日本の心・さいき

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為になるかも知れない本(その245-1)

2008-01-11 07:51:57 | Weblog
 男女生み分け術何て、その効果がどの程度のものか、理解できないが、周囲が男の子を望んでいた関係で、(何せ、私の父母にとっては、それまでの孫が、初めの男を除いて、2人から9人目まで、女だった関係もあり)どっちでもいいとは思っていたが、少し男の子の方がいいかなって感じもあり、それまで、蛋白質として肉をよく摂っていたのを止めて魚中心にし、野菜を沢山摂り、逆に、家内は肉をよく食べていた。それで、男の子が生まれたのかも知れないが、・・・。


 小学校1年の長女が、11月21日に作った作文

 うれしいこと!
 伸ちゃんが、うまれた!
 わたしのいえに、あかちゃんが、できました。
 男の子です。
 伸一という名まえです。
 五人かぞくなりました。
 とっても、うれしいです。


 以下は、当時の西田病院月報に載せた私の作文

「三児の父親」

 11月16日午前1時52分に、3270gの第3子(長男)が生まれた。
 長女(路子みちこ、現在7歳)出生の時には、私は都農町立病院に出張中であり、早朝に医局長から、「田原君、女の子だよ。元気だよ。」と電話連絡があり、宮崎医科大学の産婦人科に帰ってみると(8人ほどのベビーがそこにいたが)、唯一人自分の子どもだけが保育器に入っていた。口をポカンと開けていて、色の黒い2360gの女の子だった。
 次女(稚子わかこ、現在2歳)の出生の時には、骨盤位であったので、私が付いていた。西田病院の手術室で猛史(おさひと)先生が帝王切開の用意をしている最中に、幸いにも生まれた。逆子の為に、ETみたいな顔で、これでまともな女の子の顔になるのだろうかと心配したものである。やはり色の黒い2800gの女の子であった。
 第3子(伸一)は、手足の細い、二重まぶたの、口元の引き締まった、ほっそりして感じの、ハンサムな、色の白い3270gの男の子であった。
 私の場合、卒業して医師国家試験が終わってから(父の誕生日の4月18日に)直ぐに結婚式を挙げたが、新婚旅行は、臼杵の石仏を見ただけであった。県病での手取りは1カ月7万しかなく(7万の内、2万が家賃であったが)、100万の女房の貯金を小刻みに崩して行き、1カ月半後に医大に就職した時には、その残高が一桁になっていた。
 周りから、「まだ、赤ちゃんは?」と言う声が多かったが、経済的な理由で3年間は、作らなかった(作れなかったのではない。念の為に)。
 医大に行ってからは、直ぐに助手にしてもらったし、バイトもして、手取りが25万前後になり、それでテレビを買い、カメラも買い、前から買いたかった医学の本も沢山買い、それでも金銭面で少しゆとりが出来たので、子どもを作ることにした。
 星占いの本を見て、生まれる日が自分達とちょうど120度になる様に計画し、その通りにすることが出来た。生まれても仕事の方が忙しくて長女の顔をまともに見ることは少なく、私の家は母子家庭同然であった。つまり、私は朝早く行き、夜は深夜の0時近くに帰ることが多かった。
 昭和55年3月末に西田病院に就職して忙しく働いていたら、「あんまり忙し過ぎて子どもを作る暇がないのでは?」とか、「夫婦生活はどうなっているんじゃろうか?」とか、周りの人が色々うるさいので、又作ることにした。前回同様に、生まれる日が自分たちと又120度になる様に計画してその通りにすることが出来た。
 もう、作る予定はなかったのだが、女房の誘いもあって第3子が生まれてしまった。
 私の母の話では、私も予想外の子どもで、4人兄弟の末っ子の私が母のお腹にいた時に、経済的な理由でどうしようかなあとかなり迷ったとのことである。その時、父(37歳、大分大学附属小学校の総務)は、「せっかくだから生んだら」と言い、それで私がかろうじてこの世に生まれてしまった(その直後、母は、卵管を結ぶ手術をしている)。正に父は、命の恩人であった。家に私の医学部合格の通知が来た時、私の一番上の兄の初めに発した言葉は、「お母さん、生んでて良かったなあ」であった。
 二番目の子どもの時には、お腹の中にいる時から、クラシック音楽を聴かせ(バイオリンを専攻し、芸術高校を卒業後、音楽大学を卒業後、現在、オーケストラで時々演奏しているが)、生まれてからもよく接触し、お風呂にも入れ、散歩にもよく連れて行く様になった為、女房から、「父親としての自覚が少し出て来ましたネエ」と言われた。
 男女どちらでも元気であれば良かったのだが、周りの反響は大きかった。私の両親の孫の9人の内、初めの1人だけが男であと残り8人が全て女で、又、女房の両親の孫にしても、4人共全て女であった為、両家の両親の喜びは想像以上だった。
 人は何故子どもを作ろうとするのだろうか?子どもの為でなく自分たち(親)の為に作る様な気がしてならない。この住みにくい世界に生まれて来て良かったと思われることの出来る親にならないといけないと思う。いろいろ考えると難しくなるが、私に男の子が出来たことは確かであり、周りの人はこの子にいろんな夢を託すだろう。
 賢い子にしたい、性格のいい子にしたい、外国語がぺらぺら話せる子にしたい、国際的感覚を持った子にしたい、芸術に秀でた子にしたい、運動神経の発達した子にしたい、囲碁・将棋に強い子にしたい、更には、若い時に苦労させたい、許されるなら何度でも若い時に失敗をさせたい・・・など。
 しかし、次の三点に極力注意すれば私の子どもの場合、いい子、更には、立派な社会人になれると思っている。
 1、期待を掛けないこと!
 2、親より偉くなれと言わないこと!
 3、お金と財産を子どもに残さないこと。
                         以上

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