オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

お別れ会

2015-09-02 | Weblog

9/2(水) 昨日の昼、赤坂・キャピタル東急ホテルで行われた、故・藤田晴次(前メトロアド・エージェンシ―常務)さんのお別れ会に参列した。藤田さんとの付き合いは、実質4~5年と短かかったが、同年令ということもあり友人のような気分でいた。

親しくなるきっかけは、弊社にいたUSUI老が、某代理店時代の同僚だった縁で、藤田さんが居た会社に出入りをさせて貰った。 オープンな人柄で、気さくに会ってくれた。人形町で秋に開かれる「べったら市」にも、会社の皆さんと顔を出してくれた。

その彼が、突然に会社を辞めたと聞いたのは、四月も下旬のことであったろうか。特別な事情があるとのことで、辞められた詳しい状況が判らなかった。USUI老からも携帯に電話をしてもらったが、通じなかった。

微かに漏れ伝わってきたのは、癌であるらしい。それだけであった。三月半ばに、月が変われば一献やりましょうと約していたのだが・・・。

そして六月となり、藤田さんの訃報が伝わってきた。葬儀は家族で執り行い、後日「お別れ会」が開かれるとのことであった。そして、昨日のお別れ会の案内が届いた。USUI老、スタッフのAOKIと一緒に参列した。

                   

藤田さんらしく、後の始末を万端整えて旅立った。お別れ会では、生前の写真や彼のメッセージが残されていた。「四月はじめ、末期の胃癌と診断され頭の中が真っ白になった・・・・・。残された日々を、家族との絆を深める時間にしようと、皆さんとの間を置いた。」そんな言葉が、自分の人生が語られていた。

                

飾られている写真の中に、ベッタラ市でUSUI老とのシーンが(左)、「晴。青葉 癌と闘う 気力(ちから)はあれど 野に咲く 花の生命力(ちから)に 及ばず」と、あった。 合掌 藤田さんのご逝去を悼む。

立派で厳かな「藤田 晴次さんのお別れ会」であった。惜しい方が亡くなったが、これも世の定めか。帰り道、未だランチ客が居る新橋の居酒屋で、藤田さんを偲び、三人で献杯を交わしたのは云うまでもない。

 

 

 

 

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