琵琶湖の東側にある「湖東三寺」を訪ねる。一番北側にあたる西明寺が最初に訪れる寺だ。
寺の歴史を調べるためにネットで調べてみると西明寺という名の寺が多い。
昔、京都の鈴虫寺を訪ねたことがあったが、そこも正式には西明寺だそうで、新しい発見に喜んでいる。
龍應山 西明寺の歴史
滋賀県犬上郡甲良町にある天台宗の仏教寺院。
山号を龍応山(りゅうおうざん)と称する。
本尊は薬師如来、開基は三修上人である。
金剛輪寺、百済寺とともに「湖東三山」の1つに数えられる。
周囲を緑に囲まれた石段を上ると遠くに門が見えてくる。
二天門周辺が輝いて見え、この先にあるものに期待で胸が高鳴る。
夫婦杉(千年杉)
西明寺の霊木で、元々2本であった木が寄り添い1つになって、共に育っていることから夫婦杉と呼ばれる。
二天門(重要文化財)
入母屋造、こけら葺き。応永14年(1407年)の墨書があり、その頃の建築と思われる。
元亀2年(1571年)、比叡山延暦寺の焼き討ちを行った織田信長は、近江国にある比叡山傘下の天台寺院をも焼き払うことを命じ、西明寺も焼き討ちの運命にあった。
しかし、寺僧の機知により、山門近くの房舎を激しく燃やし、全山焼失のように見せかけたため、山奥に位置する二天門や本堂そして三重塔は焼失をまぬがれたという。
二天門は四天王のうち、持国天と増長天に守られている。
三重塔(国宝)
二天門の右手に国宝の三重塔が見えてくる。
檜皮葺きの和様の三重塔である。様式的に鎌倉時代中期~後期の建築とされる。
初層内部には大日如来像を安置し、内部の柱や壁面には極彩色で仏・菩薩、牡丹、鳳凰などが描かれている。
壁画の主題は、4本の柱には両界曼荼羅のうち金剛界曼荼羅成身会の三十二菩薩を表し、壁面には計8面に法華経二十八品(章)の説話を表している。
これらは国宝建造物の一部であるとともに、絵画として別途重要文化財に指定されている。
さすが国宝、どの角度からみても惚れ惚れする。
塔内拝観1,000円と書かれていたのでお願いしますと頼んだら、春と秋だけの公開なので今は駄目ですと断られた。
本堂(国宝)
入母屋造、檜皮葺き。鎌倉時代前期の和様建築。中世天台仏堂の代表作として国宝に指定されている。
内陣中央の厨子には本尊薬師如来立像(重要文化財、秘仏)を安置し、左右に日光・月光(がっこう)菩薩像、十二神将像、二天王像(重要文化財)などを安置する。
本堂内にはたくさんの仏像がされていて正直驚いた。
仏像を観るのは大好きなので一つひとつ時間をかけて観ていると、係の男性が近寄ってきて堂内にある仏像について細かく説明してくれた。
懐中電灯で光を当て表情の変化まで教わり大変勉強になった。
昨年も滋賀県を訪れ国宝の彦根城を見学したんですよと話すと、「彦根城とは歴史が違うから」と一蹴されてしまった。
今は残念ながら仏像の記憶はまったくないが、係の男性の親切と西明寺に対する誇りは忘れない。
承和元年のある日、琵琶湖の西岸にいた三修上人は、湖の対岸の山に紫の雲のたなびくのを見て不思議に思った。
そこで神通力を用いて一気に水面を飛び越え、対岸に渡ると、今の西明寺のある山の中の池から紫の光がさしていた。
三修上人がその池に祈念すると、薬師如来の像が出現し、その姿を刻んで祀ったのが寺のはじまりであるという。
寺のある場所の地名を「池寺」というのは、この伝説に基づいている。
承和3年(836年)には仁明天皇の勅願寺となり、寺領が寄進され、諸堂が建築されたという。
「西明寺」の寺号は前述の紫の光が西の方へさしていたことによる。
名勝 西明寺本坊庭園
本堂へ向かう石段の途中左側には池泉鑑賞式の庭園をもつ本坊がある。
撮影 平成22年7月24日
寺の歴史を調べるためにネットで調べてみると西明寺という名の寺が多い。
昔、京都の鈴虫寺を訪ねたことがあったが、そこも正式には西明寺だそうで、新しい発見に喜んでいる。
龍應山 西明寺の歴史
滋賀県犬上郡甲良町にある天台宗の仏教寺院。
山号を龍応山(りゅうおうざん)と称する。
本尊は薬師如来、開基は三修上人である。
金剛輪寺、百済寺とともに「湖東三山」の1つに数えられる。
周囲を緑に囲まれた石段を上ると遠くに門が見えてくる。
二天門周辺が輝いて見え、この先にあるものに期待で胸が高鳴る。
夫婦杉(千年杉)
西明寺の霊木で、元々2本であった木が寄り添い1つになって、共に育っていることから夫婦杉と呼ばれる。
二天門(重要文化財)
入母屋造、こけら葺き。応永14年(1407年)の墨書があり、その頃の建築と思われる。
元亀2年(1571年)、比叡山延暦寺の焼き討ちを行った織田信長は、近江国にある比叡山傘下の天台寺院をも焼き払うことを命じ、西明寺も焼き討ちの運命にあった。
しかし、寺僧の機知により、山門近くの房舎を激しく燃やし、全山焼失のように見せかけたため、山奥に位置する二天門や本堂そして三重塔は焼失をまぬがれたという。
二天門は四天王のうち、持国天と増長天に守られている。
三重塔(国宝)
二天門の右手に国宝の三重塔が見えてくる。
檜皮葺きの和様の三重塔である。様式的に鎌倉時代中期~後期の建築とされる。
初層内部には大日如来像を安置し、内部の柱や壁面には極彩色で仏・菩薩、牡丹、鳳凰などが描かれている。
壁画の主題は、4本の柱には両界曼荼羅のうち金剛界曼荼羅成身会の三十二菩薩を表し、壁面には計8面に法華経二十八品(章)の説話を表している。
これらは国宝建造物の一部であるとともに、絵画として別途重要文化財に指定されている。
さすが国宝、どの角度からみても惚れ惚れする。
塔内拝観1,000円と書かれていたのでお願いしますと頼んだら、春と秋だけの公開なので今は駄目ですと断られた。
本堂(国宝)
入母屋造、檜皮葺き。鎌倉時代前期の和様建築。中世天台仏堂の代表作として国宝に指定されている。
内陣中央の厨子には本尊薬師如来立像(重要文化財、秘仏)を安置し、左右に日光・月光(がっこう)菩薩像、十二神将像、二天王像(重要文化財)などを安置する。
本堂内にはたくさんの仏像がされていて正直驚いた。
仏像を観るのは大好きなので一つひとつ時間をかけて観ていると、係の男性が近寄ってきて堂内にある仏像について細かく説明してくれた。
懐中電灯で光を当て表情の変化まで教わり大変勉強になった。
昨年も滋賀県を訪れ国宝の彦根城を見学したんですよと話すと、「彦根城とは歴史が違うから」と一蹴されてしまった。
今は残念ながら仏像の記憶はまったくないが、係の男性の親切と西明寺に対する誇りは忘れない。
承和元年のある日、琵琶湖の西岸にいた三修上人は、湖の対岸の山に紫の雲のたなびくのを見て不思議に思った。
そこで神通力を用いて一気に水面を飛び越え、対岸に渡ると、今の西明寺のある山の中の池から紫の光がさしていた。
三修上人がその池に祈念すると、薬師如来の像が出現し、その姿を刻んで祀ったのが寺のはじまりであるという。
寺のある場所の地名を「池寺」というのは、この伝説に基づいている。
承和3年(836年)には仁明天皇の勅願寺となり、寺領が寄進され、諸堂が建築されたという。
「西明寺」の寺号は前述の紫の光が西の方へさしていたことによる。
名勝 西明寺本坊庭園
本堂へ向かう石段の途中左側には池泉鑑賞式の庭園をもつ本坊がある。
撮影 平成22年7月24日
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