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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

完全な屈服 第10回

2015年11月19日 | 日記

重荷も軽く

くびきは牛が荷物を運ぶのを助けるため、また、重荷を軽くするために牛に掛けられます。キリストのくびきもこれと同じです。我々の意志が屈服を通して神様のみ心と一つになる時、私たちは人生の重荷を軽く感じるようになります。私たちは自分の考えで、自分の力でやろうとする時、たくさんの重荷を背負うことになります。ところが私たちの人生を主に捧げ、神様の栄光のために生きるならば、たとえどんなに苦しみがあったとしても、心配がない、不安がない、重荷がない、心が楽しく喜びがあるようになります。キリストはいつも私たちと共にいて下さる方、神様の戒めの道を歩む人はキリストを道連れとして歩いているのであって、その心はキリストの愛のうちに休まるのです。

モーセが、「どうかあなたの道を示して下さい」と祈った時に、主は、「私自身が一緒に行くであろう、そしてあなたに安息を与えるであろう」と彼に答えられました(出エジプト33:13,14)。また、預言者エレミヤを通して次のようなメッセージを与えられました。「あなたがたはわかれ道に立って、よく見、いにしえの道につき、良い道がどれかを尋ねて、その道に歩み、そしてあなたがたの魂のために、安息を得よ」(エレミヤ書6:16)と安息の約束を与えられました。

私たちが神様に屈伏、無条件降伏する時に何を得ますか。その時に安息が与えられるのですね。神様はこのように言われます。「どうか、あなたはわたしの戒めに聞き従うように。そうすれば、あなたの平安は川のように、あなたの義は海の波のようになり」(イザヤ48:18)。聖書の御言葉通りに信じ、自分の魂をキリストにゆだね、その生活をキリストの命令に従わせるものには平安と穏やかさがあります。 

神様に従う時に、平安があります。イエス様がそのご臨在によって、私たちを喜ばせて下さいます。そのとき、この世のどんな者も私たちを悲しませることは出来ません。完全な服従は、完全な安息を与えるのです。 

「あなたは全き平安をもって こころざしの堅固なものを守られる。彼はあなたを信頼しているからである」(イザヤ26:3)。