オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

いくらなんでも・・・

2015-09-10 | Weblog

9/10(木) 関東の各地で大雨の被害が出ているようだ。が、TVは部分しか流さない。それも一番被害が大きそうなところだけを選択しての映像だ。大局的に捉えないと騙されるかもしれない・・・・・。まあ、いまどきの人はそんなことはお見通しか。

今朝は六時の起床。雨続きで窓の外は重く垂れ込めている。体内時計も外の空気で目覚めが遅いようだ。

昨夜は、23時30分の帰宅。何時ものパターンで、大雨ながら「ローカーボ」「ちょっぷく」と、オヤジ達のお休み処でガソリンならぬ、アルコールを補給しながらの家路である。中目黒で東急線への乗り換える暫しの時間、明日の弁当メニューを考える。最寄駅のスーパーで、ブロックのベーコンを買って帰宅。

今朝のメインメニューは、昨夜に考えた「若鳥の香草焼き」と「ジャーマンポテト」。昨夜、玄関ドアを開ける前に雨の中でプランターのローズマリーを千切っておいた。ジャーマンポテト用のベーコンも準備済み。他には、卵焼きと青物を一品、そんな考えであった。

                   

予定どおりに菜を作る。と、何時の間にや末娘が台所に来て出来上がったばかりのジャーマンポテトを摘み食いした。「美味い、作りたては美味しいね。私の弁当も作ってよ」と言う。夜勤専門の仕事に就いているので、普段の弁当は自分で野菜中心に作っているのだ。

                        

美味しい、と言われた挙句の注文じゃあ応えないわけにはいかんな。気弱なOYAJIは、末娘の弁当も作ることになった。そんな次第で、急遽野菜系のメニューを追加した。生野菜をカット・千切りしてドレッシングで和える、万願寺とオクラを煮る。小松菜の胡麻和えが追加となった。卵は炒り卵風に、鮭を一切れ焼いた。

           

以上が今朝のメニューとなった。然し、これだけ種類があると全部は収まらん、誰の弁当にどれを入れるか?悩むぜ。幾らなんでも、多すぎる!

                     

                    まるで二色弁当だ!       末娘の野菜弁当(ご飯抜き)

 

― 役員交代・・・ ―

昨夜、駅までの最後の停車場「ちょっぷく」にHOYA兄さんと一緒に顔を出した。と、居合せた常連客から「おめでとうございます!」と、一斉に声を掛けられた。『誕生日は、まだ先だぜ』と返すと、「会社の誕生日だったんだろう」と言われてしまった。

事の真相は、前夜に店に寄ったHOYA兄さんが「ARIさんの会社は、今日が創立記念日だよ」と、大いにPRをしていったとのこと。合点がいったが、言葉よりは銭、祝い金とか・・・・、さすれば更にもう一杯飲めるんだがな~。

 昨日の昼、監査役のKURAKAMIさんとお茶。各週の水曜日に来てくれているが、七十七歳になられたので、来週月曜日の株主総会を最後に引退をして頂くことにした。出社されるたび、二人でお茶をしながら雑談をするのが常であった。昨日で雑談会は最後となった。

 平成十四年サラリーマンを3月末で辞め、6月から三ヶ月、国が実施主体の就業支援の講座に通った。その時の簿記&財務の先生がKURAKAMIさんだった。声が大きいこと、財務面から仕事を見るこの重要さを熱心に説かれるのが印象的であった。

その翌年、当社の経理面をサポートして貰うために、KURAKAMIさんにお出ましを願った、以来、十二年に渡ってご指導を頂いたことになる。当初は、週に三日ほど、そして役員をお願いし、最後に監査役に至った。

硬骨漢のKさんは、耳に痛いことをズバズバと声高に指摘する。言われることの九割がたは承知のこと、後の一割は見解の相違。そんなところだった。時々『そう大きな声でなくとも、十分聴こえますから』と、窘めないと、廻りがびっくりするぐらい声が大きくなる。

充分承知のことでも、指摘をされると改めて考える。そんな機会が、二人でのお茶の時間であった。昨日も、最後だからと社長の至らなさを、経営上のポイントを声高に語った・・・・。

例えば「スタッフの評価・見方が固定的でないか、従業員に月次の数値を教えて意識づけしているか、売り上げ向上・原価低減の目標と管理を徹底しているか・・・・」、こんな話を聞きつづけてきた。同じような話がつづくのは、我が成長の至らなさの結果であったろう。

煩いことを言ってくれる人が居なくちゃならない。その大切さは十分承知しているが、人身を入れ替えて次に備えるのも私の仕事、と、交代して頂くことにした。今度、スタッフから初めて役員に就いてもらう。漸くそうなってきた・・・・・。

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最悪・・・

2015-09-09 | Weblog

9/9(水) 台風の影響だろうが、東京は朝から大雨。台風が上陸した東海地方は、もっとすごい雨の様子がTVで流れていた。友人がいる、浜松や函南も洪水警報や浸水などで大変のようだ。我が友人たちは、しぶといやつらなので大丈夫とは思うが・・・、無事と大過なきことを祈る。

田舎の方はどうかと、妹に電話をしたが、雨は大したことはなかったようだ。稲刈りの予定を訊くと「未だ熟れてないので、今度の連休あたりかな」とのこと。天候不順で、稲刈りも遅れているようだ。丁度帰省のタイミング、役に立たんだろうが、一応手伝いの心構えだけはしよう。

BLOG(あゆ@安田川)で安田川の様子を探ると、薄濁りのようだ。この安田川漁協のBLOGを挙げている人が、偶然にも私の後輩KOMATU君の息子の嫁だった。

先月、お盆で帰省していたおり、K君と息子さん夫妻が亡父のお参りに寄ってくれた(K君親子は、亡父の剣道の教え子)。嫁さんの勤め先は「安田川漁協」とのこと。『それじゃ、鮎情報をBLOGに載せているのは貴女だったの?』と訊くと、「そうです」とのことだ。『重宝して見てますよ』と応えた。

 

― 最悪とは、後から思うものなり ―

前置きはこれくらいにして、「最悪」のネタはこうだった。昨夕、社内で創立記念日のお祝いを簡単に行った。六時スタートで、八時過ぎまで社内で飲んでいた。それから席を変えて「ローカーボ」に移動し、HIROさん、AOKI、YOSHIO、遅れてFUJIKURAが届け物がてらに参加。

グテグテになるまで飲んだが、駅に向かう途中「ちょっぷく」の灯りが点いていたので、AOKI&YOSHIOのトリオで押し込みをした。客の姿(助っ人隊のミムラッチが居残っていたが)は既になく、異国からバイト達が帰る処だった。酔っぱらいトリオはお構いなしに、飲み物をオーダーする。

オイラは、赤ワイン。OYAJIスぺックで、なみなみと注いでもらう。料理は既に片付け済み、帰り支度のはずが、オイラたちの所為で足止めをさせてしまった。朧な記憶では、前夜もここでウイスキーの山崎を出して貰い、炭酸はコンビニで買ってきて特製ハイボールを作って飲んだのだ。

『YAMAちゃん、カラオケはやんないの?』と、店長に催促・・・・。出てきましたよ、マイクとスピカ―のセットが。客の帰った居酒屋で、カラオケ大会が始めた。ミムラッチ(本名はOSAWAさんで、某社の経理部長だが、芸人の三村に似てるとのことで、こう呼ばれている)も歌合戦に参戦(無理やりか、やけくそか?)した。

                           

          ミムラッチとYAMAちゃんのパートナー・ヨっちゃん      AOKI&YOSHIO(奥)

YAMAちゃんは、最近十八番にしている「ベサメムーチョ」に始まり、「故郷の話をしよう」と熱唱する。AOKIが比較的新し歌を唄いたがるが、即却下。昭和な演歌の宵の幕が上がったのであった。・・・・・こんなことしてて、いいんかいな?・・・・・・。

                   

これだけで終わればいいのだが・・・・、終電まじかな時刻なのに終夜営業の蕎麦屋に入り「ミニカツ丼セット」を喰ってしまった。この十日間の、米断ちの努力が水泡と消えたのであった。飲み過ぎはいかんよ、脳内神経がショートして歯止めが利かんのだ!

お蔭で、帰還は25時になっていた。AOKIの住いは、十五分も先の駅なのに。やつも歯止めが利かんな・・・・・・。

 

各なる夜を過ごし、弁当は無理かと思いきや・・・・。作りましたよ、そして反省をしながらも朝飯まで喰いましたよ。

で今朝の弁当は、豚小間とキャベツンの炒め物、鶏肉と蒟蒻・大根の煮物、茄子・ピーマン・牛蒡の味噌炒め、秋刀魚&鮭の焼物。以上だった。

                

 

未だに、胃もたれが治まらない。されど、腹は減ってきた・・・。完全に胃の中が狂ってるね・・・・。さしずめ、台風に刺激された秋雨前線の大雨、と云うところか?

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

記念日

2015-09-08 | Weblog

9/8(火) 今日は、当社の創立記念日。1984年に株式会社にしたようだ。ようだ、というのは、創立者のHIROさんの手によるからだ。その辺りの経緯を聞いたこともあるが、要は法人にした方がええぜと、廻りや親族から勧められたからであろう。草創期の役員として、貧乏オヤジコンビ組むYOSHIOの名前も残っている。

で、今夕は社内にて軽くお祝いの乾杯をし、周年勤続スタッフの表彰をし、紅白饅頭を渡す。たったそれだけのセレモニーだが、これはこれでシンプルで好ましいと思っている。スタッフの人数が減少したので、経理は銭の出が減ったとホッとしているかな?

32期は、八月から既にスタートし一月が経過した。例年どうりの赤字スタートと、順調な滑り出し?と云えよう。早や十二分の一が終わったと思うか、先は長いと考えた方がいいか。何れにせよ、ものは考えようだ。今期もまた、ノー天気OYAJIで行くぜ!

 

そのノー天気OYAJIは、昨日宣言した『暫く弁当作りは休む! 』の誓いも空しく、早朝から台所に立ってしまった。なにしろ目覚めたのは四時だぜ、哀しいかなすることがないんだ。雨音を聴きながら、作るべきか作らざるべきか、悩んだよ。暇には勝てなかった、結局暇つぶしの弁当作りとなった。

 

 -何故かアサリを・・・-

 昨夜の帰宅が早かった、最寄駅に着いたのが22時。改札口前の東急ストアで「浅利」を二パック買って帰った。狙いは蜆だったが、なかった。消費期限が翌日の50%引き表示のアサリになった次第。

帰路の車中で、三十年も前の本文が黄色く変色した文庫本を読んでいた。「梅安料理ごよみ」(池波正太郎) である。この本は、仕掛け人・藤枝梅安が、仕掛け(殺し)の後さきに食べる物を取り上げて、解説・講釈をした構成。偶々メトロの車中で読んだのが、蜆汁や飯がテーマであった。

これを読んで、蜆の料理を作りたくなったのだ。単純なOYAJIである。其処で、スパーマーケットに入ったが、蜆さんは不在でアサリさんになってしまった。帰宅後、アサリを丁重に水洗いし、軽く火をとうす為に煮た。一部は、直ぐに味噌汁にして食した。大部分の身を、刻み牛蒡・ネギと薄揚げと一緒に煮た。

今宵、ワインと濃~いハイボールに侵されていた胃と腸と、細胞の隅々に、アサリ汁の芳醇な香りと汁が沁み込むようで心地良かった。この効果で、四時に目覚めたのか?

煮付けたアサリの味は、翌朝に「浅利ご飯か、混ぜご飯」にするのだ。仕上がってから、誰ぞに喰われぬよう「明日利用、喰わないように」と、鍋蓋に書き置きをした。

                        

 こんな夜を過ごしたのだ。翌朝は、台所に立つ運命であったのだろう。

先ずはご飯を炊く。次いで、キャベツを茹でるが、これはロールキャベツ用である。タマネギを一つ、半分に割り、中の何枚かをくり出して、挽肉詰める。ロールキャベツと一緒に煮る。牛・豚の挽肉と、野菜の煮物料理だ。水餃子の残りも加えた。

                         

次いで、酒・醤油・生姜に漬け置いた豚小間の生姜焼きと、マッシュルーム・アスパラ・ピーマンのオリーブオイル炒めが出来る。

                      

最後の菜は、胡瓜の乱切オリーブ和え、チーズオムレツと明太子を焼いた。以上が、弁当用である。

                       

大トリとして登場するのが、昨夜に仕込んだ「浅利」だが、ご飯にのっける浅利飯ではなく、アサリの混ぜご飯にした。アサリ飯は、深川が有名で「深川丼」と呼ばれる。

サラリーマン時代、森下町にある研修センタの責任者を兼務していた頃、近隣にアサリ料理の有店があった。そんなことから、何度か食してはいる。自分で作った味と比べると如何に?

大して変わらない…、どっちもどっちと云う感ありだ。100円のアサリ缶詰を買ってきて、ご飯に掛けた方が旨いな。缶詰汁特有のあの甘さが、飯の味を引き立ててくれるのだ。と、云うことは、オイラの浅利煮は甘さと旨味が不足か・・・・。買ってきたアサリの所為じゃなかろう・・・・。

                           

クリニックで受けた、脳MRIの画像診断から、病院で診てもらえということになり、病院に行ったのは先週の金曜日だった。

午前中の予約を取り、脳神経外科に行った。その結果は「気になるといわれる場所は、脳外の範疇でない。耳より下の部分なので耳鼻科で受診を」といわれ、午後最終の予約となった。

脳外科では「細かい血管は切れてるけど大したことなし、大きいのはちょっとガタが来てるけど、今のところ問題ないでしょう。酒・タバコ・歯槽膿漏・過食は要注意、運動が大事です」と云われた。それじゃ、全部アウトじゃんかよ・・・。「くも幕下出血になる可能性は、向こう7~8年はないでしょう」と、こればかりは死刑宣告が猶予された。

で、午後に耳鼻科外来を受診したが。MRIの画像データを渡すと、裏の方で視てから小僧のようなDrが言った。「MRIの撮り方が、少し斜めに入っている所為で、腫れているよう写ってますね。問題ないですよ」と、あっさりしたものだった

泰山鳴動もせず、鼠も虱も出ずと、お粗末な結果で終わった。これじゃ当分は、遺書の準備も遺産の整理もする気にならんな?。遺産の方だが、これは負の遺産と云うやつだから心配なきよう・・・・。

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鰻旅

2015-09-07 | Weblog

9/7(月) 昨日の日曜日、高崎線吹上駅に10時集合の指令を受けていた。日曜の朝の出掛けにしては早い、8時に家を出た。前夜は二度寝で寝過ごさぬように、目覚まし時計をセットして万全を期した。

                      

                     10時の吹上駅、上りの特急電車が通過

夏の丑の日も近い或る日、灰皿を置いた非常階段の踊り場で、YOSHIOと煙を吐きながら鰻の話をしていた。YOSHIOが競馬を当て、サッカーのMATUKIの実家である「金三」で鰻を喰ってから一年余か。『早く大穴を当てて、ウナギを喰いたいもんだぜ・・』などと与太話。

其処へ、スタッフのFUJIKURAが通り掛かった。Fは、鰻の店が多いと聞く埼玉の出身で、実家を離れた現在も、浦和辺りが住いのはずだ。『浦和や大宮辺りは、ウナギの美味い店が在るらしいな?』と、水を向けた。すると「在りますね、僕も何度か食べに行ったことがあります。」と、Fらしい素直な返事が返ってきた。

ここで捉まったのが運の尽き、と云うやつだ。『たまにゃ鰻でもご馳走しよう、ご案内をしよう。そんな気は起きないのかな?』と、無理難題でもない、軽い話をを焚きつけた・・・・。すると「いいですね、店は沢山は知りませんが調べて案内します」との返事だ。

その結果が、冒頭の吹上駅集合となったのだ。生真面目に三重マルをしたようなFのことだ。事前にコース案内があり「さきたま史跡巡りと鰻」という、結構なスケジュールの案内があった。貧乏オヤジのYOSHIOは「FUJIKURA君に悪いから・・・・」と、一応は辞退するような態度を私だけに見せた・・・が。私の一言『嫌なら、気にするならお前さんは止したら』の一言に、前言を翻したのであった。

「のぼうの城」で知られた、石田三成の「忍城」水責めの堤遺構、「さきたま古墳群」や忍城跡の視察、そして江戸時代から在るという老舗で、鰻を堪能すると云う

この日の案内用に親父のさんの車を借りて、駅で待っていた。大雨の予報もあったが、ちょっとムシムシするぐらいの薄曇りの下、水攻めの遺構がある田圃が点在する場所へ。土と泥で固めた堤であったろうから、ほんの少し盛り上がった場所が公園として残されていた。

                   

新幹線架橋下に、戦の時の様子を記したパネル碑があり、それには東西28km(一説には14km)の堤を五日で造ったそうな。完成後、利根川と荒川から水を入れたが、この作戦は失敗に終わる。秀吉のたたった一つの戦での失敗だとか・・・・、大失敗に終わる、朝鮮の役を除けばかな。

次いで向かった「さきたま古墳群」では、円墳では日本最大と云う「丸墓山古墳」の登頂へ。駐車場からこの古墳に向かう途中に、掻き氷やコロッケを売る露店が出ていた。ここに「ゼリーフライ」なる幟が・・・。Fが、この地の名物だと言うので、食してみることに・・・。一個百円と安いので、お代はYOSHIOに拠出させて、一口食べてみたが・・・・。

ポテトフライ版のパン粉を付けずに小判形に伸ばした揚げ物。これをソースに浸して食べる。これがゼリーフライなる代物であった。Fの解説によると、銭(ぜに)フライが訛って、ぜりーフライのなったとのこと。云われてみれば、形は小判型だ。しかし、ゼニにとゼリーじゃ大違いだ。名物に騙されるなよ!

古墳の上に昇る階段に、YOSHIOはギブアップ寸前。格云う私も、足が重くなっていた。運動不足がてき面に響く、衰えを実感した。上からは、行田の市内、忍城も微かに望めた。

そして、鰻屋に向かった。「予約は受けてないが、入れますよ」と、言われたそうだが・・・。日曜日のことだ、家族連れなどが多かろうと、車中で話をしながら向かった。一台分だけ空いていた駐車場に車を留めて店内に入ると、案の定、満席。予約簿に名前と人数を書き、コースを注文。時間潰しに、途中に在った忍城の見学を先にすることにした。

この辺りは江戸期には十万石の領地で、幕末近くには桑名から松平家が入ったとある。城は、三層の小体な天守閣風の建物が狭い堀を挟んで建っている。他の大きな建物は郷土記念館になっている。入館料200円とあったので、貧乏トリオは入らなかった。古墳博物館で既に200円も費やした反動か?

                  

三十分ほどで鰻屋「満る岡」に戻ったら、上手い具合に席が空いた処。やること全てが、ドンピシャ。仕事もこんなふうに行くといいのだが、なあ!

頼んでおいたのは、特鰻重3200円也。これに吸い物と香の物が付いていた。東京の鰻屋に比べると、量からすると値段は20~30%程は安いか?味の方は・・・。

米は程々、タレは甘からず辛からずだが・・・深みが足りないか?鰻の身の厚さ、蒸し具合・焼き具合は如何か?申し分なしとは云い難いが、悪くはない。値段との比較なら、合格だ。食い物だけは好みがあるので、俄かには判じがたい。

                   

生ビールと冷酒を一本だけ頂きました。お腹が一杯になり、最後に立ち寄ったのは「十万石饅頭」なる、ご当地の銘菓店であった。F君が、お土産用にと、この銘菓を注文してあった。忝い・・・・・。

                           

                           ゼリーフライと同じ形だ!

そして、眠くなった瞼を叱咤しながら吹上駅に戻ると午後2時。すがら、ポツリポツリと落ちてきた。本降りになる前に、束の間の遺跡巡りと鰻を楽しむ小さな旅を終えた。F君に深謝の一日であった。

次回は、川越への小旅行だそうです・・・・・。

 

 今朝は、爽やかな目覚め。弁当を作ろうと台所に立ったが、昨夜の会話を思いだした。家人と次女との会話だったが・・・・。不愉快な会話であった。それで、弁当作りを止めにした。暫く、弁当を作るのは止めようと思った。

自分用のスムージーを作った。久々である。材料は、桃・ブドウ・キャベツだったが、桃に傷みがきていた。美味さ、半減だった。

                        

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

朝が早い・・・

2015-09-04 | Weblog

9/4(金) 昨夜、最寄駅に着いたのは22時と早かった。駅の東急ストアで、弁当の菜を買って帰宅した。買い物から自宅までの4~5分を、今日の弁当メニューを考えた。勤勉なOYAJIでないか、まるで平成の二宮金次郎と讃えるべきかな?

会社を出たのは19時半、小雨の中を「ローカーボ」に寄った。マスターが、独りカウンター越しにモニターを眺めていた。客の姿はなし、閑な雨の夜であった。ハイボールを三杯、ゆっくりと啜りながら味わった。会話は、保険と死後のこと。雨の夜に相応しいか?最後は食い物、煮物に使う出汁のことなど・・・。

私が居た時間、とうとう客は現れなかった。常連のマッチャンは、自宅の在る柏のようだし、HOYA兄さんも何処ぞの店で姐さんを構っているのか?NAKAMURAさんは、今日の便で佐賀に変えったはず。21時過ぎに、店を出た。マスターは店仕舞いをしたそうであった。

今週一番の早帰りで、蒲団に入るのも寝付くのも早かった。その所為か、朝の目覚めも五時頃と早い。三十分ほど蒲団の中で、目覚め前まで見ていた夢のことを考えていた。「久々に帰った実家で、まだ壮年の親父と話をしていた・・・」そんな、夢であった。

 

早々と台所に立った。今日のメインは、昨夜マスターと話た「牛煮」である。昨晩、東急ストアで牛小間と糸蒟蒻、アスパラを買ったのだ。牛煮は、糸コンとタマネギ・マイタケにネギを加えて煮た。

                   

長女の今日の勤務が、日勤と深夜だと昨晩聞いた。日勤用の弁当と、深夜勤務用にオムスビを用意してやろうと思いついた。オムスビ用に、タラコと鮭を焼いた。念のために、ジャコと梅干も準備。完璧だな!

                         

弁当の菜が牛煮なので、これは牛丼にもなる。パスタとジャガイモ・アスパラを茹で、サラダにする。冷凍の水餃子を、シメジと小松菜を入れて煮たてる。最後に、卵焼きを美しく焼き上げた。

                     

頃合いに、鍋で炊いたオムスビ用のご飯が炊きあがる。これで、鮭・タラコ・梅・ジャコのオムスビを握った。

次女の昼ご飯は、今日も弁当にした。デカ弁に牛丼風の弁当である。昨日使った弁当箱が、小さかったので、今朝は大判振る舞いと云うとこかな?

                     

炭水化物の摂取を抑えようと、平日の飯は朝食だけにして一週間。その効果は?未だなし。来週あたりから、一日100gぐらいづつ減るとみているが?膝の具合から、運動ができないのが辛いね。酒場巡りを止めるのも問題、これからの秋は、飯が美味いんだよ!廻りは敵だらけだぜ!減量作戦完遂への道は険しい・・・・。

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

酒場にて・・・

2015-09-03 | Weblog

9/3(木) 連夜、同じパターンで酒場探訪となった。探訪などと云うほどの大袈裟でもないか、・・・嘆報のいいかな?。「ローカーボ」から「ちょっぷく」の、人形町駅に向かう、退社ルートだ。

店が同じなら、其処で出会うメンバーも何時もと同じようなものだ。これだけ顔を合わせていると気心も知れて、顔が見えないと、どうしたのか?と心配になるぐらいだ。昨夜八時のローカーボには、HOYA兄さんとマッチャンが既にいた。

マッチャンが、男女の二人連れを案内していた。聴くと、昼間に神田の蕎麦屋で偶々席を同じくした夫婦だという。昼間っから蕎麦屋で飲んで、ローカーボで三軒目だとのこと。相当に出来上がっている。HOYAの兄さんは、夫婦づれから齢を訊かれて「若いね~」と言われ、ご機嫌の体。

                             

ハイボールから、最後はシャンパンを開けてた。ワインが冷えてないとのことで、お洒落な飲み物になってしまった。

                  

                    随分構えたね! シャンパンにカレー?ウソだろう!

兄さんと二人で、ローカーボから「ちょぅぷく」へ。途中に在る「セイジュ」も気になったが、足を止めなかった。兄さんは、ちょっと心が揺れていたようだ。

                 

                酩酊気味のOAYJIは、ジャケットのタグを見せてLONDONだぜ!

「ちょっぷく」でも助っ人・応援隊のミムラッチとスーさんの姿が在った。ミムラッチの姿を、この店で見ない日がない。といっても、私が毎晩出勤している訳じゃないが、行けば必ずと云うほど会うことができる。姿が見えぬと『どうしたんだ』と、心配になって店長に訊く。「大井競馬で、婆さんの店に寄ってんだろう。遅くに寄るだろう」と返るのが常。

                         

                         左の奥隅に助っ人隊が・・・

ミムラッチも義理堅い男だから、婆さんから店が潰れそうだとSOSが入ると、行ってやるらしい。どうせなら、同じく潰れそうなSEIJUの婆さんのとこへも行ってやってほしいもんだが。其処は、オイラとHOYA兄さんの担当か?

300円のハイボールを飲みながら「ローカーボのハイボールを飲んだ後じゃ、やっぱ落ちるな」と、二人で顔を合わせた。ウイスキーも違えば、濃さも、ソーダも違う。それに、作り手は異国のアルバイトのネエサンだ。ちょっとした違いで味が変わる。値段は100円しか違わないのに。不思議なものだ、酒は。

連夜、ご帰還は23時30分。この時間なら問題ないが、これが、シンデレラ時間をすぎっちまうといけない。今週は、このいけない時間になったのは一度だけだ。この調子で、週末を迎えたいものだ。明日は、病院だしな・・・。

 

呑兵衛オヤジの酒場迷いは程々にし、弁当だ。昨日も弁当を出してなかったので、昨日今日と、二日分の弁当をアップだ。

先ずは、昨日だが・・さてなんだったか?全然覚えてない。ボケちまってるよ。

                    

そうだ、スマホの電池切れで、弁当の写真まで行きつかなかったのだ。大根・人参・タマネギにウインナーの中華風煮物。残りご飯で「オムライス」だった。もう一品あったはずだが・・・ジャガイモ・人参にペンネのサラダだったと思う?

しょうがなェ、今日(9/3)の弁当だ。これは覚えてるだろう・・・。

三色丼ならぬ、二色丼と云うか、まあその何とも言えぬ弁当になっちまったんだ。これが。

先日の鶏挽肉を使ってなかったので、これを使わないと賞味期限がきれるのだ。そこで二色の一つ、鶏オボロにしようと考察した次第。もう一色は炒り卵だ。魚は、秋刀魚と鮭を焼いた。

                     

オボロにした鶏挽肉の残りと、牛豚挽肉を合わせてハンバーグを、ピーマンの肉詰めを考えていたが、ピーマンが一つしかなかった。茄子が残っていたので、豚小間とシメジ・茄子味噌炒め。

                         

他にもあったな~、万願寺と薄揚げの煮物だ。そんなとこか・・・・。しかし、これらを弁当に詰めると・・・魑魅魍魎な弁当になった。

                   

次女が「私のお昼も弁当にして」てなことで、弁当三つが完成。

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お別れ会

2015-09-02 | Weblog

9/2(水) 昨日の昼、赤坂・キャピタル東急ホテルで行われた、故・藤田晴次(前メトロアド・エージェンシ―常務)さんのお別れ会に参列した。藤田さんとの付き合いは、実質4~5年と短かかったが、同年令ということもあり友人のような気分でいた。

親しくなるきっかけは、弊社にいたUSUI老が、某代理店時代の同僚だった縁で、藤田さんが居た会社に出入りをさせて貰った。 オープンな人柄で、気さくに会ってくれた。人形町で秋に開かれる「べったら市」にも、会社の皆さんと顔を出してくれた。

その彼が、突然に会社を辞めたと聞いたのは、四月も下旬のことであったろうか。特別な事情があるとのことで、辞められた詳しい状況が判らなかった。USUI老からも携帯に電話をしてもらったが、通じなかった。

微かに漏れ伝わってきたのは、癌であるらしい。それだけであった。三月半ばに、月が変われば一献やりましょうと約していたのだが・・・。

そして六月となり、藤田さんの訃報が伝わってきた。葬儀は家族で執り行い、後日「お別れ会」が開かれるとのことであった。そして、昨日のお別れ会の案内が届いた。USUI老、スタッフのAOKIと一緒に参列した。

                   

藤田さんらしく、後の始末を万端整えて旅立った。お別れ会では、生前の写真や彼のメッセージが残されていた。「四月はじめ、末期の胃癌と診断され頭の中が真っ白になった・・・・・。残された日々を、家族との絆を深める時間にしようと、皆さんとの間を置いた。」そんな言葉が、自分の人生が語られていた。

                

飾られている写真の中に、ベッタラ市でUSUI老とのシーンが(左)、「晴。青葉 癌と闘う 気力(ちから)はあれど 野に咲く 花の生命力(ちから)に 及ばず」と、あった。 合掌 藤田さんのご逝去を悼む。

立派で厳かな「藤田 晴次さんのお別れ会」であった。惜しい方が亡くなったが、これも世の定めか。帰り道、未だランチ客が居る新橋の居酒屋で、藤田さんを偲び、三人で献杯を交わしたのは云うまでもない。

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

演歌酒場か・・・

2015-09-01 | Weblog

9/1(火) 東京は秋、秋のような日々がつづいている。それに秋雨も。今朝も雨、時折雨脚が強くなったり、止んだりを繰り返している。

今朝の目覚めも7時過ぎと、散々である。今日は、月例の全体会議を開く日なので、早めに起きようと目覚まし時計をセットしてあった。昨夜、思いもよらずに遅い帰宅。帰り着いたのは零時半、酔いも廻っていたので、念のためにと目覚ましを6時にセットした。

6時に目覚まし時計のベルは鳴った。それまで目が覚めなかったのは、酔っていたのだろう。上半身を起こして、座卓の上の目覚ましのベルを止めた。そこまでは覚えがある・・・・、そして「もう7時だよ」の、次女の声に起こされた。二日続けての事態となった。さあ、それからが大変さ、周辺事態への対応である(まるで某国の国会なみのドタバタだ)。

昨日の朝と違い、今朝は残り飯はない。大急ぎで鍋飯を炊く仕度、つづけて「鶏肉と根菜(大根・人参・蓮根)の煮物」。昨夜の帰宅後に、冷凍庫から冷蔵に移しておいた鯖を「味噌煮と塩焼き」にする。

そう云えば、昨晩の遅い帰宅ながらも、駅のスパーで買い物をした。大根、鶏の挽肉、卵を買い、今朝の弁当に備えていたのだ。予定では、三色丼弁当にっするはずであった。寝坊した所為で断念だが、鶏肉と根菜煮、鯖味噌煮は計画どうり。もう一品と、ベーコン&ウインナーとタマネギの卵炒め。

                 

大急ぎで作る、おまけに今朝は早目の出勤なのだ。ご飯が炊き上り、大急ぎで弁当に詰める。が、「お弁当できてる!」の、長女が姿を現さない。なんと、やつも「寝坊して、タクシーで職場に向かってる。お弁当はいいや」との電話が・・・・、ろくでもないとこは、オヤジ似だぜ。で、その弁当は次女に、となった。

                        

 

飯を食べるのは朝だけにして、三日目の朝となる。弁当菜の残りはあるが、卵掛けご飯にした。鍋飯ながら、炊き立てご飯だ。卵の落とし方は、先週の酒席でKAWASHIMAさんが推奨した方法である。

                           

ご飯の上に、先ずは白身だけを落とし、ご飯と混ぜる。その上に黄身を落として醤油を垂らす、であった。その方法を試す・・・・、味は?変わんねぇ!。卵の値段かな?氏は、一ッ50円とか言ってたが・・・・。秋になったから、益子の丈夫卵60円でも注文すっかな?。

寝坊の原因となったのは「お酒」の所為だろう・・・。昨夜は八時ごろから「ローカーボ」でハイボール、最後にチェイサーとしてコロナビールを。次の店が鬼門であったか「ちょっぷく」である。

                            

店仕舞い前の「ちょっぷく」では、赤ワイン。それもタップリと注がれたワイン、少なくなるとまたタップリと・・・。一本二百円ぐらいのワインだろうと、悪口を云いながらワインをグビグビ・・・。

                            

今年の「ベッタラ市」での売り物をどうするんだと、騒いでいた。ミムラッチの、新潟競馬遠征帰りの敗残の将のボヤキ・・・。賑やかに夜は更ける・・・。

最後の客も帰る頃、店長はスマホから演歌を流しはじめた。またしても、― 故郷の話をしよう や べサメムーチョ ―だ。そして、マイクとスピーカーが登場し、昭和演歌酒場に変じてしまった。応援隊のミムラッチもマイクを握った。何時の間にや、三人で演歌合戦を繰り広げていた。― どうなっってんだ。この店は・・・ ― 。               

                    

 

そんなお粗末な次第で、すっかり遅くなっちまった。 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする