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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

完全な屈服 第5回

2015年11月14日 | 日記

   降伏の条件

では、私たちが神様に降伏、屈服する時、罪を告白して悔い改めて神様のために生きるように決心する時、神様が与えられる条件は何でしょうか?何をすることが神様の息子娘となる条件でしょうか。その条件を神様はおっしゃったのですね。それが箴言23章26節にあります。「わが子よ、あなたの心をわたしに与え、あなたの目をわたしの道に注げ(ぎ楽しめ。韓国語訳)」。

何を与えよと言われていますか?「あなたの心を与え、あなたの目を私の道に注げ」とあります。韓国語ですとここは、私の道を楽しめ、と書いてあります。それはどういう意味でしょうか。神様の計画、神様の導きに従っていくことを楽しむこと、自分の思い通りでなく、自分の選択でもなく、神様が私に命じられた通りに、それを喜びそれに従っていくこと、それが私たちの心をささげるということなのです。

詩篇119篇の2節にはこのようあります。「主のもろもろのあかしを守り/心をつくして主を尋ね求め」。私たちは心を捧げて神様に従っていく時、主のもろもろのあかし、命令、戒めを楽しみながら守るようにされるのです。「主のもろもろのあかしを守り、心をつくして、心をつく」すとはどういうことでしょうか。すべての心をつくして、すべての心を捧げて主の助けを求める、私たちの心を全てささげるとはどういうことでしょうか?このことに対して主の御心は何か、私たちの家族に対しての主の御心は何か、教会に対しての御心とは何か、すべての心をつくして探し、そして主の御心を行い、主の証しをし、主の戒めを守り行うことなのですね。エレミヤ書にこのようにあります。29章11節、

主は言われる、わたしがあなたがたに対していだいている計画はわたしが知っている。それは災を与えようというのではなく、平安を与えようとするものであり」。皆さん、私たちが神様に全面的に屈服しようとする時に、ある恐れが来ることがあります。すべてを捧げたら私は生きていけるだろうか、私はこの世において、もう喜びも楽しみもなく、奴隷のようになって、自分がやりたくないことも、主がしなさいと言われるからやらなければならない、そのような考えを持つ人がいます。でもそうではありません。

主が私たちに対して持っておられる計画は、災いではなく平安を与えるものです。「あなたがたに将来を与え、希望を与えようとするものである。その時、あなたがたはわたしに呼ばわり、来て、わたしに祈る。わたしはあなたがたの祈を聞く。 あなたがたはわたしを尋ね求めて、わたしに会う。もしあなたがたが一心に心をつくしてわたしを尋ね求めるならば」(エレミヤ29:11~13)とおっしゃったのですね。神様が屈服しなさい。降伏しなさいと言われます。その条件は何でしょうか。ごく簡単なのです。心のすべてを捧げる。これが屈服なんです、主がこれを望まれます。これが条件なのです。私たちの心を捧げるということは、心のすべてを捧げるということなのですね。心にあること全てということです。