今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

山王総本宮 日吉大社 その2(滋賀県大津市坂本)

2014年12月07日 | 神社・仏閣
予備知識もなく立ち寄った日吉大社だが、多くの建築物は国の重要文化財に指定されている
見慣れた絵馬だが、ここでは猿になる



西本宮楼門(重要文化財)
東本宮楼門よりも少し豪華に造られている



注目は軒下四隅の猿。屋根を支えながら見張りをしている













西本宮拝殿(重要文化財)
柱間は四方とも開け放している。



日吉大社の同じ形の拝殿の中では手が込んだ構造になっている



西本宮本殿(国宝)
本殿は1586年の造営



檜皮葺きで、屋根形式は「日吉造」という、日吉大社特有のもの









本殿横にある「桂の神木」 西本宮の神様が携えていた杖をこの地に押し立てたところ、桂の木に成長した



細部に至るまで豪華な造りになっている






白山姫神社本殿(重要文化財)
本殿は1598年の造営で、三間社流造の様式



装飾金具が少なく簡素な造りになっている。樹下神社本殿と同じ造り。



左から、剱宮社、小白山社、八坂社、北野社



樹下神社拝殿(重要文化財)
方三間の拝殿。柱間が四方とも格子や格子戸となっている






樹下神社本殿(重要文化財)
本殿は1595年の造営で、三間社流造



本殿内神座の真下に霊泉の井戸があり、以前はご神水を採っていた。






撮影 平成26年10月19日
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山王総本宮 日吉大社 その1(滋賀県大津市坂本)

2014年12月06日 | 神社・仏閣
大津市歴史博物館で「三井寺 仏像の美」を見終えたあと、すぐ近くに日吉大社があったので立ち寄った
初めて訪れる神社で右も左もわからず、時間も午後4時になっていたので境内案内図を見ながら駆け足で回った

日吉大社<通称:山王権現>
全国に約2,000社ある日吉・日枝・山王神社の総本社

鳥居
東受付所近くの駐車場に車を駐めた。神社は鳥居からという思いがあるので少し歩くが鳥居に向かった



私が歩いた順番に写真を紹介していく。次の写真のように名称不明の建物もある



求法寺 走井堂
比叡山中興の祖「良源」が12歳のころ、比叡山への入山修行の決意を固めた浄域であるところから「求法寺」と名づけられた



古来より波止士濃(はしどの 橋殿)又は走井の地名に因んで「走井堂(はしりいどう)」と称している



大宮橋(重要文化財)
日吉三橋のひとつ。西本宮(旧称:大宮)に向かう橋



天正年間に豊臣秀吉が寄進した。両側に格座間を彫り抜いた高欄をつける
三橋の中で最も豪華な造り



走井橋(重要文化財)
大宮橋のすぐ下流にかかるお祓いをするための石造反橋



走井橋の名は、走井という清めの泉があることに由来する



大きく変形した木が橋の上に、これには驚いた。まさに神業



山王鳥居(滋賀県指定文化財)
日吉大社のシンボルともいえる鳥居だそうで、参拝者の多くがここで記念撮影をしている



振り袖を着た女性がいたが、聞くと成人式の前撮りだそうだ。この先も幸福な人生を歩んで欲しい



鳥居上部には合掌の形を表す束があり、「合掌鳥居」とも呼ばれ、神仏習合の信仰を伝えている。



子安子立社と惣社



惣社、奥にあるのは収蔵庫か



神馬舎
神馬には、いつも「馬券が的中しますように」とお祈りするが、ここの神馬の顔を見ると的中しそうもない感じがする
ブログを作成している今日は土曜日、まずい展開になると嫌だが



神猿(まさる)
信長の死後、豊臣秀吉と徳川家康は山王信仰が篤く、特に秀吉は復興に尽力した
秀吉の幼名を「日吉丸」といい、あだ名が「猿」であることから、特別な神社と考えた

 

少し歩くと右手に「宇佐宮」の案内がある



その途中にある建物



奥に宇佐宮拝殿が見えてくる



宇佐宮拝殿(重要文化財)






宇佐宮本殿(重要文化財)
1598年の造営で、日吉造(ひえづくり)と呼ばれる独特の形で造られている









日吉造とは切妻造りの正面と両側面とに1間ずつの庇をつけ、背面に縋破風(すがるはふ)をつけたもの



包丁塚



手水舎
石造手水舎もタオルがかけてあるのも珍しい



撮影 平成26年10月19日
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松峯山 金剛輪寺 その2(滋賀県愛知郡愛荘町松尾寺)

2014年12月05日 | 神社・仏閣


緩やかで長い坂の参道を上ると石段の上に二天門が見えてくる

二天門(重要文化財)
室町時代の建立



前回訪れた時には草鞋の記憶はないが



二天像を撮るのに苦労したことを思い出す



この障害となる木も



Canon G1Xの力により、全体像を撮ることができた。



 
 

大悲閣本堂(国宝)
弘安11年(1288)1月建立の銘が須弥壇にあり鎌倉時代の代表的な和様建造物






「大悲閣」の額が掲げられている






鐘楼









伝教大師童形像



三重塔(重要文化財)
天正元年(1573年)、信長の兵火で金剛輪寺も被害を受けるが、現存の本堂、三重塔は寺僧の尽力で焼失をまぬがれた



中心堂宇は総門や本坊のある地点から数百メートルの石段を上ったはるか奥にあるため、見落とされ、焼き討ちをまぬがれた



時代は違うが境内案内図を見ながら歩いても、三重塔を探し出すには苦労する



塔全体を撮そうとあちこち歩いてもみたが、いい場所がみあたらない。



ここならという場所はあったが土砂崩れかなにかで通行禁止となっている。



あきらめて、本堂内の仏像を拝観することにした。



堂内では本堂と共に国宝となっている「須弥壇」や内陣の説明を女性が、後陣に安置されている仏像の説明を若い男性がしてくれた
建物も仏像も凄いが、この二人の人柄もこの寺の一隅を照らしている



周辺の木々もわずかではあるが色づきはじめている






二天門を後に車に戻る。長い道が続くが人生もそうだが下り坂もまた楽しい



白門
黒門・赤門に加え白門、他の二つとの違いは門に色がついていないことだ。






名勝庭園の入口となる



明寿院
金剛輪寺の本坊









茶室「水雲閣」



江戸時代の建立



明寿院から見た白門



撮影 平成26年10月19日
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松峯山 金剛輪寺 その1(滋賀県愛知郡愛荘町松尾寺)

2014年12月04日 | 神社・仏閣
湖東三山の一つに数えられる。今回が2回目の参拝になるが風車が印象に残っている寺である

松峯山 金剛輪寺
奈良時代の中頃、天平13年(741)に聖武天皇の勅願で行基によって開山
行基が観音さまを彫り進めたところ、木肌から一筋の血が流れ落ちたため、その時点で魂が宿ったとして、粗彫りのまま本尊として祀っている

総門(黒門)
大型駐車場の近くに総門がある。江戸時代の建立で、「黒門」とも呼ばれている



左側通行で受付所へ向かう



参道は木々に囲まれ爽快な気分に
だが、本堂までの距離が長いためその気分も次第に変化してくる



西谷堂
最初にあるお堂。江戸時代の建立



前に来たときもそうだったが、お堂と同じ名前で私同様自由奔放に生きている趣味優先の知人のことを思い出す



堂内には阿弥陀如来像が祀られている



赤門
遠くに赤い色をした門が見えてくる



「赤門」に入ることは難しいと思ってはいたが、ここは特に難関で



遠くから眺めるだけになる



石柱に刻まれた文字と反対の人生を送ってきたような気がして、心が痛い
「己れを忘れて他を利するは、慈悲の極みなり」最澄


 
腰を低くしてこの門をくぐることにした。



千体地蔵
二天門までの参道の両脇に千体地蔵が並ぶ



地蔵堂
信徒・縁者の回向道場









不動堂
護摩供を修法する祈願道場






参道の両脇に千体地蔵が整然と並べられている場所が数カ所ある






千体地蔵に添えられている風車。注意して見てきたが破損しているものがないのには驚く



石佛




 







道のりは長かったが石段の向こうに二天門が見えてきた。千体地蔵もここで終わる



撮影 平成26年10月19日
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龍応山 西明寺(滋賀県犬上郡甲良町大字池寺)

2014年12月03日 | 神社・仏閣
西明寺を訪れるのは2度目となる
滋賀県のお寺に共通する所は参拝者に対し、寺の歴史や仏像について丁寧に説明してくれることだ
この寺を最初に訪れたときも、私一人のために係の人が時間をかけ説明してくれた

二天門へと続く参道だが以前に来たときの記憶が甦ってきた
参道両側石垣は穴太積の初期の石垣が保存されている



十一面観音像



小観音が並べられている。



夫婦杉(千年夫婦杉)
元々2本であった木が寄り添い1つになったことから夫婦杉と呼ばれている



樹齢1,000年、西明寺の霊木(子授け、安産、息災延命)



二天門(重要文化財)



四天王の内、持国・増長の二天が護るので二天門と呼ばれている



寄木造で2体とも像の高さが1.95m






1429年に院尋という仏師によって造られた






三重塔(国宝)
鎌倉時代後期の建立



飛騨の匠が、釘を1本も使用しないで建てた、総桧の塔



 


中央に三重塔、左側は本堂



洗心水 



本堂(国宝)
三重塔側からみた本堂



鎌倉時代初期に建立された。国宝第一号に指定



釘を1本も使用しないで建てたものである



二天門から見た本堂






扉の開いている所から入ると、寺の歴史や仏像についての説明がある
西明寺という名前の由来、池寺の地名などその時は印象に残ったが、残念ながら記憶には残っていない



本尊は「薬師如来(秘仏)」で住職一代につき1度だけ御開帳が許される



本堂の周囲を回ると万病に効くという霊水「閼伽池(あかいけ)」



石造宝塔(重要文化財)
境内案内図にはあるが探しあてるまで苦労した
三重塔の近くにあるのだが



嘉元2年(1304年)の刻銘

 

鐘楼
この寺の鐘は一般参拝者でも撞くことができ、実にいい音がする



この日は天気が良く最高の気分だが、寺の写真を撮るにはあまり良い条件とはいえない
境内でのんびりと時間を過ごし、帰り際にもう一度写してみた









伝教大師像



そして、最後は大好きな三重塔



撮影 平成26年10月18日
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彦根城 その3(滋賀県彦根市金亀町)

2014年12月02日 | 
名勝 玄宮楽々園
中国唐時代の玄宗皇帝の離宮をなぞらえて命名されたと考えられる廻遊式庭園の玄宮園



槻御殿の庭園部分を「玄宮園」と称している。遠くに彦根城天守が見える



「魚躍沼(ぎょやくしょう)」の右側の建物が「臨池閣(りんちかく)」



池の中央にある橋は「龍臥橋(りゅうがばし)」



人気の橋なのか多くの観光客が集まっている



「鶴鳴渚(かくめいなぎさ)」



「魚躍沼」沿いの歩道を歩いてその風景を楽しむ



「観月峯(かんげつほう)」からの風景






石の配置が絶妙。昔の人達が何を大切にしていたか少し理解できた気がする。



「井伊直弼大老像」



「一身に責負ひまして、立ちましし、大老ありてこそ、開港はなりぬ」 井伊文子(直弼の孫の妻)



NHK大河ドラマで井伊直弼の「花の生涯」の石碑
記憶違いでなければ、大河ドラマの第1回目がこの作品であったはず
子どもの頃家族で真剣に視ていたことを思い出す



彦根城の案内図をみるとまだ回っていない場所があるが、歩数計では15,000歩も歩いていることになり疲れてしまった
悔いは次の行動の原動力になるので、車に戻ることにした



撮影 平成26年10月26日
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彦根城 その2(滋賀県彦根市金亀町)

2014年12月01日 | 


天守を見たあと、かつて着見櫓があったという、「着見台」という展望台に足を運ぶ



軍師勘兵衛ではすっかり悪人になっている石田三成の居城があった佐和山が見える
先週の軍師勘兵衛放映後、私のブログ「観音護国寺」への訪問者が増えている



着見台から見える天守。ここからの姿も美しい



案内図を手に西の丸方向に歩いてみる。この場所は初めてとなる

西の丸三重櫓(重要文化財)
本丸の西側にある西の丸の一番はずれにある三重櫓
三層部分は、監視と見張り用に窓があるが、1・2層は攻撃用として城外側だけに窓がある



装飾的な破風などはないが、簡素で気品ある櫓となっている



櫓内部も公開されている。壁は防火や防弾のために厚い土壁になっている
三層部分は四方に見張り用窓がある



櫓の内面は柱を見せる「真壁造り」、外面は柱などを土壁で完全に塗り込める「大壁造り」



外から三重櫓を見るとこのようになっている



城外側から見ると、各層に攻撃用の窓が確かにある



石垣の高さも10m以上はある



大堀切
敵の侵入を阻止するため、屋根を断ち切るように大堀切が設けられている



私の前に歩いていた3人の女子高生に、教師が話していた内容を立ち聞きしてしまった。といっても石垣についてである



「石をよく見てご覧。削られたあとがあるよね。」「ホントだ」 
つい、私も「本当だ」と心で叫んでしまった。
この石垣は、石工集団として知られる「穴太衆(あのうしゅう)が築いたと伝えられている



黒門橋から内堀沿いを歩く。歩数計によるとすでに1万歩以上歩いている。



槻御殿(けやきごてん)
木材はすべて槻(ケヤキ)でその華麗さは各大名も驚嘆したという。井伊直弼はここで生まれた



 





「地震の間」
耐震構造の建物であるため呼ばれているが、当時は茶の湯用いる「茶屋敷」だった






堀を泳いでいた黒鳥。黒鳥を見たのは初めてだ。


 
撮影 平成26年10月18日
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