では一つ、本を読みたいと思います。ちょっと長いですけど、だいたい2ページくらいあります。この本は『各時代の希望』という題ですが、とても霊感に満ちた書です。この本は、神学的な本ではなく、また注解書のようなものでもなく、神様の御心を私たちに伝え、神様の恵みをはっきりと教えてくれるものです。私はこの本をいつも傍らに置いて、瞑想の課題としています。この本は中国語では、『万代願望』となっていますが、私たちの願望ではなく、長い間多くの人たちが期待し慕っていた救い主イエス様の生涯について、とてもよく書かれています。この内容をよくかみしめて学んでいきたいと思います。
「この世の標準に達しようとして、心配の重荷に心を痛めている人が多い。彼らは世の奉仕をえらび、世のわずらいを受け入れ、世の習慣をとり入れた。こうして彼らの品性はそこなわれ、人生は疲れはてたものとなる。野心と世俗的な欲望を満足させるために、彼らは良心を傷つけ、悔恨というよけいな重荷まで背負いこむ。たえまない心配のために、生活の力はすりへって行く。主は彼らがこの束縛のくびきを放棄するように望まれる。イエスはわたしのくびきを負いなさいと彼らを招いておられる。『わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからである』と主は言われる」(マタイ 11:30)。
多くの人は、この世の生活に疲れていて、生きるだけでも辛いのに、さらに良心の苦しみまで持っているとイエス様はおっしゃったのですね。この絶え間ない痛み、束縛の苦しみから解放しようとしておられるのです。
「イエスは彼らに、まず神の国と神の義とを求めなさいと命じられる。そうしたらこの世の生活に必要なものはすべて加えられると、主は約束しておられる。心配は盲目であって、将来をみわけることができない」。
多くの人は、心配とか不安があると信仰が無くなってしまいます。確信がなくなってしまうのです。皆さん、この事がどれほど事実でしょうか。
「だがイエスは、始めから終りまで見通される。困難のたびに、イエスはそれをとり除くためにご自分の道を備えられる。天の父なる神は、われわれのために無数の道を備えて下さるが、われわれはそのことを何も知らないのである。神に奉仕しそのみ栄えをあらわすことを最高のものとするというただ1つの原則を受け入れる者は、困った問題がなくなり、足元にはっきりした道が開かれることに気がつくのである」。
自分の意志を通そうとすると困難しかないのですね。自分の思い通りにやろうとすると問題ばかりになります。神様の御心の道は平たんで明らかなのです。皆さん、救いとは、贖い(あがない)とは何でしょうか?それは、魂が天のために訓練される過程です。イエス様を信じれば終わりというのではなく、日々自分の世俗的なところ、古い習慣、誤った考え方、そうしたものを真理によって訓練されることです。ある時は倒れ、もう一度悔い改めてまた立ち上がって、毎日毎日の訓練の過程が贖いなのです。