
○昭和61年7月1日(火)晴。
大分県の60年の新生児死亡率と乳児死亡率が全国一になっていた。又、周産期死亡率も5位とのこと。スゴイ。ホントに。全く。こんなこと信じられない。せめて全国平均にと思って頑張ってきたのに、まさか、全国一になるとは。大きな要因は、県病と自分と大学の3つの頑張りだと思う。心臓も、県外で(福岡と宮崎に送って)助かったし、それも大きかったと思う。
○昭和61年7月7日(月)晴。
150人ちょっとだった。だんだん少なくなりつつある。7月は、丸24時間休めるのは、2回しかない。その内の一つは、小児科でのキャンプだ。頭がズキンズキンして痛い。こんな痛みは、初めてだなあ。(高血圧のせいだったと思われるが、ずっと気が付いていなかった)
○昭和61年7月12日(土)晴。
10人しか集まらなかった。腹の調子はまあまあ、少し頭が痛い。夕方焼き肉を食べた。(臼杵の)黒島っていい所だなあ。自分の泊まった部屋、じめじめしていた。
○昭和61年7月15日(火)雨。
○○○が旦那さんから、いつも病院にいて家にいないとのことで、家で泣いていたとのこと。その点、小児科の婦長は、そんなことがなくていいみたいだ(いつも、朝、自分に合わせて早く来ていたが)。ナースの旦那さんって、大変だなあ。医療従事者と結婚したら、大変だ。内は、嫁さんが鹿児島出身だからか、あまり言われないので、いいけど。皆、言わないだけで、いろいろ悩みがあるんだなあ。○長も、心臓が大きくなって調子が悪い様だ。理事長先生も、突然亡くなったし、どの人もこの先どうなるのか、サッパリ分からないなあ。親が元気なのが有り難いなあ。
○昭和61年7月20日(日)晴。
患者さんが39人も来た。普通の休みにしては結構来たと思う。自分の存在感、確かにあると思う。新患が多くなっている感じだ。鼻髭が人を呼んだのかなあ。どこに掛かってもいいと思う人も多いと思う。どうしてもここでないといけないって感じの人、どの位いるのかなあ。ミーコは夏休み、自分には、ない。当たり前か。
○昭和61年7月26日(土)晴。
お金は使う為にあるもの。死ぬ時に一杯持っていても何にもならない。相続問題を残すだけだ。お金を上手に使うことが大切だ。それも、出来れば、他人の為に。両親と兄弟の家族を、8月9日と10日に、別府に全部集めることにした。全部で(5家族)20人(父母、長兄家族5人、次兄家族4人、姉家族4人、私の家族5人)、大人が10人、子どもが10人。かなりお金が要るが、自分が出すことにした。それだけの価値はあると思う。父も74歳だし、この先どうなるか分からないからだ。皆が欠けることなく集まることが大切だ。ビデオにも、バッチリ撮って配ろう。
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