2013年7月9日-3
絵画原論 001:絵画の定義
クレメント グリーンバーグ(Clement Greenberg)は、内容ではなく形式によって絵画を捉え、絵画の本質を平面性だとした。
「モダニズムの芸術作品は原則的にそのミディアムの、最も本質的と考えられている性質にそぐわないどんな種類の経験にも依存しないようにしなければならなくなる。これはとりわけ、イリュージョンと明示の放棄を意味する。」
(『グリーンバーグ批評選集』: 102頁)。
リテラル
「モダニズムの絵画は、直示的にして実証的なものに対する我々の欲望を、三次元のイリュージョンの放棄によって満たす。これが決定的な一歩であるのは、三次元を暗示するに留まる限り再現なるものも放棄されるからである。〔略〕モンドリアンが示したのは、再現の痕跡や暗示がいっさい取り除かれて初めて絵は絵であり続けるということであった。つまり、再現性も三次元性も絵画芸術にとっては本質的でないのであり、それらが欠けたところで、画家は「単に」装飾的なものに引き渡されるわけではないのである。」(『グリーンバーグ批評選集』: 103頁)。
しかし、グリーンバーグは、「平面」とともに「表面」という語も使っている。どう使い分けているのか、そもそも「平面」という語で何を指しているのか、あるいは意味しているのかがよくわからない。上に引用した箇所はまだわかりやすい箇所である。
「再現性とは、ある事象がテーマとなった時に、それを成り立たせていると考えられる要素や要因に還元したときに、同じ要素や要因を条件として整えた時に、再びまったく同じ事象が起こる性質をそなえていること。
」
http://ja.wikipedia.org/wiki/再現性
と、ウィキペディアにある。しかし、グリーンバーグの「再現性」はこれとは異なる意味であろう。再現とはrepresentationの訳であろうか? あるいはreproductionなのだろうか? あるいは、実際的意味とは(或る精度での)複製ということなのか? 写像 mapping の種類と程度として捉えよう。
しかしながら、抽象絵画、とりわけ有機的抽象絵画(あるいは、いのち絵画)においては、再現とか(感情とか内面の)表現とかではなくて、絵具を材料としてできる生命体を存在させること、様々な種類の生命体を創造することを課題とする。
さて、平面または二次元か、立体または三次元か、は絵画の本質とは関わらない。そのように定義したい。
人の肉眼視覚から言えば、或る空間解像度の限度があるので(顕微鏡を使えば拡大概念的な解像度を上げることができる)、表面というものとして認識するのである。穴とは視覚上での相対的なものである。表面は曲がっていても、メビウスの輪(またはメービウスの帯)のように物体としては裏表があるのに裏と表がつながっていて同一面つまり、一つの面だけで構成されていて立体的であってもよい(メビウスの輪もまた三次元的物体であるから、輪の側面を構成する厚みがあるので、厳密に言えば、一つの面だけで構成されているわけではない。近似的な言い方である)し、いくつかの「穴」があってもよい。
定義1:絵画の定義
絵画とは、表面に絵具を結合させた(あるいはそうして分布させた)物体である。
或る物体の絵画性の種類と程度について、分類と指標を定めておく(後述)必要がある。
この定義からすると、彫刻とかのいわゆる立体作品もまた絵画である。そこで、従来言われてきた彫刻または立体について、絵画との関係を検討しておこう。
彫刻 carving、つまり材料を切って彫って刻んで作る物体の製作であるが、彫刻という言い方はその作り方によっている。まったく平面的なもの、たとえば薄い紙を切り刻んでも彫刻ということになるだろう。
逆に、物体を増やしていく方向、たとえば粘土を貼りつけていくのは彫塑と呼び、できあがった物体は塑像と呼んでいるようである。
「硬い素材を彫り刻む技法も彫刻(カーヴィング、carving)と呼び、それに対して、可塑性素材を盛りつけて形を作る技法を彫塑(モデリング、modeling)という。彫塑で作られた作品を特に塑像と呼び分けることもある。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/彫刻
つまり、丸太とか粘土塊とかの出発点となる材料をもととして、加工しようとするときに、
a. なんらかの働きかけによって、材料を減らしていく。 ………彫(狭義の彫刻) carving
b. なんらかの働きかけによって、材料を増やしていく。 ………塑(?塑造) modeling
c. なんらかの働きかけによって、材料を増やしたり減らしたりする。 ………造形 shape -making[→物体製作 material body making]
「近代において立体造形は、1873年のウィーン万博出品規定「像ヲ作ル術」と称されて以降、大村西崖による彫刻と塑造を合わせた「彫塑」が提唱されたが定着せず、76年工部美術学校で学科名として決められた「彫刻」に落ち着いたことになる。(迫内祐司・執筆)」(日本近現代美術史事典・用語編(東京書籍・2007年))
https://ja.wikipedia.org/wiki/彫刻
「造形(ぞうけい)とは様々な物質を媒介として、形あるものを作りだすこと。〔略〕
本来、造形とは、形を造ること、すなわち英語でいうmodeling(模型製作)やmolding(型で作ること。鋳造)を意味する。 特に芸術の分野においては、「造形芸術」と言った場合、「物体」を作り出す芸術、つまり絵画や彫刻、デザイン(工芸、建築)などを指した。
しかし、現代美術において、オブジェ【objet(仏)】等の「他のジャンルに収まらない芸術作品」を、ひっくるめて「造形作品」という言葉で呼びあらわしたり、さらに現在ではメディアアートについても造形芸術に含まれるようになるなど、意味の変化が見られる。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/造形
物体は、形を持っており(厳密な言い方をすれば、形が知覚される)、したがってなんらかの色を持っている(厳密な言い方をすれば、色が知覚される)。透明な場合でも、形は(視覚的には困難でも、たとえば触覚的に)知覚できる。こう考えると、物体において、形態的性質が先立つように思われる。
しかし、絵画では色彩を重視して、形態は従属的なものだと考える方が、絵画の本質を重視する考え方である。
人の視覚の多くは三色型であるが四色型もあると言われる。この側面を考察してみよう。
まずは、同種類の知覚者であっても、場所が異なれば知覚内容は異なるという話からである。音楽鑑賞を考えてみよう。或るコンサートホールで、ピアノ協奏曲を聴くとする。厳密に言えば、異なる席では異なる音楽を聴いている。たとえば札幌にキタラホールがある。ピアノは演奏場の(客席に対して)前方の中央に置かれている。ピアノと直角に位置してかなり離れた席だと、ピアノ音は聞こえない。ピアノ音の無いピアノ協奏曲となる。ピアノの共鳴板に直角方向でホールの天板からの反響音も加えて音量豊かな所では、ピアノ音のよく聞こえるピアノ協奏曲となるだろう。その間で、客席によって反響音もしくは残響音のずれの程度も様々に、異なる音構成の曲を聴くことになる。はたして、だれもが同一の音楽を聴いていると言えるだろうか? コンサート会場の席ごとに示した、音響特性分布図が欲しいところである。
絵画鑑賞または絵画感受においても同様であるが、幸いなことに歩くなどして、見る角度と距離を変えることができる。
「「絵画」を意味する英語はpictureである。このpicture〔英〕は、ラテン語で「描かれたもの」の意味から派生した語である。「描かれたもの」を指し示すpictureは、「絵、絵画」の他にも、写真、(映画、テレビの)画面、さらに(心に描く)像のimage や 観念のideaという言葉、さらには「(絵のように)美しいもの」「生き写し、化身」、situationと同じような「状況、事情、様子」などの幅広い意味ももっている。
pictureを形容詞で用いる場合は、「絵に描く、描写する」の他に、「心に描く、創造する」という意味もある。
一方、英語には「描かれたもの」ではなく、「描くこと」を示す別の言葉がある。painting 〔英〕 は 「絵をかくこと、画法、ペンキ塗り」を意味し、「絵画、油彩画、水彩画、塗装」とも訳される。」(渡辺晃一「<絵> <画>の範疇とその定義について(3)」)
http://www2.educ.fukushima-u.ac.jp/~koichiw/asca/asca_toku_wata01_03.html
「中国では、当初、「調墨」の美を通じて、「輪郭線」を表現しないで描く手法が確立していたのに対して、「線描」の美が加わることにより、徐々に「線」に大きな意味が加えられていったのは興味深い。その「線」は、漢字が視覚的な意味だけではなく、書体に書き手の感情や思想を表すものとされたのと重なってくる。」
http://www2.educ.fukushima-u.ac.jp/~koichiw/asca/asca_toku_wata01_08.html
「<絵>と<画>は「あわせる」と「しきる」という相反する行為を有することになる。〔略〕
「色のついた糸を素地に合わせる」ことである<絵>は、絵具でキャンバスに塗ること、ペンキで家の壁を塗り替えること、布地を模様で覆うことの意味をもつ。それは「色を塗る。塗装する」という西洋語の painting ( 英)とも重なり、「素材の表面を覆う」身体的な行為が語根にあるとも考えられないか。〔略〕
一方、<画>は、「事物に限界を与え、区切る」ことであり、「対象の形を理解する」という思考方法が示されいる。線を引く、しきるのは、AとBを分けること、境界を区分することである。それは、言葉のもつ性質、脳内で処理された「ものの見方」とも重ね合わされるであろう。〔略〕
<絵画>の意味をまとめると、<絵>は<感覚的、身体的>なニュアンスが強く、Malereiやpaintingの意味に近い。<画>は「線を描くこと」であり、ものの考え、つまり<脳>を通じて「計画、意図、構想をもって描かれたもの」という意味あいを含み、dessin やZeichnungと重なるものである。」
http://www2.educ.fukushima-u.ac.jp/~koichiw/asca/asca_toku_wata01_09.html
絵、画、図、図解、絵解き、絵画世界、(言語的解釈をしない)直接感覚
「絵画の方は意味伝達よりも、感情や意志の表現が含まれる初源的なものが含まれているのです。〔略〕
特に「気韻生動」は、「絵画」の最も大事な要諦で、何よりも生き生きとした気韻が伝わってこなければ、よい作品といえないと〔謝赫が『画の六法』で〕言っています。単に技巧をこらして、うまく描かれても、決してよい「絵画」とはいえないのです。」(田中英道「絵画とは何か」)
http://www2.educ.fukushima-u.ac.jp/~koichiw/asca/asca_toku_tanaka01.html
上記は、絵画を構成する素材とか形式ではなく、その内容または観者に与える効果で、絵画を定義というより価値判断しようとするものである。あえて定義と呼ぶならば、絵画についての狭い定義である。なんらかの判断基準が明示されなければ、或る人は「それは絵画ではない」と言い、他の人は「それは素晴らしい絵画だ」と主張することになる。このようなことを避けるには、絵画性についてその種類と程度を定めるのがよい。たとえば、絵画性がゼロの絵画だ、と表現すればよいのである。そうすれば、たとえば「気韻生動の感じられない絵画だ」という言い方は矛盾しない言い方となる。
あれこれ言うよりも、定義をして議論することが混乱回避の道である。
「絵画の定義
定義1a
絵画とは、何らかの物体の表面に、なんらかの結合手段によって、なんらかの絵具を配置した物体である。
地球表面においては、地球重力がいたるところで働いている。床に賽子を一つ置けば、そして絵具で賽子の目が表されていれば、それは三次元的絵画である。なお、時間とは記述や測定のためのわれわれな工夫であり、実在するものではない。
たとえば蝶の翅とか孔雀の羽根の色は、構造色である。絵画は視覚に関わるものだとすると、定義1aは絵具、つまりなんらかの顔料を pigmentを使うという限定のある狭い定義である。色が見えれば、顔料によるか、表面構造のよるかを問わなければ、あるいはむしろ、膠彩画のように表面構造が見えに影響しているのは明らかなのだから、絵画とは表面体の一形式である、と定義範囲を拡張することにする。
定義1b
絵画とは、なんらかの物体の表面を、見えの上でなんらかの手段によって彩色した物体である。
彩色とは、白黒の明暗だけの場合を含むこととする。彩度がゼロの場合を含むということである。
表面は、真っ平らかもしれないし、曲がっているかもしれない。球体は、球面という一つの表面となっている。直方体は、
六面体であり、六つの隣接する絵画世界を提示できる。ヘリウムを入れて空中に浮かべることもできよう。
表面に穴が空いていて、真後ろとか曲がってどこかに穴が通じていてもよい。表面構造が入り組んでいるだけである。
彫刻作品とは掘ったり刻んだりという作用が行なわれた作品である。塑像作品は、逆に材料を付加して作っていく。
いかなる立体も、その表面によって、われわれは認識する。触覚はことにそうである。(存在するとしてだが)エーテル視力または四次元的視力を使うことができる者は、レントゲン像のように表面を貫いた像を得ることができるらしい。
通常の肉眼視力では、空間解像度の制限によって、表面が連続しているように見える。たとえば鶏卵の表面を、走査電子顕微鏡で見れば、穴ぼこだらけである。人肌も汗腺が開いている隙間がある。
作り方はどうであれ、塗り絵的に、あるいはポロックのように絵具を滴り落として層を重ねたりしても、結局は、表面で反射される様々な波長の光を感知しているのである。透明度の高い絵具は、その度合いに応じて、下層の絵具の色を覆い隠さず見えさせる。透明性の採用は、水甕座の時代にふさわしい(理由は後述。一つ言えば、光の科学技術の時代だと予想するからである)。
定義1は、絵画の存在形式によっている。白く塗っただけの平面的カンヴァスでも、ましてや尻尾に絵具をつけて驢馬に振り回させてできた絵画ならば堂々と絵画だと言える。
美的かどうかという内容は、形式とは別のことである。一見したところ、全面がノッペリと白い物体でも、よくよく視れば、または観れば、微妙な陰翳があって、感興を起こすかもしれない。それを美的作品だと認定するならば、それは、或る観覧条件での、特に照明条件と背景条件のもとでの、絵具の配置模様 placed pattern についての判断である。
では、美的内容にもとづく定義は、どのようなものになるか? 人々の感性は様々であるので、感性の分類をして、共通性をさがすことになる。
まずは、自然美を検討してみよう。」(2013年6月20日-1 いのち絵画、または、有機的抽象絵画の技法)。
http://pub.ne.jp/1trinity7/?entry_id=4937869
と言いつつも、またもや寄り道または脱線することにする。
色彩感覚について検討するが、秘教的文献として、ゲーテアヌムを設計したルドルフ シュタイナーや画家でもあるベンジャミン クレームさんによる論などもあるが、先に『寺院の教え』を参照する。いくつかの関係する課を目次から抜粋すると、
「第一課 実質・物質の顕現 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(9)
第二課 意識の諸状態 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(12)
第三課 断言の力 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(15)
第七課 エーテル宇宙 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(29)
第二四課 放射能 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(79)
第三七課 色彩の効果 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(115)
第五十課 色彩圏 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(160)」
http://www7.ocn.ne.jp/~ryuo-b/mokuzi/ziinosie-mokuzi.html
である。
元に戻って、
彫刻と絵画
カーヴィング モデリング
「素材への色彩の塗布が是認される。 彫 と 塑 の違いも関係なくなる。〔略〕新しい彫刻は、彫刻されるというよりはむしろ構築、建造、集積、配列される。〔略〕そしてこの柔軟性に、私は、彫刻が絵画よりもいっそう広い表現の幅を獲得する機会を見出だすのである。」(『グリーンバーグ批評選集』: 106頁)。
ここでの柔軟性とは、材料を選ぶときの広範さと加工方法の広範さであろう。しかし、そのことは絵画についても適用できる。板のまたは樹幹ならば固さ、したがって自立性も確保できる。「素材への色彩の塗布」をすれば、あるいは色を加えなくとも素材の色を採用するならば、あるいは透明も色だと考えるならば、それらは絵画である。極端には、なんであれ物体は絵画だと見立てるまたは見なすことができる。ただし、絵画性の種類と程度について分類と尺度は用意するべきである。ここは、感性学または美学、そして色彩と形態の科学の課題である。
われわれ地球人は、地球重力下という環境に生活している。展示方法も重力を利用することになる。
展示方式の分類
a. 床置き
床に置いた台上に置く場合も含める。床から天井に渡した物体も、便宜的に、床置きという展示分類に入れることにする。天井から吊るして床の上に1mm浮いていれば、天井吊るしである。
b. 壁掛け
c. 天井吊るし
床と天井の間にテグスを張って、そのテグスに作品を固定した場合は、あるいは一本のテグスそのものを作品とする場合は、天井吊るしに分類してもよいし床置きに分類してもどちらでもよい。効果としては、「線が張ってある」が目に付くであろうが、それは展示方法の分類の話ではない。
d. 空中浮遊
e. その他:(たとえば土中に)埋め込み、梱包、(たとえば箱に入れて穴から)覗き見
たとえば張りカンヴァスとか板を、床に対して30度とか45度に立て掛けた場合は、床置きと壁掛けの中間である。同様に、天井と壁に45度に渡すこともできる。また、壁掛けの部類に入るが、隅で二つの壁の間に渡すこともできる。
空中浮遊という展示様式は、物体をたとえばヘリウム気体を入れて浮かしたり、無重力状態中に作品を入れる(たとえば長い坑道の中を作品とともに観る人も落下する)ことで実現できよう。
版画と絵画、複製性
モノタイプという版画での作り方がある。孔版 stencil という、絵具(インクや染料を含む)を配置するやり方がある。
水甕座時代の、いのち絵画または光絵画
光を呼び寄せたい、または喚起したい →透明性の高い絵具を使って、層を重ねる。
□ 文献 □
2011年2月1日-1 美の産出■◆
http://pub.ne.jp/1trinity7/?entry_id=3456992
2010年4月8日-3 美術関係本追加
http://pub.ne.jp/1trinity7/?entry_id=2845444
2012年10月10日-2 美術関係本20121010
http://pub.ne.jp/1trinity7/?entry_id=4567876
2012年10月29日-3 美術論・抽象絵画論文献20121029
http://pub.ne.jp/1trinity7/?entry_id=4597915
[お]
大橋良介.2007.4.美のゆくえ:カント・ヘーゲル・アドルノ・ハイデッガー[阪大講義プロトコル].x+291頁.燈影舎.[3,600円と税][B20121013, amz1844+250=2094*]
*大山正.色彩心理学入門:ニュートンとゲーテの流れを追って.中央公論新社[中公新書].[798円(詐欺的消費税、込み)]
尾崎信一郎.1999.5.絵画論を超えて[芸術学叢書].
282頁.東信堂.[4,830円(税込)][B201****][2013****読了]
*尾崎信一郎.2004.痕跡-苛酷なる現実としての美術.「痕跡―戦後美術における身体と思考」展図録(京都国立近代美術館と東京国立近代美術館):***-***頁.
[き]
金悠美.2004.2.美学と現代美術の距離:アメリカにおけるその乖離と接近をめぐって.東信堂.[ISBN 9784887135420 / 3,800円+税]〔分析美学,グリーンバーグ,Danto〕
[く]
グリーンバーグ,クレメント.1961-2003.(藤枝晃雄編訳 2005.4)グリーンバーグ批評選集.iii+232+vii 頁.勁草書房.[ISBN 9784326851850 / 2,800円+税].[Greenberg, Clement. ]
クレーム,ベンジャミン[Creme, Benjamin].2005.4.The esoteric art of Benjamin Creme 曼荼羅絵画.50頁.[図版と英文と日本語訳文][400円?または500円?][増補版がいくつかある]
[け]
ゲーテ,ヨーハン ヴォルフガング フォン.(髙橋義人+前田富士男 訳,1999.12)色彩論 第一巻 教示篇・論争篇.654頁.工作社.[全巻で25,000円+税][B20000419]
ゲーテ,ヨーハン ヴォルフガング フォン.(南大路振+嶋田洋一郎+中島芳郎 訳,1999.12)色彩論 第二巻 歴史篇.700頁.工作社.[全巻で25,000円+税][B20000419]
ゲーテ,ヨーハン ヴォルフガング フォン.(前田富士男 訳,1999.12)『色彩論』図版集.63頁.工作社.[全巻で25,000円+税][B20000419]
[し]
シュタイナー,ルドルフ.1929.(高橋巖訳 1986.11)色彩の本質.1+103pp.イザラ書房.[1,900円]〔(西川隆範訳 2005.12)色彩の本質・色彩の秘密.イザラ書房 [ISBN 9784756500960]があるようだ〕.
[ 「十八世紀にいたるまで、識者はいかに色彩は霊的なものから流れ出るかをはっきりと知っていました。空気は光の影です。光が生じると、ある条件下に影が生じます。色彩が存在 し、その色彩が空気要素のなかで作用し、空気中にきらめくように飛び散ると 空気要素のなかにある別の要素が生じます。ある条件の下で、圧力によって逆流が生じるように、色彩から液体状、水状の要素が生じるのです。光の影が空気であるように、水は色彩の反映なのです。
理解しがたいことかもしれませんが、一度、色彩の真の意味を把握しようとしてみてください。」
http://www.bekkoame.ne.jp/~topos/steiner/usw/color.html]
[す]
ステッカー,ロバート.[Robert Stecker ](森功次 訳 2013.5)分析美学入門.500頁.勁草書房.[5,985円][B20130***]
[ふ]
藤枝晃雄.1987.6[1977].現代美術の展開:美術の奔流この50年.324pp.美術出版社.[3,800円][B201111下旬、1200円*].
*藤枝晃雄.1996.現代芸術の不満.東信堂.
藤枝晃雄.1999.3.改訂版 絵画論の現在:マネからモンドリアンまで.165pp.スカイドア.[ISBN-10 4915879364 / 2,800円+税].
*藤枝晃雄.2005.7.現代芸術の彼岸.283pp.武蔵野美術大学出版局.[3,200円+税][大市図].
*藤枝晃雄.2007.7(新版)[1994.11].新版ジャクソン・ポロック.東信堂.[2,730円].
[へ]
ベサント,アニー & リードビーター,チャールズ・ウエブスター.(田中恵美子 訳 1992.2)思いは生きている?想念形態?[神智学叢書].98頁.竜王文庫.[B][2600円+税]
[ゆ]
Jurriaanse, Aart. ed. 1971. Ponder on This. [a compilation from books by (The Thibetan through) Alice A. Bailey] xiv+431 pp. Lucis Publishing Company. [B20000901, $14.00+39.00/20] [14 Auraは31頁、22 Colourは50頁、38 Devasは76頁、48 Elementalsは104頁、50 Energy and Forceは107頁、53 Etheric Body (Vital Body)は114頁、108 Man as Creator and Builderは250頁、116 Moneyは271頁、136 Pranaは317頁、156 Sightは374頁、168 Synthesisは399頁、172 Thought Formsは410頁]
ユリアーンス,アート.(編).(土方三羊 訳,2002.2)トランスヒマラヤ密教入門 第1巻[人間の本質].アルテ/星雲社.[2500円+税]["Ponder on This" の訳][B2002****][視覚、は132頁以降]
ユリアーンス,アート.(編).(土方三羊 訳,2002.10)トランスヒマラヤ密教入門 第3巻[意識の進化].アルテ/星雲社.[2500円+税]["Ponder on This" の訳][B20021028、2000円][色彩、は233頁以降]
[り]
リイドビーター,C・W.(今春聴〔=今東光〕 訳 1940)神秘的人間像.文曜書院.[P]
[わ]
*若林直樹.2000.1.退屈な美術史をやめるための長い長い人類の歴史.334頁.河出書房新社.[2,310円]
[J]
Jurriaanse, Aart. ed. 1971. Ponder on This. [a compilation from books by (The Thibetan through) Alice A. Bailey] xiv+431 pp. Lucis Publishing Company. [B20000901, $14.00+39.00/20] [14 Auraは31頁、22 Colourは50頁、38 Devasは76頁、48 Elementalsは104頁、50 Energy and Forceは107頁、53 Etheric Body (Vital Body)は114頁、108 Man as Creator and Builderは250頁、116 Moneyは271頁、136 Pranaは317頁、156 Sightは374頁、168 Synthesisは399頁、172 Thought Formsは410頁]
絵画原論 001:絵画の定義
クレメント グリーンバーグ(Clement Greenberg)は、内容ではなく形式によって絵画を捉え、絵画の本質を平面性だとした。
「モダニズムの芸術作品は原則的にそのミディアムの、最も本質的と考えられている性質にそぐわないどんな種類の経験にも依存しないようにしなければならなくなる。これはとりわけ、イリュージョンと明示の放棄を意味する。」
(『グリーンバーグ批評選集』: 102頁)。
リテラル
「モダニズムの絵画は、直示的にして実証的なものに対する我々の欲望を、三次元のイリュージョンの放棄によって満たす。これが決定的な一歩であるのは、三次元を暗示するに留まる限り再現なるものも放棄されるからである。〔略〕モンドリアンが示したのは、再現の痕跡や暗示がいっさい取り除かれて初めて絵は絵であり続けるということであった。つまり、再現性も三次元性も絵画芸術にとっては本質的でないのであり、それらが欠けたところで、画家は「単に」装飾的なものに引き渡されるわけではないのである。」(『グリーンバーグ批評選集』: 103頁)。
しかし、グリーンバーグは、「平面」とともに「表面」という語も使っている。どう使い分けているのか、そもそも「平面」という語で何を指しているのか、あるいは意味しているのかがよくわからない。上に引用した箇所はまだわかりやすい箇所である。
「再現性とは、ある事象がテーマとなった時に、それを成り立たせていると考えられる要素や要因に還元したときに、同じ要素や要因を条件として整えた時に、再びまったく同じ事象が起こる性質をそなえていること。
」
http://ja.wikipedia.org/wiki/再現性
と、ウィキペディアにある。しかし、グリーンバーグの「再現性」はこれとは異なる意味であろう。再現とはrepresentationの訳であろうか? あるいはreproductionなのだろうか? あるいは、実際的意味とは(或る精度での)複製ということなのか? 写像 mapping の種類と程度として捉えよう。
しかしながら、抽象絵画、とりわけ有機的抽象絵画(あるいは、いのち絵画)においては、再現とか(感情とか内面の)表現とかではなくて、絵具を材料としてできる生命体を存在させること、様々な種類の生命体を創造することを課題とする。
さて、平面または二次元か、立体または三次元か、は絵画の本質とは関わらない。そのように定義したい。
人の肉眼視覚から言えば、或る空間解像度の限度があるので(顕微鏡を使えば拡大概念的な解像度を上げることができる)、表面というものとして認識するのである。穴とは視覚上での相対的なものである。表面は曲がっていても、メビウスの輪(またはメービウスの帯)のように物体としては裏表があるのに裏と表がつながっていて同一面つまり、一つの面だけで構成されていて立体的であってもよい(メビウスの輪もまた三次元的物体であるから、輪の側面を構成する厚みがあるので、厳密に言えば、一つの面だけで構成されているわけではない。近似的な言い方である)し、いくつかの「穴」があってもよい。
定義1:絵画の定義
絵画とは、表面に絵具を結合させた(あるいはそうして分布させた)物体である。
或る物体の絵画性の種類と程度について、分類と指標を定めておく(後述)必要がある。
この定義からすると、彫刻とかのいわゆる立体作品もまた絵画である。そこで、従来言われてきた彫刻または立体について、絵画との関係を検討しておこう。
彫刻 carving、つまり材料を切って彫って刻んで作る物体の製作であるが、彫刻という言い方はその作り方によっている。まったく平面的なもの、たとえば薄い紙を切り刻んでも彫刻ということになるだろう。
逆に、物体を増やしていく方向、たとえば粘土を貼りつけていくのは彫塑と呼び、できあがった物体は塑像と呼んでいるようである。
「硬い素材を彫り刻む技法も彫刻(カーヴィング、carving)と呼び、それに対して、可塑性素材を盛りつけて形を作る技法を彫塑(モデリング、modeling)という。彫塑で作られた作品を特に塑像と呼び分けることもある。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/彫刻
つまり、丸太とか粘土塊とかの出発点となる材料をもととして、加工しようとするときに、
a. なんらかの働きかけによって、材料を減らしていく。 ………彫(狭義の彫刻) carving
b. なんらかの働きかけによって、材料を増やしていく。 ………塑(?塑造) modeling
c. なんらかの働きかけによって、材料を増やしたり減らしたりする。 ………造形 shape -making[→物体製作 material body making]
「近代において立体造形は、1873年のウィーン万博出品規定「像ヲ作ル術」と称されて以降、大村西崖による彫刻と塑造を合わせた「彫塑」が提唱されたが定着せず、76年工部美術学校で学科名として決められた「彫刻」に落ち着いたことになる。(迫内祐司・執筆)」(日本近現代美術史事典・用語編(東京書籍・2007年))
https://ja.wikipedia.org/wiki/彫刻
「造形(ぞうけい)とは様々な物質を媒介として、形あるものを作りだすこと。〔略〕
本来、造形とは、形を造ること、すなわち英語でいうmodeling(模型製作)やmolding(型で作ること。鋳造)を意味する。 特に芸術の分野においては、「造形芸術」と言った場合、「物体」を作り出す芸術、つまり絵画や彫刻、デザイン(工芸、建築)などを指した。
しかし、現代美術において、オブジェ【objet(仏)】等の「他のジャンルに収まらない芸術作品」を、ひっくるめて「造形作品」という言葉で呼びあらわしたり、さらに現在ではメディアアートについても造形芸術に含まれるようになるなど、意味の変化が見られる。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/造形
物体は、形を持っており(厳密な言い方をすれば、形が知覚される)、したがってなんらかの色を持っている(厳密な言い方をすれば、色が知覚される)。透明な場合でも、形は(視覚的には困難でも、たとえば触覚的に)知覚できる。こう考えると、物体において、形態的性質が先立つように思われる。
しかし、絵画では色彩を重視して、形態は従属的なものだと考える方が、絵画の本質を重視する考え方である。
人の視覚の多くは三色型であるが四色型もあると言われる。この側面を考察してみよう。
まずは、同種類の知覚者であっても、場所が異なれば知覚内容は異なるという話からである。音楽鑑賞を考えてみよう。或るコンサートホールで、ピアノ協奏曲を聴くとする。厳密に言えば、異なる席では異なる音楽を聴いている。たとえば札幌にキタラホールがある。ピアノは演奏場の(客席に対して)前方の中央に置かれている。ピアノと直角に位置してかなり離れた席だと、ピアノ音は聞こえない。ピアノ音の無いピアノ協奏曲となる。ピアノの共鳴板に直角方向でホールの天板からの反響音も加えて音量豊かな所では、ピアノ音のよく聞こえるピアノ協奏曲となるだろう。その間で、客席によって反響音もしくは残響音のずれの程度も様々に、異なる音構成の曲を聴くことになる。はたして、だれもが同一の音楽を聴いていると言えるだろうか? コンサート会場の席ごとに示した、音響特性分布図が欲しいところである。
絵画鑑賞または絵画感受においても同様であるが、幸いなことに歩くなどして、見る角度と距離を変えることができる。
「「絵画」を意味する英語はpictureである。このpicture〔英〕は、ラテン語で「描かれたもの」の意味から派生した語である。「描かれたもの」を指し示すpictureは、「絵、絵画」の他にも、写真、(映画、テレビの)画面、さらに(心に描く)像のimage や 観念のideaという言葉、さらには「(絵のように)美しいもの」「生き写し、化身」、situationと同じような「状況、事情、様子」などの幅広い意味ももっている。
pictureを形容詞で用いる場合は、「絵に描く、描写する」の他に、「心に描く、創造する」という意味もある。
一方、英語には「描かれたもの」ではなく、「描くこと」を示す別の言葉がある。painting 〔英〕 は 「絵をかくこと、画法、ペンキ塗り」を意味し、「絵画、油彩画、水彩画、塗装」とも訳される。」(渡辺晃一「<絵> <画>の範疇とその定義について(3)」)
http://www2.educ.fukushima-u.ac.jp/~koichiw/asca/asca_toku_wata01_03.html
「中国では、当初、「調墨」の美を通じて、「輪郭線」を表現しないで描く手法が確立していたのに対して、「線描」の美が加わることにより、徐々に「線」に大きな意味が加えられていったのは興味深い。その「線」は、漢字が視覚的な意味だけではなく、書体に書き手の感情や思想を表すものとされたのと重なってくる。」
http://www2.educ.fukushima-u.ac.jp/~koichiw/asca/asca_toku_wata01_08.html
「<絵>と<画>は「あわせる」と「しきる」という相反する行為を有することになる。〔略〕
「色のついた糸を素地に合わせる」ことである<絵>は、絵具でキャンバスに塗ること、ペンキで家の壁を塗り替えること、布地を模様で覆うことの意味をもつ。それは「色を塗る。塗装する」という西洋語の painting ( 英)とも重なり、「素材の表面を覆う」身体的な行為が語根にあるとも考えられないか。〔略〕
一方、<画>は、「事物に限界を与え、区切る」ことであり、「対象の形を理解する」という思考方法が示されいる。線を引く、しきるのは、AとBを分けること、境界を区分することである。それは、言葉のもつ性質、脳内で処理された「ものの見方」とも重ね合わされるであろう。〔略〕
<絵画>の意味をまとめると、<絵>は<感覚的、身体的>なニュアンスが強く、Malereiやpaintingの意味に近い。<画>は「線を描くこと」であり、ものの考え、つまり<脳>を通じて「計画、意図、構想をもって描かれたもの」という意味あいを含み、dessin やZeichnungと重なるものである。」
http://www2.educ.fukushima-u.ac.jp/~koichiw/asca/asca_toku_wata01_09.html
絵、画、図、図解、絵解き、絵画世界、(言語的解釈をしない)直接感覚
「絵画の方は意味伝達よりも、感情や意志の表現が含まれる初源的なものが含まれているのです。〔略〕
特に「気韻生動」は、「絵画」の最も大事な要諦で、何よりも生き生きとした気韻が伝わってこなければ、よい作品といえないと〔謝赫が『画の六法』で〕言っています。単に技巧をこらして、うまく描かれても、決してよい「絵画」とはいえないのです。」(田中英道「絵画とは何か」)
http://www2.educ.fukushima-u.ac.jp/~koichiw/asca/asca_toku_tanaka01.html
上記は、絵画を構成する素材とか形式ではなく、その内容または観者に与える効果で、絵画を定義というより価値判断しようとするものである。あえて定義と呼ぶならば、絵画についての狭い定義である。なんらかの判断基準が明示されなければ、或る人は「それは絵画ではない」と言い、他の人は「それは素晴らしい絵画だ」と主張することになる。このようなことを避けるには、絵画性についてその種類と程度を定めるのがよい。たとえば、絵画性がゼロの絵画だ、と表現すればよいのである。そうすれば、たとえば「気韻生動の感じられない絵画だ」という言い方は矛盾しない言い方となる。
あれこれ言うよりも、定義をして議論することが混乱回避の道である。
「絵画の定義
定義1a
絵画とは、何らかの物体の表面に、なんらかの結合手段によって、なんらかの絵具を配置した物体である。
地球表面においては、地球重力がいたるところで働いている。床に賽子を一つ置けば、そして絵具で賽子の目が表されていれば、それは三次元的絵画である。なお、時間とは記述や測定のためのわれわれな工夫であり、実在するものではない。
たとえば蝶の翅とか孔雀の羽根の色は、構造色である。絵画は視覚に関わるものだとすると、定義1aは絵具、つまりなんらかの顔料を pigmentを使うという限定のある狭い定義である。色が見えれば、顔料によるか、表面構造のよるかを問わなければ、あるいはむしろ、膠彩画のように表面構造が見えに影響しているのは明らかなのだから、絵画とは表面体の一形式である、と定義範囲を拡張することにする。
定義1b
絵画とは、なんらかの物体の表面を、見えの上でなんらかの手段によって彩色した物体である。
彩色とは、白黒の明暗だけの場合を含むこととする。彩度がゼロの場合を含むということである。
表面は、真っ平らかもしれないし、曲がっているかもしれない。球体は、球面という一つの表面となっている。直方体は、
六面体であり、六つの隣接する絵画世界を提示できる。ヘリウムを入れて空中に浮かべることもできよう。
表面に穴が空いていて、真後ろとか曲がってどこかに穴が通じていてもよい。表面構造が入り組んでいるだけである。
彫刻作品とは掘ったり刻んだりという作用が行なわれた作品である。塑像作品は、逆に材料を付加して作っていく。
いかなる立体も、その表面によって、われわれは認識する。触覚はことにそうである。(存在するとしてだが)エーテル視力または四次元的視力を使うことができる者は、レントゲン像のように表面を貫いた像を得ることができるらしい。
通常の肉眼視力では、空間解像度の制限によって、表面が連続しているように見える。たとえば鶏卵の表面を、走査電子顕微鏡で見れば、穴ぼこだらけである。人肌も汗腺が開いている隙間がある。
作り方はどうであれ、塗り絵的に、あるいはポロックのように絵具を滴り落として層を重ねたりしても、結局は、表面で反射される様々な波長の光を感知しているのである。透明度の高い絵具は、その度合いに応じて、下層の絵具の色を覆い隠さず見えさせる。透明性の採用は、水甕座の時代にふさわしい(理由は後述。一つ言えば、光の科学技術の時代だと予想するからである)。
定義1は、絵画の存在形式によっている。白く塗っただけの平面的カンヴァスでも、ましてや尻尾に絵具をつけて驢馬に振り回させてできた絵画ならば堂々と絵画だと言える。
美的かどうかという内容は、形式とは別のことである。一見したところ、全面がノッペリと白い物体でも、よくよく視れば、または観れば、微妙な陰翳があって、感興を起こすかもしれない。それを美的作品だと認定するならば、それは、或る観覧条件での、特に照明条件と背景条件のもとでの、絵具の配置模様 placed pattern についての判断である。
では、美的内容にもとづく定義は、どのようなものになるか? 人々の感性は様々であるので、感性の分類をして、共通性をさがすことになる。
まずは、自然美を検討してみよう。」(2013年6月20日-1 いのち絵画、または、有機的抽象絵画の技法)。
http://pub.ne.jp/1trinity7/?entry_id=4937869
と言いつつも、またもや寄り道または脱線することにする。
色彩感覚について検討するが、秘教的文献として、ゲーテアヌムを設計したルドルフ シュタイナーや画家でもあるベンジャミン クレームさんによる論などもあるが、先に『寺院の教え』を参照する。いくつかの関係する課を目次から抜粋すると、
「第一課 実質・物質の顕現 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(9)
第二課 意識の諸状態 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(12)
第三課 断言の力 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(15)
第七課 エーテル宇宙 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(29)
第二四課 放射能 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(79)
第三七課 色彩の効果 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(115)
第五十課 色彩圏 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(160)」
http://www7.ocn.ne.jp/~ryuo-b/mokuzi/ziinosie-mokuzi.html
である。
元に戻って、
彫刻と絵画
カーヴィング モデリング
「素材への色彩の塗布が是認される。 彫 と 塑 の違いも関係なくなる。〔略〕新しい彫刻は、彫刻されるというよりはむしろ構築、建造、集積、配列される。〔略〕そしてこの柔軟性に、私は、彫刻が絵画よりもいっそう広い表現の幅を獲得する機会を見出だすのである。」(『グリーンバーグ批評選集』: 106頁)。
ここでの柔軟性とは、材料を選ぶときの広範さと加工方法の広範さであろう。しかし、そのことは絵画についても適用できる。板のまたは樹幹ならば固さ、したがって自立性も確保できる。「素材への色彩の塗布」をすれば、あるいは色を加えなくとも素材の色を採用するならば、あるいは透明も色だと考えるならば、それらは絵画である。極端には、なんであれ物体は絵画だと見立てるまたは見なすことができる。ただし、絵画性の種類と程度について分類と尺度は用意するべきである。ここは、感性学または美学、そして色彩と形態の科学の課題である。
われわれ地球人は、地球重力下という環境に生活している。展示方法も重力を利用することになる。
展示方式の分類
a. 床置き
床に置いた台上に置く場合も含める。床から天井に渡した物体も、便宜的に、床置きという展示分類に入れることにする。天井から吊るして床の上に1mm浮いていれば、天井吊るしである。
b. 壁掛け
c. 天井吊るし
床と天井の間にテグスを張って、そのテグスに作品を固定した場合は、あるいは一本のテグスそのものを作品とする場合は、天井吊るしに分類してもよいし床置きに分類してもどちらでもよい。効果としては、「線が張ってある」が目に付くであろうが、それは展示方法の分類の話ではない。
d. 空中浮遊
e. その他:(たとえば土中に)埋め込み、梱包、(たとえば箱に入れて穴から)覗き見
たとえば張りカンヴァスとか板を、床に対して30度とか45度に立て掛けた場合は、床置きと壁掛けの中間である。同様に、天井と壁に45度に渡すこともできる。また、壁掛けの部類に入るが、隅で二つの壁の間に渡すこともできる。
空中浮遊という展示様式は、物体をたとえばヘリウム気体を入れて浮かしたり、無重力状態中に作品を入れる(たとえば長い坑道の中を作品とともに観る人も落下する)ことで実現できよう。
版画と絵画、複製性
モノタイプという版画での作り方がある。孔版 stencil という、絵具(インクや染料を含む)を配置するやり方がある。
水甕座時代の、いのち絵画または光絵画
光を呼び寄せたい、または喚起したい →透明性の高い絵具を使って、層を重ねる。
□ 文献 □
2011年2月1日-1 美の産出■◆
http://pub.ne.jp/1trinity7/?entry_id=3456992
2010年4月8日-3 美術関係本追加
http://pub.ne.jp/1trinity7/?entry_id=2845444
2012年10月10日-2 美術関係本20121010
http://pub.ne.jp/1trinity7/?entry_id=4567876
2012年10月29日-3 美術論・抽象絵画論文献20121029
http://pub.ne.jp/1trinity7/?entry_id=4597915
[お]
大橋良介.2007.4.美のゆくえ:カント・ヘーゲル・アドルノ・ハイデッガー[阪大講義プロトコル].x+291頁.燈影舎.[3,600円と税][B20121013, amz1844+250=2094*]
*大山正.色彩心理学入門:ニュートンとゲーテの流れを追って.中央公論新社[中公新書].[798円(詐欺的消費税、込み)]
尾崎信一郎.1999.5.絵画論を超えて[芸術学叢書].
282頁.東信堂.[4,830円(税込)][B201****][2013****読了]
*尾崎信一郎.2004.痕跡-苛酷なる現実としての美術.「痕跡―戦後美術における身体と思考」展図録(京都国立近代美術館と東京国立近代美術館):***-***頁.
[き]
金悠美.2004.2.美学と現代美術の距離:アメリカにおけるその乖離と接近をめぐって.東信堂.[ISBN 9784887135420 / 3,800円+税]〔分析美学,グリーンバーグ,Danto〕
[く]
グリーンバーグ,クレメント.1961-2003.(藤枝晃雄編訳 2005.4)グリーンバーグ批評選集.iii+232+vii 頁.勁草書房.[ISBN 9784326851850 / 2,800円+税].[Greenberg, Clement. ]
クレーム,ベンジャミン[Creme, Benjamin].2005.4.The esoteric art of Benjamin Creme 曼荼羅絵画.50頁.[図版と英文と日本語訳文][400円?または500円?][増補版がいくつかある]
[け]
ゲーテ,ヨーハン ヴォルフガング フォン.(髙橋義人+前田富士男 訳,1999.12)色彩論 第一巻 教示篇・論争篇.654頁.工作社.[全巻で25,000円+税][B20000419]
ゲーテ,ヨーハン ヴォルフガング フォン.(南大路振+嶋田洋一郎+中島芳郎 訳,1999.12)色彩論 第二巻 歴史篇.700頁.工作社.[全巻で25,000円+税][B20000419]
ゲーテ,ヨーハン ヴォルフガング フォン.(前田富士男 訳,1999.12)『色彩論』図版集.63頁.工作社.[全巻で25,000円+税][B20000419]
[し]
シュタイナー,ルドルフ.1929.(高橋巖訳 1986.11)色彩の本質.1+103pp.イザラ書房.[1,900円]〔(西川隆範訳 2005.12)色彩の本質・色彩の秘密.イザラ書房 [ISBN 9784756500960]があるようだ〕.
[ 「十八世紀にいたるまで、識者はいかに色彩は霊的なものから流れ出るかをはっきりと知っていました。空気は光の影です。光が生じると、ある条件下に影が生じます。色彩が存在 し、その色彩が空気要素のなかで作用し、空気中にきらめくように飛び散ると 空気要素のなかにある別の要素が生じます。ある条件の下で、圧力によって逆流が生じるように、色彩から液体状、水状の要素が生じるのです。光の影が空気であるように、水は色彩の反映なのです。
理解しがたいことかもしれませんが、一度、色彩の真の意味を把握しようとしてみてください。」
http://www.bekkoame.ne.jp/~topos/steiner/usw/color.html]
[す]
ステッカー,ロバート.[Robert Stecker ](森功次 訳 2013.5)分析美学入門.500頁.勁草書房.[5,985円][B20130***]
[ふ]
藤枝晃雄.1987.6[1977].現代美術の展開:美術の奔流この50年.324pp.美術出版社.[3,800円][B201111下旬、1200円*].
*藤枝晃雄.1996.現代芸術の不満.東信堂.
藤枝晃雄.1999.3.改訂版 絵画論の現在:マネからモンドリアンまで.165pp.スカイドア.[ISBN-10 4915879364 / 2,800円+税].
*藤枝晃雄.2005.7.現代芸術の彼岸.283pp.武蔵野美術大学出版局.[3,200円+税][大市図].
*藤枝晃雄.2007.7(新版)[1994.11].新版ジャクソン・ポロック.東信堂.[2,730円].
[へ]
ベサント,アニー & リードビーター,チャールズ・ウエブスター.(田中恵美子 訳 1992.2)思いは生きている?想念形態?[神智学叢書].98頁.竜王文庫.[B][2600円+税]
[ゆ]
Jurriaanse, Aart. ed. 1971. Ponder on This. [a compilation from books by (The Thibetan through) Alice A. Bailey] xiv+431 pp. Lucis Publishing Company. [B20000901, $14.00+39.00/20] [14 Auraは31頁、22 Colourは50頁、38 Devasは76頁、48 Elementalsは104頁、50 Energy and Forceは107頁、53 Etheric Body (Vital Body)は114頁、108 Man as Creator and Builderは250頁、116 Moneyは271頁、136 Pranaは317頁、156 Sightは374頁、168 Synthesisは399頁、172 Thought Formsは410頁]
ユリアーンス,アート.(編).(土方三羊 訳,2002.2)トランスヒマラヤ密教入門 第1巻[人間の本質].アルテ/星雲社.[2500円+税]["Ponder on This" の訳][B2002****][視覚、は132頁以降]
ユリアーンス,アート.(編).(土方三羊 訳,2002.10)トランスヒマラヤ密教入門 第3巻[意識の進化].アルテ/星雲社.[2500円+税]["Ponder on This" の訳][B20021028、2000円][色彩、は233頁以降]
[り]
リイドビーター,C・W.(今春聴〔=今東光〕 訳 1940)神秘的人間像.文曜書院.[P]
[わ]
*若林直樹.2000.1.退屈な美術史をやめるための長い長い人類の歴史.334頁.河出書房新社.[2,310円]
[J]
Jurriaanse, Aart. ed. 1971. Ponder on This. [a compilation from books by (The Thibetan through) Alice A. Bailey] xiv+431 pp. Lucis Publishing Company. [B20000901, $14.00+39.00/20] [14 Auraは31頁、22 Colourは50頁、38 Devasは76頁、48 Elementalsは104頁、50 Energy and Forceは107頁、53 Etheric Body (Vital Body)は114頁、108 Man as Creator and Builderは250頁、116 Moneyは271頁、136 Pranaは317頁、156 Sightは374頁、168 Synthesisは399頁、172 Thought Formsは410頁]