オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

牛小間炒め

2016-09-07 | Weblog

9/7(水) 朝から雨が降り出した、未だ小雨だがこれから強くなる可能性も。今夕に、K大兄が人形町におこしになる予定なので大雨になると気の毒、ご来駕願った私の不徳だ。大振りならぬように願うばかり。

大兄は、先週にあった越中八尾の風の盆を見物に行かれた。その時の様子などを聞くのが楽しみだが、メールによる短信だと観光客の姿ばかりが目立ったとのことだが・・・・。

昨夕も予定通りに五時の退社。某社の監査役と、取引先の担当部長T氏からの誘いで一杯会に付き合うことになった。それまでには相当の時間が有るので、先ずは慣らし運転と云うことで「ちょっぷく」で悪徳チャンを相手に本番前のトレーニングとなった。

事務所移転のことは悪徳不動産に任せているので、昼前に申し込をしたビルのことなどを肴に白ワイン・生ビールなどを飲っていた。道路から見える席に居た、通りかかった弊社のI女史が目敏く見つけて入って来た。少し話をしたかったようだ・・・・・。私と悪徳屋に挟まれながらも、流石強者の女史だ。貫録で圧倒してくる。こっちはタジタジで隅にガブリ寄られだった。女史と小人には勝てません! 。

途中で佐賀から上京したNAKAMURA大将が顔を出し、お土産の粕漬けを置いて行った。何時もながら、豆にお土産を持参される。月に二度は佐賀の往復、その度のお土産だから頭が下がります。ありがとうございます。

女史が引き揚げた後、ちょっと「ローカーボ」で軽くとなった。ハイボールを飲み雑談をするうち先約のことを思い出した。HOYA兄いとNAKAMURA大将を交えて、秋の小旅行「オヤジ旅 Ⅱ」の企画担当を任じる悪徳チャンは、今夜あたりに詰めをしたかったはずだが・・・。そんな訳で、オイラは一抜けとなった。

                            

結構酔いがまわっていた、電車に乗ると眠ったしまったからね。目的地の品川でようよう降り、線路わきにあるご指定の居酒屋へ。ここではハイボールを飲むのが精いっぱいだった。早々に切り上げとなった。そう、お酒は22時までがモットーだからネ、三日坊主にならぬようにしなければ・・・・。インディアン嘘つかない! 偶にしか? 。

深夜に目覚めた。目覚めて、明け方かと思いきや午前3時30分。幾らなんでも早すぎるぜ、眠ろうとするが寝付かれない。右左に体を動かし、寝返りをする。エヤコンを点けて涼しい風を・・・・。そんなことをしながら、再度の眠りまで一時間程要したようだ。

次に目覚めると、七時に十分前だ!これや遅い。大急ぎで蒲団をはねのけ、台所へと一目散。先ずはご飯ご飯と、米を磨ぎスイッチを入れる。これが一番時間を要すのだ。所要時間40分、長女が弁当を取りに寄る時間ぎりぎりで炊きあがるだろう。そうなのだ、今日から長女も弁当持参なのだ。

今日のメニューは「牛小間炒め」味付けは、塩胡椒だけだ。この牛小間は旨味がある肉なので、この方が美味いだろう。煮物を炊こうかとも思ったが、取り止めて牛小間に副える、野菜炒めにした。そして、マグロのブツを醤油・酒・生姜で漬けた炒め焼き。

                           

人参とジャガイモ・茹卵のパスタサラダ風、卵焼きで完成にした。これだけでも、弁当箱に納めるのに一苦労だ。以上で、弁当二つが完成。7時35分であった。

                       

                           全部同じ弁当だよ!

  ― ひと事 -

サラリーマン時代のひと事と云うと、人事のことであった。所謂、人事異動と云うやつが定期的にある。サラリーマン時代は、一番長くて三年、短い時は二年弱で担当業務を職場を所属を転々としたが、所詮は同じ会社の中だ。誰かがやってきたことを引き継ぎ、事務処理をこなすだけのことだ。が、経験を積んでくると、その中で自分なりの創意や工夫をする。それが仕事の面白さになるのだ。

だんだんとポストが上る、或いは人事担当に就くと人事に携わるようになる。担当者であれば、単に事務処理をさせられるだけだが、上司として人j責任者として携わるようになると、そこにはポリシーがなくてはならない。人事異動で一喜一憂するのは、誰しもだ。

昇格人事や、次のステップに繫がるポストに就く者は喜び、所謂横移動と呼ばれるポストの辞令が出ると、意気消沈しやる気を削がれる。全員が昇格する、或いは将来が開けると思う人事異動はない。ないのだが、それで組織人としての可能性が閉ざされるわけじゃない。新しい職場で、仕事で頑張っていれば、何時かは花開く時が来る。

これは奇麗ごとで言うんじゃないよ。人の評価は一人や二人の上司だけがしている訳じゃない。目に見える、見えない所からいろん人が見ている。一時、陽の当たらぬ場所に行こうとも、誰かが見ているから。落ち込んでふて腐ってしまえば、それが評価になる。嫌だと思った仕事でも、頑張っていれば次のチャンスが来る。だから、どんな時も明るく元気に前向きに考え、行動することさ・・・・。

そんな言葉を何人かの部下に掛けたことがある。私の力及ばず、昇格させてやれないままに人事移動の辞令を渡す際に・・・・。私自身も意に沿わない辞令を貰ったことが四度あった。その中で一度だけ抵抗したが、駄目だった。人事だからネ。その時は会社を辞めようと思い暫く悩んだ。半ばふて腐っていたね・・・。この年の、僕の評価は悪かった、当然ながら。

でも辞められなかった、職業人としてプロフェッショナルとしての自信が無かったから。あのバブル時代は、ヘッドハンティングの会社から何度か電話を貰ったが、会うことはなかった。プロとしての能力に自信がなかったから。これは正解だったろう。今こうして平和に、グータラと生きているんだから。

四度の不満な人事異動も、結果的にはすべて良かった。無駄にするものは何もなかったし、新たな出会いや発見、遣り甲斐のあるものにたくさん出会えたのだ。人生に無駄なし!無駄にしない生き方をすべし。と、若い人が悩んでいると伝えることにしている。体験的教訓として。

会社人としてよりも職業人(プロフェッショナル)としての生き方、これを望んでいたが。所詮は、使い勝手だけを求められ、それを武器に泳いできた会社人間としての人生。「自分の足で立って生きよ」これを実践する為にサラリーマン生活に終止符を打ったが。未だ、そのサラリーマン時代の会社や皆さんに支えられている。

 

人事のことに戻るが、自分自身の体験も踏まえて心掛けてきたのは「引導を渡してやる」と云うことだった。なぜ、こう云う人事をするのか、こうなったか、これからのこと、どうあるべきか。ショックであろう人事であればあるほど、早くから話をし、予見を与えるようにしてきた。人事担当の鉄則は、辞令を出すまで秘密だったが。こっちは、そんなことはくそ喰らえだ。人を生かすことの方が大事なんだと。

私が人事の原則としていたのは『個の成長と職場の活性』であった。人事異動により、その人の成長にどう役立つか、職場の活性と強化になるか、そんな視点で人事と云う仕事を考えていた。この双方が成り立つ人事移動がベストだが、何れかでも良しとした。当時の私の部下たちがどれだけ理解していたかは?だが。

そう云えば、その当時の人事担当だった一人と来週一杯やる予定がある。訊いてみるか・・・。尤も、彼は今、有力な取引先の役員になっているが。

昨夕、居酒屋で交わした女史のとの会話から、古い思いで話になってしまった次第。

 

 

 

 

 

 

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長老会&豚肩ロース焼き

2016-09-06 | Weblog

9/6(火) 昨夕は、赤坂「祢保希」(ねぼけ)にて、サラリーマン時代の県人会の長老方と、現会長・幹事長との懇親会。前会長のK氏が、現役に指示しての年一回の顔合わせであった。私は長老でも現役でもない半端な立場だが、声が掛かるので顔をだしている。会の、古い時代を若干聞き知るだけのことだが。

会の草創期を創り上げた方々で故人となられた方は、私が知るだけでも十指に余る。逓信病院長だった野波先生、健康管理部長ながらそんなことに頓着しなかった濱田先生、建設畑の豪傑北川さん、県出身ではないが会則の「土佐をこよなく愛す人の」会員条項から、毎回参加された赤星さん。そして、会の、会員の融合発展に比類なき剛腕を発揮された中村さん・・・、ほか懐かしく浮かぶ顔は数多。

こっちが齢をとっちまったのか、ジェネレーションギャップとか云うやっか、暮れの会の雰囲気も随分と変わってきた。昔のように大酒を飲んで談論風発、立ち回りもなければ、仕事の延長のような話ばかりになっている。それはそれでよかよ。じゃけん、そぎゃんこっちばかじゃいかんがよ(方々の国訛りが混在)。

現世利益を求めて集えば、卑しくなる。土佐人らしく大いなる気風をもって、天下国家を愁い談論風発、志と鋭気を養った貰いたものだが・・・・。それを云うには、こっちが些か草臥れてきたか・・・・・。

昨夕の先輩方で、FUJITANIさんは大腸がんを患いながらもエージシュートを達成し、「齢が増えるたびに何回でもできるぞ」と八十路を前に意気軒昂。OKADAさんは、前立腺がんの予後がよくないとのことで杖をついての参加。お酒も控えめだが、それでも地元・横浜のスナックのカラオケは欠かしてないとのこと。そして我が相棒といえば失礼になるが、ウーサンことUDAさんは、白髪ながらもフサフサでガンガン酒を飲むが、酔いが早くなった。

前会長のKADOWAKI氏は、この夜の酒は控え目だったが、二次会へと現役を連れて消えた。氏が会長だったのは一年前までだが、新会員発掘に大いに手腕を発揮した。その会員が連綿とつづいてくれればいいのだが、氏が社長から退くと泡と消えていった。

過ぎ去りしことを語る、病気を語る、老人と云うには早すぎるような今を生きている皆さんながら、そう云う話に落ち着くのであった。勿論、僕はそんな会話の相槌はすれど、加わらずですよ!

予定通り、六時スタートの会は九時でお開きとなった。ウーさんと二人、メトロにて渋谷経由で帰宅した。かつてなら、渋谷でもう一杯となるのだが、オイラもライフスタイルを変えようとしているから・・・・。

なにはさておき、土佐人との会は面白く愉しく、愉快と云うしかない。年齢や地位など飛んでない、同志・仲間であることが原点にある。

 

さて、今朝の弁当だが、今日も一つだ。メニューの方は「味付け豚肩ロース」、これに鮭・タラコ焼き、「小松菜の胡麻卵炒め」でお仕舞にするともりであった。が、いざ弁当に詰めるだんになって、なにやら淋しくなった。『煮物がないと、様にならねえな』と、独りごとの後で野菜煮を追加した。人参・筍・牛蒡に味付け用のウインナーである。これを旨煮風に仕上げて終了。

                      

たった一つの弁当と云うやつも、味気ないが・・・・。二枚撮りして景気づけだ!

                         

 

 

 

 

 

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牛小間煮

2016-09-05 | Weblog

9/5(月) 土日と、魚尽くしになっていた。土曜日の朝、築地で見繕ってきた魚を先ずは刺身、翌日は刺身に焼き物と続いた。今朝の弁当の菜にも、その流れで鯛・マグロ・タコを漬けやソテーにして使った。

究極は、昨夜焼いた鮎を朝から「甘露煮」にしたのだ。昨夕、炭火を熾して「鰻の蒲焼」「鮎焼き」、そして秋刀魚焼きと魚漬けの夕食であった。食べ残った鮎が、甘露煮となった次第。暇なOYAJIだからこそ出来る。或いは、「出来るOYAJI]とも言えようか???。

さて、今日も明日も弁当は一つ、家人用のみなのだ。メインは「牛小間煮」と決めたあった。そして前夜の晩飯の菜で残った、鯛・タコ・ブツマグロを弁当用に、どう手を加えるか、思案どころであった。

                                   

タコは茹でタコなので、マリネにする手もあったが、オリーブオイルに塩胡椒でソテーとなった。マグロは、漬け風に白ワイン・塩胡椒・刻み生姜に醤油をひと垂らしし、暫く漬けてから炒め焼き。タイは、塩胡椒で胡麻油でソテーし、炒りごまを散らした。

                               

鍋飯を炊き、簡単卵焼きで弁当の準備が整った。それから「鮎の甘露煮」作りとなった。二匹だけなので、小フライパンに酒をタップリと注ぎ、煮きりして砂糖醤油で煮る。仕上は鮎と同じに、かの安田川沿いで採れた日本ミツバチの蜂蜜を垂らして照りを。

                              

 

今朝から、一時間は早く出社する予定が、思わぬ甘露煮騒ぎで風呂に入るのが遅れてた。三十分しか早くならなかった。明日は、実現しよう一時間の繰り上げ出社。

弁護士稼業だった私の先輩は、毎朝6億時には事務所に入るのを常としていた(惜しいことに、早くに亡くなった)。先日のTVでは、三時と五時に会社に入る老経営者が出ていた。そういう立派な方々は大勢おられることだろう。残念ながら、こっちは立派になろうなどとは、屁ほどの思ひもない。只ただ、流れるままに生きるのみ・・・・。長生きをしたら、困っちゃうな~だが。

今夜は、赤坂「ネボケ」でN社県人会の長老方との懇談会。皆さん、七十半ばから八十路前となったが元気だ。前立腺がんや大腸癌をやりなながらも、一向に衰えを見せない飲みっぷりなのだ。相当の覚悟をして望まねばならないが、近年「二次会」と発しなくなった。ネボケから近かった「禅」も、店を閉めたので一人二次会への心配もない。

今夜も午後十時までには、飲み会は切り上げだ。

 

 

 

 

 

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ライフスタイルを変えよう

2016-09-03 | Weblog

9/3(土) 土曜日、六時ごろに目覚めるも今日は弁当は作らない日だ。そんなことで、起床は七時。今朝は築地・場内市場へと魚を買いに行く予定を立てていた。八時過ぎに家を出て、築地に向かう。下車駅は、日比谷線だが築地駅でなく、手前の東銀座駅にした。ここから徒歩で十分程で目的の魚市場に着く。

何時もの「原秀」でイカとタイ、店主の勧めで秋刀魚を。隣の生マグロの専門店「米岩」でマグロを贖う。目の前の「北田」は、冷凍の鮭・イクラ・タラコなどの店だ。ここではそれらを買った。蛸が無かったが、市場を出る寸前の店で茹蛸を見付け買うことができた。魚代は〆て2万円程度か。

土曜日の九時半ともなれば、商売人の姿は少ない。中卸の魚屋も暇になる時間帯だ。この時間帯を狙っての買い出しなのだ。タイは三枚に下ろして貰い、マグロも冊にしてもらった。時間帯と、馴染になっていればこその我儘、と云う次第だ。値切ったりしないしねぇ!

                       

                   市場の中は・・、この時間帯は閑散としている。

魚市場から通りを挟んだヤッチャ場へと渡り、カイワレを探したが発見できず。代わりに芽ネギを買うことにした。ポケッとから財布を取りだそうとしている処に、YOSHIOからの電話が入った。「今、市場に着いたけど」とのこと。一人じゃ面白くないので、出掛けにYOSHIOに連絡し、来るように伝えてあったのだ。

YOHIOは土曜日も出勤すると聞いていたので、足を延ばして築地まで来いよと誘うと、二つ返事だった。前にも一緒に来ているので、何処にどう行けばいいかは承知の助だ。YOSHIO用に、鮭を半身買っておいたので、これが築地土産だ。コ―ヒーを飲もうと、「愛養」に向かう。相変わらづ観光客が寿司屋に列をなしている。その合間を縫うようにして歩くのだ。豊洲に移転すると、この列はどうなるのかな?一瞬浮かんだが・・・・。

辿り着いた「愛養」は、なんとなんとカウンターも二卓だけのテーブルも満席。みな、外国人らしき群れだが、店が繁盛するのは結構なことだ。後にするわと、先に軽く腹に入れることにした。どこもかしこも人の列だが、カウンターだけのフライやカレーの店に空を見付けて入ることが出来た。

与太話をしながら、オムレツを肴に缶ビールを飲む。「愛養」に舞い戻ると、一斉に客が掃けたようでガラ空きになっていた。「暇な店にようこそ!」と、カウンターの中からケンちゃんの声。築地に来ると、ここでコーヒーを飲む。旨いコーヒーなのだ。『移転が延期だそうだけど、どうなの?』と、水を向けるが芳しい応えがない。十月で店を閉める、権利を売ったと前に聞いている。それ以上は訊かないことにしょうよう・・・。

                             

「原秀」のオヤジは、「小池に入れるんじゃななかったな」とボヤイていた。確かにこの時期になってのストップじゃ、予定が算段が大狂いになる。困っている人が多いだろうと推測する。

コーヒーの後は、最後に残った買い物「卵焼き」だ。これは、移転とは無縁な築地・場外市場で妍を競う卵焼き専門店で贖う。今日は「松露」で、なにも入っていない松露焼を買った。ここまでくると、今夜の食事メニューの検討が付こう・・・?。我が家で「t巻き寿司」の食事会なのだ。

実は、長女や孫、次女の亭主と九月生まれが、八月下旬生まれの次女もおり、合同の誕生祝会をやると云うのだ。外食して焼肉だ、イタリアンだと言い出すと財布が幾つあっても足りない。伝票が廻って来るのは間違いないから。そこで、オイラも知恵を絞った訳さ。「手巻き寿司」が良いと!。これなら出費は半分で済むだろうと。涙ぐましい限りだね !・・・・。

場外市場の混雑を抜けて築地駅へ、会社に向かうYOSHIOと別れて帰宅だが、俄然、蒸し暑くなった。こんなことで、土曜日の午前が終わった。帰宅後は魚を仕舞い、汗を流して一休みだ。

YOSHIを一人を会社に置いておくと鼠に引かれかねないと、様子を見に行くとにした。今夜は「ローカーボ」にバンドが入るとか、「ちょっぷく」ではランチの仕舞と掃除後の酒盛りもある。何かと忙しいが、誕生会とか称した家族ごっこは願い下げだ。人形町・安酒場巡りの方が、ボケOYAJIにはピッタリさ。

 

と、ここで今日のタイトル「ライフスタイルを変えよう」だが・・・・。昨晩から決意をしたのは、酒場巡りは22時までとすること。だった。それと、朝はこれまでより一時間以上早くの出勤、退社は17時とする。こんな決心をしたのだ。されど、五時からだと五時間は飲めるネ!。

今更ながらと言われようが、決め事は自分が決める。早速、昨夜の酒は21時55分、「ちょっぷく」でお開きにしたのだ。

                    

                 昨夜は「こま吉」    そして    「ちょっぷく」が終点。

勿論、人形町パトロ~ル隊の面々には伝えた。けじめのある酒を、大人としての品位を保った酒を・・・・理想だね。来週からが、楽しみだ。

 

 

 

 

 

 

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予定外の・・・

2016-09-02 | Weblog

9/2(金) またしても週末が、一週間の早いこと早いこと・・・、こうしてお迎えが駆け足でやって来ると云うことか。郷里の老母は、お迎えが来ない来ないと、言っているうちに九十三歳になったが・・・。あまりボケないうちにお迎えが来たほうが幸せじゃねえかと思うのだが。これは母のことじゃなくて自分のことだから、勘ぐらないように願います。

出だしから話がそれてしまった。弁当のことに戻ろう。今朝も一人分の弁当であろうと、家内に訊いた。『MIZUKIは今日も弁当は無しか?』と「沖縄から帰ってきたのかな? 今日まで休みのはずだから弁当は要らないよ」と返ってきた。『何をボケたことを言ってんだ、あいつら(長女の家族)は昨夕に羽田に着いてるよ』と、教えてやった。

そんな会話をし、弁当作りに入ったのは六時半であった。今日のメニューも、昨夜のうちに決めてあったので淀むことなく作業は進む。食材も一部、昨日の帰りに自分で買ってきたのだ。乏しいお小遣いをはたいてネ

メインメニューは「チンジャオロース」だが、これは冷凍の細切牛肉とタレがセットになっている代物。ピーマンと筍を細切にして、炒めるだけの仕事だ。煮物は「小松菜&油揚げとウインナー煮に+破竹筍」、破竹のタケノコで「筍すし」を作ろうと冷凍にして取ってあった。これが邪魔になり、煮物に加えたのだ。

揚げ物は「野菜の掻揚げ」だが、小エビも少しだけ加えた。少しだけと云うのは、家人は海老・カニが駄目になってしまったから。海老もカニも大好きだったのに、何時の間にやら駄目になった。その分、私が頂戴すると云う次第だが。

最後に、破竹の細切とモヤシ・シメジの中華風炒めだった。が、これが半端な味になってしまった。中華風だからと、テンメンジャン・コチジャン・ウエイユ―などをごちゃごちゃ使ったのが災いしたか。

                      

問題はご飯だ・・・、昨日の残りご飯があったので炒飯か焼き飯にでも、と思ったが。家人はこう云う類を好まないと承知している。で、訊きましたよ。どうすんの?って。案の定、返ってきたのは「白いご飯でいいよ」だった。

家人の分だけ弁当箱に入れ、残ったご飯で炒飯を作ることにした。昨日の朝に炊いたご飯だから、色もよくない。弁当で残った菜で、軽く一膳が私の朝食なのだ。それと小僧も朝飯を喰っていく。弁当の準備が整ったので、最後に炒飯に取り掛かった。タマネギ・ピーマン・人参にウインナーだけの簡単炒飯である。

全てが出来上がった処に、「お弁当ある~?」と姿を現したのは長女のMIZUKI。なんだよ、今日は休みじゃねぇのか?「日勤なのよ、なきゃいいよ」『あるよ、あるから弁当箱出せよ』と、炒飯弁当を渡した。菜の方は、弁当用に換算なら三・四個分は何時も作るので問題ないのだ。

                  

そんなことで、思いがけずに二人分の弁当となった、今朝であります。何があろうと、万端オサオサ問題なしの弁当OYAJIであった。〇   ・・・。

 

 

 

 

 

 

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サーロインステーキ

2016-09-01 | Weblog

9/1(水) 今日の弁当の菜は「サーロインステーキ」だよ 。とは云っても自分の弁当じゃないからねぇ~。昨夕、友人に会うため渋谷に行ったのだが(何時もの奈加野さ)、半蔵門線で向かおうと人形町交差点から水天宮駅へと歩く。と、直ぐ先に肉の「日山」が在る。その看板を目の当たりにし・・・・・。

『明日から九月か・・・、夏の盛りを厭わずに働いたカミさんに、旨い肉でも喰わして労うか』ふとそんな仏心が湧いたのだ。魔が差したと云うしかないが。思いついたら行動が早い、言い出したらきかないのが性格だ。迷わずに店に入った云う次第。入った瞬間にステーキ肉に決めていた。それも、明日の弁当にと。

家人の夜は仕事で帰宅が遅い、私は酒場巡りで帰りが遅い。となれば、家人の弁当に使うのが最も妥当なのだ。尤も、長女一家や小僧が在宅の日曜日の晩飯でサーロインステーキとなれば、万札が一枚じや足りねえ。家人用の弁当に使うぐらいが、財布の健康には適しているともいえる。

かくして、飲み会に向かう途中で弁当の菜を、それも立派な牛ステーキ肉を一枚仕入れたのであった。一枚ならカバンに入るので、邪魔にならい。これが一枚にする最大の理由だぜ!財布の為じゃねえよ・・・・。

昨晩の帰宅は十時過ぎと早かった。七時前、「奈加野」に先行していた友人二人と合流。焼酎を飲りながら、国際情勢から金融経済・石油業界の動向、はたまたバンコクの裏通りの繁栄ぶりから熊本のピンク情報にまで至った。国内外のマクロ・ミクロに渡る問題、課題と行く末について、談論風発・与太話が二時間以上つづいて草臥れてしまった。其処で、『用があるのでお先に!』と、席を立った次第。

                           

間違いなく「用」はあったのだ。その用とは、天気が良くなったので「鮎開き」を作ることである。週末も悪天候がつづき課題だった鮎の一夜干しに着手できなかった。今夜あたりに着手しようと思っていた処に声が掛かり、渋谷へお出ましとなっていたのだ。世界のことも、経済のことも森羅万象すべてが大事だが、私のこの夜の最大テーマは「鮎開き」だったと云うこと。

この美味い鮎の開きを口にすれば、イスラムもISも中国も北も南も、皆黙ることは間違いなし。判り易く言えば、現代版三種の神器だね。美酒・美人・美味という。この一つ、美味を口にすれば黙って平和が訪れることは間違いなし。それだけ思いテーマが待っていた、と云うことです。

カバンからステーキ肉を冷蔵庫に移し、着替えを済ませて台所へ。この時は既に十時半を過ぎている。冷凍庫の鮎を取りだして流水に置く。ボウルに塩水を作り、指先で塩加減をチェックする。包丁を磨ぎ、俎板を水浸して濡らす。てなことで準備が整い、半解凍の鮎の頭に包丁先をブスリと・・・、登頂から嘴まで裂き、中骨に添って尻尾まで切り下す。これを開いて、内臓を取りだし、鰓を取り、背骨沿いに残った血合いを削ぎ取る。最後に水洗いをしてから塩水に浸す。以上だが、三十分程漬けたあと水切りをして、ザルに載せて一夜干す。以上を十三枚でした。

余談だが、鮎寿司とか、鮎開き作りは家人にはやらさない。自分でやることに決めている。それと筍鮓はね。

てなことで、昨夜から九時間ほど干した鮎開きは、ふっくらとし水ッ気もほど良く抜けて、よか塩梅になっていたのでありました。これで、大事な用が終わったのだ。

 

今朝は、五時過ぎに目覚めた。台所に入ったのは五時半。本日のメニューは簡単、ステーキを焼けばいいんだから。とは云いながらも付け合せが要る。これは、人参・インゲン&ジャガイモ・パスタを添えることにし、全部を纏めて茹でる。時間差攻撃ではあるが・・・・。そして「卵焼き」と、冷凍庫を漁っていたら出てきた「餃子」を焼く。

                          

以上ですが、珍しく卵焼きを失敗した。ステーキを焼きながら、卵焼きをしていたところ熱し過ぎ他のだ。卵焼き作りは自信を深めていたのだが・・・。猿も木から落ちる、であったか?

                         

美味そうに焼けたサーロインステーキだが、長女は沖縄から帰るのは今日だ。一人分の、コスト度外視の弁当が出来上がった。

                            

 

 

 

 

 

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