2010年12月30日-1
論文よりも、総説を、さらには(結局は世界観を表明した?)体系的な本を
査読論文とは、多くの場合、一人以上(二人というのが最頻値かもしれない。二桁台になった場合については、Hull (1988) Science As a Processを見よ)の匿名査読者または記名しての査読者が査読し、それらの査読報告をもとに編集委員会が、場合によっては見識ある?編集長が独断的に採用したりして(George Evelyn Hutchinson (1903-1991)が編集長だったときの例)、掲載される論文である。
投稿された論文の評価は、そのときの査読者に大きく依存すると思う。ということは、その限りでの評価であり、その分野をよく理解していない人が査読することもある。
いくつかの学術雑誌の査読に通らないが、自分または関連する者たちの発想や考え方が、却下された学会の思想とか学会体制派の考え方と異なるだけであり、自分たちの考え方は妥当で価値があると考えた場合、新しい学会組織を作る場合がある。
新しい思想は、開かれた考え方をする者に受け入れやすいだろう。たとえば、通説とは異なっていても、考えの筋道の論理性と実際のデータにもとづいた妥当性があれば、暫定的にでも承認するという人に、である。
突破口を開く考えは、それまでの理論とそれらが基づいた(とされる)データを再吟味する論文によることがある。ときには大きく間違っていると、良い議論になることがある。
(実験分野や工学分野では、いわゆる偶然的な発見が、突破口を開くことがけっこうの頻度であるようである。ただし、理論的再構築が行なわれないこともある。)
(論理的飛躍によって。)
みなさん。査読論文よりも、総説論文を、それよりも、概念的整理がよくできていてそれゆえに読みやすく、そして体系立っていて、かつ質の高い内容の(できれば300頁未満の)一冊の本を書いてほしい。
われわれの生活は、つねに全面的である。
(認識は片手落ちだったり、一面的だったりすることが、きわめて多い。)
Hull, D.L. 1988 (pb1990). Science As a Process: an Evolutionary Account of the Social and Conceptual Development of Science. xiii+586pp. University of Chicago Press.