オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

記憶喪失・・・

2015-10-06 | Weblog

10/6(火) 昨夜は24時半の帰宅だったか?定かではない。定かなことは、今朝になって家人から言われた「トイレで寝てたわよ 」の、身に覚えなき事実らしい出来事だ。すっかり酒が飲めない体質になっていく、ボケとともに進行しているのだ。

なら、酒場巡りなんぞは止めりゃいいんだが、そうもいかんのが浮世と云うやつだ・・・・・?。

そんなことで、今朝の弁当事始めは七時と大幅に遅れてのスタート。先日の午前四時からの事始めに比べちゃいけないが、今朝は酷いな。30分以内で弁当を仕上げなくちゃ・・・・と、先ずはご飯炊きだ。鍋で二合の新米をガスレンジに。これだと20分で炊きあがるのだ。

菜の方は、鶏肉と根菜の煮物にした。牛蒡・人参・大根と冷凍の鶏肉を炊き合わせる。そして、冷凍の生鮭をレンジで解凍し、塩胡椒のバターソテー。これも冷凍の豚バラ肉を、キャベツとエノキの中華味の炒め物。

                      

そして、冷凍のチキンカツを温める。最後は、卵を溶いてスクランブルに。以上でお仕舞。所要タイムは丁度三十分であったが、其処に長女が「お弁当あるぅ~」と、姿を現した。計ったが如く、出来上がるの覗き見していたが如くのタイミングであった。

                       

 

人形町のベッタラ市も二週間後の19日(月)・20日(火)で、会社の直ぐそばの「椙の森神社」では、提灯の飾りつけの最中。通りにも祭礼の提灯が、挙がった。

                             

                    人形町通りの歩道       この横丁30m先に神社

祭りの気分は高まってきたが、今年は出店する屋台で『弁当』の販売を自粛となった。漸く固定客も付き、売り上げにも貢献してきたので、至って残念だ。レギュラーは「土佐風五目すし」で、年変わりで「栗飯や松茸」の弁当を出してきた。今年は、スタッフの賄い飯、と世話になっているご近所に届ける分だけだ。

弁当・メシ係の私は楽になるが、遊び心の愉しさは半減だ。その分、遊びに来てくれる友人・知人との歓談時間は増える。飲み過ぎに注意だな・・・・。皆さん! 待ってますよ!

 

 

 

 

 

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新米

2015-10-05 | Weblog

10/5(月) 土曜日の鰻フルーコースで、過食病の山は越えたが、未だ体調戻らず。日曜日の夕、郷里の妹の処から新米が届いた。十日程前の帰省の折に稲刈りをしたので、何れ届くだろうと思ってはいたが・・・。これを喰わなくちゃ・・・、味見をしてからでなくちゃ礼も云えん。

そこで、今朝は新米の「オムスビ」を作ることにした。具の方が乏しいが、鮭・鮭オカカ・梅干・山海味噌を使うことにした。弁当の方は、長女が休みなので家人の分だけだ。それなのに・・・・、沢山のオムスビを作ってしまった。何しろ新米だから?                      

菜の方は「茄子味噌炒め」「煮卵」「ブリ焼き」と、これも至って簡単なものばかり。一周間前に粕漬けにした「鰆」のことを、すっかり失念していた。これも一切れ焼く。似たような形状の魚の切り身が並ぶ、どれがどれだかさっぱり?

            

それにしても、これほどオムスビを作っちゃってどうすんのよ! で、またしても喰っちゃいました。

                         

 

腹が苦しい…、ズボンがきつい・・・、朝となった。

情報誌の取材アポが決まらない、今号はスケジュールがタイトだ。間違いなくスケジュールが取れるだろうと思っていた二件が、最大の難関となった。とは云え、何とかするのが仕事。困ったねェ~  。

今回の遠征は、水曜日からの京都、引き続いての帰省。翌週の福井・勝山市~糸魚川市となる。予定では、この間に弘前・田舎館村が入るはずだったが・・・。これまでの人生、予定どおり、思惑どおりにいった試しなし。

 

 

 

 

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過食・・・

2015-10-03 | Weblog

10/3(土) 今週は、先週の帰省からつづいての過食・飽食となり、ブロイラーへの道をまっしぐらである。腹も身の内、と云う言葉があるが、腹と脳内神経が往々にして断線・脱線を起こす。そう云う日々がつづいている。今夕も、浅草・駒形にある鰻の名店「前川」で、フルコースに挑戦しなければならぬ・・・・・。

木曜日の夕は、横浜にて衆議院議員の「さかい学」氏(神奈川五区選出)の政治資金パーティがあり、浮世のとっかかりから顔を出した。といっても、ちょいのま顔を出して、直ぐに横浜在住のK大兄にお会いし、久々に懇談した。そう云う意味からすると、機会を与えてくれた「さかい学」氏に感謝しなければならぬ。

大兄は、この日は函南でゴルフだったそうだ。急な電話にも関らず、お疲れの処を横浜駅まで来てくださった。挙句にご馳走に与かったが、顔を合わせた冒頭に『スコアのことは訊きませんから』と、可愛げのない口を利いたのであった。

そして昨晩は、サラリーマン時代の高知県人会長老組との懇談会。赤坂「ネボケ」で、一年ぶりの一献であった。長老のFさんと、Oさんはともに癌を患っているが、相応に元気。Fさんなどは、退院後の初プレーで、エージシュートを達成し、その後更にやったそうだ。曰く「これから何度でも出来そうだよ!ワッハハ・・・」と、K大兄がこれを聴くと嫌な顔をするかな?

そんなことで胃腸が疲れ果てているが、今夜が〆の鰻だ。明日は郷里から栗が届きそうなので、「栗飯」となりそうだ。脳味噌の方は休みっぱなしだが、一向に胃の休まる暇がない。おまけに、昨晩は零時から明け方まで本を読んでしまった。五臓六腑・五体不満足とは我のことなり。

金曜日も目覚めたのは、午前三時半。やることもなしと、何と四時から弁当を作り、六時からひと眠りをする始末だった。てェしたものは作っちゃいなが、飯作りは暇つぶし、一時の心の安らぎか?

                     

先日に買った残りの「ブリ塩焼き」「蒟蒻と竹輪のピリ辛煮付」「牛小間煮」「ジャーマンポテト」「小松菜とシメジの卵とじ」、以上であった。

                           

 

いい齢をして、弁当作りだけが趣味のOYAJIなんてへのは、最低だな・・・・・。

 

 

 

 

 

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牛焼き&茄子味噌炒め

2015-10-01 | Weblog

10/1(木) 昨夜の帰宅は23:30分と、夜の部を自重して早い帰宅に勤めた。夕方から、情報誌のインタビューでWATANABE  KAZUO氏に来社を願った。17:30~19:00まで話を聴いた後、近所の鰻の名店「高嶋家」に席を移しして懇談。

氏は、大手電機メーカに勤務後、アメリカ駐在中に触れた社会貢献活動に目覚めて、その世界では理論から実践に至るオーソリティである。大学での教職・社会福祉施設の役員、各地での講演会活動と、幅広く活躍されている。話しの中で『一流会社に勤務、香港やアメリカの子会社のトップを務められ、順風満帆の人生に見えますが』と水を向けると・・・・。

「そう見えますか?そんなことはないですよ。サラリーマン時代には讒訴されて辞表を出したこともある。現地法人のトップ時代は文化の違いから様々な摩擦に苦労がありました。いろんな場面で挫折がありましたよ。先月は、息子の急逝。これまで人生は平坦じゃなかった。辛い目に遭う度に目が覚める。先人たちが残した言葉を教訓に、その度ギアチェンジしているようなものです」とのこと。

難病で苦しいリハビリがつづいたことも承知はしている。それでも元気な姿しか、私には残っていない。「長男の突然の死、という悲しさを味わったことで、心からありがとうと云えるようになった」「残された時間が少ないことに気が付くと、有意義に過ごすことに思ひが至った」と、語った。

哀しさや苦しさが、人を成長させる。これは間違いないようだが、それを乗り越えようとする人にだけ通じる道であろう。八十年に渡り、山谷を越えて来たNABEさんだからこそ、言える言葉だった。

鰻屋での懇談が終わった後は、次の席にお誘いするのを止めて別れた。「明日納骨」と云うことを聞いた故に。

一人で「ローカーボ」に入ると、昼に「神田まつや」でランチを一緒にしたマッチャンが居る。その隣はHOYA兄さんだ。何時ものメンバーが、何時ものように元気一杯に気焔を吐いていた。我も合流だが、前夜の大食いと昼間の天蕎麦、先ほどの鰻重と、栄養補給過多でエンジンは低調・低速のままであった。

HOYA兄さんが客引きしたという、某有名下着メーカーの女性スタッフから名刺を頂いたが・・・・。喰い過ぎたらいかんぜよ!

早々に「ちゃっぷく」へと移動した。勿論三人でだが、ここでもエンジン不調で、赤ワイン二杯にとどまった。次の店「おたぬき」さへと流れた二人と別れ、帰路についたのである。

 

で、今朝と云うか払暁の午前四時半に目覚めてしまった。幾らなんでも早いだろう・・・。無理に目を瞑り、時の過ぎ行くのを待った。結局、六時から弁当作りとなった。

鍋飯を炊き、長茄子の皮を剥いて味噌炒めに。牛小間の炒め物、南瓜を少し煮る。土佐竹輪に胡瓜を詰め、昆布巻き蒲鉾とでワンセット、最後に、定番の卵焼きを作ってお仕舞にした。

                   

 

ご飯の上に、海苔佃煮を載せて完成である。  

                        

 

 

 

 

 

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