日本の心・さいき

日本の文化を通じて、世界平和を実現させましょう。

県立島原病院小児科

2008-01-26 15:18:56 | Weblog
 3月で小児科休診 医師不足、長崎大が「派遣限界」 長崎県立島原病院(2008年1月25日、毎日新聞)
 島原市の県立島原病院(松尾繁年院長)の小児科が、3月22日から休診することが分かった。小児科医師の不足が背景にあり、病院側は「早急に再開できるよう鋭意努力している」と話している。
 県立病院は島原半島の拠点病院。島原市内には小児科医院が少なく、高度で専門的な治療が受けられる県立病院が大きな役割を果たしている。06年度は、延べ6888人が外来を受診、1835人が入院した。
 県立病院の小児科医師は長崎大からの派遣。これまで2人が派遣されていたが、今年度からは1人体制になっていた。
 長崎大医学部小児科医局の森内浩幸教授によると、過酷な勤務などから小児科医が5~7年前の半数にまで減っており、医師の派遣が限界に来ていることが理由。「島原病院の休診は断腸の思い。再開しないといけないことは分かっており、私たちも一生懸命対応している」と話す。
 大村市でも06年度末で長崎大から市立病院に派遣されていた医師が引き揚げたが、こちらは近くにある長崎医療センターへの集約で医師全体の数は変わらず、島原とは事情が異なる。
 県立病院で受診している市内の主婦(30)は「子どもが生まれた時からかかっており、県立の存在は非常に心強かった。(休診は)ものすごく困る」と話していた。

 ムーッ、少なくなると、残った小児科医がその分を背負うことになり、一気に負担が多くなる。あまりお金のことを言いたくないが、小児科医の募集での給与、他の科と比較しても忙しい割には決して多くない。採算が合わないので、小児科の入院ベッドの7割が、公的な病院になっている(内科系では、反対に、3割が公的)。小児科の場合、季節的な変動が大きく、忙しい季節だと、ベッド確保でも小児科医は悩まされる。夜も体を壊して仕事をするくらいなら、多くの小児科医は、開業の道を選ぶでしょう。体を壊さなくて済む程の病院だと、多分、小児科では赤字になっているでしょう。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

為になるかも知れない本(その254)

2008-01-26 09:30:31 | Weblog
○昭和61年4月3日(木)雨。
 少しカゼ気味だ。首が凝っている。眠たい。脱力感。何となく元気が出ない。○さんの話だと、仕事をしている医者であればあれ程、外で思いっきり遊んでいるとのこと。飲み、打ち、そして買いと。その打ちの一つも自分はしていないなあ。
○昭和61年4月8日(火)晴。
 頭が痛い。思うに、(日曜の小児科学会での質疑応答で)批判することは簡単だが、実際にするとなると難しい。発表にしても、忙しい中でスライド作るまでって、大変だのだ。今まで続けて(学会で発表を)28回もよくしてきたと思っている。○○先生や○○先生は、励ましてくれるけど、皆が皆そうでないのは、いろんな人がいるから仕方ないかなあ。
○昭和61年4月11日(金)晴。
 英会話の日だった(アメリカ人から医師4人がずっと教わっている)。90分間、殆ど英語で話した。結構楽しかった。Bobはゆっくりと話してくれるけど、普通のアメリカ人は、早口だ。もっと上手にならないといけないなあ。
○昭和61年4月16日(水)晴。
 風邪気味だったが、東京海上ビルで18:00~19:40まで、講演した。自分ではいい話をしたと思うけど、僕の詰まった言い方とネが多いことで、聞いている人の中に、眠っている人もいた。ま、こんなものかなあ。
○昭和61年4月29日(火)雨。
 (小児科のスタッフだったナースの)○○ちゃんの結婚式で、ビデオをバッチリ撮ってあげた。疲れて、肩が痛くなった。祝辞も言い、唄も歌った。小児科に来ると、何故か、どんどん結婚して行くなあ。どうしてかなあ。

 ある結婚式での私の祝辞の中の一部(4月29日の内容ではない)、・・・茶道(お濃)での茶入(ちゃいれ)を拭く前の帛紗捌(ふくささば)きで、四方(よほう)捌きと言うのがあります。次の様に心で思いながらします。東を向いては親の恩を思い浮かべ、西を向いては師の恩を思い浮かべ、南を向いては家族の恩を思い浮かべ、北を向いては友達に感謝する。つまり、世の中を生きる上で忘れてならないことは、今の自分は自分だけの力でそうなったのではなく、多くの人の援助があったからこそ、そうなっている訳で、そのことを常に忘れることなく、多くのことに感謝して、今後の結婚生活を送って下さい。・・・

○昭和61年4月30日(水)晴。
 佐伯警察署に行った。更新した。15年間無事故。運転しないから当たり前か。郵送で送ってもらうことにした。700円要った。視力が少し落ちている。これがいつも免許を更新する時に心配になる。後3カ年後に車を持っているだろうか?医大から小児科医の常勤医が一人が来れば、それも可能かなあ。まだしばらく、このままで行きそうだなあ。
○昭和61年5月1日(木)雨。
 ショックの日だった。雨に濡れてダビングしたのを自転車に乗って取りに行って再生してみたが、よく撮れてなかった。(レセプトの)ガンマーグロブリンがバッサリ引かれていた。注意書きを詳しくしないといけなのが10枚以上あった。夕方、○○○病院からベビーが来て、来た時に既に心停止していて亡くなっていた。風邪気味で喉も痛かった。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小児科医の存在感

2008-01-26 08:23:36 | Weblog
 加賀市民病院 小児科が休診 4月再開目指す 過労?常勤医が入院
(中日新聞、2008年1年22日)

 小児科の専門医不足が全国的に心配されるなか、加賀市の加賀市民病院では、小児科常勤医師が病気のために入院し代わりの医師を確保できなかったため、21日付で小児科が休診となった。恒常的な過労が一因とみられ、小児科を取り巻く厳しい環境をあらためてうかがわせた。
 県医療対策課などによると、医師の病気による小児科の休診は県内でも珍しいという。同病院は医師の回復を待ち、遅くとも4月1日の再開を予定している。
 同病院によると、小児科は40代の常勤医師が1人で担当。この医師が今月9日に病気で緊急入院した。同病院は既に予約を受けていた患者の対応のため、金沢大医学部から小児科医師を18日まで日替わりで派遣してもらったが、今後新たな医師を確保できるめどが立たず、休診を決めた。
 入院した医師は通常の診療時間以外でも、夜間の呼び出しに応じて患者を診察しており、過労の状態だったという。
 同病院の産科は既に2006年7月から、産婦人科常勤医師の退職に伴い休診中。今年4月に新たな医師を迎えて産科を再開する予定で、福村孝治病院管理部長は「早ければ3月半ば、遅くとも4月には産科とともに小児科を再開したい」と話している。
 県によると、小児科常勤医師が2人以上勤務する病院は少なく、過労になりがちな1人の常勤医師を非常勤医師がサポートして負担を減らすケースもあるという。

 ムー、1人小児科医って、自分の経験から、ホントに大変だと思います。新生児と救急と講義を抱えていたら、ホント、大変ですネ!!
 私の場合は、郷里の救急病院で8年半余、一人でしてきた。睡眠不足で体が浮いた感じになっていて、フラフラ状態の時が多かった。しかし、それでも頑張らないといけないことが多く、体を壊してまでしてきた(体が壊れた今は、もう、昔の様にはとても出来ませんが)。
 今の病院も、初めの1年間は、私一人だった。休んだのは、娘の結婚式の時に2泊3日休んだだけ。(今は、二人でそれなりに楽をしてきているが)
 ある大学の先生が、田舎の病院に出張を命じられた時に、一番気にするのは、そこに小児科医がいるかどうかだと言った。当直をする時、3歳未満の子どもが来ると、経験不足に輪を掛けて、子どもは急変するので怖いと言われた。
 田舎の病院でも、「小児科の先生にお願いします・・・」と時間外に電話が前もって掛かることも多い。他の科の先生が診て、親が不満そうな顔をして帰られるケースもある。実際に、乳児を他の科の先生が診て、裁判沙汰になったケースを何例も知っている。しかし、私の様に小児科医が診ても、ひどく叱られたこと、沢山あります。
 世間一般の多くの人は、医者の仕事って外来のことしかイメージしてないかも知れない。しかし、医者の仕事の中で、外来の仕事は、その一部でしかない。
 私の場合、周りに田舎で開業医がいない関係で、その地区の保育園・小学校・中学校などに出向いて、健診などを全てする。今は、就学前健診とか、マラソン前健診などもある。それに、乳幼児の健診・予防接種など、院外ですることを全て含むと、その数、年間に35回もある(市が合併した関係で周辺の診療所の医師が削られれば、更に今から増えそうだが、それも年に12回も)。
 併設した看護学校の講義が小児科の講義だけでも20回もある(1回が100分講義で、診療するよりも疲れる)。
 小児の入退院以外に、産婦人科がある為に、新生児・未熟児があり(数は、年間100人前後しか生まれないが、月に1回帝王切開があり、その時必ず小児科医も手術場に入っている)、そこで生まれた新生児を産まれた時と退院する時に、それに、1カ月健診で院内で診ている。
 それに、時間外の患者さんの診察や、院内の予防接種や、問い合わせの説明、更には、保険の注意書きや患者さんの保険の書類など、実に、書くことの多いこと多いこと・・・(昨年、入院数400人、それを二人でしてきているが)。一人が入院してから最後にまとめを書いて退院させるまで、スゴイエネルギーを要している(書類書きは、昔の方がはるかに楽でした)。更に、一番過酷な当直(年間500件程の救急車が来る)が月に3回あり(私は、還暦前なので、していないが)。
 そして、給料が高いことを周辺からも羨望の眼差しで常に言われる。多くの医師が耐えていると思いますが、鬱状態の人もいる様ですが、笑わないで診察している?と、「近頃、この病院の医者の質が落ちていますなあ・・・。親が入院していなかったら、とっくに訴えている所ですが・・・」何て投書も来たりして、多くの医師にショックが与えられていますが(今も、この病院でこの内容が掲示板で張られて、病院側が丁寧に返答していますが、感謝されなくてもいいですが、あまり文句は言って欲しくないです。それなりに一生懸命にしているので、ホントに悲しくなります。)。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする