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喜多方発・・・蔵の街の地域情報を主に発信します。観光・歴史・文化・催しその他等。

喜多方発・文化と歴史探訪ウォーク・2

2008-08-21 18:12:24 | Weblog
蔵の街・喜多方から、8月24日(日)に行われる文化と歴史探訪ウォーク2です。昨日は佐川官兵衛を紹介しましたが、本日は同じコース内に在る、「自由民権発祥の地碑」です。市内厚生会館庭にあります。1982に百年を記念して建立されました。側に喜多方事件の説明板があります、会津に於ける自由民権運動を語るにはまず当時の新政府から書かねばなりません。時の福島県県令・(県知事)三島通庸(みしま・みちつね)です。

三島通庸は薩摩藩士です、新政府になり山形県令で土木工事等によって県民から高く評価されています。1882年自由民権運動の興隆を憂えた政府は、自由党勢力が盛んな福島県に三島を任命して送り込み、その意をうけ、着任早々自由党撲滅を第一の使命と語って弾圧を開始します。福島でも道路建設を進め、会津三方道路を計画建設します。建設のため重税を課し用地を取り上げ、労役を義務付けます。これらは県議会を無視して進められ、自由党との対立が鋭くなります。公益による道路開削を訴え法廷闘争を組みますが、弾圧が激しくなり逮捕者がでます。道路工事への労役は過酷なものでした15歳以上60歳までの男女が毎月1日、2年間にわたり現場集合午前5時・実働10時間という過酷なものでした。1882年11月喜多方事件が勃発します。代夫賃を払えないものは財産の公売にでますが、財産権の侵害だと訴えますが、逮捕者がでます。11月28日代表者数名が喜多方警察署で談判中に事件が起きます。抜剣した巡査が群集を襲い、多くの負傷者や逮捕者がでます。翌朝自由党県本部が襲われ多くの指導者が逮捕され、これを機に県下各地の自由党員が一斉に逮捕されました。

三島は栃木県県令・内務省土木部長・警視総監に就きますが在任中の1888年病に倒れ現職のままで亡くなります。

喜多方発・文化と歴史探訪ウォーク・JR

2008-08-20 16:58:41 | Weblog
蔵の街・喜多方より、JR東日本さん主催の表記のウォーキングが8月24日(日)に喜多方駅前スタートで行われます。歩行距離は約5キロMです。喜多方市内の歴史ある地碑やお寺を訪ねるウォーキングです。自由民権発祥の地碑や瓜生岩子、佐川官兵衛、白虎隊隊長(日向内記)の墓碑等を訪ねます。応募締め切りは 19日になってますが、びゅう予約センターでお問い合わせください。

昨年も行われました。百名以上の方が参加されまして、多くは首都圏からの参加者だったと思います。各班に分かれて歩き、ボランティアガイドが案内します。途中棄権者は無かったように記憶してます。街なかを見学しながら歩くので、健脚向けでもありません、この時節なのでやはり汗をかきます小さなペットボトルで水分を補給しましょう。服装や履物ですが、私達もそうですが、まず帽子をかぶります。両手をフリーにできるようにナップザックを背負います。スニーカーを履いてます。雨具も用意してます。あとは見学箇所で一休みしながら目的地へ向えば良いかと思います。

本日の画像は当日のウォーキングコースにある佐川官兵衛・夫妻の墓碑です。官兵衛の墓には会津藩家老と刻してあります。戊辰戦争では鬼の官兵衛と勇名を馳せました。明治10年の西南の役に従軍して阿蘇山中で7時間に及ぶ激戦で被弾し壮烈な戦死をとげました。官兵衛は生前死んだら妻・勝の眠る地で共に永眠したいと語っており、熊本県鉢の木墓地より土を移し妻の墓石の側に墓石を建立したものです。平成12年3月岩月町下岩崎・飯島氏の建立です。

喜多方発・史跡慧日寺・2金堂内部と薬師三尊。

2008-08-19 14:39:01 | Weblog
蔵の街・喜多方から、昨日の慧日寺復元金堂の続編です。昨日の画像は外観ですが、本日の画像が内部の建築様式と薬師如来坐像です。湯川村・勝常寺の薬師如来写真像です。(国宝)両脇侍に日光菩薩立像と月光菩薩立像が(国宝)写真展示してあります。金堂内部の写真撮影は許されてましたが、資料室の撮影は禁止されてます。画像で観るように一見本物と見間違う様な薬師如来です。度重なる火災や戦禍・戦火で本尊は焼失したそうです。

慧日寺・と言えば徳一菩薩ですが、奈良で仏教を学び慧日寺を建立・空海や最澄と論争をしたことで知られる高僧です。慧日寺にも入寂地として廟がありますが諸説があるそうです。会津仏教発祥の地として国史跡の指定を受け復元整備が進められています。

金堂は室生寺金堂を参考資料としたそうです。柱はヒノキです。屋根は瓦が出土していないので厚めの杉板で栩葺きです。間口15,9M奥行き9M当時としては大きな建造物だったと思います。内部は屋根裏が見える天井になってます。

本日も資料として、磐梯町発行のパンフレットと湯川村のを引用させていただきました。

喜多方発・史跡・慧日寺跡金堂へ

2008-08-18 16:40:55 | Weblog
蔵の街・喜多方から磐梯町へ隣町ですが20キロ余り、やっと時間の余裕ができました。それで行って来たのが史跡慧日寺跡金堂です。本日の画像がその復元金堂です。連日の様に新聞に関連記事が掲載されてます。資料館に於いて会津ゆかりの仏像写真展も開催されているので行って来ました。金堂の前に中門が出来ますが工事中でH21年春完成と書いてあります。金堂の須弥壇(しゅみだん)には創建時には祀られていたであろうと言われる。薬師三尊を写真で復元展示してあります。三尊は湯川村・勝常寺の薬師三尊です。等身大の仏像写真です。

以下本日の資料は磐梯町発行のパンフレットによります。史跡慧日寺は徳一大師によって平安時代初めに開かれた寺で磐梯山を中心に栄えた会津の山々を背景とする山岳信仰を祖霊崇拝の土壌があったからだと思われます。平安時代の中頃には最も隆盛をきわめ、その勢力は寺僧300・僧兵数千・子院3800坊にものぼり、支配権は会津はもとより新潟県の一部までおよんだと言われます。しかし、源平合戦への参戦と敗北、伊達政宗の侵攻などたび重なる戦禍に見舞われ、わずかの建物を残しすべて焼失しました。江戸時代には歴代藩主によって保護されたものの明治初年の廃仏希釈によって廃寺となりました。慧日寺跡は遺構がよく保存されているため昭和45年に国史跡に指定され、更に61年に追加指定を受け現在その調査研究がつづけられています。広さ15万平方メートルの史跡内には多くの建物礎石が露出し、往年の慧日寺の一端をかいま見ることが出来ます。

とにかく広いので全てを観て歩くと数時間は必要かと思います。現在の恵日寺は(1703)年の建立で(旧本坊)金堂の前にありますが、恵日寺と区別して国指定の史跡を「慧日寺」と書くことにしているそうです。・・・ぜひ訪れて見てください。資料館の先に龍ケ沢湧水が在るのですが本日は足元が悪くて諦めました。

喜多方発・蔵めぐり・とおもてなしの傘。

2008-08-17 19:08:00 | Weblog
蔵の街・喜多方より、昼前は時折小雨がふる天気でしたが、午後は回復し夕方から青空が広がってきました。喜多方の夏まつりも終わり、静けさを取り戻しつつあります。本日も街なかの案内所にいました。お盆休みの日曜日で家族連れや、小グループの皆さんで街なかは賑わいました。殆どのお客さんはラーメンマップを持つと店に直行です。・・喜多方は蔵の街です。

昼前にお出でになった中年のご夫婦が、「蔵は何処を観れば良いでしょうか?」と聞かれましたので簡単に3箇所ほど説明をし、南町は遠いでしょか?と言われましたので、いえ、歩いて10分余りですと小田付蔵通りまで案内をしてきました。本日の画像は小田付・南町の栞です。高齢者センターの手作り品等を販売している店蔵です。観光案内所も兼ねています。向かい側の「金忠」の店、豆○で味噌あじソフトクリームをご馳走になってきました。ミソ味ソフトと言って評判です。

実は「おもてなすの傘」が昨日の雨で案内所に一本も無くなりました。それで西四ッ谷観光駐車場へ行って何本か借りに行ったのです。さらに近くのラーメン屋さんで借りて案内所へ8本準備できました。本日も何本か出ては戻り傘が活躍しました。市内数十箇所に傘を準備し急な降雨時などに利用してもらい、ステッカーの貼ってある店や案内所に返納してもらうシステムです。この頃毎日のように降ってるのでこの傘が大活躍です。

午後からもカメラを持った青年が「蔵」と言って案内所に寄りました。お寺の蔵「安勝寺」を案内したら大変喜んでました。「プチ蔵めぐり」といって1時間1000円のコースがあるのですが、本日はどちらもボランティアで行って来ました。「とっておきの蔵めぐり」もあります。普段は非公開の蔵や蔵座敷の中まで観せてもらえる蔵もあります。蔵のまち・喜多方をどうぞお楽しみください。ガイドが案内をします。・・・お問い合わせは喜多方観光協会へ。℡0241-24-5200です。

喜多方発・・・旧満州・終戦翌日、中国人による大虐殺事件。

2008-08-16 18:12:05 | Weblog
昭和20年8月16日、終戦の翌日、中国黒竜江省・(旧満州国)濱江省呼蘭県の呼蘭街で起きた中国人による日本人の大虐殺事件を知る人は、現在の日本では呼蘭県からの引揚げ存命者も少なく、永久に忘れられようとしています。厚生労働省には記録が残っているのかも分かりませんが、私には終戦記念日を迎えるたびに想いだす大変な事件です。呼蘭街(こうらん・こらん.Hulan)は北満、国際都市ハルビン市の北にあり、当時の満鉄で1時間かからない処だったと思います.どこまでも水平線が続く街でした。開拓精神旺盛だった父の仕事の都合で呼蘭に生まれ育った私は国民学校初等科2年生でした(満7歳)。8月16日は真夏の太陽が照りつける暑い日でした。市内の全邦人は県庁に集合を命じられました。(県庁所在地でした)早く学校から返された私達が家に着くと直ぐに会社の社員家族全員で県庁へ向いました。県庁の広場には市内全域から邦人が集合しており全員が直ちに引揚げハルビンへ向う事が告げられました。全員に青酸カリが配布され、全ての武器は取り上げられました。邦人の数は約300人以上だと思います。移動するのになぜ列車や車でなかったのか私には分かりませんが、近くにある呼蘭川(河)の船着場は向かいました、そこには3艘の船が準備してあり、(穀類等を運搬する木造船)邦人会組、会社、役所、等によって乗る船が決められていました。私達が社宅から県庁へ向う時は中国人があらゆる道にあふれていました。県庁から船着場へ向う時は数百名の中国人が邦人と一緒に移動しました。そこで私達が最初に乗った船がなぜか違うといわれました。それが私の生死を分ける第一歩でした。運命とはこの事でしょう。

仮に1・2・3号としますと、最初3号艇に乗ったのですが、2号に乗り移ったのです。全員が船に乗りました.全艇が岸を離れるはずでしたが、船頭は中国人です2艘の船は岸を離れました100M位離れた時です、3号艇はまだ岸を離れません・・・その時です「パン」とゆう銃声が聞こえました。それを会図に3号艇に向って機関銃の連射がはじまったのです。乗っている邦人九十余名がその場で惨殺されました。私達の乗った船も狙撃され数名の方が被弾して命を落としています。船頭が船を停めることをしなかった為にどうにか助かりました。ハルビンにどうにか逃れて落ち着いた呼蘭市民は、松花塾に落ち着きましたが、3号艇に乗っていて河に飛び込み泳いで逃げ助かった中年の女性が「呼蘭市民は何処に居ますか」とハルビン市内を尋ねまわり私達の処へきて真相がはっきりしました。そして後日確認されました。ハルビンでもしばらく大ニュースだったのです。そして合同の慰霊祭も行われました。九十数名だったそうです。助かったのはその女性を含め2~3名だということです。その他の方は全員その場で惨殺されたのです。・・・最初から仕組まれた事件だと思います。虐殺と言うと直ぐ日本軍とか日本人とか言われますが、中国人によるこのような大虐殺事件も有った事を忘れてはなりません。終戦記念日というと当時七歳であった私がはっきりと覚えている一生忘れる事のない出来事です。

翌21年10月末に母と私達子供三人は無事に郷里福島へ、そして父もさらに翌年22年春にソ連から帰還して、今日を迎えています。父は三年前に逝きましたが、母は96歳健やかに、ディサービスを楽しみながら余生を過ごしています。
犠牲になられた方々に心から合掌。

喜多方発・夏祭り太鼓台競演。

2008-08-15 22:49:11 | Weblog
蔵の街・喜多方より、夏祭りのフィナーレを飾る太鼓台(山車)の巡航・競演は本日8月15日19:00より21:30まで中央通りで行われました。今夜も今帰ったところです。画像が太鼓台の競演です。人人の熱気がつたわると、思います。
引き手も観客も最高の人出でした画像から人の熱気が伝われば幸いですが、

今夜も時間が遅くなりましたので、画像の挿入だけで終わります。とに角太鼓台の競演は何時もふれあい通り一杯の人・人で埋め尽くされます。今夜の人出も近年にない最高の人出でした。昨夜みたいに雨が降らなかったのが一因でもあります。太鼓台の数は21台でした。市民だけでなく観光客の皆さんが近年に無く大勢見学してたのが目に付きました。

明日は私の終戦記念日を書きますので、是非読みに来てください。

喜多方発・雨の中の盆踊り。

2008-08-14 21:57:32 | Weblog
蔵の街・喜多方より、午前中は雨、そして夕方まで曇ってました。17:30の子供囃子がはじまる頃から降りだした雨は19:30からの盆踊りの最中も断続的に21:00まで降りました。時折激しい雨に打たれながら最後まで踊った各グループや市民そして観光客の皆さんまで本当にご苦労様でした。中央通りは踊り手と市民でいっぱいになり凄い賑わいでした。憎い雨です。私達の願いも通じませんでした。でも無事に終了して本当に良かったと思います。私も今帰ってきたばかりなので本日は遅くなりました、明日は太鼓台の競演です。本日以上に人・人で賑わうはずです。

本日の画像は先ほどの盆踊りのワンカットです。熱気が伝わると思います。本日は簡単に終わります。

喜多方発・明日は夏まつり、庄助おどり。

2008-08-13 16:54:13 | Weblog
蔵の街・喜多方より、明日8月14日は会津磐梯山・庄助おどりです。ふれあい通りいっぱいに踊りがでます、第43回と言いますから伝統の盆踊りでしょう。午後7:30のスタートです、しめは会津喜多方蔵太鼓、勇壮な演奏が楽しみです。明日の天気予報では、昼前弱い雨午後は曇りとでてますが夜は降らないように祈ります。

この頃のローカル新聞には毎日の様に各地のお祭りが全面広告で掲載されてます。我が喜多方市のお祭りも12日「北島連覇」の紙面の中の(22)(23)面に全面広告です。市長のあいさつが掲載されてます。・・市民・や帰省客の皆様、観光客の方々にも楽しみいただけますように、「喜多方流おもてなし」により、皆様をお迎えいたします。・・・明日は街なかの観光案内所に居ますのでどうぞお寄りください。

喜多方発・出雲神社祭礼・・2

2008-08-12 15:17:19 | Weblog
蔵の街・喜多方から、出雲神社祭礼・・2です。本日の画像を昨日のと比べて見てください。同じ場所で写した画像ですが、是が夜の人出です、本当に人・人の波です。やはり、夏休みですから、子供さんが多いようです。私も神社でお参りをしてから、手水(ちょうずを使い)・・そこで気が付いたのですが、今の若い方はひしゃくの水を直接口へ持っていく人が多いようです。私は何回も書いてますが、あれは手の平で受けて口へ入れます。残りの水で柄を洗い流してから納める人は多かったです・・生ビールを片手に夜店の前をぶらついてきました。夜店の種類は今も昔もあまり変わりは無いようです。

太鼓台が街を練り歩きました。夜の方が昼間より引き手の数が圧倒的に多いのに気が付きました。四方にぶら下がっている、数十個の提灯に灯がともりなかなか壮観です。太鼓台の競演は8月15日にもう一度観ることが出来ます。暑い暑いと言ってるうちにもう直ぐお盆ですから、秋も近いようです。家の周りの田んぼの稲穂がかなり大きくなって実が張ってきました。早稲の品種はもう直ぐ稲穂が垂れてきます。そして、明日はお墓参りに行ってきます。