道の駅で得た情報で「三重塔」がある寺ということで駆けつけた
普門寺
仁治2年(1241年)に安倍定俊が臨済宗の栄西の弟子・記外を招いて開山
明応3年(1494年)か永正元年(1504年)に如幻が中興開山し、曹洞宗に改められた
駐車場の関係で脇道から入ったが、やはり参拝者は山門を通るのがいい
特に、この参道は木々に囲まれ、緑の中を歩いているだけで心が落ち着く感じがする
本堂へ向かう石段も数種類の花に囲まれている
本堂
天正19年(1591年)と慶応3年(1867年)の二回にわたって火災があり、現在の本堂は1877年(明治10年)に建立されたもの
サルスベリ(岩手県指定天然記念物)
推定樹齢は300年以上
復興の花「中尊寺ハス」
中尊寺ハスは金色堂に眠る奥州藤原氏四代泰衡の首桶から発見された種が800年の時を越え花開いたもの
東日本大震災津波で尊い命が失われ、「鎮魂・復興の花」として株分けされた
「鐘楼」
「地蔵菩薩像」: 鎮魂・東日本大震災 石塔・石仏展覧会 入賞作品
本堂内に入ることはできず周辺を歩いてみる
本堂横の池の脇に置かれている石仏
「南無釈迦仏陀」: 存在感のある坐像
そして、その横にはこの寺を訪れるきっかけとなった三重塔が立っている
三重塔(岩手県指定文化財)
文化6年(1809年)建立、高さ12.5m
塔を撮るのが好きなので周辺を歩いてみるが、良い場所が見つからない
少し離れた場所から望遠レンズで。全体が見えるのはここだけか
初層は三軒繁垂木二手先、二層は全面に彫刻を施した三手先、三層は二軒扇垂木
塔の横にあるお堂
五百羅漢
近くで整備をしていた男性に声をかけ説明を受ける
一般市民が制作し持ち込んでいるらしい
実際には五百に達してはいないようだが、そのなかには素人とは思えない石仏も何体かある
震災の犠牲者の供養のため、市民だけでなく全国からの参加者自身が制作した羅漢像もある
2013年から毎年8月に制作会が開かれているという
この寺も参拝者は私一人だった。この車で今回は東北6県を旅しているが寺社を巡る旅の一番の楽しみは寺を後にする瞬間である
それは経験したものでなければわからないものだ
撮影 平成28年5月25日
普門寺
仁治2年(1241年)に安倍定俊が臨済宗の栄西の弟子・記外を招いて開山
明応3年(1494年)か永正元年(1504年)に如幻が中興開山し、曹洞宗に改められた
駐車場の関係で脇道から入ったが、やはり参拝者は山門を通るのがいい
特に、この参道は木々に囲まれ、緑の中を歩いているだけで心が落ち着く感じがする
本堂へ向かう石段も数種類の花に囲まれている
本堂
天正19年(1591年)と慶応3年(1867年)の二回にわたって火災があり、現在の本堂は1877年(明治10年)に建立されたもの
サルスベリ(岩手県指定天然記念物)
推定樹齢は300年以上
復興の花「中尊寺ハス」
中尊寺ハスは金色堂に眠る奥州藤原氏四代泰衡の首桶から発見された種が800年の時を越え花開いたもの
東日本大震災津波で尊い命が失われ、「鎮魂・復興の花」として株分けされた
「鐘楼」
「地蔵菩薩像」: 鎮魂・東日本大震災 石塔・石仏展覧会 入賞作品
本堂内に入ることはできず周辺を歩いてみる
本堂横の池の脇に置かれている石仏
「南無釈迦仏陀」: 存在感のある坐像
そして、その横にはこの寺を訪れるきっかけとなった三重塔が立っている
三重塔(岩手県指定文化財)
文化6年(1809年)建立、高さ12.5m
塔を撮るのが好きなので周辺を歩いてみるが、良い場所が見つからない
少し離れた場所から望遠レンズで。全体が見えるのはここだけか
初層は三軒繁垂木二手先、二層は全面に彫刻を施した三手先、三層は二軒扇垂木
塔の横にあるお堂
五百羅漢
近くで整備をしていた男性に声をかけ説明を受ける
一般市民が制作し持ち込んでいるらしい
実際には五百に達してはいないようだが、そのなかには素人とは思えない石仏も何体かある
震災の犠牲者の供養のため、市民だけでなく全国からの参加者自身が制作した羅漢像もある
2013年から毎年8月に制作会が開かれているという
この寺も参拝者は私一人だった。この車で今回は東北6県を旅しているが寺社を巡る旅の一番の楽しみは寺を後にする瞬間である
それは経験したものでなければわからないものだ
撮影 平成28年5月25日
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