今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

高岡山 瑞龍寺(富山県高岡市関本町)

2019年02月21日 | 神社・仏閣
高岡山 瑞龍寺
五木寛之氏の百寺巡礼で「伽藍瑞龍」を知り、車旅を始めた年に訪れたのが最初で、今回が4回目の参詣となる

鬼瓦
「法堂の鬼瓦」で銅板葺替以前のもの



総門(重要文化財)
正面三間の薬医門形式。正保年間の建立で、その後伽藍配置の関係から移築された
現在、工事中でH33年完成予定



総門を出たところから「山門」の写真を撮ろうとしていると、住職から声を掛けられた
全ての建物が入る撮影ポイントがあると、そこまで案内していただいた



私が何度も訪れている理由がここにある。出逢った僧侶の方が、とても親切で居心地がいいのである
現北海道知事の高橋はるみ氏もこの高岡市出身で実家も寺の近くにあると教えてくれた



山門(国宝)
二重門で、屋根は入母屋造、杮葺き
二重門は、積雪時に上層屋根から落下した雪が下層屋根に当たるのを防ぐための工夫がされている



扁額には山号の「高岡山」と「影向閣」。影向とは、現世に神仏が出現した時の姿を云うらしい
上層内部には宝冠釈迦如来と十六羅漢像を安置



仁王像



金網の間に仁王像の目を入れて撮るのは、簡単なようで結構難しい



仏殿(国宝)



入母屋造、一重裳階付きの総欅造り
屋根は当初杮葺きであったが、現状は総重量約47トンの鉛瓦葺き
鉛製の瓦は、非常時に鉄砲の弾にするためともいうが、実際は冬季の積雪対策のためだという



仏殿内の様子



内部を土間床とし、天井の構造材を見せて装飾としている点
組物(柱上にあり、軒や天井を支える構造材)を密に配する点などは禅宗様建築の特色だという



釈迦三尊像
広い空間に、小さな本尊の釈迦如来と、普賢菩薩、文殊菩薩が中央に安置されている



震旦初祖菩提達磨大和尚



日域曹洞鼻祖永平開山元老和尚 大禅師



傳大士



大権修理菩薩
海上の安全を守る中国の神様



法堂(国宝)
総桧造りの入母屋造、銅板葺き
内部を土間床とする仏殿に対し、法堂は畳敷きである



土間廊下から堂内の様子を眺める



扁額には寺号の「瑞龍寺」






中央二室の格天井に描かれた草花は狩野安信の筆






烏瑟沙摩明王立像
一般的には東司の守り神。日本最古にして最大級の像高



大茶堂(重要文化財)
土蔵造りの手法を用い、外壁を大壁とし、内部は土天井
六十畳敷の大広間および控の間から成っていた。



賓頭盧尊者像



廊下を渡り土間に下りる






石廟(富山県指定文化財)



前田利常の思いが感じる場所である



右側から順に紹介していく



前田利長公霊廟(高岡開祖)
利長は高岡に築城し、この地で亡くなった
加賀百二十万石を譲られた義弟利常は、深くその恩を感じ、七堂伽藍を完備し、広山恕陽禅師をもって開山
造営は正保年間から、利長公の五十回忌の寛文3年(1663)までの約20年の歳月を要した



唯一、壁面に25菩薩が彫刻されている。前田利常が大切に思っていたということがわかる



前田利家公霊廟(加賀藩祖)



織田信長公霊廟(利長夫人の父)



信長公側室霊廟



織田信忠公霊廟






茶室






延命地蔵菩薩



大庫裏(重要文化財)
山門を入り右手に位置し僧堂と相対して並ぶ。万治年間(1658〜1660年)の建立だが、幕末から明治初年にかけ撤去された



調理配膳や寺務運営を行う



韋駄天像



鐘楼






跋陀婆羅菩薩
浴室の守護神



烏瑟沙摩明王



魚板



僧堂(重要文化財)
坐禅修行をする建物で、坐禅だけを行う場合は禅堂、食事等の修行をも合せ行う場合を僧堂という



京都の東福寺、字治の万福寺と瑞龍寺の僧堂の3つが国の文化財指定を受けている









颯爽と歩く歴女も去っていったので、私も駐車場に戻ることにした



トイレの入口に置かれている



撮影 平成30年10月17日

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