日本の心・さいき

日本の文化を通じて、世界平和を実現させましょう。

娘からのメイル(1月25日早朝)

2008-01-25 14:11:18 | Weblog
 ・・・ ・・・(Ⅰ型とⅡ型の糖尿病について話していて)Ⅱ型で始まった人が、Ⅰ型になるっていうことはないの?インスリンを出して出しても反応がないから、衰退する、みたいな・・・。
 Ⅰ型とⅡ型はまったく別物として習うけど、現代の食生活と、Ⅰ型と診断される人が多いってことを考えたら、ほとんどはⅡ型として始まってるんじゃないかと私は勝手に思ってしまうのですが。
 実際Ⅱ型でも、抗体の検査で陽性になったるするんでしょう?
 3歳くらいでI型と診断された子がいるんだけど、母子家庭で、お母さんは仕事で忙しく、おばあちゃんちで昼間は過ごしてて、そこですごく小さなころから甘いものとかをたくさん与えられてるわけ。体も弱く、喘息がひどいし、風邪ひいたり熱出したりしょっちゅう。
 寂しい思いをしてるということがきっと一番大きな原因なんだろうけど、もともとは2型だったんじゃないのかなーと思うわけ。Tヘルパー細胞2が優勢で。ちなみに、Ⅱ型はTH2優勢の人に多く、Ⅰ型はTH1優勢の人に多いらしい。
 糖尿病は、たいていの場合は、サプリメントと食事を変えることでで治るらしい。β細胞も復活する。インスリンのアップダウンと、コーチゾルのアップダウンっていうのは、どちらが先であっても、血糖値を一定に保つために必ずペアで起こるから、とにかく精製された穀物(白パン、白ご飯、麺類、砂糖)を徹底的に排除することが大事。
 アメリカ人で肥満が多いのは、まず食べてるものの栄養価が低すぎることにあると思う。食べても食べても、体が要求してしまう。そして、コーチゾルで体がぼろぼろになってしまうことを防ぐために、甲状腺の働きを抑制することで、代謝率が落ちる。これがまた肥満につながる、といった感じではないかと思う。甲状腺の問題の80%は、二次的なもので、他の問題が真の原因になっていることがほとんどらしい。

 で、私の返事・・・DMⅠ型とDMⅡ型の定義があいまいなところがあって、Ⅱと思っていたらⅠだったと言うことある。又、いろんな分類もあり、免疫が関係しているのは、広い意味ではⅠ型で、TH1が関係しているのは、Ⅰ型で急に進むのに多く、TH2が関係しているのは、ゆっくりと進む型との考え方がある。

*DMとは、糖尿病のこと。TH1とは、ヘルパーT1細胞、TH2とは、ヘルパーT2細胞のこと。



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為になるかも知れない本(その253)

2008-01-25 08:53:34 | Weblog
○昭和61年3月3日(月)晴。
 150人前後来て、9人入院した。忙しかった。顔色の悪いMCLSの患者さんが来て、父親から県病に行きたい様なことを言われたので、少し落ち込んだ(ここに就職当初は、しばしばそう言われていた。で、道路事情も悪く、県南は広域で、合併後の佐伯市は、九州で面積が一番広く、当時は、島や山奥から2時間近く掛けて来る人も多かった。自分がここで頑張って実績を積んできたせいか、県病や大学に送らないといけないと言うと、ガックリする人が多くなっていたのだが)。ここで自分が救急を中心に一生懸命に頑張っているので、多くの人が安心していると思う。
○昭和61年3月9日(日)晴。
 葬式に午後から行った。(母の妹で、女女男女と子どもがいて、小さい時には、長い休みは、必ずと言っていい程、河内と言う田舎に行って、そこの家に何日も泊まり込んでいた。自分よりも一つ年上の男の子がいて、いつも一緒に遊んでいた。この従兄弟から自分の家も設計してもらった。今年来た年賀状によると彼は平成20年1月から首都大学東京戦略研究センター教授になっている。リファイン建築なるアイディアで活躍している様だ。)いい葬儀だった。叔父さん、寂しいだろうなあ。
○昭和61年3月13日(木)晴。
 昨日の午後、MCLSの講演を戸田さんから頼まれていたので、講演をした。睡眠不足で、頭が痛い状態で、その用意をした。100人足らずだった(少なくて、少しガックリ)。
○昭和61年3月22日(土)曇。
 昨日が休みだったせいで、多かった。それでも、200人もいない。昔は、200人以上が何日も続いていた。今考えると、(その状況で他の小児科医の援助なくて頑張っていたことが)信じられない。今だったら、(朝7時半過ぎから診ているので)あんなに患者さんを待たせること(2時間以上のことあり)はないだろう。今では、30分以上も待っている人は少ないはず(多い時には、次の患者さんを5人までも傍に座ってもらい、3人程前もって裸にして診察の用意をさせていた)。
○昭和61年3月26日(水)雨。
 南海病院院長の緒方先生の葬儀に行った。先生には、医学生の時に、自宅に長いこと呼ばれて、食事もごちそうになり、とてもよくしてもらった。佐伯市長も医師会長も、少し涙ぐんでいた。恒松院長が初めに挨拶をした。今の南海病院をこれだけ立派にしたのは、やはり、緒方院長の功績だと思う。緒方院長、正に外科医って感じの先生だった。
○昭和61年3月27日(木)晴。
 (健康保険病院)南海病院の小児科は、小児科医が2人になったとのこと。2人になれば3人力だなあ。その点、自分の所は1人。いつまで1人で頑張ればいいのかなあ。


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