日本の心・さいき

日本の文化を通じて、世界平和を実現させましょう。

蔭膳

2008-01-17 17:23:43 | Weblog
  蔭膳、かげぜん、今の若い人には何のことか理解できないと思う。
 私の父は小学校の教員であったが(既に他界)、私が小さかった頃、箸を箸立てに添えて、「親様どうぞお上がり下さい」と、皆で一緒に食べる時に、夕食の時に言っていた。
 小さい時、その意味がよく理解出来なかった。しかし、自分の親がいなくてもそこにいるかの如くにして、その親と一緒に食べる姿、今考えると凄い教育をしていたなあと思う。
 親はなくても子は育つと言う言葉がある。事実、親がいなくても、いや、親がいないことで、却って、世の中の人の温かさを知って立派になっている人もいる。
 戦後に日本の精神がおかしくなってのは、この蔭膳が消えた頃と一致すると言う人もいる。
 人は、尊敬するもの、有難く思うもの、守らなければならないものがある時には、耐えられる。今の時代は余りにも恵まれ過ぎていて、子育てには却って不幸な環境の様な気がしている。
 平和の有難さ、3度の食事がちゃんと摂れることの有難さ、自分一人の力では生きられないこと、それ等をちゃんと教え切れる大人がいなくなっている気がする。

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為になるかも知れない本(その248)

2008-01-17 08:21:19 | Weblog
○昭和60年12月19日(木)晴。
 50周年記念を兼ねての西田病院大忘年会が金水苑であった。しかし、カゼ気味。患者さんが来たら診ないといけない(小児科の患者さんは、全て小児科医が診ていた)。三児のパパになったことだし、真面目にしてないといけないと思う。しかし、楽しかった。婦人科と外科の出し物、今年もスゴかった。来週の木曜日には、宮医大の教授の心臓外来があるなあ。
○昭和60年12月21日(土)晴。
 カゼが治らない感じで、この1週間よく頑張ったと思う。このインフルエンザ、今までと違って、しつこく治らなかった。こんなに長いこと久し振りだ。副鼻腔炎やアレルギー性鼻炎のせいかなあ。伸ちゃんもアレルギーにならなければいいけど。
*上の二人がアトピー性皮膚炎で苦しんだので、三番目は、妊娠中から、卵と乳製品を控えた(妻が栄養士のこともあり、徹底的に摂らなかった)。生まれても、乳児期は、殆ど摂らなかった。すると、ホントに三男は、色白なのに皮膚はきれいで、アトピー生皮膚炎は、全く出なかった。しかし、軽い喘息発作が幼児期に出たが、幸いに軽くて終わった。
○昭和60年12月23日(月)晴。
 朝3:00に医師会長から電話があり、けいれんが来た。12:20までで、午前中の診療が終わった。129人だった。昼には1時間バッチリ寝て、夕方17:00までで総計213人診ていた。それから又夜に時間外を8人程診た。一人で3人分働いていると思う(代診に来る大分医大の助教授の先生からそう言われた)。年賀状を書かないといけないなあ。
○昭和60年12月28日(土)晴。
 7:50~12:35で、192人診た。病棟もそれまでに診ている。1時間に50人ペースになるかな。これで大きな誤診がないから、不思議だ(20時~21時に必ず毎日診ているから)。鼻がまだ詰まる。全部で、250人を越えた。
○昭和60年12月29日(日)晴。
 久し振りに午前中、よく寝た。34人診た。あまり多くない感じだ。
○昭和60年12月30日(月)曇。
 266人程来た。祝日料金だから、今日だけで、(小児科外来の売り上げ)100万円越えるのかなあ。整形外科が幸いに10人程退院したので、その部屋がバッチリ使える。カゼの調子も少しいいかな。
○昭和60年12月31日(火)晴。
 188人来た。時間外に来たのを(全て自分の救急ノートに自分で)書かないといけないので、それに時間が要る。救急での一番の問題は、紹介状なしのこじれた例が多くて、それなりにトラプルことだ。点滴をしてくれ、入院はしたくない、明日帰るので、兎に角今だけでも治療してくれって感じだ。よく、自分でもこれに耐えて診ていると思う。深々と頭を下げて礼を言う人なんて、いない。仕事だから感謝されなくてもいいが、時間外に来て、不満そうな顔をしながら文句を言うな!

*写真は、日齢6の長男。


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