今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

刀田山 鶴林寺(兵庫県加古川市加古川町北在家)

2021年02月01日 | 神社・仏閣
訪問日 令和2年10月3日

刀田山 鶴林寺
数年前、旅行中に有名寺社を回っていると話すと関西のおばちゃんから鶴林寺へ行ったかと聞かれた
行っていないと言うと「モグリだ」とも言われた。悔しいので翌年参拝し、今回が2回目になる
鶴林寺は聖徳太子の草創と伝える播磨の古刹である

仁王門(兵庫県指定文化財)
駐車場は満車状態。数年前もそうだった



3間1戸の楼門形式で、大伽藍の正門として位置する
江戸時代、寛文12年(1672年)の建立






仁王像









三重塔(兵庫県指定文化財)
仁王門から三重塔の姿が見えた。塔があったことすら忘れていた
相輪がはっきり見える



室町時代の創建だが、江戸時代に大修理が行われている






歴史的に国宝や重要文化財に値すると思うが、浮浪者が塔内で焚き火をして損傷させた
ボランティアの話によるとそれが原因で県指定になっているのではないかと話してくれた





手水舎



新薬師堂(仏像)
次に足が向いたのは「新薬師堂」
仏像のことだけが気になり建物を撮るのを忘れてしまった

薬師三尊像






本尊:薬師如来



右脇侍:月光菩薩



左脇侍:日光菩薩



十二神将






その一つ「ウインクする仏像」が話題になった




石碑「太子会の人出の中を蝶飛べる」播水
「刀田の太子っさん」と慕われる春の大祭、鶴林寺太子会の賑わいぶりを詠んだもの



講堂(研修道場)



講堂の奥に何かが見える



「不開の門跡」
12歳の聖徳太子が恵便法師を招いて仏教の修学に励んだ「木の丸殿」の門がここにあったという



「聖徳太子十二歳像」



地蔵堂



「小安地蔵尊」



常行堂(重要文化財)



「常行三昧」という、口で阿弥陀仏を唱え、心で阿弥陀仏を思いながら
休むこと無く何十日も歩き巡る厳しい修行が行われた









本堂(国宝)
室町時代 入母屋造、本瓦葺き
桁行(正面)7間、梁間(側面)6間






伝承では創建は崇峻天皇2年(589年)聖徳太子が当時物部守屋に迫害されて播磨の地にいた高麗僧・恵便のために秦河勝に命じて建立させた



推古天皇14年(606年)、聖徳太子が法華経を講義し、その功で天皇から播磨国の水田百町を得た
創建時は四天王寺聖霊院という寺号であったものを、天永3年(1112年)に鳥羽天皇によって勅願所に定められたのを期に「鶴林寺」と改めた



扁額の字が読めない



「賓頭盧尊者」



鶴林寺本堂は大阪府河内長野市の観心寺本堂と並ぶ、折衷様式の代表例とされる
外部は「桟唐戸」で閉め切ったときにいっそう重厚さにあふれて見えるという



本堂から三重塔を眺める



太子堂(国宝)
堂内に壁画の聖徳太子像があることから太子堂と呼ばれている
元来は「法華堂」と称された堂で、本堂手前左方に建つ常行堂と対をなしている



「法華堂」「常行堂」という同形の堂を並べて建てるのは天台宗特有の伽藍配置












鐘楼(重要文化財)
応永14年(1407年)に建立された



朝鮮・高麗時代に鋳造された梵鐘も重要文化財









観音堂






護摩堂(重要文化財)
永禄6年(1563年)の建立






外部が和様、内部が禅宗様の折衷様式護摩堂
火炉で護摩木を焚くところで知恵の火で煩悩・罪障を焼き尽くす行法が行われる場所



宝物館
館内は撮影禁止
聖観音立像(重文)<別名「あいたた観音」>が有名



太子堂の模型



「法華一石一字塔」



宝物館で他の参拝者に説明していたボランティアの方からいい話が聞こえてきた



四天王と四神だが関西風に言えば「地蔵買(こ)うた」と覚えるとわかりやすいと
「じ・ぞう・こう・た」に四天王と四神に方角を加えると
じ :持国天(東方を守護)青龍(春)
ぞう:増長天(西方を守護)白虎(秋)
こう:広目天(南方を守護)朱雀(夏)
た :多聞天(北方を守護)玄武(冬)



頭の中で整理できなかった四天王と四神の方角がすっきり理解できた



駐車場の脇にあった花を眺めながら車に戻る



撮影 令和2年10月3日

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