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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

大贖罪日 第6回

2015年11月26日 | 日記

 完全に罪を捨てる経験

罪のない完全な品性を説教したジョン·ウェスレーに、ある人が来て苦情を言いました。その時ジョン·ウェスレーがその人に言った有名な言葉があります。「兄弟、兄弟はなぜそんなに罪を愛するのですか?どうして、それほど罪が好きなのでしょうか?私たちが神様の前に完全に罪を悔い改め、完全に罪を捨て、主のみ力によって、完全に勝利することができ、また勝利しなければならないという、その言葉をどうして嫌悪するのですか? 」。

私たちの悔い改めは、大贖罪日の悔い改めでなければなりません。私たちの毎日は、大贖罪の日でなければなりません。その日一日を通過すると、その次は仮庵の祭り、幕屋週がやってきました。仮庵の祭りは、イエス様が私たちを迎えに来て下さり、天へ向かっていく旅を表していました!そして荒野の道を歩き回っていたその日を振り返る日でした。収穫物を倉庫に蓄え、その収穫をお祝いする日でした。イエス様が来られて、救われた人々が雲に乗って天に上げながら、仮庵の祭りを祝うのです。この世界で苦労したことを覚え、仮庵の祭りを祝うのです。徹底的に罪を赦され、罪とはもはや関係がなくなった者たちに、主は印を押され、御国に連れて行ってくださるのです。

 

これはあなたがたの全き休みの安息日であって、あなたがたは身を悩まさなければならない。これは永久に守るべき定めである。油を注がれ、父に代って祭司の職に任じられる祭司は、亜麻布の衣服、すなわち、聖なる衣服を着て、あがないをしなければならない。 彼は至聖所のために、あがないをなし、また会見の幕屋のためと、祭壇のために、あがないをなし、また祭司たちのためと、民の全会衆のために、あがないをしなければならない』(レビ記16:31~33)。

 

人々のためだけにあがないが行われるのではありません。聖所自体をあがないます。「会見の幕屋」とは「至聖所」と「聖所」両方のことを言っています。「祭壇」とは、聖所の境内にある「祭壇」のことです。つまり聖所の建物自体もあがないをし、そして人々も清め、あがなうようにと述べられています。なぜそうするのでしょうか?天の聖所がなぜ汚れたのでしょうか?天に汚れたところがあるのでしょうか?なぜ天の聖所が清められる働きが必要なのでしょうか?

私たちが罪を告白したときに、その罪は残らず天の聖所に移され、そこに罪の記録として残ります。主が私たちの罪に対する悔い改めを見て、私たちのためにとりなしをしてくださっていますが、私たちの罪が記録された天の記録の書物のために、罪と反逆のすべてを知らない天の神聖な場所が汚されているのです。ですから、主が罪の記録自体を消し去り、聖別される必要があるのです。