないと諦め、取り敢えず島の見どころ・ポイントをチェックしようと雨の中を島内一周に出掛けた。

前日撮影を済ませた、、流人たちが石を運んだと云う、丸石の石垣が在る陣屋跡を横目に、江戸期のが御用船を差配した「服部屋敷」へと。ここでは、パッションフルーツのジュース(600円)、コーヒー(350円)を飲みながら島の踊り「樫立踊り」(江戸時代に島に住んだ各地の人から伝えられた歌や踊りを島人がアレンジして島踊りとした)や、「八丈太鼓」「ショメ節」(ショメと云うのは、食に欠かせない塩と梅のことだとか)などを見せ聴かせてくれる。

                    

唄や踊りを見た後、島の伝統織物である「黄八丈」の工房に立ち寄った。雨は相変わらず、強くなリ、弱くなりを繰り返して降りつづく。昨今、踊り手や、島伝統の黄八丈の織リ手となる若い人が育たないとか聞いていたが、この工房では若い人が機を織っていた。

                       

ここから、地熱発電所に廻った。島の電力需要の20%を賄っているとのこと、残りは火力発電だそうだ。もっと地熱発電を増やしたいそうだが、匂いの問題などから進展していないと云う。地下、1500m のマグマ溜まりからの熱水を取り出して発電している。この発電所の余熱を利用した「えこ・あぐりまーと」という、ハウス農園に立ち寄りバナナ・マンゴーなどの熱帯植物を見る。

そして末吉から洞輪沢漁港に下りると、台風18号が運んでくる風と波が逆巻くように押し寄せていた。ここから底土港までの間で、一台の車とも行きあわなかった。この天気の所為もあろうが、途中に人家は見当たらなかった。

             

底土港をバックに、対談のお二人のインタビューの映像やスチール撮影。昼を過ぎた、昨日予約した「島寿司」でランチの時間だ。「あそこ寿し」で、島すしとムロアジのツミレのすまし汁を頂きながら、Asanumaさんが手作りした舟のこと、ラジコン撮影のことなどを聞く。ライターは盛んに、島の釣りポイントを聞いていたが、これも釣りがテーマの対談である故だ。島寿しも中々良かった!

                     

島での取材先、ASANUMAさんは上の写真のような漁船を六艙も自作したそうだ。自宅からアパート、ラジコンヘリの制作と凄い人である。その信条がいい「人がやっていることは、自分にもできる」である。その一念で何でもやってしまうとは、恐れ入谷の鬼子母神であった。             

 こうしているうちも、雨は小止みになったかと思えば大降りになったりと、雲行きが怪しい。台風十八号の余波であろうが。スタッフは、夕方の便、17:20発で島を発つ。八丈富士の麓の方まで雲がかかってきた・・・。私は明朝の便であるが、明日の方が天候が崩れると云う・・・。

空港でビールを飲みながら、スタッと対談で来てもらったIWAMOTOさんを送るために待機。17時前に羽田を発った便が八丈空港の上空に着いた。雲の状態が悪いので、暫く旋回をして回復を待つとのアナウンスが流れた。「どうなんだと、やきもきしながら空を眺める」のはスタッフ・・・。

とうとう17時半を過ぎた頃に、飛行機は羽田に引き返して行った。嗚呼、残念だねぇ。今夜も八丈島泊まりだ。 『宿は、俺と同じでいいか?』と、私が泊まる民宿「みどり荘」に電話した。食事はできないが、泊まるのはOKとのこと。ASANUMAさんに、大雨の中をみどり荘まで送ってもらった。

「みどり荘」に泊まるのは45年振り三度目となる。が、真っ暗な中で見るみどり荘に、かつての面影をみいだせなかった。以前、昔と云う方が適切かな、台所や食堂になっていたはずの部分は、二階に増築されて部屋が出来ていた。夕食の準備で忙しいそうな、元気のよい女将さんに、四人に一部屋と、一人に一部屋が割り当てられた。

大の大人が四人一部屋か、もう一部屋にはゲストのIWANUMAさんに入って貰った。スタッフのTOKIO,カメラのSUGITA,ライターのINOUEと、情けなさそうな顔をしていた、。昨夜のホテルにすれば良かった、そんなとこだ。そりゃそうだわな、好き好んでの民宿泊まりじゃあない。私のノスタルジーでの泊まり先だ。

大雨の中を車を読んでもらい、食事に行くことにした。行先は、昨夜は満席と断られた「梁山泊」という店である。この店は島では人気、観光客が大勢来る店のようだ。平成n20年11月17日だかのBLOGにも、この店で一杯やった写真が載っていた。今夜も、明日葉ビール(650円)を皆で注文したが、生ビールに明日葉の生ジュースを混ぜた代物だそうだ。

                          

そして「青ヶ島焼酎」を一瓶オーダーしたが、芋焼酎独特の薫りが薄かった。某氏によると、島の焼酎は大方が九州あたりから樽や缶で届いたものを、島で瓶詰してラベルが貼ってあるとか。そういわれれば、ご利益も有難味も薄まる・・・。

 

翌朝、食事の時に暫し女将さんと話をする時間があった。小母さんは十年ほど前に亡くなり、小父さんは五年前に亡くなったとのこと。『あの時は、すかっかりお世話になりました』と、四十七年前のことを話すと、「オバアサンは、人が良かったから」と返ってきた。なんと云う事のない朝御飯だが、味噌汁と飯は殊のほか旨かった。

みどり荘から見える三原山は雲の中、雨は降りつづいていた。飛行機が飛ぶのか、その前に着くのか、着けば飛ぶと心配しながら空港まで送って貰った。若し、着かなければ直ぐに底土港に向い、9:40分の船便で帰るしかない。台風が近づいている、これからますます天候は悪くなる一方だ・・・。

とは云いながら、私はこれまで間一髪、危機一髪の処を凌いできた。今回も何とかなろう・・・・と、内心思っていた。

空港に着くと、思った以上に雲は高い位置にある。これなら大丈夫だと、一安心した。昨日の便の残留や、予定を早めた客で満席に近い乗客を乗せて、予定どおりに離陸し羽田に向ったのであった。

心に残っていた「みどり荘」を訪れることができた、念願は果たせた。あの時の、小父さんや小母さんは逝ったが、それは覚悟をしていた。二十歳前の僕ら、MIWA、TANZAWA,NAGAKURA、TAKASHIMAか、フリージャの薫りで満たされ、南の島の日差しを浴びながら島をうろついた若い頃。そんなに古いこととは思わないが、何時の間にか半世紀近くも経っていた。

 羽田に向かう機窓から、島が見えた。それは、島ならぬ雲海に浮かぶ富士山であろう、八丈富士ならぬ富士を遥かに臨みながら現実の地へと向かっていた。

                           

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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オムスビ

2014-10-09 | Weblog

10/9(木) 今朝も深夜なのか明け方なのか判別し難い時間に目覚めた。例によって蒲団の中で悶々と時を過ごし、時間が早いが台所に行って弁当の仕込みでもと蒲団から出た、台所に行くと、改めて台所に立つのも面倒だとそのまま弁当作りに入った。

今日は「オムスビ」を予定している。菜の方は「卵焼き」程度で済ますつもりだった。処が時間が早すぎる、何か作らなければ時間が潰せないとなった。しょうがない、冷凍庫の中を漁って食材を拾い出した。鶏肉・小エビ・イカのきれっぱし、これにジャガイモ・薩摩芋を加えて揚げ物のオンパレードだ。これじゃあ、ピクニックかハイキングの弁当になっちまうぜ・・・。

米を四合炊く。今朝の米は、福井産コシヒカリにした。オムスビの具は、鮭・オカカ・紫蘇コンブ・梅干である。タラコを買ってこなかったのが悔やまれる。これで、オムスビの準備はOk!。後は揚げ物作りだが、ここで機と?揚げ物だけじゃ厭きちまう。となった。

                       

追加メニュー登場だ。里芋の皮を剥いて、煮っ転がし風に煮ることに。更にゆで卵も追加した。これだけ有れば十分だろう・・・。

                  

鶏肉は、先ほどから酒・醤油・ニンニク・生姜で漬け込んである。小エビとイカのきれっぱしはフライに、ジャガイモとサツマイモは素揚げである。で、揚げ物がスタートした。

                  

                       

四合のご飯でオムスビが15個完成、なるべく小さ目にと心掛けた。オムスビの塩は、青ヶ島産「ひんぎゃんの塩」を溶かしてヌクヌクのご飯を握った。オムスビの最後の二個は「磯のり」をまぶした海苔ムスビに。塩・磯のり、共に八丈島空港売店での仕込み。

              

この塩が以外にも利いた。使う量を間違ったのか、ショッパイを越して、何時までも舌に苦味のようなものが残っている。昨夜帰宅後に味見した、朝干したばかりの鮎の開きも失敗、ショッパイになっていた。塩の使い方が難しい・・・。

 

今朝、久々に築地の市場に立ち寄った。ベッタラ市まで十日と迫ったので食材のチェック(仕入れ値だが)や商品の動向を偵察。それに、田舎の従姉に送る鮭を頼んだ。私の方は、自宅用にシロイカ・筋子・四方竹などを贖い、奈加野の若い衆に預けた(イカの下処理をしておきますと、気の利いたこと言うのだ)。

国産松茸は相変わらずの高値、これじゃあ「マツタケご飯弁当」を屋台で出せないな。とか、四方竹を入れた、土佐風五目飯にするか、などと年に一度の祭りのメニューを考えていた。

そういえば、仲卸の「原秀」の前で、見た顔に出会った。なんと、「高島家(人形町の鰻の名店)」の旦那である。日々築地に買い出しに出ているのは承知したいた(事務所移転まで、毎日のようにドトールコーヒーで顔を合していた。鰻屋の常連という分けじゃ決してありません)が、同じ仲卸で買っていたとは知らぬが仏だ・・・。

一渡り買い物を終え、奈加野の店主と、若い衆のMATUSHITAで「愛養」でコーヒーを飲む。築地に来ないので、ここの美味いコーヒーともご無沙汰であった。何時も座るカウンターが満席、テーブル席でコーヒーとなった。最近とみに忙しい所為か、NAKANOのオヤジが疲れ顔であった。

                    

 

-後輩が還暦とは・・・-

昨夕は、大手町の某社で執行役員になっている後輩のI・keijirou君との一杯。途中で彼が「今日が誕生日なんですよ。還暦になりました」と言う。『えっ?なに?誕生日で還暦だって。じゃあ早く帰れよ。かあちゃんが、赤フンでも縫って待ってんじゃないか』と応えた。

「いやあ、待ってませんよ」と返ってきたが。それにしても、Keijirouが還暦になったとは、挙句に孫が五人いるとのことだ。こっちも還暦を過ぎたと云うことか?・・・。

                        

彼が本社に来たばかりの若い頃を知っているので、何時までも気安くkeijirouと呼んでいる。が、今や執行役員だからな。とは云いながらも、これまでのスタイルは変わらんな、俺の歳を追い越せばkeijirouさんと呼んでやるが・・・。記念に写真を一枚撮ろうかと云うと、俄然すまし顔をした・・・。

 

         

         

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牛煮

2014-10-08 | Weblog

10/8(水) 今朝というか、夜中に目覚めてしまった。三時半頃であったか、そのまま眠りにつけずに五時になった。仕方ない、早々と台所に立った。昨日とは大違いの朝を迎えたのである。

先ずは「牛煮』を作る。材料は牛肉とタマネギ・蒟蒻・人参、これに調味料の砂糖&醤油だけのことだ。次いで、パスタ&野菜(ポテト・人参・ブロッコリ)のサラダであるが、これも茹でて塩胡椒だけの味付け。お口直しに、胡瓜の塩揉みだが、ワニテルTOKIO工房の塩麹で揉み潰すだけのこと。最後に塩サバを焼き、卵焼きで〆た。

        

早朝から台所に立っている割には、あっけない幕切れであった。まだ時間は十分にある。天気も良さそうだ・・・、で鮎の開きを作ることにした。

冷凍してある鮎を解凍し、開いて塩をすだけのことだ。塩は、八丈島で贖った青ヶ島産の高い塩を使うことにしたが、甘味が有り過ぎの感あり。TOKIO工房の塩麹が、我が故郷の天然塩を使った処、甘味が有り過ぎたとのことだが、青ヶ島の塩にも同じことが云えそうだ・・・。

鮎の開きは塩加減と、天候・風がポイントだが、塩加減の方はどんな塩梅であったか?こればかりは喰ってから判明だ・・・。箙に開いた鮎を広げて、今朝のお仕事が終わった。(何となんと、午後から曇り空になっちまったぜ!)

                     

 

さて、昨日の「宇津木監督」のインタビューだが、池袋のホテル・メトロポリタンで行われた。この夕、同ホテルで宇津木さんが総監督を務める「東京国際大学・女子ソフトボール部」が、49回全日本大学女子ソフトボール大会に初優勝。その優勝祝賀会が開かれた。その祝賀会前の時間を二時間ほど頂いてのインタビューであった。と、云うことをホテルに着いて知った。

監督とロービーで挨拶の後、直ぐにエントランスでツウカットの撮影。それからスイートルームに移ってのインタビューとなった。ホテルのミーテイングルームが予約済みのため、客室での取材となった。

宇津木さんのソフトボール歴から、北京での絶叫解説。シドニー・アテネのオリンピックについて、更にオリンピック種目としての復帰見遠し、宇津木さん自身の現役復帰についてと・・・。何時もは、モグモゴと話を進めるHIROさんの会話は何時になく流暢であった。

                           

宇津木さんの屈託のない、忌憚のない話しぶりが印象的であった。まさに、本に書いているとおりのシャープさであった。最後に、HIROさんが取って置きの、アテネの街角で監督に出会った時のことを披露した。そうなんだよ、HIROさんはアテネまで宇津木監督を追っかけて見に行ったんだ。この日、この時間のために!

大学の祝賀会に無理を言って潜り込ませてもらい、様子を総監督の挨拶を聴かせて貰った。インタビューと同様に、流暢で明快なご挨拶であった。四十名ほどと聞いた女子部員のきびきびとした動き、はきはきとした受け答えが心地良かった。これも指導の賜物であろうが。監督が言った「先ずは挨拶から」が、頷ける。

                            

人生に無駄なし、とインタビュー後にディレクター役のFUJIKURAを交えた三人での会話であった(これには監督は入ってませんよ、念のため)。

 

 

 

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寝坊

2014-10-07 | Weblog

10/7(火) 昨夜は零時過ぎになって、今日の取材関係の本を読まなきゃと、思い出した。やおら鞄から本を取り出して読み始め、読み終えたのは午前二時半になっていた。暫く眠れず、三時過ぎになって眠ったようだ。

そんなことで、気が付けば時刻は七時半となっていた。弁当は間に合わぬと思ったが、取り敢えず台所に立った時には、長女の出勤時間となっていた。が、家人の弁当ならこれからでも間に合う。大急ぎで残り飯で弁当を作り始めたのであった。

残り飯とくれば炒めるのが私流だが、昨日炒飯を作ったばかり。同じものじゃ芸がないので「オムライス」となった。チキンを解凍し、小口切りにして、ピーマン・タマネギ・人参で炒める。後は、塩胡椒とケチャップの出番でお仕舞だ。こんな簡単なことはないぜ・・・。

菜の方は、時間が無いので煮物にする。それも鶏肉と大根・人参、茗荷を入れただけのシンプルさ。同じ鶏肉を使うとは、いささか能無しであるが。追加でウィンナーとズッキーニを炒めてお茶を濁した次第。

                     

まあ~こんな日もあるさと、許されよ。であった。

話は変わるが、今回も台風襲来で大騒ぎの割には東京は大したことはなかった。昨日の朝は、電車の遅延や混雑を見込んで早目に出勤した。夕方からは、某社の常務とUSUI老を交えての懇談会が予定されていたが、夕方には台風も去るだろうと楽観していた。

そのとうりに、午後からは陽が射してきた。天気予報どおりに気温も上がったので、出勤時の半袖にジャンバーが図星となった。とは云いながら、替え上着はロッカーに置いてある。それを着て、夕方の銀座へと出た。店は「銀座鳥繁」である。

                 

この夜は、生ビールにハイボール四杯(ローカーボのようなパンチはない)と、日本酒二杯。摘みは当然焼き鳥だが、ここの焼き鳥は流石、銀座といいたくなるお値段だ。程々に喰い飲んで、お一人様が一万円弱。お土産に名物のドライカレーを付けたこともあるが、中々の値段である。年に二.三回も行けば十分か。

 

さて、これから、元ソフトボールの日本代表監督「宇津木妙子」さんインタビューの立ち合いに出かける。ライターはHIROさんである。チームを強くする、人を育ててきた名伯楽、宇津木さんからどんな話が聴けるか楽しみである。

 

 

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台風余波

2014-10-06 | Weblog

10/6(月) 台風が近づき、明け方から雨が強くなっていた。その雨が、天窓を打つ音を聴きながら弁当を作る。雨音を聴きながら包丁を握っている時間が、妙に落ち着き豊かなひと時だと感じながら。

こう云う朝だ、弁当もシンプルにしたいと「炒飯」になった。昨夜の残り飯が多かった所為もあるが。菜の方は、揚げ物ばかりになった。出来合の冷凍ホタテフライ、豚三枚肉や野菜(茄子・ピーマン・ズッキーニ)を揚げる。豚肉は片栗粉をまぶして、野菜は素揚げして「てまいら酢で味付け。                 

そして小松菜のお浸し胡麻和え、定番の卵焼きである。今朝は、台風の影響で電車が混み合う。早めに出勤しようと、弁当作りも早目の手仕舞いであった。

               

先週の木曜日、八丈島へ発つ朝は「オムライス」弁当を作ってから空港に向かった。弁当作りだけは、忘れないOYAJIなのだ。台風が来ようが、槍が降ろうが、何が有っても弁当だ!

 

  -八丈島編-

先週・木曜日、昼過ぎに八丈島空港に降り立った一行は五名。今回の対談取材の相手役、IWAMOTOさんには我孫子市から来てもらった。上々天気で、八丈富士は美しく映えていた。対談相手の八丈町在住のASANUMAさんの迎えを受ける。

                       

                      機窓からの八丈富士         空港からの八丈富士

レンタカーで、先ずは島の中心とも云える三根地区にある「あそこ寿し」へ。そこで、地魚の握り寿司を頂きながら、今日明日の取材スケジュールを図り、島内事情などをヒヤリングした。寿司は、マグロ中落ち巻、目ダイ・芭蕉イカ・尾長タイ・キハダマグロ・ヒラマサで、島に上がる魚である。島の磯海苔とムロアジのツミレが入った吸い物が、これまた美味い。

                        

翌日の天候が心配であぅた。天気予報では雨マークが付いていた。島の漁師でもあるASANUMAさんによると「明日の夕方まで持つでしょう}とのご宣託だったが・・・。

この日はロケハンだけの予定でいたが、可能な限り撮影をすることにした。先ず島の遠望が可能な場所へと、八丈富士(854m)の6・7合目辺りの「ふれあい牧場」の展望台へと向かった。ここからは向かいの三原山、眼下に先ほどまで居た三根地区や底土港、右手の先には無人となって久しい「八丈小島」が遠望できる。

                          

此処から、関ヶ原の戦で敗れて流され、この島で五〇年余りを過ごして逝った「宇喜多秀の家」のお墓へ。そして、流人たちが海岸から運んだ丸石で築いた「玉石垣」の陣屋跡周辺、古民家が保存されている「ふるさと村」と廻り、撮影をした。この日、撮影を済ませてよかったと翌日になって・・・・。

                              

最後の撮りは、南原千畳岩海岸へ。ここは八丈小島を臨む溶岩が固まって出来た海岸で、釣魚メジナが釣れるポイントのひ一つだそうな。夕暮れも迫りくる時間ながら、お二人に竿を出して貰っての撮影である。

                      

                  夕暮れの千畳岩から故小島を       I&Aさんの仕掛け準備

 

撮影後、ホテルにチェックインもそこそこに「おおわき」という、宇喜多秀家のお墓の直ぐそばに或る居酒屋で対談と食事となった。お奨めの「島タコ」や「明日葉天麩羅」などを頂き、焼酎「情け島」を飲りながらのインタビューである。これは楽しいひと時であるのは云うまでもない。

                      

 

明日は、本格的な釣りシーンの動画とスチール撮影である。

 と云うことで、つづきは改めて・・・。

 

 

 

 

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トンカツ

2014-10-01 | Weblog

10/1(水) 今日から10月に入った。月捲りのカレンダーも残り三枚、すっかり薄っペラになった。俺の髪の毛か、脳味噌並みの薄さだ。「なになに?アンタの毛髪も脳味噌も、それほど厚くねえってか」、違ぇえね、仰るとおり。

爽やかな秋の陽を浴びて出勤、のつもりでいたが外は雨が落ちていた。我があばら家には、時折家の中にも雨が落ちてくるが、今朝はそれほどのことはない。ひと安心だ。

余談ながら、雨で思い出したが、先日隣の屋根の修理をしていた工務店の人間が、写真を携えて我が家に現われた。「お宅の屋根を見ると、釘が抜けたり傷んでいるのが見当たりました。そろそろ修繕をされたら如何でしょうか?」であったそうな。その折、私は不在で家人が対応した。写真を見ると、確かに指摘されたようなシーンが映っていた。

後日、見積書を持って現れた。『シロアリをポケットに入れて、床下に潜り込んで商売にするのがかつて流行ったようだが、同じ手口じゃあねえだろうな?」と、一応はジャブを噛ましたが、結局屋根修理と、壁塗装を全面的にすることにした。思わぬ銭が出て行く羽目になったと云う次第。糞みたいな話だが、ことの成り行きに任せるのが、万事にアバウトな俺流である。誰を恨むでもなし、己の裏目である・・・・。

で、話を元に戻すと、朝から妙に暗かった。天気が悪かったのだ。取材に出る明日でなくてよかった。明日は、八丈島で釣りをテーマに対談や撮影のために出掛ける。帰りは明後日の最終便を予定していたが、私は急遽、島に残り翌土曜日の朝便で戻ることにした。

実は、未だ十代の最後の春、八丈島に渡った。学生仲間が他に四人いたか。当時は船便で、夜の10時頃に武竹桟橋を出て翌朝に着いた。あの時の、朝方に見た島の光景は今も残っている。

船は翌日に出港して、また戻って帰るのは四日後だったと思う。島に着いた日、港で働いていたオジサンに聞いた民宿に泊まった。ここまではいいのだが、問題はこれからだ。一泊分の宿代を払うと全員のポケッの中はすっからかんだった。然し、ここで帰ったんじゃあ何にもならぬ。未だ島を巡ってない。

いい加減さは今も変わらぬが、いやいや私じゃないよ。一緒に行った仲間のことさ・・・。「島にゃバナナでも自生してるだろうよ。暖か石、野宿でもしながら島を廻ろうぜ」と言い出した。八丈島にバナナが生えていようとは思わなかったが、元来がアバウトな集まりだ。みんなで島を歩いて巡ることになった。

民宿を出た二日目は、辛うじて残った小銭で食パンを買った、一人一枚、食パンを喰った。夜になり公会堂の軒先を借りて野宿だ。腹が減ってしょうがない、仲間の一人が海岸に干して在った干物をガメテきた。これが島の名物「クサヤ」だった。クサヤとの初対面はこうして実現した・・・が、匂いが酷くて全く喰えたものじゃない。「これやあ、猫マタギだぜ」と誰かがボヤイタ・・・。

かくして、三日目のひもじい朝を迎えて我らは、トボトボと初日に泊まった民宿に舞い戻った。後は神頼み、民宿の女将さんに「学生証を担保に置いていきますので」と頼み込んで泊めてもらった。この頼み込み役は、後に警察官になったMIWAであったと思う。後からお金を送金したのは間違いないだろう、だってお巡りさんになったほどの人間だからね。

そこで、すごく良くしてもらった。おいら達はノー天気に早春の海で遊び、たらふく飯を喰らったんだ。そんな思い出がる島、八丈島なのだ。この民宿には、大学四年生の秋、一人で訪れた。女将さんはよく覚えていた、私の食事の好みまで覚えていてくれた。

ここ6年ほどで都合四回ばかり八丈島に行く機会があった。N社のメンバー三人と、研修ビジネスの方二人で「八丈会」なる会を結成している。島に勤務した片、島に娘を嫁に出した方、釣りが好きな方と其々の所縁だ。、私の場合は、島の民宿で一宿一飯ならぬ、一方ならぬ世話になったことからである。

何度も島を訪れながら、あの民宿に立ち寄る機会を得なかった。民宿がつづいていることは、島の人から聴いていたが、皆で一緒に行き、行動を共にするので機会を作れなかった。然し、今回は私だけ一日延ばして、その民宿に泊まることにしたのだ。島に居残る決断をして、飛行機の便を確認した後、民宿に電話を入れた。

その民宿は「みどり荘」と云う。名前は変わっていないが、今は二代目の息子さんが営んでいた。小母さんは、五年前に亡くなったとのことであった。古い話を現当主に伝え、一人だが泊まれるかと予約すると「それじゃあ、学生さんだったね」と云われた。積もる話はないが、積もる思いはある・・・。一泊余分に、島の空気を吸ってくる、あの時と同じであろうはずはなかろうが・・・。

 

余談が長くなってしまったが、今朝の「トンカツ弁当」だ。昨夜、学芸大学に下りた時、駅脇にあるトンカツのサボテンが閉店前だった。ショーケース並んだ、カツがなんとも美味そうに思えた。20m程過ぎてから引き返した。出来合のトンカツを買うためじゃない、駅前の東急ストアでトンカツ用の肉を買うのだ。

単純なOYAJIは、こうして今朝の弁当が定まった。肉を買って、サボテンの前をとおりながら、こっちの方が安くて美味そうだな。と思った次第、でも作る楽しみはない。写真は、完成後の弁当。

                           

トンカツの他には「南瓜煮」、茄子・茗荷・インゲンの素揚げをドレッシングで合えた口直し。トンカツばかりじゃ芸がないと、一枚だけオリーブオイルでソテーする。キャベツ代わりのレタスとタマネギを刻む。ジャガイモ・薩摩芋の素揚げ、以上である。なんと卵の在庫がゼロになっていた。トンカツに卵が無くてどうなるんだ・・・であった。

         

 

 

 

コメント (2)
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