得さんのページ

喜多方発・・・蔵の街の地域情報を主に発信します。観光・歴史・文化・催しその他等。

喜多方発・会津まほろば街道。

2008-12-28 15:58:59 | Weblog
蔵の街・喜多方から、会津まほろば街道について何度も書いてますが、きたかた観光ネットワーク・2009年(新春号)にシリーズ第3回・会津まほろば街道を歩く、まほろばの心。と題して今回は会津まほろば里人の会・日中温泉「ゆもとや」の檜澤氏が一文を寄せています。今回で3回目ですが、毎回是非皆さんにも紹介したい素晴らしい文章が掲載されています。それで本日は観光ネットワークより引用させていただきます。 まほろばの心です。

「まほろば」って何ですか?よく聞かれるそうですが、檜澤氏は里人の会会長(志村和子さん)が力説しているまほろばの「真」は神々が宿る所、「穂」は食物が豊かなところ、山には木の実、里には稲穂が垂れ、住みやすいところ、「呂」は口で口から口へ伝わる代々生きながらえて行く美しい所、衣食住が充足し人々が幸せに暮らして居る所。・・と応えているそうです、私もお客様に上記に近い様な事を話していますが、他にも色々と意味がありそうですが、私はまほろばのばはやはり「場」であり、それらの条件の備わった場所であったと思います。
広辞苑・の語源には「真秀 場」まほろ・まほら・場所をしめす。
会津まほろばが、何故?と言うことですが、喜多方から熱塩加納の西山沿いの原風景が古都、奈良に似ているのではないか、・・是は皆さんよく言われることですが、会津は奈良の盆地を少し小さくしたぐらいの広さで、生駒の盆地によく似ているそうです。会津の山々は高くて生駒の山とはちょっと違うそうです。
ここ会津は、奈良、京都に次ぐ3番目に神社、仏閣があるそうで、これはやはり、602年に慧日寺を開いた徳一大師が奈良の都から会津の地に来て布教活動をし多くの仏閣を造り上げ人々に信仰、文化を伝へ又それを大切に守り続けてきたからでしょう。檜澤氏はこの地の人々の信心深さに敬服させらてます、そのいい例が「長床」だと思いますと述べてます。氏は「会津には輝かない光がある」何か宝物が密んでいるような、それれを掘り起こしもう一度、光をあててみようではないかと、その意気込みが仏都会津と云われる程に少しずつ脚光をあびてきたのではないかと、期待しています。・・・それにはまず私達が仏都会津を良く知る事だとおもいます。

本日の画像は文とは全く関係のない紅葉です。雪景色ばかりは少し寒くなりますので秋に一度観た画像だと思いますが裏磐梯の紅葉でした。