名もない改革者たち
私は、ヨーロッパの宗教改革者たちのある人たちを紹介したいと思います。マルチン・ルター、ツウィングリー、フス、ジョン・ノックス、ジョン・ウェスレーなどそういった名前のある人々ではありません。本当にごく少数の人たちですが、真理のために驚くべ生き方をした人たちです。そして、私たちもそういった驚くべき働きをすることが出来るということをお伝えしたくて紹介します。
16世紀に、オランダのアムステルダムで活動した、宗教改革の先駆者の一人で、メノー・シモンズという人がいました。アナバプテストの人でした。アナバプテストとは再洗礼派という意味です。この時代は、みんな幼児洗礼を受けていました。どうして幼児洗礼を受けるのですか?洗礼、バプテスマを、何も分からない幼児が受けるというのは、聖書的ではないのではないか、そのようにこの人は感じたのです。彼は、ローマカトリックの神父だったのですけれど、聖書について目が開かれたのですね。最初、再洗礼派という異端の人々を滅ぼそうと、一生懸命になっていていました。ところがいろいろ教理を調べていくうちに、あれ、これどうなの?と、そういう思いが起きてきたのです。
彼は、神父だったのですけど、異端の教理を調べていくうちに、何が聖書の真理であるかを悟って行ったのです。カトリック教会では、聖餐式の時のパンとブドウ汁は、化体説と言って、本当のイエス様の肉と血に変わると信じていました。そのような教えを信じていたのです。パンが本当のイエス様の肉に代わり、ブドウ汁が本当の血に変わるということを信じていました。ところが良心の声が聞こえてきたのですね。これがどうやってイエス様の肉になるのだろう、イエス様の血になるんだろうと、実際に食べてみて、そういうことが気になって仕方がなかったのです。本当にそんなことが起きるのだろうかと悩みました。その疑問を打ち消そうとするのですが、消えませんでした。ところが聖書を研究して悟ったのです。カトリック教会で教えられていることの中に、たくさんの聖書的でないものがあることに気付いてきました。
また、幼児洗礼についても疑問が起きてきました。バプテスマは本来信仰の告白として行われるものですから、バプテスマを受ける人は信仰を持っていなければならないはずなのに、何もわからない子供にバプテスマを施すことにどんな意味があるのだろうと考えました。今の時代にはそれは当然のことと思われるかもしれませんが、カトリック全盛時代には、幼児洗礼を否定するというのはとんでもないことで、シモンズの近くの村では再洗礼を受けた人が死刑に処せられるほどでした。しかしシモンズは、幼児洗礼ではなく、成人の信仰によるバプテスマを行うべきだと言って、そのことを命がけで伝えるようになったのです。
ところがこの時代には、オランダやドイツに、秩序を乱し、暴力と反乱を引き起こす狂信的な信仰を持った人たちがたくさんいました。この狂信的な運動と改革運動は混同されて、大きな苦しみを受けることになりました。もともとこれらの狂信的な人々は、真理がなかったから、真理を探して狂信的になっていったのですね。しかしそれらの狂信的な人々から、その教えを捨てて正しい聖書の教えを受け入れる人たちもたくさん出てきました。
またこのあたりには、昔からのクリスチャンとして、ワルド派の教えを受け継いでいる人たちがいました。昔ワルド派の人々が播いた小さな種が実って、使徒たちが伝えた信仰を守っていた人々がいました。そういった人々が集まって、正しい働きをしていったのです。